日本のプログレッシブロック 新●月

日本のプログレッシブロックバンド最高峰「新月」のファンサイト 「新月ファンサイト〜新●月」 管理人が、「新●月」を紹介するブログです
 
2017/05/24 12:33:28|新●月ニュース
新●月ニュース

●日本のプログレッシブロックバンド最高峰「新●月」の最新ニュースを新月公式サイトの情報を中心に随時更新しています。
「新月ファンサイト〜新●月」はこちらをご覧ください。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/
新月について語り合う新●月掲示板はこちらです。皆さんどんどん参加してくださいね。
http://www1.rocketbbs.com/312/roman.html

新月公式サイトより転載します。
花本 彰:(新月公式サイトより転載)

ライヴアルバムの発売は6月24日です。
新●月Project 冬の旅 Live Tour 2017 
6月24日 NALA RECORDS(現在準備中)にて先行発売いたします! 
一般発売は7月5日。ライヴ会場で先行予約をされた方には発売日前にお届けします。お楽しみに!
1. オープニング~五月雨
2. 白唇
3. 大きな鳥
4. Lyra
5. 星の記憶
6. 殺意への船出パート2
7. 鬼
8. せめて今宵は

定価 2,500円(税込) NALA 001


新月公式サイトより転載します。
花本 彰:(新月公式サイトより転載)

Floating World / 石畠弘の一般発売が6月7日に決定。
NALAレーベルより発売!
DiskUnion などで取り扱います。
まだ購入されていない方はぜひ。
オルガン沢山入ってます!
再生しにくい場合は、右下の、YOUTUBEボタンを押してください。
https://youtu.be/2EjpbviN2dg
(2017年5月13日)

☆新月前身バンドセレナーデのギタリスト高津昌之さんのライブが5月21日(日)高円寺ペンギンハウスで開催されます。セレナーデ時代の曲も演奏されるとの事です。
詳細は高津さんのHPを見て下さい。
https://takatsu-masayuki.jimdo.com/
花本さん、北山さんが参加された高津バンドの過去レポートはこちらです。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/takatsusanwithtfriendslive110605.html
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/takatsusanwithtfriendslive111029.html


☆リンク集を更新しました。また掲示板にも各サイト・ブログのご紹介をさせて頂きましたので、見て下さいね!
☆新月公式サイトに7月27日のフライヤーが掲載されています。
チケット一般発売は29日から開始です。
☆新月プロジェクトがナポリのプログレバンド、チェルベッロのオープニングアクトで出演します!
7月27日(木)TSUTAYA O-EAST 18時開場19時開演です。
チケット入手方法について等詳細はマーキーの公式公演特設サイト、ディスクユニオン新宿プログレッシヴロック館、ワールドディスクの各サイトを見て下さい。
今回のチェルヴェッロ公演は奇跡を超えるレベルの来日公演との事で、今から楽しみにされているファンの方もたくさん居ることでしょう。
チェルヴェッロを観に来られるファンの方々に新月の曲を聴いて観てもらえる事が新月ファンとしてとても嬉しいです。
日本プログレの最高峰新月のメンバーが率いる新月プロジェクトとイタリアのプログレバンドチェルヴェッロのカップリングコンサート、どんな化学反応を起こすのでしょうね?
公演特設サイト
http://www.marquee.co.jp/live/napolifantasy.html
ディスクユニオン新宿プログレッシヴロック館
http://blog-shinjuku-progre.diskunion.net/Entry/3778/
ワールドディスク
http://worlddisque.blog42.fc2.com/blog-entry-1088.html

新月公式サイトより転載します。
花本 彰:(新月公式サイトより転載)
7.27に渋谷でライヴ決定。
1970年代に活動していたイタリアのバンド「チェルヴェッロ」の前座として1時間演奏します。
イタリアとは相性が良いので、面白いことになりそうです。
http://www.marquee.co.jp/live/napolifantasy.html 
(2017年4月13日)

☆2006年4月・9日原宿クエストホールにて新月復活コンサートが開催されました。8日の朝は今日のように雨が降っていましたが、『雨上がりの昼下がり』となりました。

演奏曲は『白唇』『雨上がりの昼下がり』『砂金の渦』『劇団インカ帝国寸劇 タケシ〜不意の旅立ち』『島へ帰ろう』『武道館』『生と死』『殺意への船出PART1』『殺意への船出PART2』『赤い目の鏡』『鬼』アンコール『科学の夜』『せめて今宵は』
メンバー全員、ひとり、ひとりのMCがありました。
この日の写真集(『生と死』を除く)はこちらです。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/2days.html

★新月公式サイトより転載します。
花本 彰:(新月公式サイトより転載)

北村昌士くんの写真が出てきました。
本の整理をしていたらオカルト本の間に入っていた(笑)。
彼なしでは、新月は世に出るのにもっと多くの時間がかかっていたに違いない。

第三期新月メンバー、新月プロジェクトのベーシスト石畠弘さんのソロアルバムが2月にリリースされました。
新●月掲示板から視聴サイトへリンクを張りましたので聴いてくださいね♪

☆「冬の旅」のセットリスト、ファンの方の感想、また関西公演での花本さんたこ焼きダシがけキーボード事件の真相は新●月掲示板を見てくださいね。

☆吉祥寺シルバーエレファントにて開催された「至極の音楽夜会」に参加した新月新ユニットはわきあいあいととても良い雰囲気の中演奏が行われたそうです。
鈴木さんの新曲も発表され、ボーカルのワタナベさんの為に書かれた新曲はドラマチックな素晴らしい曲だったそうです。新月曲は鈴木さん参加なら当然と思われる『白唇』!三声コーラスは、津田さん、荻原さん、ワタナベさん。ほかにカバー曲が二曲演奏されたそうです。一時間弱の、素晴らしいライブだったそうです!

★新月公式サイトより転載します。
花本 彰:(新月公式サイト cafe orionより転載)
おこしいただいた皆さん、ありがとうございました。
いろいろ実験成果のあったライヴでした。
セットリストは以下の通りです。

1 Here Comes the Flood / 詞・曲 P.G.
2 Heroes / 詞・曲 D.B.
3 時の微笑 / 詞 ワタナベカズヒロ / 曲 鈴木清生
4 白唇 / 詞 津田治彦 / 曲 津田治彦・花本彰
5 大きな鳥 / 詞・曲 花本彰
6 五月雨 / 詞・曲 花本彰


☆北山花本ユニット「静かの海」は現在録音が約三分の一ほど進んでいるそうです。(2016年9月11日)

☆お待たせしました。4月2日の花本彰北山真サイン会の写真レポートはこちらです。参加出来なかった方、一部二部のどちらかにしか参加できなかった方に雰囲気だけでもお伝えできればと思いす。お楽しみ下さい。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/diskunion0402.html
また「LIVE&RECORDS」のコーナーにはこのサイン会レポート以外に過去のライブのレポートや新月関係者の寄稿文を掲載しています。
未読の方は併せてお楽しみください。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/shingetsuvip.html

☆レコードコレクターズ5月号34ページに新月四タイトルの記事が掲載されています。新月ファン必読です。

☆3月19日発売のストレンジデイズNO.198に花本・北山インタビュー及びアルバムレビューが掲載されています。
またこのインタビュー中今回のリリースはマーキーの山崎さんからのご提案を頂いてという記事があります。
ファンサイト内に1979年12月に行われた新月と美狂乱のジョイントコンサートを観た山崎さんの文章が掲載されていますのでご紹介します。新月の魅力が語られています。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/shingetsuviplive.html#yamazaki

☆3月25日に、新月のセカンドアルバムにあたる「遠き星より」、「完●全●再●現 新●月Complete Edition / 1979 Shingetsu Live」 、「The Best of Album Outtakes 1976 -1981」、「新月/新●月」の四タイトルのアルバムが同時に発売になりました。

★新月公式サイトより転載します。
花本 彰:(新月公式サイト cafe orionより転載)

ストレンジデイズ 3/19発売号にインタヴューあり。
今週の土曜日、19日発売の「ストレンジデイズ」に新●月のインタビューが掲載されています。
参加者は花本と北山の2名。今回の4枚についての裏話満載! ぜひお読みください。

★新月公式サイトより転載します。
花本 彰:(新月公式サイト cafe orionより転載)
はな
「ユーロ・ロック・プレスに新●月3セットの記事あり。
今月末に発売されるユーロ・ロック・プレスに、3月25日に発売される新●月関連3CDの関連記事が掲載されます。
花本彰のインタビュー付。つーか、ほとんどインタビュー記事だったりしち。ぜひお読みくださいませ。」
ファン必読の内容です!

★新月公式サイトより転載します。
花本 彰:(CafeOrionより転載)
「遠き星より」は、GENESISのジャケットで有名な、ポール・ホワイトヘッド氏のイラストになりました。日本のバンドではクロニクルに次いで2番目?左側の水面にある目がこわい(笑)。


☆ファンの方に教えて頂きました♪「ディスクユニオンで配布している小冊子「2015 新宿 年間BEST!」にプログレ館のスタッフさんが選ぶ年間ベストの1枚として北山真WITH真○日の「冷凍睡眠」が取り上げられています!」
☆12月18日発売の「ストレンジデイズ」北山真インタビューは7ページに亘る記事です。


☆本日発売のユーロ・ロック・プレスに北山真インタビューが掲載されています。
http://www.marquee.co.jp/erpwebnew/erpwebver2_main.html
また現在発売中のストレンジデイズには「冷凍睡眠/Cold Sleep」のレビューが掲載されています!

☆夕刊フジ7ページに「北山真再始動」のタイトルで記事が掲載されています!
購入しそびれた方は、こちらからバックナンバーが購入出来るそうです。28日発売分です。注文の際「北山真」「新●月」のワードを入れて応援して頂ければと思います。宜しくお願い致します。
http://www.zakzak.co.jp/hanbai/

☆北山真サイン会の写真をアップしました。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/coldsleepdu0823.html
☆「冷凍睡眠/Cold Sleep」北山真with真○日
北山真ソロセカンドアルバム「冷凍睡眠/Cold Sleep」が19日発売となりました。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/coldsleepdu.html
各CDショップにて絶賛発売中です。

ディスクユニオンで購入の方には2008年秋葉原グッドマンで行われたライブでの演奏曲の中から4曲が収録されたCDが先着順で特典として同時に貰えます。また2008年のライブから4曲収録されたおまけCDの写真も掲載されています。収録曲は『武道館』『あかねさす』『とっておきの』『約束の地』というファン垂涎の貴重なライブ盤ですので購入はお早めに♪
なお2008年グッドマンでのライブで配られた歌詩カードはこちらです。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/yakusokukasi1.jpg
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/yakusokukasi2.jpg
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/yakusokuksi3.jpg
この四曲の中に、しんじつ、が隠れている歌詩があります。当時北さまから直接クイズとして出題されましたが、初めての方わかりますか?ヒントは「縦読み」です。探してみてくださいね♪

☆北山真ソロ作品☆
「動物界之智嚢」
「光るさざなみ」
「植物界之智嚢」
「MAKOTO KITAYAMA With Jazzy Sport(クライミングルート開拓全県制覇記念
:非売品)
「冷凍睡眠/Cold Sleep」
「北山真with真○日 Live2008.10.25」(非売品)

☆参加作品☆
「文学ノススメ」(文学バンド)
「信号」高津昌之(Serenade)ソロアルバム

★新●月★
「新月/新●月」
「赤い目の鏡」(1979年芝ABCホールライブアルバム)
「Serenade+新月(スペシャルコレクション)科学の夜」
「新●月:Shingetsu Live 25.26 july 1979. ABC Kaikan Hall Tokyo」
「新●月●全●史」
以上です。
あ、あと、えーと、この時のグッドマンではバンド名は真○月でしたがこれは誤植で足が余計だったようで真○日が真実だそうです。本当。

新月過去ライブ、レポートについては、こちらに掲載してあります。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/shingetsuvip.html


☆当時の新月ファンクラブ会長/新月カメラマン/劇団インカ帝国の小熊一実さんのブログに新●月との出会いが掲載されています。
http://dot.asahi.com/musicstreet/column/osusume/2014022600029.html
ちなみに2004年に発表されたアルバム『新●月:Shingetsu Live 25.26 july 1979. ABC Kaikan Hall Tokyo』のジャケット写真は小熊さんが撮影されたものです。


*ブログ内のすべての記事の出典は、 「新月公式サイト」 「新月ファンサイト〜新●月」
 「新月ファンサイト〜1217」(現在本サイト休止中で掲示板のみ) 「新●月●全●史ブックレット」ほか、新月メンバー・関係者自身の記事及び証言によるものです。

下記、新月掲載誌の掲載記事中に存在する事実誤認部分も、メンバー・関係者へ聞き取りを行い、その部分を訂正した内容を掲載しておりますが、管理人の記事中、事実誤認・語表記等お気づきの点がありましたら
新●月掲示板 http://www1.rocketbbs.com/312/roman.html
あるいは メール yukino1@pop11.odn.ne.jpにてご指摘ください。
文責はすべて、ころんたにあります。

新月掲載誌はこちらをご覧ください。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/book.html
 

 







2016/03/22 14:54:00|新●月
新●月

ありきたりのものが
上手に書かれている絵よりも
下手であっても
かつて見たことのないものが
  書かれている絵を僕は見たい。
  新月は正にそんなバンドだった 

 

花本 彰

 

【第一期 新●月】
SerenadeとHALは、テープではそれぞれお互いの演奏曲をすでに聴いていましたが(Serenade、HALの項を参照してください)、1976年8月目黒でのジョイントコンサートで初めてお互いの演奏を目の当たりにします。

ここで、花本彰さんの「世界に通用するプロフェッショナルなプログレッシブ・ロック・バンドを作りたい」という思いと、Serenadeの大曲『殺意への船出PART2』を演奏したい、というHAL津田治彦さん、高橋直哉さんの思いが強く結びつき、この3人で新グループが結成され始動します。

HALオリジナルメンバーでSerenadeラストライブのサポートメンバーだった桜井良行さんが新グループのリハーサルに数回参加していますが、青山学院大学在籍中の学生であるという事もあり、加入には至りませんでした。

 

その後、津田さん高橋さんの青山学院大学の仲間である遠山豊さんの加入が決まります。遠山さんは、ボーカル、ギター、キーボードをこなすマルチプレイヤーでした。
新バンドは、さらに曲を書き溜めながら、新メンバーを探し続けます。

 

その頃、新しいバンドの名前を決める事となりました。
バンド名の候補のひとつは、太陽よりは月、白よりは黒、英語よりは日本語、そして、二音節で濁音が入ると名前が覚えやすいという理由で、花本さんが、なんとなく思いついた名前でした。
その名は「新●月」。

 

また、新月の日は集合意識と繋がりやすくなるというような事が考えられており、そんな理由もあったようです。
他の候補名は「ロック貴族」、「○○○の水たまり(○○○の部分はメンバーはすでに覚えていないそうです」、「エンパイヤ」、「ブラックはみがき」etc.

バンド名は「新●月」に決まりました。

花本さんのSerenade時代の多重録音試作曲『回帰パート2』の中に、突如現れたメロトロンフルートのモチーフは間奏部分となり、花本さんが詩を書き曲として、この頃完成します。
この曲は『鬼』、と名づけられました。
『白唇』もこの頃完成しています。

 

新月は新しいメンバーを探し続けていました。
まず、ベーシストは何人もオーディションしましたが、鈴木清生さんのベース以外には、誰が弾いても物足りず、新月のベーシストは鈴木清生さんに決まりました。


なおこの頃、Serenadeは花本さん脱退後、キーボードの適任者がおらず、高津さん、北山さん、小松さんの3人は、近所のハウスに住んでいた方を誘いEUNVAというバンドを結成します。もっとも、これはテスト的な意味合いがあり、2曲録音されましたが、セッションも3〜4回行われただけで、自然消滅しています。
尚、EUNVAという名前は、当時北山さんが持っていたボーカルアンプのEVANS(メーカー名)を面白がってわざと誤読した名称です。

 

小松さんはこの前後のどちらかに、ジューンブライドというハードロックバンドを結成しています。そしてその後、「マジカル・パワー・マコ」に加入しましたが、レコーディング前に脱退しています。
その後「グランギニョル」(劇団東京グランギニョルとは無関係です)に加入し「崩壊」まで在籍していました。

 

その後、高津さんと北山さんはデュオ「牛浜ブラザース」を結成?します。
名前は大好きな「エヴァリー・ブラザース」から取りました。
公の活動はなく、あくまでインカ帝国関連のパーティや仲間内の前で演奏するユニットで、いろいろなカバー曲やオリジナル曲を演奏していました。必ずラストは『バイバイラブ』で締めていました。

オリジナル曲は北山さんの『光るさざなみ』『ブーツのかかと』『端境期』、高津さんの『クルミの中はミルクティー』『信号』です。鈴木清生さんがゲストで演奏されたこともあったそうです。

北山さんは、新月を、観客として観た事が一度だけあります。

 

当時、アマチュアのプログレバンドを受け入れてくれるライブハウスは都内にはほとんど無く、吉祥寺の電気店「DAC」2階のイベント・スペース、同じく吉祥寺のシルバーエレファント、江古田のマーキー、渋谷の屋根裏、の四店くらいでした。
この四店のイベント・プログラムには他のいろいろなプログレバンドが出演しており、新月はよくマンドレイクと共演していました。

北山さんが観た新月は、「DAC」2階で定期的に行っていたライブでした。新月の曲を聴いた北山さんは、「キャメルのような」印象を持ったそうです。

 

新月には、何人かのボーカリストが参加していました。
北山さんが観たライブの時のボーカリストの方は0011ナポレオン・ソロのデビッド・マッカラム似で、後にロックンロールバンドに加入して活躍しました。

 

女性ボーカリストも試みたそうですが、『せめて今宵は』が、まるでオペラのアリアのように、朗々と歌われていたそうです。他の男性ボーカリストで音楽コンテストに出場した事もありましたが、審査員からは完全に無視されました。
新月のボーカリスト選びは難航していました。誰が歌っても、何か」が違っていたそうです。

「北山でいいじゃん」
津田さんが呟いた一言で、北山さんの加入が決まりました。第二期新月(前期)のスタートです。花本さん、津田さん、高橋さん、鈴木さん、遠山さん、そして北山さんの6人編成のメンバーでした。

 

【第二期 新●月(前期)】

『鬼』、『殺意への船出PART2』、『白唇』、『せめて今宵は』、『赤い目の鏡』、『不意の旅立ち』などの新月の代表曲は北山さん加入前にすでに演奏されていました。
北山さんは、表現のクォリティを上げるため、全ての歌詩のチェックを行いました。
花本さんが書いた『鬼』の詩へ、北山さんは一言だけ赤を入れました。当初書かれていた「暖炉」は「囲炉裏」へと変りました。

 

新月の練習時間は膨大で、土曜日日曜日の終日、月曜日・水曜日・金曜日の夜だったそうです。
リハーサルやライブ後反省会が済むとすぐに解散し、メンバーでお酒やお茶を飲みに行くこともありませんでした。

当時メンバーは、アルコールがこの種のインスピレーションを鈍らせるとわかっていましたから、自宅へ戻ってからもその音楽的テンションを維持しながら曲作りや練習を続けるために寝る前までお酒を飲むこともありませんでした。

 

それは、自分たちに課していたわけではなく、そうしたかったからです。
「新月」という共同体の魅力は正にそこにあり、決して羽目をはずさないロックバンド、これが「いいじゃん、のろうぜ」的バンドに対する新月メンバーの、確固たるスタンスであり、それが誇りでした。
『鬼』を仕上げるための猛練習をしていた頃、北山さんはよく「鬼の花本、仏の津田」といって笑っていたそうです。

 

北山さんが加入してからライブ活動が再開します。加入記念?に江古田マーキーでジェネシスの「MUSICAL BOX」を完全コピーで演奏した事もありました。

 

新月の機材は大変な量でした。イギリス大好きの花本さんと津田さんはハイワットのフルセット。鈴木さんはサンのベースアンプを大音量で鳴らしていました。
北山さんはマイクスタンドの中央部に照明のオンオフスイッチをくくり付け、自分自身でコントロールするという懲りようでした。
当時シルバーエレファントのスタッフだった方は「2バスの巨大なドラムセットだけでステージがいっぱいになって驚いた」と回想されています。

 

ライブは機材の運搬だけでかなりの体力を使いました。
特に当時、渋谷の屋根裏に行かれた方はご存知かもしれんませんが、あの階段を、ハイワットの二段重ね2セット、レスリースピーカー、サンのベースアンプ、2バスのドラムセット、そしてオルガン、シンセ、エレピ、メロトロンをメンバーだけで3階まで運んで登るのです。まさに「苦行」です。

 

ライブ活動は、先の四店舗に加え、1978年4月には、渋谷エピキュラスで、「Mad Live Concert」というイベントに、バレリーナ、ティンカーベルと共演しています。

