日本のプログレッシブロック 新●月

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2016/03/22 14:51:26|セレナーデ
セレナーデ

写真は「新●月●全●史」に収められているHALとSerenadeのカップリングアルバム「HAL&Serenade」のものです。
右から北山真さん(Vo)、小松博吉さん(Drs)、花本彰さん(Key)、高津昌之さん(G)、スタジオ兼練習場の福生の旧米軍ハウス(サンハイツH-11)の窓から見えるのが鈴木清生さん(Bs)です。
新●月の前身バンドはSerenadeとHALの二つのバンドですが、当然、セレナーデもHALも、新月になろう、としてそれぞれのバンドのメンバーが当時活動していたわけではなく、この前身バンド、という表現はあくまで現在から過去を辿った場合、便宜上使わざるをえない言葉です。
同様に、新●月にしても、第一期、第二期、第三期、という、時系列での各活動ごとの呼び名も、現時点から過去へを辿る際での、「便宜上」の表記にすぎません。
これらをふまえた上で、新月前