 

新月が目指した音楽とは?
当時は無我夢中で自分たちも良くわかっていなかったそうですが、ただビートルズのように音楽ジャンルにこだわらず、自由に新しい試みができるバンドでありたいとは思っていたそうです。

 

実際個々のメンバーが日頃接している音楽は殆んど重複していなかったそうです。逆にそれゆえに、メンバーの自己規制によって「新月の音」という枠組みが出来上がったのかもしれません。

 

新月の曲は一曲が完成するまでに最短でも三ヶ月を要したそうです。代表曲『鬼』とバンド名「新月」から、しばし和のイメージが先行しがちな新月ですが、オリジナリティへのこだわりはあっても和へのこだわりはありませんでした。

 

京都での地方公演では、まだまだお客さんは少なかったそうですが、ライブ活動を行っていくうちに、徐々にお客さんも増えていきました。
1978年。時代は既にパンク全盛を迎えていました。

 

練習場所には苦労しました。福生から都内に越してからは、成増駅の近くにある法面をくりぬいた駐車場でもやりました。
ここはカビと埃がひどくて心まですさんできたそうです・・・。
でも、メロトロンを置きっぱなしにしていたのに、盗まれることはなかったそうです。

 

ところで、1972年から5、6年はプログレマニアにとっては夢のようなバブル時代だったそうです。そのおかげで、花本さんは、オランダの「エクセプション」とかアメリカの「ニューヨークロックンロールアンサンブル」といった超マイナーなアーティストも数枚ずつ揃えることが出来ました。

両方共花本さんが大学一年生当時かなり影響を受けたグループです。オランダ人からはオルガンの白玉とチェンバロのアルぺジオの荘厳な組み合わせ方を、アメリカ人からはリズムではなく、メロディーや和声を軸にしたバンドアレンジを学びました。

 

また、後に、アルペジオの重ね方や北山さんのステージアクトなどから、ジェネシスフォロワーと称される事もあった新月ですが、初期の頃は他のプログレバンドのかっこいいリズムなど自覚なく流用する事があり、強いて言えば、「プログレフォロワー」であったのではないでしょうか、との事です。

 

初めて買ったシンセサイザーはローランドのSH1000という単音しかでない楽器でした。国産初の量産型シンセだったそうです。当時で16万円もしました。音程も不安定で、よく裏蓋を開けてオクターブチューニングを直していました。

 

新月のシンセはこれだけです。「新月」は最後までこの単音しかでない初期型のシンセサイザー一筋でした。このような制約は個性にもなるもので、「鬼」や「白唇」のキーンコーンという音はこのシンセにしか出せない寒い?音でした。

 

第二期新月の活動は主にライブハウスを中心に行われ、『白唇』、『赤い目の鏡』、そして『鬼』と『殺意への船出PART2』の二つの大曲は特に人気が高く、演奏のしがいがあり、『殺意への船出PART2』は、緊張と弛緩、決めのパートと自由なパートが程よく配置されていたために、何回やっても「やり飽きない」曲だったそうです。

 

ライブのお客さんの中に当時「フールズメイト」初代編集長だった北村昌士さんがいました。
北村さんは、「ガソリンアレイ」というライブハウスの常連で、第二期HALのライブもよく観ていた関係で、高橋さん、津田さんとはすでに知り合いでした。北村さんは、新月を大変気に入り、その後の新月の活動に大きなバックアップをした方でした。

 

この頃、新月の練習スタジオは、渋谷の並木橋の近くに当時あった「スタジオJ」に移ります。
この専属ミキサーであった森村寛さんは、のちのレコーディングディレクターとして、新月にはなくてはならない存在であり、また新月のメジャーデビューの大きなきっかけを作りました。

 

森村さんは、高校時代「レガリア」というバンドを桜井良行さんたちと結成していました。その練習場所が、高橋さんや遠山さんが所属する青山学院大学の軽音楽部部室であった関係で、新月とのつながりがありました。

 

「スタジオJ」は、南箱根にある「ロックウェルスタジオ」と兄弟スタジオでした。
森村さんは高校時代からロックウェルスタジオの塩次さんと知り合いでした。
その塩次さんが、「スタジオJ」に来られた時、森村さんが新月のデモテープを聴いてもらったところ、大変気に入り、是非新月をロックウェルで録音しましょう、という事になったのです。

さらに塩次さんがプロデュースを名乗り出て、ビクター音楽産業からデビューが決まり、レコーディング前のリハーサルはスタジオJで行うという大変恵まれた環境で、レコーディングは進みました。

デビュー前の1978年11月25日、新月は御茶ノ水全電通ホールで開催されたイベント「FROM THE NEW WORLD」に参加します。メンバーは北山さん、花本さん、津田さん、高橋さん、鈴木さん、遠山さんの6人です。
共演は「美狂乱」、清水一登さん桜井良行さんのバンド「ガラパゴス」等です。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/1978vol605.jpg

 

新月はギターアンプのトラブルで、演奏時間が押してしまったそうですが、音作り、機材、そしてもちろん演奏力、全てが圧倒的な存在だったそうです。

【第二期 新●月(後期)】

 

翌1979年冬から初夏にかけ、新月は南箱根ロックウェルスタジオで録音を開始します。レコーディンを機に遠山豊さんはマネージャーへと転向します。
キーボードのサポートメンバーは、バッハ・リボリューションの小久保隆さんです。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/rockwell.html

レコーディングは合宿状態で進められました。
スタジオの近くにヴィラがあり、そこで泊まりこんで翌日の準備などをしました。睡眠時間はほとんどなかったそうです。何日か泊まりこんでは録音し、また東京に戻っては次の曲をかため、そしてまたスタジオへ行く、という事の繰り返しだったそうです。

録音にかかったのはのべ30日です。予定より、大幅に伸びました。いかにこの録音が長期であったかは、免許がなかったメンバー2人が、箱根で運転の練習をし、後半は免許を取って、車で通っていたというエピソードが物語っています。

 

制作費は当時の金額で一千万円。宣伝費まで食い込んでいたそうです。新人バンド、それもプログレのバンドとしては、破格の扱いでした。

当時は24チャンネルの録音が精一杯でした。新月は、大変な数のオーバーダビングをしたので、しまいには各チャンネルの空いた部分に他の楽器をインサートせざるを得なくなりました。当時ミキシング・エンジニアの宮沢さんが大変なご苦労をされたはず、とメンバーは回想しています。

新月は、ロックウェルスタジオで、同時にセカンドアルバムの準備もしていました。その中に、『赤い目の鏡』、『殺意への船出PART2』の曲がありました。
ファーストアルバムの曲順は、すでにセカンドアルバムを想定したものでした。

 

新月の三大大曲、『鬼』、『殺意への船出PART2』、『不意の旅立ち』がファーストアルバム収録への候補にあがっていました。

曲の配列を決める上で、レコーディング・ディレクター森村さんから、当初提示された曲順は

 

A面:『鬼』『赤い目の鏡』『白唇』 
B面:『殺意への船出PART2』『せめて今宵は』
でした。

 

しかし、花本さんは、『赤い目の鏡』『殺意への船出PART2』は、アレンジ面でまだ未消化の部分があり、なにより『殺意への船出PART2』は10代の頃の曲で細部への不満もありました。

そして、北山さん、津田さんという強力なソングライティング能力を持ったメンバーの出番が少なすぎるとの思いがあり、メンバーでミーティングを行い、最終的な曲のラインナップを決めました。(余談ですが、花本さんがもしも今、この曲順を並べるなら、A面:『鬼』『白唇』『せめて今宵は』 B面:『赤い目の鏡』『殺意への船出PART2』だそうです)

曲の配列を決めていく上で、アップテンポの曲も入れるように、との事になり、急遽『科学の夜』が書き下ろされました。A面一曲目をイメージして作られたそうです。

 

まず、ファーストに入る曲は、三大大曲のうち『鬼』、この『科学の夜』、『せめて今宵は』、『白唇』が決定し、メンバーは残る数曲を選考していました。
後に北山さんのソロアルバムで発表される『光るさざなみ』は、曲としては良いが、新月曲としてはポップであるという理由で、アルバムには収録されませんでした。

結果的に『朝の向こう側』、『発熱の街角』、『雨上がりの昼下がり』、『魔笛"冷凍"』が収録される事となりました。

北山さんの手により、アルバム全体が 夢-夜-朝-昼-夜-夢と、ひとめぐりするように整えられました。
アルバムタイトルは「新月」。

 

プロモーションビデオ撮影も行われました。スタイリストは土屋昌巳さんの奥様です。ビデオ撮影と同時に膨大な写真が迫水正一さんによって撮影されました。

 

アルバムのミックスダウンは開業したばかりの一口坂スタジオで行われました。新月が、世界発の新機能をフルで活用する日本で初めてのアーティストとなりました。

1979年7月25日。
ファーストアルバム「新月」がビクター音楽産業のZENレーベルより発売されました。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/timemachine.html
同時に、アルバム発売記念コンサートが25日、26日の両日開催され、当時の最先端であった三面マルチスクリーンを使用した画期的な演出がされました。
観客席では、ジェネシスのマネージャーが、映像を褒めまくっていたそうです。
ミキサーは志村明さん、森村寛さんです。

このデビューコンサートの、観客動員数は千人という、新人バンド、それもプログレの新人バンドとしては異例の数字を記録しました。
アルバムは1ヶ月で四千枚、という売れ行きを示し、好調なスタートでした。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/yomiuri.html
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/abcticket.jpg
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/abcticket04.jpg

ラジオでは『鬼』がオンエアされました(AMかFMかは未だに不明)。
シティロード誌で読者選出国内盤ベストアルバム15位に選ばれています。
北村昌士さんが編集長を務めるフールズメイト誌は、デビュー前から新月を何度も取り上げて、その存在をプログレファンへと発信していました。

 

デビューコンサート直後に、伊藤政則さんの企画物アルバム録音のために結成された高津さんのバンドに、花本さん、北山さんは、小松さん、破天荒の阿久津徹さんと共に参加しています。録音された曲は『海にとけこんで』です。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/history8.html

新月は結成当時から、ライブ活動を活発に行っていました。吉祥寺の「DAC」「シルバーエレファント」江古田の「マーキー」、渋谷の「屋根裏」などのライブハウスを中心にした活動でした。
メジャーデビュー後も、8月17日(金)、9月20日(木)「LOFT」でライブを行い、11月1日木)「LOFT」、18日(金)原宿「クロコダイル」(昼間の時間帯に開催して、高校生にも気軽にライブを楽しんでもらおうという、ロッキン・オンの企画です。新月のキャッチコピーは「遠い星で待つきみのために、うたう」)26日(月)には「シルバーエレファント」また、神奈川大学の学園祭など特に11月は「芸能人みたい(北山さん談)」と思ったほどのスケジュールでした。

 

ライブの客層の割合は、男性が6〜7割、女性が3〜4割で、最前列にマニアックな男性プログレファンが陣取って、じっとステージを観ていました。ちなみに、津田さんには一番たくさん「追っかけ」がいました。但し女性ではなく、ギター小僧さんたちでした。

アルバムとデビューコンサートのサポートキーボードは小久保隆さんでしたが、デビュー後、清水一登さんが新月加入となり、リハーサルに参加していました。
しかし、初めて参加する予定だった吉祥寺エレファントのライブ直前に急病で倒れ、清水さんは「幻の新月メンバー」となります。
以降キーボードサポートは津田さんの妹さんで後期HALメンバーだった津田裕子さんが参加しています。

12月に入り、14日(金)に高田馬場BIG・BOXにある、ビクターミュージックプラザのコンサートに出演します。
コンサートタイトルは「科学の夜」。

1978年に「御茶ノ水全電通ホール」のイベントで共演した美狂乱とのジョイントコンサートでした。入場すると会場内が異様な緊張感に張り詰めていた事と、北山さんが怖い顔をしていたのを、今もよく覚えています。
先の演奏は美狂乱。この時のドラマーは佐藤正治さんで、壮絶なパフォーマンスが繰り広げられていました。

新月はアルバム収録曲に加え『赤い目の鏡』『殺意への船出PART2』『不意の旅立ち』などの未発表の大曲を演奏しました。
もちろん、ステージアクトは棺桶、電話、モンスターマスクなどの小道具を駆使し、新月のライブの魅力が余すところ無く表現されていました。
この美狂乱とのジョイントコンサートは、今も、観た人が皆、圧倒されるほど素晴らしかったと、口をそろえて感動を語り継ぐ「伝説」のライブとなりました。

 

翌週23日(日)は、昼間13時から、吉祥寺シルバーエレファントにて、クリスマスコンサートが開催されました。
この企画はファンの集いを兼ねたもので、クリスマスパーティという事もあり、BIG・BOXとは打って変わってラフな雰囲気で、北山さんが『赤い目の鏡』の津田さんの歌マネをしたり、『スターマン』が演奏されたりと、メンバーもみなにこにこと笑顔での楽しいコンサートでした。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/silver1979.html

 

年が明け1980年になりました。毎月精力的にライブ活動を行っていた新月ですが、数ヶ月間ライブはなく、4月になって3日(木)「ラフォーレ原宿」で、コンサートが行われる事となりました。
芝ABC会館ホール以来の、ホールでのライブで、「スペース・サーカス」とのジョイントコンサートです。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/laforet01.jpg
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演奏は新月が先でした。
竹垣がステージにセットされていたのを覚えています。
オープニング曲は『殺意への船出PART2』。『雨上がりの昼下がり』『島へ帰ろう』『科学の夜』『白唇』 が続けて演奏されました。

 

『白唇』の演奏の後、花本さんのMCがありました。
「第二期新月は今日で一応終わります。次の活動は、もっと違う面から掘り下げて行きたいと思います。」
この場に居たファンの中で、この言葉の深い意味が分かった人は、そんなに多くは無かったと思います。

この後『赤い目の鏡』 が演奏され、メンバーはステージから去って行きます。
アンコールの連呼と拍手の中、メンバーが再びステージに戻ってきました。北山さんは鬼装束姿です。
鐘の音が客席へ鳴り響き、あの、キーン コーンというシンセサイザーの音が聴こえてきます。圧倒的な、まさに文字通り鬼気迫る演奏でした。
演奏が終わり、拍手は鳴りやみません。しかし次のアンコールには、新月メンバーはもう、応えてはくれませんでした。

 

HALメンバーに「この曲を演ろうぜ」と決意させ、今も進化し続けている曲『殺意への船出PART2』。
Serenade時代に、突然モチーフが現れその後代表曲として完成した『鬼』。
新月という偉大なバンド誕生の礎となった、この二つの大曲が、オープニングとラストに演奏されるという構成のコンサートでした。

 

そして、この5人のメンバーで、この2曲が再びファンの前で演奏されるのは、この日から、実に26年の歳月を数える事となります。

 

このコンサート直後に、ベースの鈴木さん、ドラムスの高橋さんが脱退します。
また、遠山豊さんもマネージャーを辞める事となりました。
このニュースを知って、花本さんのMCの深い意味を、あの場にいたファンは初めて知りました。
http://shingetsu-koro.whitesnow.jp/history9.html

 

メジャーデビューから一年を待たず、第二期新月は活動を停止します。
新人には破格の待遇の順調なデビューで、制作費が宣伝費までに及ぶ事も許され、高いクォリティをもって完成したアルバム「新月」は今も至宝の輝きを放ち続け、その輝きはさらに増すばかりです。

 

しかし、反面、宣伝費を使ってしまった為、充分な告知宣伝が出来なかった事、さらに時代は、まさにパンク全盛期であり、アルバム売り上げの採算はとれず、12月14日の美狂乱とのジョイントコンサート「科学の夜」の直後、プロダクションは倒産していました。
そんな状況下での、吉祥寺のクリスマスコンサートと原宿のコンサートでした。

 

花本さん、北山さん、津田さんの「そして三人が残った」新月は、第三期新月の活動へと入ります。
ビクター音楽産業との契約は、あと一年ありました。

【第三期新●月】

 

1980年。
第三期新月は新たな活動の準備に入りました。
1980年FOOLS MATE8月号(「FOOLS MATE Voi.13 LA POP METAPHYSIQUE 」)に、第三期新月の活動と、セカンドアルバムタイトル案についての記事が掲載されました。
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この記事によると、9月にはベース・ドラムスの新メンバーを迎えて活動開始予定、不確定情報ですが、12月にはセカンドアルバム発売されるという小さな記事です。
アルバムタイトルは「竹光る」。

 

新月を脱退したベースの鈴木清生さんは、小久保隆さん、松本かよさんと共に「タペストリー」を結成しCMやTV音楽の制作に携わります。
高橋直哉さんは、桜井良行さん、清水一登さんと、新バンドを結成します。

 

花本さん、北山さん、津田さんの三人は、「改訂版ー春の館」の挿入歌『あかねさす』など劇団インカ帝国へ、数々の楽曲を提供しました。
9月にラフォーレ原宿で上演された「浪漫風」へは、花本さん、津田さんが貫頭衣のような黒のローブを纏い、生演奏で出演した事もありました。

 

新月は、主に高円寺にあったSecond Lineというリハ・スタジオでベースに石畠弘さん(後の雲母社創設メンバー。現カナダ在住)、ドラムスに藤田響一さんの新メンバーを迎え、セカンドアルバムに向けて録音を行っていました。

ファーストアルバム制作時に、同時に考えられていた当初のセカンドアルバム案は変更され、『竹光る』、『新幹線』、『ロック・フェスティバルの思い出』(現タイトル『武道館』)、『赤い砂漠』などの新曲が作られていました。
『鬼』、『赤い目の鏡』の二曲だけは、新曲と共に、リハーサルで演奏されていました。

セカンドアルバム用にとファーストに収録されなかった『赤い目の鏡』は、すでにロックウェルスタジオで、ベーシックトラックの録音が終わり、オーバーダブとヴォーカル録りを待つばかりとなっていました。
セカンドアルバムの構想はすでに練られていました。

ここで、ビクター側は、大幅なイメージチェンジを要求してきました。
もっとポップな作品を作るようにと、花本さんにはSPARKS風、津田さんにはROXY MUSIC風という提案があり、北山さんはこれに応えて『さくら日本』(現タイトル『週末の終末』)を作詩作曲します。

しかし、セカンドアルバム原盤制作にあたり、ビクター音楽産業側から提示されたのは「新月/新●月」の五分の一の予算でした。
「形になるものを出すからには納得のいくものを」
新月のこの思いは、現実的に不可能でした。
1981年、新月はビクター音楽産業と契約解除を行います。

その後、新月は再び何人かのメンバーチェンジを行います。
ベースに栃沢さん、田中さん、ドラムスにZELDA加入前の当時高校三年生だった小澤亜子さんを迎え、『アロワナ』、『Monkey Business』などの新曲を作り、リハーサルを行っていました。但し、このメンバーのリハーサルでは、すでに『鬼』、『赤い目の鏡』もレパートリーから外されていました。
このメンバーでの活動は長く続く事はありませんでした。

新月はある日、ついに活動を停止します。
池袋西口で、北山さんと花本さんが珍しく二人で飲みながら、どちらからともなく
「もう終わりかな」「終わりにするか」
と言ったのが実質解散宣言でした。

それが、1981年だったか2年だったか、北山さんも花本さんも記憶がないそうです。
解散コンサートが行われたわけでもなく、公に解散の告知がされたわけでもありません。
その事実をファンが知ったのは、それから大分経って、音楽雑誌に掲載された「新月解散」の小さな囲み記事に拠ってでした。これがいつだったのか、わたしも記憶にありません。
ここから新月は、長い長い活動停止期間へと入ります。

 

【個々の活動】
1982年からは、新月メンバーは個々の活動に入ります。
ここからは、時系列での表現は難しいので、各活動ごとの紹介となります。

 

【高橋直哉】
高橋さんは、清水一登さん、桜井良行さんと新バンドを結成しましたが、このバンドは活動を停止しています。
1983年に桜井さんが参加していたプログレ・フュージョンバンド「AQUAPOLIS」(桜井さん参加の音源は『Eldorado』『ノルウェーの印象』の二曲があります)吉祥寺ライブに参加しました。
高橋さん参加の音源は残念ながら発表されていないようです。
また桜井さんは1985年に「NOA」に加入しています。

 

【鈴木清生】
鈴木さんはタペストリー結成後CMやテレビ音楽の制作を続けていましたが、1987年渡米します。

渡米直前に、鈴木さんは霞町のライヴハウスで、一夜だけのセッションを行います。
メンバーは、マジカル・パワー・マコさん、第三期新月ドラマーの藤田響一さんです。
全員、顔にカラフルなペイントを施し、爆音が場内を満たす「弾けきった」演奏だったそうです。

 

渡米後、ニューヨークのハーレムの教会で働きながら、ゴスペルの演奏を行い、またストリートや、テレビにも出演しました。
1990年にはジャズ・ベーシストM・フレミング氏に師事し、師の家(サウス・ブロンクス)に移転し、活動を続けます。
1995年に 帰国後、遠藤喨及(MIDIレコード)サポートや、小久保隆さん、松本かよさんたちとmongo DIVAを結成し「誕生」(スタジオ・イオン)というアルバムを発表しています。また府中のジャズクラブ 等で活動を行います。
2004年  「GOODNESS」を宇野佳子さん、平ヒロミさんと結成し、2008年まで活動を行っています。

 

【SNOW】
北山さんはソロアルバム(カセットテープ)「動物界之智嚢」を一年かけて制作します。SNOWレーベルを立ち上げ、1982年に「動物界之智嚢」、1983年に「文学ノススメ」(文学バンド)、1984年に「Art Collection 1」、「Art Collection 2」「DOOL」(PHONOGENIX)、「No Future」(岐阜のヴァンゲリス:金子卓司さん)のカセットアルバムの発売を手がけます。

【PHONOGENIX】
◎「商業的音楽制作活動期」1982年〜84年
津田さんと花本さんの二人は「Science Fiction」名義でデモ曲を数曲作ります。
作曲は津田さんです。
その後、マンドレイクの阿久津徹さんの紹介で、津田さんと花本さんはテレビ番組の音楽制作の仕事を開始します。
その初めての仕事がテレビ朝日の「クイズハンター」のテーマ曲です。10年間毎日同じ曲が番組で流れていました。一部では有名な曲です。

仕事を続けていく上での窓口が必要となり、二人は花本さんの自宅があった下赤塚に、音楽制作プロダクション「PHONOGENIC STUDIO(フォノジェニック・スタジオ)」を、津田さんが社長、花本さんが専務(ほとんど約款上の名義)として設立します。この時点では、まだPHONOGENIXというバンドは存在しません。
ちなみに、後1987年に大山曜さんが入社します。

 

スタジオ設立後、花本さんは「ぴあ」の社長室付きセクションで仕事を開始します。
同時に「ぴあ」に「フタまんガーッ」という二コママンガを、「ザ・テレビジョン」に、「まがっちょる」という6 コママンガを連載を開始し、マンガ家としても活躍します。
当時「フタまんガーッ」「まがっちょる」の、新月をファンだった愛読者の人たちは、花本さんと同姓同名のマンガ家さんと思っており、後に「新月の花本さん」の作品だったと知って大変驚いたという声を寄せています。

花本さんは「ぴあ」の仕事がだんだん忙しくなり、音楽活動にだけ集中する事が難しくなってきました。
そこで、津田さんが代々木にマンションを借り、PHONOGENIC STUDIOは移転し業界の仕事を受けて行く事になりました。スタジオは、シンセサイザーのオペレーションも始めていました。
83、84年はこういった仕事は、全て津田さん一人で行っていました。

年代は大分先へと飛びますが、91年のレベッカの解散コンサートでは、11トン車を11台使っての仕事を行い、また、95年3月8日・12日のローリング・ストーンズ東京ドーム公演の日本側収録チームの録音ディレクターの仕事を行います。
しかし、ここで津田さんは、大規模な産業としてのロックの仕事は、何か自分の方向性とは違うと思ったそうです。津田さんはこういった仕事はやめる事にしました。

 

◎1984年は、ポストモダンを音楽で表現したPHONOGENIX、劇団の劇伴担当としてのPHONOGENIX、ライブバンドとしてのPHONOGENIXが3つの活動を同時に行っていた年でした。

 

FOOLS MATE初代編集長北村昌士さんたちとのユニット「ポストモダンミュージック」のイベントやアルバム制作、並行して、如月小春さんのプロジェクト公演および後に如月さんが旗揚げした劇団「NOISE」・手塚眞さんの映像作品の劇伴制作、そして87年までは、ニューウェイブバンドとして活動していました。

 

北村昌士さんとの共同作品以外は、PHONOGENIXは完全に津田さんのソロ・プロジェクトでした。多種多様なメンバーが参加しましたが、一貫した津田さんのコンセプトにより、常に同じムードを持っていたそうです(花本さん談)。

 

☆「ポストモダン」1984年

 

1984年はニューウェイブミュージックブームのピークでした。バンドとしてのPHONOGENIXは「クロコダイル」でよくライブを行っていました。また、津田さん、花本さんは、レコーディングユニットとして、如月小春さんの劇団のサウンドトラックを担当していました。
この二つの活動を行っていると、フールズメイト初代編集長北村昌士さんが一緒に活動したいと申し入れてきました。
北村さんは当時、フランスポストモダン系の哲学に傾倒しており、音楽のライブより、むしろパフォーマーとして、何か表現したい、と北村さんは言ってきました。
この頃すでに北村さんはフールズメイトを確立しており、新月前身バンドHAL時代から津田さんはお付き合いがありましたが、北村さんは「とにかく頭が良く言っていることが面白い人」だったそうです。

 


その頃、楽器のサンプラーの台頭が始まり、サンプリングが出来るようになってきました。
津田さんは、これを使って肉体労働的なライブではなく、デジタルで音楽をやるとどうなるのか、という実験的なコンセプトで音楽を作ろうと考えていました。
バンドPHONOGENIXメンバーである大森俊之さん(現CM作曲家。アニメ作品「エヴァンゲリオン」のテーマ曲『魂のルフラン』等の作曲家。新月後期マネージャー竹場元彦さんの小学校の同級生)、歌が上手で英語が得意な椎名K太さん(のちにバンド「七福神」結成。現TVドラマサントラ作家)や、伊藤信介さん(「電気ブラン」のプロデューサーで選曲を行っていました)や、当時出入りしていた学生たちとそんな計画をしており、丁度そこへ北村さんが参加する事となったのです。

 

この企画は「ポストモダンミュージック」というイベントで、実現する事となりました。
会場はライブハウスではなく、渋谷パルコ劇場で開催されました。。
なぜパルコという会場で開催が出来たのかというと、津田さんの知人で当時コンサート制作会社「スマッシュ」に在籍していた伊藤さん(現:作家松沢呉一さん)と一緒にこのイベントを実行しましょうという事になったのですが、伊藤さんは、それ以前にパルコに在籍していた関係で、会場が渋谷パルコ劇場になったのです。また、担当ディレクターの稲葉さん(現トイズファクトリー社長)は、坂本竜一さんや赤城忠治さんと親交があり、当時のニューウェーブシーンの人脈に精通していた方で、伊藤さん、稲葉さんというお二人の強力なバックアップで、実験的な試みのはずが、普通ではあり得ない大がかりなイベントとして開催する事が出来たのです。

 


当時、丁度セゾンはイメージ戦略を当時流行ったニューアカ(ニュー・アカデミズム)を打ち出していました。
PHONOGENIXはそのイメージに乗ることにしました。
ナチスのような衣裳を着け、浅田彰さん、秋田昌美さんも参加し、当時としてはかなり派手なイベントだったそうです。

 


一方、ポストモダンの音楽としての表現は、北村さんの企画・プロデュースで、アルバムが2枚制作されました。
LPレコード「ポスト・モダン・ミュージックへの序章」と、花本さんが作曲した『サバンナ』という曲に北村さんが詩をつけ、「HYMNS FOR SAVANNAH」という30cmEPを発表しています。

 

(敬称略)
○「ポスト・モダン・ミュージックへの序章」北村昌士 LP/Vapレコード。北村昌士/津田治彦/花本彰/清水一登/津田裕子/石畠弘/伊藤信介
浅田彰さんと中沢新一さんの対談がブックレットになっています。

 

○「HYMNS FOR SAVANNAH」PHONOGENIX 30cmEP 作詩:北村昌士 作曲:花本彰 /演奏:北村昌士/津田治彦/花本彰/椎名K太/伊藤信介/大森俊之/石畠弘


☆「劇伴」「サウンドトラック」 1983年〜1984年
時代は小劇場ブームでした。
津田さん、花本さんは、北村昌士さんとの「ポストモダン」、ライブバンドとしての「ニューウェイブバンド」の活動と同時に、如月小春さんのパフォーマンスや、後に如月さんが立ち上げた「劇団NOISE」の劇伴、手塚真さんの映像作品のサウンドトラックを、PHONOGENIX名義で制作していました。
「メロディは美しくなければならない」という花本さんの徹底したコンセプトで曲作りは行われていました。

如月小春劇団の上演作品で、実際に劇中で使われた音楽は、津田さんと花本さんが脚本を読み練習を観て感じたものを作品にしており、その場面と密接に並行していました。

 

しかし、音源として発表されている作品は、底辺に流れる雰囲気はすべて徹底的に共通していますが、劇中で使われた音楽とは違うバージョンで、意図的に作り直して発表しています。
大音量で実際に演じられる劇と台詞とが絡んで効果を上げる為に作られた音楽を、そのまま単体で取り出しても、個人の部屋の中のステレオで聴く音楽にはならない、という理由だからです。
北山さんが立ち上げたSNOWレーベルからサウンドトラックがカセットテープで発売されていますが、録音クォリティは良くないそうです(花本はこの頃の音源は現在世に出したがっていません:津田さん談)。

但し、「サエキけんぞうPRESENTSハレはれナイト(1989)」に収録されている『Golden Bug』だけは唯一きちんと聴く事が出来る音源です。

 

如月さんのプロジェクト公演「ArtCollection2」は、劇とパフォーマンスの境界がない、アートに近い非常にクオリティの高い作品だったそうです。
この劇に使われた曲の中でも先に挙げた『Golden Bug』は劇伴の中でも傑作です(津田さんご自身がきっぱりとおっしゃっています)。

実際の演劇で使われた『Golden Bug』は、演劇のコンセプトを反映して劇中ではインストルメンタルで流されましたが、音源として発表されている『Golden Bug』は津田さんが英語で歌詩を書いています。

 

「ポストモダン」と同じく、演奏に伊藤信介さんがパーカッションで参加しています(津田さん花本さんの写真つきPHONOGENIXの紹介文に、エイリアン、変人、はみだしもの、サイキック、宇宙人などにファンが多い。両人とも社会的にはマトモだが人格が崩壊している、などと書かれています・・・)

 

伊藤信介さんのセンスはローリー・アンダーソンでした。伊藤さんの人脈で高橋鮎夫さん、チャクラの近藤達郎さん、ドラマ「101回目のプロポーズ」のピアノで有名な日向さんたち当時のアンビエントミュージシャンと、PHONOGENIXは知り合います。
この頃から、津田さんと花本さんは、次第に如月小春劇団から離れていきました。

津田さんと花本さんが劇伴をやると、音で舞台を圧倒してしまうのです。
コンサートなのか、演劇なのか、わからなくなりかかってしまうところで、舞台のバランスを崩してしまうのです。

チャクラの近藤さんは演劇が好きで、やりたい事が如月さんのコンセプトと一致していました。
津田さんと花本さんは、如月さんの音楽制作の仕事を、近藤さんにバトンタッチする事にしました。伊藤さん、高橋さん、日向さんたちと如月さんは相性が良く、面白い作品を作っていったそうです。

また津田さんと花本さんは手塚眞さんの監督映画「SPh(エスフィー)」のサウンドトラックを三日三晩かけて制作しています。
チームとしては「ファンシィダンス」に繋がるのかもしれません(津田さん談)

 

北山さんが立ち上げたSNOWレーベルから発表されている音源(カセットテープ)は以下の通りです(敬称略)

 

「ART COLLECTION1」/如月小春のプロジェクト公演 津田治彦/花本彰/伊藤信介
「ART COLLECTION2」/如月小春のプロジェクト公演  津田治彦/花本彰/伊藤信介
「DOLL」/如月小春劇団「NOISE」公演  津田治彦/花本彰/伊東信介
「SPh」/手塚真監督映画 津田治彦/花本彰
「光の時代」/劇団NOISE公演 津田治彦/花本彰/伊藤信介

 

☆ニューウェイブバンド 1984年〜1987年

 

1984年はニューウェイブシーンのピークの年でした。ライブバンドとしてのPHONOGENIXの活動が、劇伴、サントラ、ポストモダンと並行して行われていました。
新月第三期末期ドラマー小澤亜子さんからニューウェイブ人脈が始まり、津田さん、花本さんは、DeLuxの京極蘭丸さんと知り合います。

 

第一期PHONOGENIXメンバーは、津田さん、花本さん、第三期新月ベーシスト石畠弘さん、大森俊之さん、椎名k太さん、小澤亜子さんというメンバーでライブ活動を行います。
新月メンバーの中で、津田さんはウルトラヴォックスなど、ニューウェイブの音楽が好きでした。PHONOGENIXの音楽はウルトラヴォックス系で、イギリスで言うバウハウスのイメージの世界だったそうです。
クロコダイルに気に入られており、クロコダイルでよくライブを行いました。
当時は記録には興味がなく、ライブ以外には仕事をやらなければならないので、リリースはしませんでした。

 

このライブ音源はかなり残っており、すべてオリジナル曲で10数曲が津田さんの手元にあるそうです。「今聴くと良い曲があるので、何時か何とかしてみたいですね(津田さん談)。

 

後半は津田さんがジャパンに傾倒しており、新生PHONOGENIXはいくつかデモを制作しています。後半は花本さんは映像の仕事で忙しく音楽活動へは参加していませんが、『END OF THE DAY』という曲は良かったです(花本さん談)。

新生PHONOGENIXのフロントは津田さん、椎名さんで行っていました。ライブ会場には、京極さん、小澤さんの流れでお客さんはたくさん入っていたそうです。但し新月ファンはすでに、全く居ませんでした。

 

ニューウェイブバンドの活動は三年間続きましたが、「バンド疲れました状態」になり87年で活動停止となります。

 

ニューウェイブ時代に参加した作品は以下の通りです(敬称略)
・「ファンシィダンス」(1988年発表のイメージアルバム)は、手塚眞さんが、後に結婚される岡野玲子さんの作品の為に制作したアルバムです。有頂天のケラさんが歌ってたり、中沢新一さんがチベット語で朗読をしています。

PHONOGENIXは以下の二曲に参加しています。
「えい人見空中華」(作曲、編曲:Phonogenix、演奏:津田治彦(g, cho)、花本彰(key, cho)、手塚真(cho)、ダマル(vo)、カンリン(vo)、中沢新一(vo)、大山曜(programming))
「百尺竿頭進歩十方世界全身」(作詞:中沢新一、岡野玲子、手塚真 作曲:Phonogenix 編曲:成田忍 演奏:成田忍(g, key, cho)、沖山優司(b)、寺谷誠一(d)、MICK(cho)、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(vo)、岡野玲子(漢詩朗読)、美島豊明(programming))

 

「SPICE」by北川晴美+インド大話術団(詩:サエキけんぞう 曲・編:PHONOGENIX) 津田治彦/花本彰 作曲、演奏 これは花本と二人で作った曲です。良い曲です(津田さん談)。

 

☆アンビエント・エスニック・プログレ 1988年〜1997年

 

PHONOGENIXは以降レコーディングだけの活動となります。
1988年に入り、初期レーザーディスク制作、初期カラオケ通信システム開発、ゲーム紹介ビデオや音楽、CM曲作曲などの音楽制作の仕事を、PHONOGENIXあるいはPHONOGENIC STUDIO名義で行っていきます。
CMの曲などは津田さん個人名義で多く作られていますが、サウンドトラックやゲーム音楽等音源として公に発表されている作品はPHONOGENIX名義です。

 

当時レーザーディスクの国内向け原盤は殆どありませんでした。ここで国内で原盤を作る事となりその草分けとなる制作チームに参加する事となりました。
ドルビー・サラウンドシステムでサウンドトラックを作る実験的なプロジェクトです。

 

まず制作したのは曲芸飛行隊シリーズのレーザーディスクの仕事でした。
飛行機マニア向けのジャンルのレーザーディスク制作の仕事です。
当時で1000万円くらいのレーザーディスク専用リスニングルームを自宅に持つような人たちが日本には約2000人くらい居り、その人たちに向けて2000枚売ろうという事になりました。
イギリス・イタリア・フランスなど各国曲芸飛行隊のトップ・ガン同士の交流の中に日本人関係者がおり、この人脈からPHONOGENIXに依頼があり、パイオニアと仕事を行っていきます。

 

1987年にPHONOGENIC STUDIOへ入社した大山曜さんが制作に加わります。
曲芸飛行隊シリーズ第一作はアメリカの「ブルーエンジェルス」の作品で、花本さんも制作に参加しています。しかし、この頃から花本さんは段々と仕事が多忙になりあまりPHONOGENIXに関われなくなってきました。
後のシリーズは津田さんと大山さんが二人で制作しています。このLDは当時で8000円という高額なものでした。

 

1992年のLD「地球のきもち」には、映像演出と音楽に花本さんも参加し、津田さん花本さんで制作しています。マルチメディア賞を受賞し、映像・音楽共に非常に高度な作品で、業界では画期的な作品と評価されていました。
PHONOGENIXの名がクレジットされています。二枚組で1時間半くらいの作品ですが、パイオニア発売のLDはDVDでの再発予定はなく、残念ながら在庫切れのままだそうです。

 

2005年にPHONOGENIXとして発表したアルバム「METAGAIA」にこの「地球のきもち」で使われた曲が収録されていますが、「地球のきもち」は音楽先行で制作し、映像から独立して発表しても良いように作っています。

 

94年にはLD「アストロノーツ アイズ」、97年には「霊峰富士」をいずれもパイオニアから発売しています。こちらはDVDで再発されています。

 

「霊峰富士」は、富士山を五年間定点観測した映像でそれを三十分に凝縮した作品です。雲の動きや色などこれは凄いです。隠れた素晴らしい名作です(津田さん談)。

 

「METAGAIA」の4曲目はこの「霊峰富士」のサウンドトラックを落としなおした曲です。

 

映像監督はニューヨークでキング・クリムゾンのプロモーションビデオを制作した島田さん、初期PHONOGENIXのシンセサイザーオペレーションを担当していた辻さんが、アストロノーツアイズシリーズに何曲かを提供しています。辻さんは「ムツゴロウ」さんの番組のサントラも担当した方で、その関係で97年にPHONOGENIXはムツゴロウさんの特番のサントラを作りました。
アストロノーツアイズの頃の曲から発展して作られたのがCD「Swirl Word」です。

 

この間、CM曲や任天堂スーパーファミコンの曲を制作しています。
この頃は大山曜さんが、ゲーム音楽のいろいろなモチーフを持ち寄って作っていましたが、この中からアストゥーリアスのモチーフも出来てきました。
コンピレーションアルバムへの参加等さまざまな音楽制作の仕事を行っていました。
「霊峰富士」がPHONOGENIX人脈で最後の作品となりました。

 


【PHONOGENIXについて】
第三期新月解散後、津田さん花本さんはPHONOGENIXとしてサウンドトラック、劇伴、ポストモダンの企画、ニューウェイブバンド等の活動や、ゲーム音楽やCM等、仕事としての音楽制作を行っていました。PHONOGENIXは国内でレーザーディスクの原盤を作成する草分けのチームに参加、初期の通信カラオケのシステムの開発にも関わっています。

 

大きな活動自体は1997年までですが、98年以降はテレビのサントラなどの仕事を行っていきます。2005年にはこの間に作られた津田さんの作品の集大成アルバム「METAGAIA」がPHONOGENIX名義で発表されました。また2005年10月30日には、津田さん、花本さん、鈴木さん、高橋さんの新月メンバーで、PHONOGENIXコンサートが開催されました。
2005年は新月が四半世紀ぶりに再結成され、ボックスセット「新●月●全●史」の制作と未発表曲の新録音が行われた年でもありました。

 

以下2006年1月28日に都内で行われた津田さんインタビューから抜粋します。

 

「新月もPHONOGENIXも、日本ではだいたい最初に新しい事を行っています。新月もそうですが、PHONOGENIXもやる事が早すぎるのです。

 

2005年の時間感覚は1か月くらいの気持ちです。非常にへヴィでした。でも僕はずっと音楽だけを続けるつもりだったので、ブレはないです。
僕は基本的には新し物好き、かっこいいもの好きです。

 

これからは「人間がやっている」事を前に出したいです。いかに制約を自分にかけるかが課題です。制約をかけずに自由にしてしまうと「ホワイトノイズ」になってしまうからです。
これはどういう事かと言いますと、物理学の基本を言っているわけですね。
人間の五感は、まず感受性はとても狭いものでそれぞれの帯域をすべて感受してしまったら、それはカオスとして認識されてしまうという事でもあります。

 

例えば、目は電磁スペクトラムの極く狭い範囲しか「見える」と認識しないので、紫外線や赤外線は「見えない」事になってしまいます。
同じように、音も全ての帯域の極く狭い範囲しか「聞いて」いないわけです。
だいたい20から200000Hzの間と言われていますが、これは全ての「音」の中では、とても「限定的」なものなのです。しかもこの「聞こえる帯域」に均等分布する音波を聞いた場合、それは「ザー」というホワイトノイズで、テレビで言えば「砂嵐」の状態になってしまい、意味というものを為しません。

 

音楽の様に、何等かの意味を為そうという場合は、このような「総体」音では「ホワイトノイズ状態」から逆に制限を加えて削っていく作業が必要になるわけです。
従って音楽とは「自由に制限則を作って削り上げるもの」と言う事が出来る訳です。
全く無制限な自由とは、全く無意味である、という事でもあるのです」

 


【新月再活動へ】1989年〜2000年

 

(つづく)


 【新●月について】

 

日本のプログレッシブ・ロックバンド最高峰の「新●月」は、1976年にその母体が、Serenadeの花本彰さん、HALの津田治彦さん、高橋直哉さんによって結成されました。

 

その3人にHALメンバーの同じ大学仲間であるマルチプレイヤー遠山豊さんを加えた上で、複数のベース・ボーカルのメンバー交代を経て(第一期新月)、その後、Serenadeの鈴木清生さん、北山真さんが加入の6人編成で新月はスタートします(第二期新月前期)。

 

第一期結成前の、当初のリハーサルに、HALオリジナルメンバーで、Serenadeラストライブにサポートで参加しているベースの桜井良行さんが数回参加しています。

 

1979年のレコーディングを期に、遠山豊さんがマネージャーに転向し、現在、私たちが新月オリジナルメンバーと呼んでいるのは、花本彰さん(Key)北山真さん(Vo)津田治彦さん(G)鈴木清生さん(Bs)高橋直哉さん(Drs)の5人のメンバー(第二期新月後期)です。

 

そして、新月は1979年7月25日、オリジナルアルバム「新月/新●月」」を発表、同日25日と26日に、芝ABC会館ホールにてメジャーデビュー記念コンサートを開催します。

 

デビュー後もライブハウスでのコンサートを毎月精力的に行い、セカンドアルバム制作を計画していましたが、原版制作予算の削減に伴い断念します。

 

1980年4月に、ラフォーレ原宿のコンサートを最後に、ベースの鈴木さん、高橋さんが脱退し、それぞれの音楽活動を開始します。
その後、花本さん、北山さん、津田さんは、第三期新月として、新たなメンバーとの試行錯誤の活動と第三期新月でのセカンドアルバム制作を計画、同時に、さまざまな音楽活動、表現活動を行いますが、1981年か82年に、新月は解散します。

 

公に解散宣言が行われたわけではなく、池袋西口で花本さんと北山さんが二人で飲んで、どちらからともなく「もう終わりかな」「終わりにするか」と言ったのが実質解散宣言だったそうです。それが、何年であったかはすでに記憶されていないそうです。
そして新月は四半世紀の沈黙に入ります。

 

月日が流れ、2003年、北山さんが1982年に立ち上げたSNOWレーベルからカセットにて発表された「動物界之智嚢」「文学バンド」のCD化の話から、新月ボックスセット制作の計画が立ち上がります。

 

2004年、新月ボックス「新●月●全●史」の制作中のため、音源発掘中に、新月ディレクター森村寛さんが所持していた、メジャーデビュー時のライブを録音したオープンリールから、カセットへコピーした音源が発見されました。この音源を「新月Live1979」として制作が開始され、花本さん、津田さん、北山さんの3人のメンバー立会いのもと、マスタリングが行われます。

 

同じく2004年、新月メンバー5人全員が25年ぶりに一堂に会します。この日は、全くの偶然により、奇しくも新月メジャーデビュー後丁度四半世紀目の同日7月25日だったそうです。

 

2004年9月5日「新月Live1979」が発表され、続いて12月、北山さんソロアルバム「動物界之智嚢」文学バンド「文学ノススメ」が発表されます。

 

2004年12月17日には「動物界之智嚢」「文学ノススメ」発売記念SNOWパーティが行われ、1988年のアストゥーリアスのコンサート以来、北山さん、花本さん、津田さんの3人がファンの前で演奏を行い、新月曲も演奏されました。

 

2005年には、ボックス収録の新録音のため、25年ぶりに新月メンバー5人による演奏が行われ、「新●月●全●史」に収められている、アルバム「遠き星より」で、その演奏を聴く事が、そしてDVDで、そのリハーサル風景を観る事が出来ます。

 

同じく2005年に、並行して津田さんのPhonogenix名義でのソロアルバム「Metagaia」が発表され、10月30日に、Phonogenixとして、津田さん、花本さん、鈴木さん、高橋さんの4人でライブが行われ、Metagaia収録曲以外に、新月の新曲『生と死』がこのライブで初めて演奏されました。

2005年12月16日に新月ファン待望の、新月未発表曲、Serenade、HAL音源、当時のプロモーション映像・リハーサル映像を含む6枚組のボックスセット「新●月●全●史」が発表されます。

翌2006年4月8日・9日に、26年ぶりに新月オリジナルメンバーによってコンサートが行われました。
再び新月メンバー花本彰さん(Key)、北山真さん(Vo)、津田治彦さん(G)、鈴木清生さん(Bs)、高橋直哉さん(Drs)のこの5人が、ステージで新月の楽曲を演奏したのです。
キーボードサポートは、当時と同じく小久保隆さん、そして幻の新月メンバー清水一登さんです。

 

このコンサートは、リアルタイムファン、後追いファン、そして初めて新月を聴いた人たちにも、高い感銘を与えました。単なる同窓会のレベルではない、当時を凌駕するほどのクオリティの高いライブでした。

このコンサート直後、津田さん、高橋さん所属の新月前身バンドHALとRINGが合体したHAL&RINGのアルバムが制作され、同年、2006年12月26日に、津田治彦さん(g)、高橋直哉さん(drs)、桜井良行さん、松本かよさん(key)、小久保隆さん(key)で、ゲストにHALオリジナルメンバー鎌田洋一さん(key)、新●月花本彰さん(key)を迎えてのコンサートが行われました。

 
そして新●月は、2006年4月のコンサート以来、再び1年半の沈黙に入りました。その間、新月メンバーは定期的に、今後の活動についてミーティングを重ねます。

その結果、2007年10月18日に北山さんが新月を離脱します。
新月の新しい活動について、公式発表が行われました。

 北山さんは、2008年6月2日「動物界之智嚢」に続くインストルメンタルのソロアルバム「植物界之智嚢」を発表します。

そして、その後、真○月を結成、2008年10月25日に清水一登さん(key)、桜井良行さん(bs)、れいちさん(drs)、林隆史さん(g)と真○月コンサートを行い、ご自身もメモトロンやフレームドラム演奏を行い、花本さんとの共作を含む新曲が次々と発表され、集まったファンの前で、作詩家、ボーカリストとしてだけではなく、コンポーザー、演奏者としての魅力を存分に披露し、アルバム発表への期待をさらに高めました。


2013年3月、新●月プロジェクトとして花本さん、津田さん、鈴木さん、高橋さんの新月オリジナルメンバーと、ゲストアーティストを迎えた「新●月プロジェクトvol.1『あの音が聞こえる』@吉祥寺CLUBSEATA」が行われました。新月の旧曲、新曲が披露されました。

2013年6月、「新●月プロジェクトvol.2「響き」が下北沢で開催されました。
津田さん、鈴木さん、花本さんの新●月オリジナルメンバーとゲストアーティストによるアコースティック、新曲、旧曲、実験的な曲、カバー曲の演奏と多彩なイベントでした。

2014年3月29日、クラブチッタ川崎で開催されるJapanese Progressive Rock Fes 2014に、花本さん、津田さん、鈴木さん、高橋さんの四人の新月オリジナルメンバー、がゲストともに「新●月」名義で参加しました。

2015年8月、北山さんは、清水一登さん、桜井良行さん、れいちさん、林隆史さんとの
北山真with真○日で「冷凍睡眠/Cold Sleep」をリリースしました。

2016年3月25日。「新●月●全●史」に収録されている「遠き星より」「OutTakes」が単体で発売されます。デビューコンサートが二枚組のライブアルバム「完●全●再●現 新●月Complete Edition / 1979 Shingetsu Live」 、「新月/新●月」が新たに二つりインサートを加え発売になる事が決定しました。







2016/03/22 14:53:53|HAL HAL&RING
HAL
HALオリジナルメンバーは、鎌田洋一さん(key)、津田治彦さん(G)、高橋直哉さん(Drs)、桜井良行さん(Bs)の4人です。
このメンバーの音源は「新●月●全●史」封入の「HAL&Serenade」カップリングアルバムでのみ聴く事が出来ます。

但し、このアルバムの写真に写っているのは、鎌田さん、桜井さん脱退後の第二期メンバーで、右から津田治彦さん(G)、津田裕子さん(key)、手前右が、高橋直哉さん(Drs)、米沢さん(Bs)ですが、アルバム収録曲は、すべて津田さん、高橋さんに鎌田さん、桜井さん参加時の、オリジナルメンバーの演奏によるものです。


新●月の前身バンドはHALとSerenadeの二つのバンドですが、当然、HALもセレナーデも、新月になろう、としてそれぞれのバンドのメンバーが当時活動していたわけではなく、この前身バンド、という表現はあくまで現在から過去を辿った場合、便宜上使わざるをえない言葉です。

同様に、新●月にしても、第一期、第二期、第三期、という、時系列での各活動ごとの呼び名も、現時点から過去へを辿る際での、「便宜上」の表記にすぎません。
これらをふまえた上で、新月前身バンドはHALとセレナーデの二つのバンドです。

新月は、結果的に、HALとセレナーデという二つのバンドのメンバーが一緒になって生まれたわけですが、1976年に、まず、新月の母体は、セレナーデの花本彰さん(Key)、HALの津田治彦さん(G)、HALの高橋直哉さん(Drs)の3人からのスタートでした。

その後何人かのメンバー候補を試み、紆余曲折の結果、セレナーデの鈴木清生さん(Bs)、セレナーデの北山真さん(Vo)が加入し、セレナーデメンバーとHALメンバーの5人で結成されたメンバーで「新月/新●月」を発表、メジャー・デビューしました。


【HAL以前】
1970年。HALのルーツは、まず津田さんと鎌田さんの出会いです。二人は東京都立富士高校のクラスメイトで、鎌田さんが中学時代から活動していたバンド「ターンテーブルシステム」へ津田さんが加入し、音楽活動が始まります。

また、鎌田さん、津田さんが、入学時の富士高校は、かつて女子高だった名残なのか、音楽の部活動といえば管弦楽部しかなく、ここで、二人は学校側との激しい攻防戦の末、軽音楽同好会立ち上げに成功します。もちろん、実質はロック同好会!

1971年、高校2年生の頃は、ジェファーソン・エアプレイン、ジミ・ヘンドリックス、ピンク・フロイドやブルー・チアー、グランドファンク、クリームなどを爆音で演奏し、津田さんはすでに髪が腰近くまであり、鎌田さんはパンクないでたち(!)でのベース担当で、ビジュアルもまさにロック!

一方、鎌田さんは、エルトン・ジョンにも一時傾倒し、音楽室のピアノを演奏しながら、彼の曲を弾き語りしていました。『Sixty Years On』がお気に入りだったそうです。
また、EL&Pのレコードを2、3回聴いただけで、キース・エマーソンと全く同じ事をピアノで弾きだすような多才ぶりでした。

1972年、世田谷区成城にある砧公民館で、鎌田さん、津田さん共演の初のコンサートが行われます。
当時のレパートリーは「ハードロック+ヘヴィメタル+プログレ」といった内容で、「アイアン・バタフライ」の曲が4曲含まれていました。ここで、17分を超える不朽の名作『イン・ナ・ガダダヴィダ』がフル演奏で行われました。その演奏は圧巻だったそうです。また『バタフライ・ブルー』はまさにプログレ!

また、二人は、鎌田さんの自宅で手当たり次第に耳でコピーした曲を、何時間も弾き続け、お互いに全く会話をしないような日々がありました。

1973年。鎌田さんは、突然譜面を書き出します。
1ページ目を津田さんがベース、鎌田さんがピアノで弾いてみると、それは聴いた事のない、ただ、少しEL&Pに近い曲で、いつの間にか完成したその曲のタイトルは、『サー・ボーデンハウゼン』。アーサー・マッケンの作品の登場人物の名がつけられました。

そして1974年には『魔人カルナディスの追憶』が作曲されます。鎌田さんのオリジナル曲は4曲。どの曲も同じようなプロセスで作られ、そしてどの曲も、誰も聴いた事のない曲でした。

並行して、津田さんと鎌田さんは東京錦糸町のキャバレー「カントリークラブ」の箱バン(専属バンド)で「修行」を積みます。

また、この頃青山学院高等部に在籍していた桜井良行さんは、後の新月レコーディングディレクター森村寛さんたちと「レガリア」というバンドを組み、森村さんが在籍していた麻布高校の学園祭に出演します。
そのための練習場所は青山学院大学部の軽音楽部の部室で行われており、当時から、すでに桜井さんの高い演奏技術は大学部にも知られていました。

【HAL結成】

1975年4月。津田さんは青山学院大学に入学します。
いろいろな軽音楽クラブを覗き、そこで、ひときわオーラを放っていた高橋直哉さんとバッテリーを組むことに(勝手に)決め、高橋さんが在籍する軽音楽部へ入部します。

高橋さんは、中学時代から本格的にバンド活動を始め、高校時代は、クリームの完全コピーに明け暮れ、ビートルズ、ジミヘン、コロシアム、桜井さんによって、ソフトマシーンを知り、カンタベリー系へと傾倒していました。

津田さんは、高橋さんが活動していた「ベラドンナ」に加入し、
まずは、高橋さん、津田さんの二人の音楽活動が始まりました。

同じく1975年4月。福生では、花本さん(Key)、北山さん(Vo)、高津さん(G)、鈴木さん(Bs)、小松さん(Drs)の5人で新しいバンドが誕生します。
バンド名は「barbecue」。のちに「セレナーデ」と改名しますが、当時レパートリーにしていた「スージーQ」のパロディがバンド名になりました。

高橋さん津田さんの「ベラドンナ」はキーボード、ベースメンバーの変動に伴い、活動休止状態になってしまいます。
そんなある日、高橋さんは、津田さんから渡された、眠ったままの鎌田さん作曲のデモを録音したカセットテープを聴きます。そして、そのユニークな楽曲を、バンドで演奏する事になったのです。

1975年5月、高橋さん(Drs)、津田さん(G)、鎌田さん(Key)の三人は、残りのベーシスト選びは、かなり高度な技術レベルの持ち主でなければ演奏が難しいとの事から、高校時代から、その高度な演奏技術が知られていた、やはり4月から大学部へ入学した桜井良行さんに声をかけ、この4人で新バンドが結成されます。
バンド名は「HAL」。
「春」、そしてアーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」に登場するコンピューターHALに掛けて名付けられました。

【HAL&Serenade】

1975年5月。HALの初ライブは「東京大学五月祭」です。桜井さんは、覚えたての『サー・ボーデンハウゼン』『魔人カルナディスの追憶』が、かなり好感触を得て、自信を持った記憶があるそうです。
但し、津田さんは、船便で待ちに待ったビンテージもののマーシャルのヘッドアンプを東大生に落とされてしまい、後に新月で「仏の津田」とまで言われた温厚な津田さんが、珍しく本気で怒っていた事を、メンバー全員が記憶しているそうです。

一方、barbecueは、ひたすらオリジナルの曲作りと練習に明け暮れていました。ライブも録音の予定もないまま、楽曲の完成を目指し、メンバー2人の住居兼練習場所で、同じ曲を何度も何度も練習していました。
メンバーのアルバイト先はビアガーデンで、ここで洋楽のレパートリーを演奏することが、人前でのライブ演奏でした。

HALの二度目のライブは9月か10月、新宿歌舞伎町コマ劇場上の大型ディスコ「ビックトゥゲザー」でした。
若者の音楽育成の場として、昼間なら自由に使って良いという団体からの斡旋で、練習とライブをこのディスコで行うことになりました。

この「ビックトゥゲザー」でのライブは、HALと、HAL結成前に高橋直哉さんと津田治彦さんが結成していた「ベラドンナ」の両方のバンドで出演します。
余談ですが、「セレナーデ」「HAL」の二バンドに加え、「ベラドンナ」が新月前身バンドという、やや事実と異なる記事を散見しますが、おそらくこのライブにHALメンバーが参加していた両方のバンドが出演したためと思われます。

ライブ後「ビックトゥゲザー」から再び練習場所は青山学院大学のサークルの部室へ移り、リハーサルが行われます。

11月3日。HALは青山学院大学学祭で3回目のライブを行います。この時点では、まだメンバーは譜面を広げて演奏を行っていたそうです。

11月8日。barbecueは、初のライブを行います。場所は、銀座十字屋2階「3Point-D.Q」でした。
当時のオリジナル曲全てが演奏されたそうですが、『殺意への船出PART1』『殺意への船出PART2』のどちからかと、新曲『青い青空』が演奏されたかどうかは不明です。

同じく11月。HALは4回目のライブを行います。毎年11月の第3日曜日に行われる、調布市の電気通信大学学園祭に、「コスモスファクトリー」の前座として出演します。

このライブで『トリプレットカラーズ』が初めてライブで演奏されます。「HAL&Serenade」に収録されているライブ音源は、この電通大ライブでのものです。
PAは、当時としては画期的な4チャンネルが使用されました。

このライブ直後、桜井良行さんが脱退。同時に鎌田洋一さんが脱退します。電通大ライブがHALオリジナルメンバーでのラストライブになりました。

barbecueは12月にクリスマスコンサート用バンドとしてライブを行います。オリジナル曲は演奏されず、洋楽ナンバーにクリスマスソングが何曲が演奏されました。
その後、ベースの鈴木清生さんが脱退します。

第二期HALメンバーは、津田さん、高橋さんのオリジナルメンバーに、津田さんの妹さん裕子さん(key)、青山学院大学の米沢さん(BS)を迎え、活動します。
HALは、「ガソリンアレイ」というライブハウスに何度か出演し、このライブハウスの常連で、のちFOOLS MATE初代編集長の北村昌士さんと知り合います。

一方、barbecueは、バンド名をSerenadeと改名します。HALとセレナーデは、お互いの演奏をカセットテープを通じて、聴いていました。

1976年8月13日(金)目黒区民会館で、HALとセレナーデは他の2バンドと共に、ジョイントコンサートを行い、お互いの演奏を、初めて生で観ることになります。
鈴木さん脱退後、セレナーデのベースのサポートメンバーとして、HALを脱退した桜井良行さんが参加しています。

このライブ直後、花本彰さんがセレナーデを脱退、そしてHALの津田治彦さん、高橋直哉さんと、新しいバンドがスタートします。
新月の母体の誕生です。この時点では、まだ、バンド名はありませんでした。

【HALについて】

HALオリジナルメンバーでの活動そのものは1975年5月から11月までのわずか7ヶ月ですが、72年から73年に作曲された鎌田さんの楽曲と、桜井さんの『トリプレットカラーズ』が、4回のライブで演奏されました。

HALの演奏は、全てがアドリブ無しのスコアを守り、作曲者である鎌田さんの絶対的な権限下にあり、オーケストラの鬼の指揮者のごとくであったそうです。

HALは、主に都市部に生まれ育ったメンバーたちで構成されており、中学校、高校、大学時代とロックを通じての人脈が広がっていました。その間、メンバーたちが形成した人脈が、後の新月人脈にも大きく影響を与えています。

杉並区立大宮中学校で、ターンテーブルシステムズというバンドを組んでいた鎌田さんは、公民館で数回コンサートを開催、このドラマー田中文彦さんは、現在もジャズドラマーとして活躍しています。そして、この中学校の一級下に、後に新月サポートメンバーとなる小久保隆さんがいました。

鎌田さん、津田さんが通う都立富士高校へ小久保さんが入学し、管弦楽部と掛け持ちで、鎌田さん津田さんが立ち上げた軽音楽部に小久保さんが入部、クラシックしか知らなかった無垢な小久保少年に、鎌田さん津田さんの二人の先輩がヘンな影響を与え、「人生を狂わされた(笑)」(小久保さん:談)。

余談ですが、小久保さんの同級生の平野文さんは、後に「ラムちゃん」の声優さんとして有名な方です。ラジオのパーソナリティをされた時、小久保さんがプレゼントした「新月/新●月」を、番組の趣旨とは全くかけ離れていたのにも関わらず、友情から『白唇』をオンエアして下さったそうです。ただ、この時、しろくちびる、の読み方が分からず、苦肉の策で『ホワイトリップ』と紹介されたそうです。

また、小久保さんの同級生に、松本かよさんがいます。松本さんは、後に、小久保さん、新月の鈴木清生さんと共に「タペストリー」を結成します。

HALの5曲の音源は、電気通信大学の学祭のライブのもので、電通大学生だった小久保さんが、強力にサポートをしていました。PAは当時としては画期的な4チャンネルを使用し、鎌田さんの音を小久保さんが廻していました。この学祭で、小久保さん自身は、BLIZARDというバンドで、ブラックサバスを演奏しています。

HALオリジナルメンバーの楽曲は、当時の関係者とライブを観たわずかな人たちにしか知られていませんでしたが、この貴重な音源を所持していたのも小久保さんです。
「新●月●全●史」制作に伴い、小久保さんのアトリエから発見されたHAL音源は、こうして30年の時を経て、多くの人に耳に触れることとなったのです。

桜井さんは、小学校時代からの友人和田アキラさん(プリズム)との共通の友人を通じて高校時代、後の新月サポートメンバー清水一登さんと知り合います。二人は、前衛音楽・フリーインプロビゼーション中心の、こつこつと録音した曲を編集してはテープを作る、というユニット「ガラパゴス」を結成します。。

そして同時に、後の新月ディレクター森村寛さんたちと結成した、HAL加入のきっかけになったバンド「レガリア」で、アバンギャルド・ジャズ・ロックなオリジナル曲を演奏していました。

HAL加入後も桜井さんは、清水一登さんとの録音・編集のユニット「ガラパゴス」と、清水一登さん、田中英介さん、後藤雅夫さん、寺尾史朗さんで組んだ、ハットフィールド、ヘンリーカウ、ソフトマシーン、ニュークリアスを中心にその他オリジナルや、ニューミュージック、歌謡曲までなんでもやりたい事は何でもやるコミックバンド的なバンド、後の「すくわーむ」の活動を並行して行っていました。

また、「ガラパゴス」名義でのバンド活動は一度だけ行われ、それは、桜井さん、清水さん、後藤さん、田中さんのメンバーで、1978年のお茶の水全電通ホールの「新月」「美狂乱」などとのジョイントコンサート「FROM THE NEW WORLD」での演奏でした。

75年の桜井さん、鎌田さんの脱退後、HALは高橋さん、津田さんと、新たなメンバーとの第二期の活動に入ります。この時期、HALメンバーと「フールズメイト」初代編集長、北村昌士さんが知り合います。北村さんは、新月メジャーデビュー前後、フールズメイト誌にて、新月を強力にバックアップし、プログレファンに新月の名を刻みつけました。

第二期HALのキーボード津田裕子さんは、後、新月ライブでは欠かせないキーボードサポートメンバーとなります。

1976年8月に行われた目黒での、セレナーデ、HALも参加したイベント後、花本さん、高橋さん、津田さんが合体し、新バンドが結成されるわけですが、このバンド結成には、HALメンバー二人が衝撃を受けた、ある曲の存在なくしては、ありえませんでした。

その曲とは、セレナーデの『殺意への船出PART2』。

「この曲を演ろうぜ」
HALメンバー二人の、この思いが新バンド結成の引き金となります。
そして花本さんの「世界に通用するプロフェッショナルなグループを作りたい」という思いとが、高橋さん、津田さんと強く結びつきました。

自由度が高かったというセレナーデの楽曲の中で、唯一自由度のない曲『殺意への船出PART2』。

この選ばれた大曲『殺意への船出PART2』は、日本のプログレッシブロックの最高峰である偉大な新しいバンドを誕生させることとなりました。



 







2016/03/22 14:51:26|セレナーデ
セレナーデ

写真は「新●月●全●史」に収められているHALとSerenadeのカップリングアルバム「HAL&Serenade」のものです。
右から北山真さん(Vo)、小松博吉さん(Drs)、花本彰さん(Key)、高津昌之さん(G)、スタジオ兼練習場の福生の旧米軍ハウス(サンハイツH-11)の窓から見えるのが鈴木清生さん(Bs)です。
新●月の前身バンドはSerenadeとHALの二つのバンドですが、当然、セレナーデもHALも、新月になろう、としてそれぞれのバンドのメンバーが当時活動していたわけではなく、この前身バンド、という表現はあくまで現在から過去を辿った場合、便宜上使わざるをえない言葉です。
同様に、新●月にしても、第一期、第二期、第三期、という、時系列での各活動ごとの呼び名も、現時点から過去へを辿る際での、「便宜上」の表記にすぎません。
これらをふまえた上で、新月前身バンドはセレナーデとHALの二つのバンドです。

 

新月は、結果的に、セレナーデとHALという二つのバンドのメンバーが一緒になって生まれたわけですが、1976年に、まず、新月の母体は、セレナーデの花本彰さん(Key)、HALの津田治彦さん(G)、HALの高橋直哉さん(Drs)の3人からのスタートでした。
その後何人かのメンバー候補を試み、紆余曲折の結果、セレナーデの鈴木清生さん(Bas)、セレナーデの北山真さん(Vo)が加入し、セレナーデメンバーとHALメンバーの5人で結成されたメンバーで「新月/新●月」を発表、メジャー・デビューしました。

 

【out of control】
セレナーデの前身バンドは、1973年に花本さんが同じ大学の和田さんと結成した「Out of Control」です。
バンド名は、ヴァンダーグラフの名アルバム「ポーン・ハーツ」の歌詞からいただいたそうです。
メンバーは花本さん(Key)、和田さん(G)、津久井裕行さん(Bas)、岡部正彦さん(Drs)で、和田さんの自宅が練習場だったそうです。ここで、和田さんの幼なじみ津田さん(当時高橋さんの「ベラドンナ」に加入)と花本さんが初めて出会います。

花本さんは、すでにここでオリジナル曲を作曲しています。
そして、花本さん(Key)、和田さん(G)、津久井裕行さん(Bas)、本坊哲司さん(Drs)のインストバンドで、早稲田の歌声喫茶「十二ヶ月」、でデビュー、その後早稲田大学の学祭でライブを行います。 一時期花本さんはギターも担当していました。

花本さんは池袋のYAMAHAにボーカリスト募集のはりがみをします。
「イエス、クリムゾン、PFMなどのプログレバンドをやりたし。叙情的なボーカリストを求む」
「これはオレだろう。」
と北山さんが応募し「Out of Control」に加入します。
花本さん、北山さんの初の共作『殺意への船出PART1』が生まれます。

 

「Out of Control」の活動とは別に、花本さん(Key)、北山さん(Vo)、和田さん(G)、津久井さん(Bas)、桜井(しんちゃん)さん(Drs)の5人で、一時的に、アルバイトバンドを結成します。
新橋のビアガーデンバンドで演奏を行いますが、ユーライヤ・ヒープ命の和田さんが、ビアガーデンの意向を無視して、ユーライヤ・ヒープだけを演奏する事を強行し、一日でクビになります。 このライブ後和田さんは脱退します。

「Out of Control」は花本さん(Key)、北山さん(Vo)、板山さん(G)、津久井さん(Bas)本坊哲司さん(Drs)で、アルバイト先である池袋三越のビアガーデンで演奏をします。
クィーンやクリムゾンを演奏してしまい、お客さんたちは、会社帰りにビールを飲んでくつろぎに来ているのに、『21世紀』を聴かされてしまいます。

 

それから、花本さん、北山さん、津久井さん、桜井(しんちゃん)さんで、日大芸術学部の学祭に、フラワートラベリンバンドの前座で出演します。、花本さんが母校に敬意を表し、ギターを演奏しました。

 

続いて、浦和のホールでライブを行います。ここでは、「猫」との対バンで、北山さんは慣れないリードギターを弾かなければならず、間違う確率7割だったため、怪我もしていないのに右手の指に包帯を巻くという苦肉の策をとります。
これが伝説の「なぞの包帯事件」の真相です。

このどちらかのライブで『殺意への船出PART1』が演奏された可能性があるそうです。その後、メンバーの変遷があり、「Out of Control」は解散します。

花本さん、北山さんの二人のメンバーにギターの桐谷仁さんが加入します。
そして、池袋のYAMAHAに、ベース・ドラムス募集のはりがみをして、鈴木清生さんと小松博吉さんが加入します。
お二人は、「ぬり壁」(のちに目黒区民会館ホールのライブでジョイントします)のオーディションにも合格するのですが、この花本さん、北山さん、桐谷さんのバンド(バンド名はきまっていない)に加入することを選択します。
 
桐谷さんは、ギターで象の雄たけびを表現する『手負いのゾウ』という曲を完成させようとしていましたが、1974年脱退します。
再び池袋のYAMAHAにギター募集のはりがみをします。 「R・フリップ、S・ハウのようなギタリスト募集」。
それを見て応募してきたのが高津昌之さんです。

 

 【セレナーデ&HAL】
1975年4月。花本さん(Key)、北山さん(Vo)、高津さん(G)、鈴木さん(Bs)、小松さん(Drs)の5人で新しいバンドが誕生します。

同じく5月には、鎌田洋一さん(Key)、津田治彦さん(G)、高橋直哉さん(Drs)、桜井良行さん(Bs)で、HALが結成され、東大5月祭でデビューします。

花本さん(Key)、北山さん(Vo)、高津さん(G)、鈴木さん(Bs)、小松さん(Drs)の5人でのバンド名は「barbecue」。
なぜバーベキューかというと、当時、CCRの『スージーQ』の替え歌をレパートリーにしていたからです。
「オー、BBQ!」

 

このメンバーでのアルバイト先は大塚のビアガーデンでした。
ここでは、ドアーズ、ザ・バンド、CCR、プロコルハルムに、オリジナル曲を演奏してしまいます。弦が切れたら『青い影』、曲が止まったら『ザ・ウェイト』、いざとなったら『スージーQ』!

ビアガーデンでのアルバイトは、アルバイト代のほかに、結構ボリュームのある美味しい食事がつくのですが、この大塚のビアガーデンで出されたのは、冷や奴に冷やごはんだけの「冷や奴ライス」。

「食べ盛り?の若者にはとても辛かった(高津さん談)」。
 ビアガーデン側からの、選曲に対する無言の抗議だったわけですが、当時メンバーは、誰もその事に気付かなかったそうです。

この、ビアガーデンアルバイトバンドは別として、1975年に結成されたバーベキュー、のちバンド名セレナーデ(以降セレナーデと表記します)は、その2年の活動期間中のライブ演奏はたったの3回でした。

そして、HALは9月か10月頃、東大5月祭に続き、歌舞伎町コマ劇場上の大型ディスコ「ビックトゥゲザー」でライブを行います。HAL結成前に高橋直哉さんと津田治彦さんが結成していた「ベラドンナ」、そしてHALの両方のバンドで出演します。

余談ですが、「セレナーデ」「HAL」の二バンドに加え、「ベラドンナ」が新月前身バンドという、やや事実と異なる記事を散見しますが、おそらくこのライブにHALメンバーが参加していた両方のバンドが出演したためと思われます。
HALは続いて、11月3日にHALメンバー4人のうち3人が在籍中の青山学院大学の学祭に出演します。

セレナーデの第1回目のライブは、高津さんの前任ギタリスト桐谷仁さんプロデュースで、1975年11月8日銀座十字屋2階「3Point-D.Q」で行われたライブです。
ちなみに桐谷さんはzephyというバンドで出演しています。

セレナーデは当時のオリジナル曲全てを演奏したそうですが、『回帰』、『絶望へ架ける橋』(現タイトル『ちぎれた鎖』)、が演奏されたのは確実なのですが、『殺意への船出PART2』『青い青空』については、はっきりしていません。

 

バンドの活動とは別に、北山さんが下北沢キドアイラックホールでのイベント「金の鎧」にボーカリストとして出演しています。女性ボーカルとの共演もありました。
このイベントで、北山さんは、オリジナルソロ演奏曲をカセットテープで流し、それをバックで歌うという、今のカラオケの走りのライブを行いました。
新月メンバーは常に時代より新しいことを行うのです。

 

HALは、11月第3日曜日に毎年行われる電気通信大学の学祭に、「コスモスファクトリー」の前座で出演し、このライブ直後に、桜井良行さん、鎌田洋一さんが同時にHALを脱退します。
HALオリジナルメンバーでの演奏は、この電気通信大学の学祭がラストライブとなりました。

 

セレナーデ2回目のライブは、1975年12月、アルバイト先でのクリスマスパーティ用バンドで先の大塚のビアガーデンバンドで演奏した『青い影』、『ザ・ウェイト』、『ウィズアウト・ユー』、『ライト・マイ・ファイア』などの曲+クリスマスソングを何曲か演奏したそうです。
クリスマスパーティ用だけのためのバンドで、オリジナル曲は演奏されず、したがってセレナーデのライブ、とは正確にはカウントできないかもしれません。

この後、鈴木さんが脱退します。したがって、鈴木さん在籍時は、セレナーデというバンド名ではありませんでした。
そしてその後、バンド名候補は花本さん提案の「チューナー」、北山さん提案の「セレナーデ」があり、セレナーデに決まりました。

ライブの3回目が、セレナーデのラストコンサートになる、1976年8月13日(金)目黒区民会館での、HAL、ぬり壁、そのバンドAとのジョイントコンサートです。このイベントの企画も桐谷仁さんで、そのバンドAで参加しています。

セレナーデのベースに、前年11月にHALを脱退した桜井さんが参加、キーボードサポートメンバーに長友冬樹さんが参加しています。

セレナーデの演奏曲は、『回帰』、『組曲「夜話」〜強い光〜悪夢(通称:ドッテテ)〜川に沿って歩いて』、アンコール「プログレメドレー〜『プログレの逆襲』が確実に演奏されたそうですが、他の演奏曲は不明です。

ここか銀座3pointで『殺意への船出PART2』が演奏された可能性がありますが、参加メンバー総意の元で、このライブ音源は破棄されたため、演奏曲を確証する手段はなく、現時点では不明です。

この組曲『夜話』は、高津昌之さんのソロアルバム「信号」で聴く事が出来ますが、ライブの時は、馬のいななきや逆さにすると鳴き声が出る動物のおもちゃ等鳴り物の効果音が使われ、さらに長い曲だったそうです。

又、高津さんは、このライブの演奏で弦を切ってしまい、急遽,HALの津田さんのストラトを借りて演奏しますが、ボリュームつまみの位置が右手に触れてしまい、演奏中にボリュームが下がってしまい、苦労されたそうです。

セレナーデとHALは、すでに花本さん津田さんの共通の友人である和田さんを通じてお互いの演奏のテープを聴いていましたが、このライブで初めてお互いの演奏を目の当たりにします。
HALの出演が、セレナーデより先でした。

 

HALは、オリジナルメンバーの津田さん(G)、高橋さん(Drs)に、津田さんの妹さん裕子さん(key)、米沢さん(Bs)のメンバーで出演します。
演奏曲は、一連のオリジナル曲に加えて、津田さん作曲の未発表曲『巡礼』が演奏されたそうです。

ちなみに、「新●月●全●史」のHAL&Serenadeのジャケット写真がこのメンバーですが、このアルバムに収録されている曲はすべて鎌田さん、津田さん、高橋さん、桜井さんのHALオリジナルメンバーでの演奏です。

この目黒のコンサート後、花本さんはセレナーデを脱退します。そして同年、花本彰さん(Key)、津田治彦さん(G)、高橋直哉さん(Drs)の3人で新月の母体が結成されます。

 

【セレナーデについて】
セレナーデの練習場所兼スタジオは、花本さんと小松さんの自宅を兼ねた福生の旧米軍ハウス(サンハイツH-11)でした。防音のために練習室の窓すべてを毛布で覆っており、夏の暑さは大変なものだったそうです。

そんな環境の中、セレナーデはひたすら曲作りと練習に明け暮れていました。
花本さんが表現されている「バンド内セラピー状態」です。
上記のように、活動期間の2年間の間、ライブはクリスマスコンサートを除いてはたったの2回で、録音やライブの予定があるわけでもないのに、同じ曲を何度も何度も繰り返し、膨大な練習を重ねていたそうです。

ここで、『殺意への船出PART2』、『回帰』、『絶望への架け橋』(『明日に架ける橋』のパロディ。のちに『ちぎれた鎖』と改題)『終末』、『青い青空』、また、未発表曲『夜話』、『オリュンポスの落日』などが生まれます。

セレナーデの代表曲『回帰』は、北山さんの作詩・作曲です。
北山さんが、いきなり作りながら歌い始め、完成は時間にしてわずか5分程度で一気に最後まで完成した曲です。そしてそれに花本さんがテーマを一瞬にしてつけたそうです。

また、北山さんがメロトロンを弾いたりと、セレナーデは、そのくらいたいへん自由度が高く、各メンバーが、楽譜を渡される時も、こんな風に弾いてください、ということは一度もなく、自由に弾いてください、だったそうです。
ただ、唯一、『殺意への船出PART2』はあまり楽曲に自由度がない曲で、この名曲は、セレナーデから新月の代表曲のひとつへ、とつながっていきます。

そして、インスト曲『回帰PART2』は、花本さんが全ての楽器を一人で演奏していますが、この曲の中間部に、突然メロトロンフルートの、とあるモチーフが現れます。

 

そのモチーフは、やがて、間奏部分として重要な役割りを果たし、新月の代表曲として完成することとなります。








2016/03/22 14:50:56|新●月アルバム
2005年 「新●月●全●史」 
2005年12月16日に発売になった新月のボックスセット「新●月●全●史」(The Whole Story of Shingetsu 1976-1982)です。

ボックスには5枚のCDと1枚のDVD、ブックレットが収められています。また、ボックスを発売したニ店舗には特典がついていました。

デビューライブのちらしとチケットの復刻版、「新月/新●月」の紙ジャケを復刻したジャケット、『殺意への船出PART2』の楽譜の一部、「プログレの逆襲」と名づけられたCD(これは、新月前身バンドSerenadeが、1976年に参加した目黒区民会館のライブのアンコール用プログレメドレーのリハーサルを収録したものです)が、それぞれのお店で特典としてついてきました。


掲載写真は、左側がボックスの表紙で、星男のコスチュームで『殺意への船出PART2』を歌っている北山さんです。ボックスの裏には、日本語と英語でボックスの内容が説明されています。背表紙は演奏している5人のメンバーの顔写真です。

右側がボックスに封入されていたブックレットの表紙で、こちらは白の鬼装束で『鬼』を歌っている北山さんです。ブックレットには、新月メンバー、レコーディングディレクター森村さんの寄稿文、HAL、Serenade、新月の写真、全曲の歌詩、全曲の解説文が掲載されています。

ブックレットに掲載されている新月の写真は、ロック専門カメラマン故迫水正一さん、新月ファンクラブ会長で劇団インカ帝国・文学バンドの小熊一実さん、松原信好さん、迫水正一さんのお弟子さんの黄泉谷アピさんが撮影されています。

この、故迫水正一さんが撮影された写真についてですが、ボックス制作にあたり、花本さんが迫水正一さんの作品を使わせていただきたく、長くずっと捜索をされていました。

その膨大なフィルムが、映像作家井出情児さんの山中湖スタジオで、未整理のまま管理されている事が分かり、井出さんへお伺いのメールを花本さんがお出ししました。

すると、なんと、そのメールをお出しした一週間前に、迫水さんの奥様が偶然、その膨大なフィルムの中に「新月」の文字を見つけられていたそうです。そのネガは6本。
花本さんは奥様から直接ご連絡をいただき驚いたそうですが、奥様も驚かれていたそうです。


新月曲のタイトルは全て日本語と英語と両方の表記があります。ほとんどのタイトルの英訳は津田さんです。

日本語と英語では、内容が異なる曲がありますが、新月は、日本語から英語への直訳を避け、英題はその作品の核心をダイレクトに表わし、邦題ではもっと含みをもった、イメージが広がる文字を使っています。
ただ『鬼』をあくまで日本語の『Oni』としたのは、devilなどにすると、全く意味が違ってくるからだそうです。


・DISC 1 新月/新●月 New Moon/Shingetsu Remasterd

1 鬼 Oni
2 朝の向こう側 The Other Side of the Morning
3 発熱の街角 Influential Streets
4 雨上がりの昼下がり Afternoon-After the Rain
5 白唇 Fragments of the Dawn
6 魔笛"冷凍" Magic Flute "Reitou"
7 科学の夜 The Night Collector
8 せめて今宵は Return of the Night


「新月/新●月」は、このボックス以前に、LPとCDで4回発売されていますが、これは、ビクターの保管庫に保存されていた1979年のアナログマスター盤を、25年ぶりにビクターにて、メンバー自身でリマスタリングした盤です。
従来発表されていた音源で弱かった中低音部分がパワーアップし、ラジカセやヘッドホンで聴いても充分に楽しめます。
デジタル技術がようやく当時の新月に追いついた感があります。


1.『鬼』
作詩作曲共に花本さんの作品です。

新月曲の中で、『鬼』は津田さんが一番お好きな曲です。
津田さんの言葉を引用させていただきます。

”全てにおいて完成度が高い。
日本の音楽史上、他に類のない曲だ。
花本は最後のリフ前のギターがいいと言うが、他の部分のフレーズは全部決められていて自分が自由にできる個所はあそこしかなかった。”

すでに『回帰〜鬼』(アルバム「セレナーデ+科学の夜」ではタイトル『回帰パート2』)をお聴きの方はご存知のように、この曲のメインモチーフ(間奏のフルートの部分)は、セレナーデ時代に出来上がっていました。

その後、前後のヴォーカル・パート部分を花本さんが、ご自分でギターを弾いて歌いながら作り、最初出来ていたモチーフを、あたかも変奏に聴こえるようにボーカルラインを作って行きました。

そして作曲上もっとも気を使ったことは、それまでにあった琴や尺八を使った和風ロックのえげつなさを排除することだったそうです。

演奏については、ドラムの高橋さんの役割りが大きな位置を占めており、その精細でストイックなドラミングは新月の核をなすものだそうです。

翌1980年に鈴木さん、高橋さんが脱退し、ここに第二期新月の活動は一度ピリオドを打ちますが、2004年に再結成へ向けて新月が活動を始めた頃、海外のプログレフェスへ新月が招聘された時、高橋さんの予定だけが、未だ立たない段階だったため、ほかのドラマーで参加を、とのオファーに対し、ドラムは高橋さんでなければ新月ではない、と、花本さんが断固として参加をお断りしたエピソードは、その事を証明しています。

作詩も花本さんですが、この詩を読んだ北山さんは、一言だけ
「暖炉」を「囲炉裏」に変えました。
これが今、わたしたちが聴いている『鬼』の詩です。

何度曲を聴いても、何度詩を読んでも不思議な、『鬼』

鬼とは何なのでしょう?

"鬼とは何か、未だにわからない"
と花本さんご自身もおっしゃっています。


2.『朝の向こう側』
津田さんの作詩作曲です。ボーカルも津田さんです。
世界観としてはC.S.ルイスの「ナルニア国物語」のようなもの、だそうです。

この曲のこの場所はどこなのでしょう?
津田さんは「この曲は私たちのリアルライフを、最大限の皮肉を込めて歌っているのかもしれない」とおっしゃっています。
一見、さわやかな、のどかな、ファンタジーな風景を描いた曲にも感じますが、果たして?


3.『発熱の街角』
北山さん作詩作曲です。
それまで、作曲に2時間以上かけないのが信条の北山さんですが、この曲には2日かかりました。
詩についてはセレナーデ時代からやや傾倒していたシュルレアリスムを意識したものです。

この曲は「逆回転」から始まります。このアイディアは、ミキシングブースで偶然、この曲の逆まわしの音を聞いたことに端を発し、逆回転でモニタリングしながら、楽器を一つずつ抜いていき、ちょうどいい緊張感が出るポイントを探っていったそうです。
マーチ風のアレンジの曲で、新月には珍しく夏のイメージの曲ですが、実際、詩は7月の巴里祭をイメージしています。


4.『雨上がりの昼下がり』
詩は北山さん、作曲は花本さんです。詩は都内のある公園をイメージして書かれています。

個人的には、この曲を聴いた時に浮かんだのは、ルネ・マグリットの絵画ですが、1979年の新聞にも、マグリットの絵を連想する、という評がありました。
芝ABCのライブでは、実際に北山さんがレインコートを着て、ベンチを担いで登場しています。

教会のオルガン曲が大好きな花本さんが、その影響を受けたサビの部分を中心に前後を作った曲だそうです。

ちなみに、花本さんは、ロックピアノの師と仰いでいるのは、エルトン・ジョンさんで、アクセントの位置や、オブリの入れ方などとことんコピーをさせてもらったそうです。
またオルガンの師と仰いでいるのは、もちろんプロコルハルムのマシュー・フィッシャーさんと、ZEPのジョン・ポール・ジョーンズさんです。

中間のソプラノサックスは、レコーディング・ディレクター森村寛さんによるもので、新月唯一の本物の管楽器入りの曲です。


5.『白唇』
作詩は津田さん、作曲は津田さん、花本さんです。
"ベースを聴くためにあると言っても過言ではない”曲で、"鈴木さんのメロディメーカーとしての才能が如何なく発揮されている”と、また、津田さんの"ガットギター、スチールギター、エレキギターと幾重にも重ねて録音し、それらを最終段階で微妙にブレンドしている。耳を澄ませばその音色変化を楽しむことができる"と新月全曲目解説に花本さんが記しています。
また、イントロの後半部分に、降り積もる雪の中を歩く人の足音が効果音として入っています。

曲は、津田さんが大半を書いていました。
当時津田さんと花本さんは、新宿のキャバレー「ムーラン・ドール」でコーラスバンドの演奏のアルバイトをしていました。
このコーラスバンドのメインボーカリストは「破天荒」の阿久津徹さん(後にマンドレイクに参加)です。

ある日、この休憩時間に、おそろいのピンクのジャケットで楽屋に戻ってきた時、津田さんが「良いリフが出来たんだけど」と、イントロのフレーズをストラトで弾き始めました。

花本さんは、津田さんらしい、クールで良いフレーズと思ったそうですが、津田さんは、それ以降のBメロに相当するところが煮詰まっていたので、30分の休憩時間に8小節づつ、二人でその曲を作る事になったそうです。

「君の白い唇に 降る雪 そのままに 凍るよ」
までを花本さんが書きました。

「移り行く季節には 名前など ないけれども」
までを津田さんが書きました。

「そのまま眠れ 夜明けのカケラよ
 閉じた瞳は 明日を夢見るのか」
までを花本さんが書きました。

そう思いながら聞くと、おふたりのメロディーのくせがよくわかります。
こうして、津田さん的であり、花本さん的である曲が出来て、津田さんがサビへと繋げました
ちなみに、津田さんがお好きなのは「シドレソ」だそうです。

サビは、仕事が終わった後、セレナーデ時代からメンバーの住居兼練習場である、福生牛浜にある米軍ハウス北側の部屋で作ったそうですが、サビをお互いどちらが作ったかは、定かではありません。

ただ、メロディからいくと津田さんのようでもあるそうですが、「超えてきみのもとへ」のメロディは、通常津田さんはこのような飛び方をしないので、花本さんではないか、との事です。

全体の変奏的なアレンジは花本さんの得意分野なので、このような曲になりました。
そして、ハウスで練習をしながら、歌詩を煮詰めていったそうです。

『白唇』は鈴木さんが一番お好きな曲です。
鈴木さんによると、最初の頃はベースの鈴木さんのフレーズと高橋さんのキックのタイミングが違っていたそうですが、高橋さんのキックのアクセントがかっこいいので、ベースも全部それに合わせることにしたそうです。そしてその合間を埋めるようにしてメロディーを組み立ていったそうです。


このアルバムの中では、『朝の向こう側』と『白唇』は、津田さんの詩によるものです。この『白唇』も一見ロマンティックな詩のようにも思えますが、これも果たして?


6.『魔笛"冷凍"』
タイトル及び発想は劇団インカ帝国団長の伊野万太さんによるもので、1978年に上演された作品「親王宣下」に挿入された曲で、作曲は北山さんです。

冷凍という言葉のイメージが、新月にぴったりという事で一時は、アルバムタイトルを「冷凍」にし、花本さんによるジャケットの原画も製作されたとか。
ジャケットとタイトルについて、花本さんの解説を転載させていただきます。

「アルバムタイトルは「冷凍/新月」こそふさわしいと僕は思っていました。
当時の(若い)僕たちの気負いもあり、熱狂より覚醒を、という意識が大きく働いていたからです。
当初のジャケット案は小高い丘の草原に大小様々の氷の塊があり、その高天原的原っぱを行き来する和服の女性やウサギややぎなどの動物が全部もしくは部分的に氷の中に入っているというシュールなものでした。
そのジャケを写真撮影と合成で作ろうという段階まで一時は進みましたが、その後の紆余曲折でこの案は廃案になりました。そして「魔笛冷凍だけが残った」というわけです。」


1979年に録音された曲ですが、それまで単音しか出ないものと思っていたシンセサイザーにポリフォニックというものが登場して間もない頃で、おそらく国内で始めてプログレにシークエンサーが使われたのがこの『魔笛"冷凍"』だそうです。

当時小久保さんが繰る巨大なシンセサイザーから低音が「自動的に」流れ出した時、メンバーの驚きは大変だったとのことですが、今では「当たり前」の事が、1979年、という年代を考え、いかに新月が最先端の事を行っていたか、をあらためて認識させるエピソードです。


7.『科学の夜』
作詩北山さん、作曲花本さんです。

動ー静ー動というオーソドックスなスタイルの曲です。

新月曲の中で、どの曲が一番お好きですかとの質問に、『鬼』『白唇』『せめて今宵は』『殺意への船出partU』『雨上がりの昼下がり』などの中から散々悩まれた高橋さんが、ドラムを叩いている時の陶酔感からいくと、この曲が一番です、と答えて下さった曲です。

アルバム制作にあたり、当時レコーディングディレクター森村さんから提示された曲順は
A面『鬼』、『赤い目の鏡』、『白唇』 
B面『殺意への船出PART2』、『せめて今宵は』
でした。

しかし、『殺意への船出PART2』と『赤い目の鏡』は、アレンジ面でまだ未消化の部分がある事や、北山さん、津田さんの強力なソングライティングを持ったメンバーの出番が少なすぎるという事もあり、メンバーで話し合って、曲の最終的なラインナップが決まりました。

「新月/新●月」が制作された時代は、アルバムと一緒にシングルを出す風潮もあり、アップテンポでやや短めの曲として急遽作曲された第二期新月の中で最も若い曲です。当初は、A面一曲目を意識して作曲されました。
ドラムのリズムの威勢がいいので、いきおい早くなる、そうするとギターが弾けなくなる。ドラムがどこまで我慢できるか、が演奏のポイントだそうです。

曲を作る時、時々花本さんはタイトルだけを先に付けてしまう事があります。『科学の夜』もそうでした。

タイトルだけが決まった曲に北山さんはそれに詩をつける、という事をやってのけたのですが、花本さんがインストルメンタルだと思っていた部分に歌詩が入り、花本さんは驚いた覚えがあるそうです。

そして北山さんによって、アルバム全体が 夢-夜-朝-昼-夜-夢と、ひとめぐりするように整えられました。


8.『せめて今宵は』
作詩北山さん、作曲花本さんです。
花本さんが、シンプルで美しいメロディーを持った曲を作りたいと意識しながら、深夜、小さなアップライトピアノを前にちょっとずつ丁寧に作っていかれたそうです。

当初は、詩も花本さんでしたが、『科学の夜』の後にこの曲が決まった時点で、北山さんは、このタイトルと「今宵かぎりで 消えた街路燈 せめて今宵は 星を降らせて」だけを残し、すべて詩を書き換えました。


ピアノ一つでも、エレピにするかアコースティックにするか、花本さんは一番悩んだそうです。
結局その両方を弾いてブレンドした音色を、今わたしたちは聴く事ができます。

アルバムの最後を飾る、品位の高い曲『せめて今宵は』

1979年当時、この曲でアルバムが終わると、また始めに戻って『鬼』を聴きたくなり、A面を聴いてはB面へ、B面を聴いてはA面へと、LPレコードを繰り返しひっくり返しては、プレイヤーに乗せて、針を落としていた事を思い出します。



・DISC 2 遠き星より/新●月 From a Distant Star/Shingetsu

1 生と死(新曲2005) Life and Death (new song)
2 赤い目の鏡(新アレンジ2005) Reddish Eyes on Mirror (new arrangement)
3 殺意への船出パート1(未発表曲/新アレンジ2005) The Voyage for Killing Love part1 (new arrangement)
4 殺意への船出パート2(新アレンジ2005) The Voyage for Killing Love part2 (new arrangement)
5 島へ帰ろう(新アレンジ2005) Homing to the island ( new arrangement)
6 鼓星(未発表曲1979) Orion / Tsuzumi Hoshi (unreleased)


当時ライブでは演奏されていましたが、「新月/新●月」に収録されていない未発表曲と新曲を26年ぶりに新月メンバーで新たに録音したアルバムです。

一番最初のリハーサルには、北山さんは参加できず、四人で26年ぶりに音出しをしたのですが、全員ほとんど曲を覚えておらず大笑い。しかし、音はしっかり新月だったそうです。

新しい録音について、新月メンバーは、今の社会や自分の反映であるこの音に対して、大変満足しているそうです。


1.『生と死』
1979年26年ぶりの新月の新曲です。新月にあるまじき?譜面なしの一発録り、『魔笛"冷凍"』に次いで新月二曲目のインストルメンタルです。

この曲は12月16日発売「新●月●全●史」に先駆けて10月に新月メンバー4人によって行われた、Phonogenixコンサートで、初めて披露されました。

当初は新録音の『赤い目の鏡』のイントロ部分として考えられていたそうですが、結局長い独立した一曲となりました。
新月コンサート、Phogenixコンサートをご覧になった方には、よくわかると思いますが、鈴木さんがドライバーのような金属の棒でベースを弾いています。

「個々の生死を乗り越えたいのちの大きな流れを表現したかった」した作品です。中近東のイメージが大きく広がる曲で、そのイメージがそのまま、次の『赤い目の鏡』へと続いていきます。


2.『赤い目の鏡』
津田さんの曲に、花本さんが歌詩を書いています。当時のボーカルは津田さんです。新録バージョンでは、津田さんではなく北山さんがボーカルをとっています。

『赤い目の鏡』の新録音について、花本さんの言葉を転載します

「『赤い目の鏡』は調性を変えての試行。Gは男性的な、Fは女性的なエネルギーをもっているとよく言われているが実際にGからFにキーを変えるとそのことが面白いくらいによくわかる。

赤目はグレイトジャーニー的要素を持っているので、これまたある意味女性的なイスラームのモードをかぶせるとこの上なくマッチする。
教訓 調性は手癖で決めてはいけない。」


3.『殺意への船出PART1』
OutOfControl時代に作られた、花本さん、北山さんのコンビの最古の曲です。未完成の曲でしたが、この新録音でリフの部分を新しく作り直し30年の歳月を経て完成する事が出来ました。
歌詩は当時に書かれた「錆びついたナイフ」が「傷ついたナイフ」に書き換えられています。

4.『殺意への船出PART2』
この曲は、花本さんが10代の頃作曲した曲で、Serenade時代から演奏され続けています。
各パートの演奏に自由度が高かったというSerenadeですが、この曲だけはそうではありませんでした。
ちなみに、新月版では、星男と王女を北山さんが一人で歌い分けていますが、Serenade版では星男を高津昌之さんが歌っています。

Serenadeから新月へと受け継がれていたこの曲は、しかしその自由度とは別に、進化し続けています。
今回の新録音ではさらに新しい解釈となっています。イントロ部分はイスラムの古い寺院遺跡などで、弦の鳴りの良いイランのオーケストラに演奏してもらうことを想定してアレンジされています。

今回の新録音にあたり、この『殺意への船出PART2』は未完成である、という事にメンバーは気付いてしまったそうです。
さらに進化する曲、『殺意への船出PART2』。

『殺意への船出』の当初からの構想では全部でPART5まであり、北山さんの解説によると、このPART2は、実はPART4だそうです。

PART1が殺意への船出そのもの。
PART2は殺意を手に入れようと旅する少年の苦悩。
PART3は殺意を手に入れ、地球を終末へと向わせた何者かを攻撃(歌になり難いのでインストかも)。
しかしM20(射手座の三裂星雲)の王女が登場し、「そのナイフを振り下ろしてはなりません」。
この一言でPART3はカットアウトされ、あのオルガンのイントロに導かれPART4へ。
生きる意味を見失った男には瞳がなくなり表情がなくなる、ただ王女への想いだけが……。という構想だそうです。

ここで、北山さんはPART1の歌詩に「錆びたナイフ」を使われたことを「重大な失敗」とおっしゃっています。この時点では錆びているべきではなく、今回「傷ついたナイフ」で逃げたそうですが、ここに相応しい言葉を考え中だそうです。


花本さん:
新月の代表曲ともいえるこの大曲を新録音するには、かなりの勇気が必要だった。
バンドのアンサンブルは昔のテイクにかなうわけがないからである。
それでもあえてそうしたのは、この曲にもう一度この時代を生きるチャンスを与えたかったからだ。
「鬼」が地(球)とすれば「殺意」は天(球)であり、本当に不思議なことだが、この二曲は僕の中で分ちがたく結びついている。



5.『島へ帰ろう』
花本さんが新月曲のなかで一番お好きな曲です。
『せめて今宵は』と同時期の、プロコルハルムの『青い影』を意識したアレンジを考えていた作品だそうです。

しかし、なぜか歌詩は公募され、結果的にこの歌詩とのバランスで従来ではレゲエ風で演奏されていました。
この楽曲のもっとも大きな特徴は「無限転調サビ」。
Cで歌い始めたメロディーが二度上のDで解決する仕組みになっているそうです。

今回の新録音のアレンジで、花本さんはやっと思う存分オルガンを弾くことができました。イギリスの若者バンドのようになって、いいかもとのこと。この曲のためにレスリースピーカーを購入されたそうです。


6.『鼓星』
もちろんオリオン座の和名です。スタジオJで、花本さんと津田さんが二人きりでセッションを行った完全な即興曲です。
譜面も打ち合わせも全く無い中で10分近く津田さんがギター、花本さんがアコースティックピアノで音を出し合い、その直後津田さんが今度はドラム、花本さんがオルガンを弾いてオーバーダビングしたそうですが、全てがぴたりとはまり、ご本人たちも驚かれたそうです。


・DISC 3 OutTakes 1979-1980/Shingetsu

1 寸劇「タケシ」(1979) "Takeshi" skit
2 不意の旅立ち(スタジオデモ1979) The Journey of Takeshi Kid studio demo
3 島へ帰ろう(リハ1979) Homing to the Island rehearsal
4 赤い目の鏡(ベーシック/ロックウェルバージョン1980) Reddish Eyes on Mirror basic track
5 チューニング(1979) tuning
6 白唇(スタジオデモ1979) Fragments of the Dawn studio demo
7 科学の夜(原曲リハ1979) The Night Collector rehearsal
8 せめて今宵は(スタジオデモ1979) Return of the night studio demo
9 ベースパートの練習(1977) Practice on the Bass
10 鬼(スタジオデモ1979) Oni studio demo
11 殺意への船出 パート2(スタジオデモ1979) The Voyage for Killing Love part2 studio demo


「新●月●全●史」のボックス本体に書かれたキャプションにはこの「OutTakes」について、「新月はファーストを二回録音していた」と書かれています。

当初ファースト収録候補に挙がっていた、『赤い目の鏡』、『殺意への船出PART2』を含む、当時ライブでしか聴く事が出来なかった曲のスタジオデモ、チューニング、リハーサル、ベースの個人練習などが収録された貴重なアルバムです。


特にここへ収録されている『赤い目の鏡』は、セカンドアルバム用にロックウェルスタジオでレコーディングされたベーシックトラックで、26年の歳月を経て、ようやく姿を現す事が出来ました。冒頭のオルゴールの音は新たに録音されたものです。


1.寸劇「タケシ」
『不意の旅立ち』の曲の冒頭の寸劇です。
1994年に発売された、79年の芝ABC会館ホールのデビューコンサートを収録したアルバム「赤い目の鏡:ライヴ79」を聴いた方には分かるように、『不意の旅立ち』の前には、寸劇が流されており、ライブ版では、タケシ役の少年と花本さんの「パパ」の会話のテープが流されていました。

今回収録された寸劇は、劇団インカ帝国のよひら青子さん、時任顕示さんが演じており、タケシの声はアニメ「母を訪ねて三千里」のマルコ少年の声優松尾佳子さんです。

ライブ版と「新●月●全●史」版では、細かな部分が異なっています。
ライブ版では、パパとタケシの二人だけの会話で、「この頃人生がむなしいんだ」という小学校2年生のタケシをパパは笑いとばしますが、タケシがそのまま「行ってきまーす」と言うのを「ちょっと待ちなさい」とパパは引き止めるのですが、それを振り切って、タケシは出かけてしまい、ドアが閉まります。

「新●月●全●史」版では、パパとママの二人が、タケシに最近おかしいぞと問い詰めるのですが、タケシは「僕人生がむなしいんだ」ときっぱりと言い放ち、出かけてしまいます。
誰も引き止めないままドアがパタンと閉まってしまった後、パパとママは、揃って「行ってらっしゃい」と言うのですが、もうそれはタケシには届きません。

個人的に、それぞれの寸劇の内容から、異なるタケシの心情を勝手に想像して曲を聴いています。

2.『不意の旅立ち』(スタジオデモ)
作詩作曲共に花本さんです。
この曲は、花本さんが肺に穴が開いてしまう病気にかかり、尾道に帰郷される時、「どうせ暇なんだから曲を作ってこい」と津田さんに命令されて作られた曲です。
津田さんは「GoodJob!」とおっしゃっています。

また、この曲は、北山さんが、新月の曲の中で一番お好きな曲です。「特に中盤から後半にかけての畳み掛けるような演奏は空前絶後」だそうです。

3.『島へ帰ろう』(レゲエバージョン)
作詩北山さん、作曲花本さんです
『せめて今宵は』と同時期の作品です。
花本さんが、プロコルハルムの『青い影』を意識して作られた曲なのですが、歌詩は公募されて、その詩とのバランスのために、レゲエバージョンにアレンジされました。

4.『赤い目の鏡』(ベーシック/ロックウェルバージョン)
作詩花本さん、作曲津田さんです。
ボーカルも津田さんです。

まず津田さんの曲が先にあり、この曲を聴いた瞬間に、花本さんは中近東の砂漠の映像がはっきりと迫って来て、詩が出来ました。
曲はどこを切っても津田さんで、花本さんは、津田さんのメロディーメイカーとしての才能に脱帽した曲のひとつだそうです。

この曲は、セカンドアルバムに収録される予定で、ロックウェルスタジオでレコーディングが始められていました。
ベーシックトラックの録音は終わり、オーバーダブとヴォーカル録りを待つばかりの状態でした。

しかし、セカンドアルバムは、予算の折り合いがつかず制作中止となります。そして、このテープは、新月メンバーの演奏を待ったまま、長い眠りについていました。

それから26年の歳月を経て「新●月●全●史」により、『赤い目の鏡』は、その長い眠りから覚めて、わたしたちの前に現れてくれたのです。

コンサートでイントロの前には必ず、兎の人形が回るオルゴールをキーボードの横で鳴らしていました。枕元で母親が絵本を開く光景が目に浮かぶような演出です。

この冒頭のオルゴールの音は当時使われていたオルゴールを、2005年に新たに録音したものです。

当時、コンサートでは、『赤い目の鏡』は北山さんの鬼装束へのお色直し用の曲として演奏されていました。通常フェイドアウトで終わるエンディングが、このようなかたちで突然終わるのは、次の曲にメドレーでつなぐためです。

『赤い目の鏡』に描かれている主人公は、自分の姿がどこにも映らないので、自分の姿を見たことがありません。
人から聞いた自分の姿は「目が青く耳が立ち、体中綿雪の毛をまとい、他の誰にも似ていない」のです。

主人公は、祈祷師ラヤの言葉に従い、愛する母に別れを告げて、自分の姿を見るための鏡をもらうため、東へ向かい、黄色い人を探す旅に出ます。
とび色の森を越えて、不思議な旅は続きます。煉瓦の丘で道は尽き果て、そこで主人公は黄色いうさぎに出会います。

わたしに鏡を下さいと、と頼む主人公に、うさぎは、ごめんなさい、鏡はわたしが壊したと言います。涙に染まる赤い目には年老いた山羊の顔が映っていました。
主人公は、やはり自分の姿を見ることはできないのか、と思うのです。赤い目の鏡に映る、山羊の姿を、自分の姿とは思えないのでしょうか。

愛した母に別れを告げて(ここは、わたしの居場所ではない)と、東へ旅に出た主人公が赤い目の鏡に見た姿。
年老いた山羊、とはなんでしょう?

山羊の姿をした、他の誰にも似ていないもの。
それは悪魔、と、気付く方もいるかも知れません。

5.「チューニング」

花本さん:みんなの気持ちがひとつになるのは、正にこの瞬間だ

6.『白唇』(スタジオデモ)
花本さん:当時は多重録音(今は多重という概念さえないが)できる機材は非常に高く、僕たちの身分では4トラックのデッキぐらいしか買えなかった。
新月のように音を沢山重ねて音楽をつくるバンドの場合、そのシミュレーションはこのデモのように一、二回オーバーダビングし、後は頭で想像するしかなかった。
本番で時間がかかってしまうわけだ。

7.『科学の夜』(原曲リハ)
上記のように、この曲はアルバム用に急遽作曲されました。
花本さんは時々、曲を作る時タイトルも一緒につけてしまう事があります。

北山さん:まだ歌詞がなく、ラララで歌っている。
ただし題名はしっかりあった。花本が時々やる、曲とともに題名も付けてしまうというパターンである。
作詞するほうは、新春歌会始でお題をもらってやるようなもので、やりやすいようなやりにくいような。
まだみんなが手探り状態で演奏している中、シズオの自信に満ちたフレーズが冴え渡る。


8.『せめて今宵は』

花本さん:この曲は基本的にピアノバックを想定した曲なので当初はこのデモのようにアコースティックピアノをがんがん弾こうと考えていた。ところが試しにフェンダーのエレピで弾いてみたところ、これまたしっくりとおさまってしまったために、僕は大いに悩んだ。結局は津田方式を採用。両方入れてブレンドしたのだ。

9.『鬼』(ベースパートの練習)

花本さん:大変めずらしいベースの個人練習風景。こうした水面下の苦労があってこその新月なんだなと感激し、彼の許可を得て入れることにした。

10.『鬼』(スタジオデモ)
花本さん:デモも本番もこれほど変わらない曲もめずらしい。すみません。しかし細部を聞き込むと本番がここからいかに進化しているかがわかるはずだ。 

11.『殺意への船出PART2』(スタジオデモ)

花本さん:録音のいいデモと演奏のいいリハ、どちらを入れるかさんざん迷ったが録音のいい方にした。




・DISC 4 Archives/HAL Serenade

・HAL

1 ボーデンハウゼン(ライブ1975) Sir Bordenhausen (live)
2 トリプレット・カラーズ (ライブ1975) TripletColors
3 悲しみの星〜魔神カルナデスの追憶(ライブ1975) The Star of Sorrow / In Memory of Charnades the Pan (live)
4 オープン・ビフォー・ノック (デモ1975) Open Before Knock (demo)

HALは、1975年に鎌田洋一さん(key)、津田治彦さん(G)、高橋直哉さん(Drs)、桜井良行さん(Bs)の4人で結成されました。
オリジナルメンバーの活動期間は1975年の5月から11月のわずか半年。公式音源はこのアルバムのみで聴く事が出来ます。
この音源は、オリジナルメンバーのラストライブとなる電気通信大学学園祭でのライブ音源とそのデモです。コスモスファクトリーの前座として演奏を行いました。

当時電通大学生だった、後にバッハ・リボリューション、新月サポートメンバー、タペストリー(鈴木清生さん、松本かよさんとのユニット)、HAL&RINGの小久保隆さんが強力にサポートを行い、PAは、当時としては画期的な4チャンネルが使用し、キーボードの鎌田さんの音を小久保さんが回していました。

HALオリジナルメンバーの楽曲は、当時の関係者とライブを観たわずかな人たちにしか知られていませんでしたが、小久保さんのアトリエから発見された、この貴重な音源のおかげで、今こうしてわたしたちは当時の演奏を聴く事ができます。

各曲についての解説は、作曲者である鎌田洋一さんから、ファンサイトへ寄稿文をいただいていますので、転載させていただきます。


1.『サー・ボーデンハウゼン』
彼のもの邪悪なるもの破壊と絶望をもたらすもの。
その姿人型なれどその影に翼見ゆ。
邪悪なる霧の中よりその姿現る。
翻すマントと共に忍び寄る終焉に気付く者無し。
されど我等勝たねばならず
彼のもの隙に乗ずるを常とすならば
我等隙持たずして反撃の機会窺うべし。
まして彼のものすら神の一部と信ずるならば。

2.『トリプレットカラーズ(T、U)』
この曲は桜井氏の楽曲です。
元々は僅か数小節の決め事しかありません。
とは言っても、何度か演奏する内に、だんだんやりたいこと、やるべきことが定まってきます。
リフの力+個性の力といったところでしょうか。
こういった曲は、形になるまでは結構苦しいですが、やり付けてくると、実に楽しいものです。
この手の曲の表現内容に関しては、一般に精神的レベルのことが多いようですね。一概に言えませんが・・・・・。


3.『オープンビフォーノック』
ノックする前に開けろ・・・・・そのまんま。
昔、テレビ見ていた頃、銭形○次なんかで、
「お、親分ッ!!てえへんだぁーー!!!」
「おぅッ、どうした八、騒々しいぞ」
てなシーン有りましたよね。
あれも”オープンビフォーノック”なんですね。
HALに関して云えば、以前書き込みさせていただいた通り、 ”ドアを蹴破って演奏会場に突入する”となります。
普段してはイケナイことです。よろしくです。

4.『悲しみの星 』
広大無辺の宇宙のどこかにある惑星。
かつて地球のように豊かな自然を有していたこの星も
今は荒廃し、輝きを失った。
あの時・・・・・あの時以来、この星は悲しみに包まれた。
もう戻れない昔を思い出すほどに、悲しみは深くなる。
神よ、助けて・・・・・。祈りがとどくのはいつだろう。

5.『魔人カルナデスの追憶』
私はもう随分と生きてきた。
3000年位までは数えていたが、もう分からない。
思えば色々な事があった。
数え切れない数の星々を巡った。
楽しい事、嬉しい事もあるにはあったが、
辛い事が多かった。
悲しい事は、もっと多かった。
今思い起こすのは、悲しい事ばかりだ。
何故なら、いつも私はベストを尽くしてきたが、
神ではないので、どうにもならないことがある。
そんなとき、私は非力な自分を罵り、嘆き悲しんだ。
荒れ狂い、星をいくつか壊した事もある。
ある時、死の淵で白い妖精が私に言った。
「あなたは充分やって下さった・・・・・」
そんな、そんな・・・俺は何もしてやれなかった・・・。
私にも死が訪れるのだろうか。
その時には、にっこり笑って死のう。
あの白い妖精のように・・・・・・・・・。


HALの曲の持つエナジーを感じて頂ければと思います(鎌田)。
以上が鎌田さんから頂いた曲目解説です。



サイト掲載時に、花本さんと津田さんが書いてくださった感想を転載します。

花本さん:鎌田さんの原稿を読みました。HAlと新月をご存じの方は意外に思われるかもしれませんが僕と鎌田さんはまだ面識がありません。鎌田さんが去った後にHALの影を踏んだ者です。

僕も、そしておそらく鎌田さんも何千年も生きてきて今世で僕はHAlの影を踏み、鎌田さんも新月の影を踏んでしまった。

「ボーデンハウゼン」の解説を読んで、「赤い目の鏡」の主人公のシルエットに似ているので驚きました。ひょっとして本体は同じか?

津田さん:そうそう、殺意p1,2もカルナデスに情景は似てると思う。70年代にこれやっちゃうのは気持ち早すぎたかもねえw


上記の、鎌田さん、花本さん、津田さんの掲示板上の交流ののち、同年12月26日に行われたHAL&RINGコンサートで、ゲストキーボードプレイヤーとして、鎌田さん、花本さんが同じステージに立ち、共演されました。

鎌田さんがステージに、乱入?された時の曲は、もちろん・・・あの曲でした。


「HALの一筆箋」
では、鎌田さんご自身による、HALの楽曲の変拍子の事等解説が掲載されていますので、HALの曲に興味がある方は、是非読んでくださいね。



・Serenade

5 ちぎれた鎖(デモ1976) The Broken Chain (demo)
6 回帰(デモ1976) Recurrence (demo)
7 終末(デモ1976) The end (home demo)
8 青い青空(デモ1976) Blur Blue Sky(demo)
9 殺意への船出パート1(デモ1976) The Voyage for Killing Love part1 (demo)
10 回帰〜鬼インスト(デモ1976) Recurrence-Oni (home demo)


新月前身バンドSerenadeは1975年4月に、花本彰さん(Key)、北山真さん(Vo)、高津昌之さん(G)、鈴木清生さん(Bs)、小松博吉さん(Drs)の5人で結成されました。

バンド名は、当初「バーベキュー」と名乗っていました。「オースージーQ!」のパロディです。その後花本さん発案の「チューナー」と北山さんの「セレナーデ」が候補に挙がった結果、セレナーデに決まりました。
北山さんが名づけたセレナーデ、花本さんが名づけた新月。どちらも共通点は「夜」ですね。

活動期間中、人前で演奏する機会を殆ど作らないまま、ひたすら曲作りと練習に明け暮れていたSerenadeがライブを行ったのはわずかに3回です。

Serenade音源は、1995年に発売されたアルバム「セレナーデから新月(スペシャルコレクション)科学の夜」で聴く事が出来ます。このボックス盤ではさらに未収録の曲を聴く事が出来ます。


5.『ちぎれた鎖』(デモ)

作詩作曲北山さん、編曲花本さんです。記念すべき、Serenadeのデビュー曲。
原題は『絶望に架ける橋』。もちろん、サイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』のパロディです。

詩と歌メロを北山さん、間奏を花本さんが作りました。高津さんが、Serenadeに加入して、初めてリハーサルを行ったのが、この曲です。


6.『回帰』(デモ)
作詩作曲北山さん、編曲花本さんです。
Serenadeの代表曲の一つで、『殺意への船出PART1』『殺意への船出PART2』と共に大変人気の高い曲です。


作曲には2時間以上かけない事は、北山さんの信条です。
この『回帰』も例外ではなく、ものの5分で作られたオンサイトの曲です。北山さんが、いきなり作りながら歌い始め、そして一気に最後まで完成し、それに、花本さんが、テーマをつけたのも、一瞬でした。
メロトロンも、北山さんが弾いています。

Serenadeはたいへんに自由度の高いバンドで、この曲についても、ギターワークに一切注文はなく、高津さんは自由に演奏が出来たそうです。高津さんのギターを存分に味わうことが出来ます。


7.『終末』(デモ)
花本さんの曲です。
わずか2分足らずの演奏ですが、花本さんが演奏されるメロトロンの、芳醇な魅力をたっぷりと堪能出来る曲です。

花本さん:花本:メロトロンという楽器のすばらしさにつきる。20世紀最大の発明はエレキギターと、このメロトロンではなかろうか。


2006年12月26日のHAL&RINGコンサートで『ALTERED STATES 2』の演奏にゲストで参加された花本さんが、導入部で繰り返し繰り返しこの『終末』をソロ演奏された事を記憶している方も多いと思います。
花本さんのメロトロンの音色と、このオリジナルには無い、合間に入る悲鳴のような音、信号のような音と共に、会場は荘厳な雰囲気に包まれていました。

わたしは、信号や悲鳴のような音は松本さんが弾いているのとばかり思っていました。
ところが、後に小久保さんがこの時の演奏について

「花さんの演奏はいろんな音が聞こえてしかも、どんどん音が厚くなっていって、、、。
皆さん一人で弾いているとは思えなかったと思いますが、あれは巨匠花さまの完全ソロです。
S.O.S(サウンド・オン・サウンド)というエフェクトを使って花さんが一人多重録音をしていたものです。

あの演奏の一人リアルタイム多重録音の順番は
フルート (Flute)
チェロ (Cello)
ストリングス(3violins)
悲鳴のような音(Fluteのピッチを変化させていた)
信号のような音(Fluteをスタカートで弾いていた)

というような順番になっていたと思います。
凄いですね、さすがに巨匠は、、、。

匠の技を見せていただきました。」

と、解説していただきました。幸運にもこのコンサートに行かれた方たちだけが聴く事が出来たのですが、またいつか、この匠の技をファンの前に披露していただきたいものです。

8.『青い青空』
作詩北山さん作曲花本さんです。

ラグタイムピアノとシャンソンを合わせたような曲調で、間奏のメロトロンフルートの速いパッセージは北山さんが弾いています。

北山さん:北山:ラグタイム風の軽快なピアノが始まると、あーこれは小品だなと普通誰もが思うが、そうは問屋がおろさない。
リズム、テンポを変え、最後にはメロトロンまで入りやはり大作となってしまう。小松(Dr.)の小技が光る。

花本さん:いわゆる「できちゃった」曲。ちょっとスコットジョップリンを真似てみました。


9.『殺意への船出PART1』
作詩北山さん作曲花本さんです。

DISC2の新月版『殺意への船出PART1』と聴き比べると、まるで表情の異まりますね。

北山さん:最も古い北山/花本作品のひとつ。冒頭の歌詞に注目。いきなり「夜」、「海」、「星」という三大モチーフが登場する。これに「雪」が加わると新月。珍らしくシャウトしてます。最後の最後にピアノのバックに聞こえるのはジュディガーランドだったか?

花本さん:Serenade時代の北山は、ヴォーカル以外にも積極的に係っていた。この曲ではテープコラージュした音源を、ライブで出し入れしている。この辺りのセンスは彼の独壇場だ。


高津さん:パート2と同じく北山+花本作の緩急に富んだ曲を清生・小松の鉄壁のリズムセクションが支え、高津のギターが絡む、という典型的なカタチのセレナーデサウンドである(この曲に関して私は大して貢献していないのだが)。

このタイプの曲に特化したのが新月であり、セレナーデは母胎というよりは本隊、新月は別働隊と言えるのである。がははは(そ、そんなあなたランボーな!)。

それはともかく、花本君の斬新、かつリズムの起伏に富んだ曲とアレンジは言うに及ばずだが、北山の詞の外にある壮大な物語に想像をこらしてほしい。これは私の想像だが、北山にとっておそらくこの曲は、彼の頭の中にある大長編スペース・オペラの中の一挿入曲なのだと思う。それは当然パート2へと流れてゆき、さらに露にされるのだが、それはまだほんの序章にすぎないのかもしれない。

しかしこの曲に於いても花本の作曲が先のはずで、それに着想を得てストーリーを思いついたのか、物語が既に北山の中にあったのかは定かでない。どちらにしても花本・北山双方の才能が互いを刺激し、理想的に機能していたのは間違いない。それがセレナーデだったのだ。


10.『回帰〜鬼』(デモ)

花本さんが、一人で全ての楽器を演奏している多重録音試作品です。花本さんのギターも堪能する事ができます。


サイト版「新月全曲目解説」から、花本さんの解説を抜粋します
「この曲のメインモチーフ(間奏のフルートの部分)は、すでに「セレナーデ」時代に出来上がっていました。そのままになっていたこのモチーフを再び弾きはじめたのは大学4年の暮れでした。
当時の僕は大学で学ぶガチガチの音楽理論や譜面づらばかりを重視する現代音楽のあり方にうんざりしていました。

 たまたまこのモチーフを弾いた僕は、びっくりしました。音がひとつひとつ、生きて動いているように感じたのです。久しぶりに本当の音に出会った気がしました。その日から僕はこの日本的なモチーフをひとつの曲として仕上げることに集中しました。」

新月の『鬼』を知ってから、1984年に発表されたアルバム「セレナーデ+新月スペシャルコレクション」に収録された『回帰パート2』を聴いたファンは、ここに突然『鬼』の中間部のモチーフが聴こえて来て、息を呑むほど驚いたものです。

でも、まず『鬼』はこの部分から生まれたのです。

美しい多重録音の音色に浸りながら、改めてこれをふまえて聴くと、『鬼』が誕生する瞬間に、同時に立ち会えたような錯覚に陥りました。



・DISC 5 OTHER MATERIALS 1977-1999

・インカなど

1 マルデクの残滓 (ホームデモ1980) Remnants of Maldek (home demo)
2 竹光る(ホームデモ1980) Take Hikaru / Illuminating Bamboo (home demo)
3 浪漫風(ホームデモ1980) Roman fu (home demo)
4 ブルー(ホームデモ1980) Blue (home demo)
5 あかねさす(ホームデモ1980) Akane Sasu / Flickering Evening Daylight (home demo)
6 海からの手紙(ホームデモ1980) A Letter from the sea (home demo)
7 ファーム(ホームデモ1981) Farm (home demo)
8 最初で最後の戦い(ジェルバーナのテーマ)(ホームデモ1980) Theme for Gelverna (home demo)

「劇団インカ帝国」への提供曲です。
新月メンバーがインカ上演作品で生演奏を行った事もありました。反対に、新月のステージに劇団インカ帝国の役者さんたちが、出演したこともあったそうです。
2006年4月に行われた新月コンサートでも、『鬼』、『不意の旅立ち』に、劇団インカ帝国の時任顕示さん、よひら青子さんが出演されていましたね。

1.『マルデクの残滓』(ホームデモ1980) 
津田さん:マルデクとは、かつて太陽系にあり、破壊されて今の小惑星帯になったとされる第5惑星のこと。ある種の人類の故郷でもあると言われている。

花本:劇団インカ帝国の戯曲用に書き下ろされたもの。テリエ・リピダルもまっ青の有機的なギターが聞ける。彼は真っ当なギターフレーズには興味がないらしい。


2.『竹光る』(ホームデモ1980) 
当時流行のシークエンサーを使用しています。

花本さん:この曲も元々はインカ用の曲。いつか歌入りでちゃんと録音したいと未だに思っている。竹という植物も不思議な生命体だ。霊的なものを封じる力があるとも聞いた。

アルバム「セレナーデ+新月」には、ボーカル入りのバージョンが収録されています。このボーカルは津田さんか花本さんのどちらかが取っています。
また、北山さんの、やる気のない?バージョンも存在するそうです。

花本さんのお母さまの旧姓が「竹光」。
また1980年の幻の新月セカンドアルバムのタイトルは「竹光る」でした。
この事について

花本さん:(当時)竹取物語をテーマとする構想も僕の中にはありました。


この曲の歌詩カードは存在しないので、こちらに書いておきます。

「みまちがう ほどに ふとり ねむる
ぐんじょうの まちも やまも しんだ
このよのふちにたち ふりかえる 

あなたの なかから
あおい たけひかる

かざしもで みのる ゆめのなかで
まちわびた しろい はなが さいた
このよのくるしみは つゆになり 

あなたの なかから
あおい たけひかる」


3 『浪漫風』(ホームデモ)
作曲花本さんです。
一番最初に「セレナーデ+新月」で、この曲を聴いた時、陽光を浴びて煌くような竹林をイメージしていましたが、まさにそのとおりでした。曲の力を感じました。

1980年にラフォーレ原宿で上演された、同タイトルの劇団インカ帝国の作品のために書き下ろされました。

この劇は、インカ帝国初の試みである生演奏の音響で上演されました。又、劇団員によって、本物の竹が運び込まれ、実際に竹林に迷い込んだような雰囲気を醸し出していたそうです。

津田さん、花本さんはこの竹林の後ろの方で、黒いローブのような貫頭衣を着て演奏されていました。

花本さん:これまたインカ。マンドリンのような音は1/2のスピードにしたテープレコーダーに入れたギターの音を倍速で再生したもの。アナログやのう。


4 『ブルー』(ホームデモ1980)

花本さん:インカ。北山のソングセンスが光る。彼にしてはめずらしく、インストのくせに最後までまじめを通している。劇伴だからか。

5 『あかねさす』(ホームデモ1980)
詩:額田王 伊野万太さん、作曲北山さんです
劇団インカ帝国の上演作品「改訂版春の館」の挿入歌です。
百年の眠りから覚めた額田王が棺より出て、この曲を歌うという感動的なシーンで使われました。
アコースティックギターは北山さん、メロトロンは花本さんです。

北山さんのソロアルバム「光るさざなみ」では、北山さんとれいちさんのデュエットを聴く事ができます。


6 『海からの手紙』(ホームデモ1980)
作曲花本さんです。

個人的には、夜の海の上を静かに風が流れて、その波間に漂う夜光虫が、青く光っては消えていくような、そんなイメージを抱いた曲です。とても短い曲なのですが、いつまでも何度も聴いていたい曲です。

花本さん:これは単なるモチーフのメモなのだが、何回聞いても聞き飽きないので、ひょっとして名曲なのかなと。

7 『ファーム』(ホームデモ1981)
作曲花本さん
花本さん:「海からの手紙」といい、この曲といい、大地を両足でしっかりと踏みしめるような曲が書けないのはなぜだろう。地に足がついていない生活をしているからかもしれない。

8. 『最初で最後の戦い』(ジェルバーナのテーマ)(ホームデモ1980)
作詩作曲北山さん

北山さん:劇団インカ帝国の時任顕示の当たり役、ジェルバーナのテーマ曲として作ったものに、あとで歌詞をつけた。
ジェルバーナと歌詞の内容はまったく無関係。
まさかこの歌詞の内容をストレートにとる人はいないと思うが、念のために皮肉であることをお伝えしておこう。「週末の終末」と同じ手法(?)である。


・新月

9 新幹線(未発表新曲リハ1981) Shinkan-sen (rehearsal)
10 最後の朝ごはん(未発表新曲リハ1981) The Last Breakfast (rehearsal)
11 武道館(リハ1981) Budokan (rehearsal)
12 赤い砂漠(未発表新曲リハ1981) The Scarlet Dune (rehearsal)

鈴木清生さん、高橋直哉さん脱退後の、第三期新月の新曲です。
第三期新月は、ベースの栃沢さん、田中さん、石畠弘さん、ドラムの藤田響一さん、小澤亜子さんなどのメンバー交代を行いながら、上述のオリジナルメンバーによるアルバム構想「竹光る」ではなく、第三期新月としての、セカンドアルバム制作を計画、同時に、さまざまな音楽活動、表現活動を行いますが、1981年か82年に、新月は解散します。

この録音は新月オリジナルメンバー花本さん、津田さん、北山さんに、(おそらく)ベース石畠弘さん、ドラム藤田響一さんによるものです。それぞれ、鈴木さんと高橋さんが逆になったようなスタイルですね。

第二期新月オリジナル曲である『鬼』と『赤い目の鏡』だけは、このアルバムに収録されている新曲と共に、新メンバーでリハーサルが行われていました。


9 『新幹線』(未発表新曲リハ1981)

北山さん:新月晩年の名作。たったこの2分間のために、このCDを買っても損はないと真剣に思う。
曲は花本の作品中最もポップなものであろう。ボーカルも新月唱法ではじまり「缶ビール」の部分で地声に変化するあたりが聞き所と言わせていただく。
「とじこめて…」の一節は私の歌詞の中でも最も好きなフレーズのひとつ。予定としては武道館、新幹線とくればあとは「東京タワー」で、得意の三部作の完成となる。(新月的には二重橋か?)


10 『最後の朝ごはん』(未発表新曲リハ1981)
作詩北山さん、作曲花本さん

北山さん:新月名義でもっとも最後に録音したものと思われる、まさに白鳥の歌。コーダで津田が鎮魂歌を奏でる。歌詞はやはり終末もの。「ちぎれた鎖」から10数年、人間はそう変わるものではない。

11 『武道館』(リハ1981)
作詩作曲北山さん

花本:北山の三大名曲のうちの一曲。すでに彼のソロアルバムをお持ちの方はソロアレンジと新月アレンジの違いをお楽しみいただけると思う。それにしても北山は自作の歌は本当にうまい。


12 『赤い砂漠』(未発表新曲リハ1981)
作詩北山さん、作曲津田さん
北山さん:いまだに津田が作ったことが信じられないストレートな曲。私の歌詞もめずらしくラブソングっぽいものとなっている。タイトルはミケランジェロ・アントニオーニの映画。タイトルをパクッたのもこの一曲だけだろう。




・その他のセッション

13 AMEBA(デモ1983) ベース/鈴木清生 曲/小久保隆
演奏/TAPESTRY (Tapestrys band demo)
14 海にとけこんで(ベーシック1980) 詩・歌/北山真 演奏/ 高津バンド Slip into the Sea (Played by Takatsus band)
15 ヒロトウビ(1999) 曲/花本彰 歌/上野洋子 Hirotobi/The Song of Hiroshima Prefecture Eastern Beauty Special School

鈴木さんと小久保さん松本かよさんのユニットタペストリー、伊藤政則さんの企画作品、広島県東部美容専門学校の校歌など、新月メンバーが参加した作品です。

13 AMEBA(デモ1983) 
作曲小久保さん
小久保:鈴木くんと高橋くんは新月を脱退後、しばらくの間、僕のいくつかのユニットでプレイしてくれています。この曲もその中の一曲で鈴木くんがベースで参加。この時期(1983年から85年)僕はフェアライトCMIにはまっていて、タイコは全部CMI。だから残念ながら高橋くんは参加してません。CMIの無機的で攻撃的なベースと自由奔放な鈴木ベースの絡みが聴き所。


14 『海にとけこんで』(ベーシック) 
歌詩は北山さん、作曲は高津さんです。
高津さんが破天荒の阿久津徹さんを通じて、音楽評論家の伊藤政則さんから依頼され書き下ろされた曲です。

阿久津徹さんがベース、小松さんがドラムス、花本さんがピアノ、北山さんがボーカルで参加している「高津バンド」の曲です。

1979年の夏、新月デビュー直後の録音で、ここに阿久津さんが参加されていたため、新月に阿久津さんが加入と、事実と異なった報道がされた事もありました。

この時もう一つの作品である『吸血鬼伝説』のリハーサルも行われています。
サイトの「写真で綴る新月史」〜高津バンド〜には、この時のリハーサルで、ギターを弾く高津さんと一緒に、なんとギターを弾いている花本さん、そして、床に座ってモニターを聴いている阿久津さんの、貴重な写真を掲載しています。興味のある方は見てくださいね。

北山さん:なんとあの音楽評論家の伊藤政則氏のために書き下ろしたもの。新月唱法の極地で歌っている。ちなみに溶ける、滑る、眠るは動詞の三大モチーフ。


15 ヒロトウビ(1999) 
作曲花本さん
広島県東部美容専門学校の校歌です。

花本さん:美容師である母の関係でこの曲の依頼のあり、生徒が毎朝歌うことを想定して作った校歌。
実はこれは二作目である。上野さんのクリスタルヴォイスが早朝の清らかな風を運んでくれる。



・DISC 6 (DVD) PICTURES/Shingetsu  NTSC/ALL REGION/リニアPCM/STEREO

1 鬼 Oni (1979)
2 せめて今宵は Return of the Night (1979)
3 2005年リハーサル風景 Band Rehearsal (2005)

1979年当時のプロモーションビデオを、新たに「作品」として編集した映像と、2005年の「「遠き星より」録音のリハーサル風景の映像、そして、ディスクの冒頭と末尾に、全く異なる短い映像が、収録されているDVDです。

単純に、当時のプロモーションビデオの再現や、リハーサル風景のスケッチと思って観てしまうと、不思議な感覚に囚われるかもしれません。
当時のプロモーションビデオを、ご覧になった方は、記憶されていると思いますが、当時のビデオはカラー映像でした。

しかし、今回このDVDでは、冒頭と末尾の、中近東の街の弾痕が残る壁と、こどもたちのそれぞれ短いショットと『せめて今宵は』に挿入されている、レバノンの街の灯だけがカラーで、当時のプロモーションビデオから『鬼』、『せめて今宵は』そして、リハーサルでは、『殺意への船出PART2』、『島へ帰ろう』の新録音風景の映像のスケッチが収録されていますが、この新月メンバーが映っている映像は全てモノクロです。

2005年版新録音DISC2「遠き星より」には、中近東色が濃く表れていますが、当時の映像・現在の映像を収録したこのディスクは、その対の位置づけで、冒頭の映像、『鬼』、『せめて今宵は』、リハーサル風景、そして、末尾の映像と、5つの映像が収録されたこのディスク1枚で、あくまで個人的にですが、メッセージが籠められた、一つの「映像作品」ではないかと思っています。

花本さん:
ビクターにお願いしてビデオのマスターテープを捜していただいたのだが、30年近く前の、しかもただの販促テープなのでさすがに無理だった。
しかしひょんなことから店頭用のVHSテープが見つかり、ここに日の目をみることとなった。
元の作品を素材にしつつ、ひとつの作品としての鑑賞にも耐えうるように再編集をさせていただいた。
ちなみに「せめて今宵は」で見られる家々の灯りはレバノンのベイルートのそれである。
現在の僕たちの老いさらばえた姿もしっかりと入れた。これからの表現活動の予告編と思っていただきたい。
 
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「新●月●全●史」は千セットの限定発売でした。このボックスを購入し音源を聴き映像を観た千人の人たちそれぞれの受け止め方、解釈、感想が存在するかと思います。

それをふまえた上で、これ以降書かせていただく事も、もしも読んでいただけるのでしたらすべてファンサイト管理人のあくまでも個人的な感想ですのでご容赦ください。


不思議なDVDです。収録作品は『鬼』『せめて今宵は』『2005年リハーサル風景』とクレジットされています。「全てを見る」を選択し、『鬼』のプロモーション映像が始まるのを待ちます。

しかし、まず聴こえてくるはずの、花本さんの、新月唯一のシンセサイザーローランドのSH1000のキーンコーンキーンコーンという音と津田さんのギターは始まらず、まずは音もなく映像が現れ、カメラが舐めるように下から上へとに映し出すものは、あちこちに何かで穿たれたような痕が残る白い壁のようなもので、しかし、ある位置に来るとカメラはそこにぴたりと停まり、しばし留まったかと思うと今度は左へとターンします。

そこには壁に突き刺さったまま残された砲弾が映し出され、この白いものは激しい銃の乱射を受けた後の壁である事が分かります。しかしそのまま留まることをせずカメラはそのままさらに左へとスルーし、そこに鬼装束の北山さんのモノクロ写真が映し出され、当時のプロモーションビデオ『鬼』の演奏が始まります。

1979年当時のプロモーション映像は、カラー作品でしたが、『鬼』、『せめて今宵は』共に、このDVDではモノクロ映像作品となっています。同様に最新の映像である筈の『2005年新●月リハ-
サル風景』もモノクロです。
このDVDでカラー部分は、冒頭の砲撃を受けた白い壁、『せめて今宵は』の中間部に映し出されている、うるんだようなオレンジ色のレバノンのベイルートの街の灯火、そして、リハーサル風景の映像が終わったあと、中近東のこどもたちが、床に広げた書物を声をあげて読み上げている映像で、このDVDは終わります。

このカラー部分が撮影されたのは2004年3月末から4月始めです。
当時、花本さんはレバノンへ難民キャンプのこどもたちへ文房具を配る日本人ボランティアに同行して、パレスチナ難民キャンプの取材に行かれていました。日本人ボランティアの方たちは「食料」「教育」の供給に力をいれ、ボランティアの方たちの活動にスポットを当てるのが目的だったそうですが、実際はやはり難民キャンプへの取材に比重がかかってしまったそうです。

この時期の中東情勢を記憶されている方もいるかと思いますが、丁度花本さんが取材に行かれる直前に、中東でハマスの精神的指導者ヤシン師がイスラエルにより殺害され、当初、パレスチナの過激派はアメリカとその同盟国に報復を表明したと伝えられました。後にこの表明は修正されましたが、レバノンではイスラエルの空爆によりパレスチナ人が死亡、イスラエルガザ地区の難民キャンプの一部が破壊されました。
日本の自衛隊は人道支援の目的で派遣されましたが、現地では人道支援とは思われず、イスラエルに加担したアメリカと共に日本は軍隊を送り込んできたと受け止められていました。

そんな情勢の中での取材でしたが、花本さんが行かれた地域は比較的のんびりとしていて、戦車の砲身も「やすめ」の姿勢をとって止まっていました。でもそれにカメラを向けるとたちまちやめろと怒られたそうです。
気候が軽井沢に近く緑も多く中東の中のオアシス的な場所でレバノン料理も美味しかったそうですが、そんな「日常生活のなか、突然ミサイルが飛んでくる。それが危険というもの」。

イスラームの人は皆さんは本当に優しくて「マルハバ」(レバノンのこんにちは)と挨拶して近づいていけば、もうそれで仲間、家族で、花本さんが道でも聞こうものなら詳しく教えてくれて「もう道はわかったからいいです」と言っても、もう心配で心配でどこまでもどこまでも付いてきてくれて、挨拶して近づいて行けば誰でも受け入れてくれるおおらかな人たちだそうです。

だから、にこにこと挨拶をして礼を尽くしていけば、すぐに仲間にしてくれて、みんな家族だと思ってくれるあたたかい人たちだからこそ、挨拶もなしにいきなり攻めてる、襲ってくる、侵略してくる、そんなだいじな「家族」をおびやかす外敵に対しての怒りのエネルギーはとても強いそうです。

花本さんが出会ったレバノンの人たちは、皆さん口をそろえて日本人大好き、でも日本人は家族と思っていたのに、なぜアメリカと一緒にアーミーを送り込んできたのかと言い、空爆で命を落とした息子さんのお墓へ毎日来ているおじさんには「日本人大好き、なのにどうして?日本人は人を殺さないで」と言われたそうです。こんな情勢の中、花本さんの手で撮影されたのが、このカラー部分です。

当時、日本がそのように認識されて誤解されていたことが、大変悲しかったですが、同じ地球上に住みながら、平和に暮らしている自分たちは、日々日常生活の中武器や銃器で命の危険に直面しさらされている一般の人々の悲しみ辛さを所詮対岸の火事と思って全く身近に捉えていなかったのだ、という事を、花本さんがファンサイトへ寄せてくださった肉声で、ここで初めて認識しました。

そしてこの時思った事は、生きているだけで未来は無限にあり、あらゆる可能性がそこにあり、わたしたち日本人は平和に生きているからこそ、苦も楽もある中でこうして新月を聴く事ができるのだという事です。
一日も早く平和になり、同じ地球上のみな誰もが同じように音楽を聴いて、笑える日が来てほしい、戦争により殺害された人たちは、数の論理ではなく、その一人一人の語りつくせないその人の歴史があり、未来をそこで寸断する権利は誰にもないと思いました。

そして、新月メンバーのバックボーン、それは音楽活動のみならず、生活、仕事であり、またささいな体験、感動、気の遠くなるような蓄積によるものであり、また聴き手である今これを書いているわたしも、これを読んで下さっている人も、それぞれ蓄積されたバックボーンがあります。

新月の歌詩はダブル、トリプル、あるいはもっとたくさんの意味が含まれていると思います。それは地球意識だけではなく、宇宙を越えた更に高みの意識かもしれず、また、反対にさらに深く意識の底のさらに裏側までの意識かもしれません。

この瞬間からもう未来は始まっていて、命ある限り新月メンバーも、ファンであるわたしたちのバックボーンは常に進化しつづけていて、そこで何かが新●月と手をつないだ時、その瞬間から同じ未来のけしきが見えるのかもしれません。わたしにとっての新●月は、自分への足し算の音楽です。

そして、いつか花本さんが出会った人々、たとえばレバノンのタクシーの運転手さんが、お客さんを乗せた時、そうそう前にタクシーに乗せた日本人が作った音楽なんだけど「新月」っていいよ、聴いてみてよ、と国境を越えた人たちに笑って話す平和な日が必ず来る事を夢見ている。当時、そんな事を思いました。
ここからもういくつかの年月が流れました。

新月ファーストアルバム「新月/新●月」が発表された1979年3月には、スリーマイル島原発事故が起こっていますが、新月がセカンドアルバム制作に着手し始めた2011年3月11日、日本にも大地震と共に原発事故が起こるという未曾有の大震災が起こりました。

原発事故は今もまだ予断を許さない状況であり、今も被災地の皆さんは大変に不自由な生活をされています。亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、少しでも早く被災された方々が安心した生活へ戻れる事、原発事故の収束を祈って止みません。これは、国内の隣人に起こったことではありません。自分自身に起こった事と同じです。

ここで、ひとつ印象的な言葉がありました。まさか日本が、の大惨事に海外から寄せられた義援金と共に贈られたのは、いつも日本は真っ先に援助してくれる国だから、という言葉でした。日本もまた、手を差し伸べられる立場の国なのだと、この時実感しました。また、当時誤解された自衛隊の方たちの大変な活動がニュース映像となり世界に知ってもらえたとも思いました。
ここでわたしの脳裏に思い浮かんだのは、『せめて今宵は』の中に映る街の灯りでした。
この灯りが写された2004年から、世界の情勢はさらに変化はしています。

そして新月自身も変化し続けています。この2005年「新●月●全●史」発表の翌年、2006年に新月はオリジナルメンバーによる復活コンサートを行いますが、2007年にボーカルの北山さんが離脱します。

「新月/新●月」と同時に79年に構想が練られていた幻のセカンドアルバム「竹光る」。
北山さん離脱に伴いオリジナルメンバーによるセカンドアルバムは、真に幻となりました。このボックスに収録されたオリジナルメンバーによる新録音「遠き星より」をセカンドアルバムと呼ぶのかどうかは、わたしにはわかりません。

この「新●月●全●史」に収録された前身バンド、未発表曲、個々の活動、第三期新月の音源、そしてオリジナルメンバーによる新録音は、文字通り新月の集大成の歴史であり、サイト掲載の文章による「新月史」はレコーディングまでで中断していますが、音楽活動そのものと並行して、すでにDISC6は未来をも描いた新月史そのものだと、個人的に思います。
『せめて今宵は』に挿入されているあたたかいうるんだ街の灯りに感じたものが、それです。

新月が東へ向かう意図は何なのか。
世界の情勢は少し変りました。でも、わたし個人があの時思った事は実現していません。でもいつか必ずこどもたちが何におびやかされることなく、このうるんだ街の灯火が普通に当たり前になんの不安もなく世界中であたたかく人の手でともされる事が必ず未来に起こると信じています。



サイト内に、新月メンバーによる
ファンサイト版書下ろし「新月全曲目解説」が掲載してあります。
「新月/新●月」収録曲と未発表曲何曲かが解説されていますので、さらに深く新月の曲を知りたい方は、読んでくださいね。







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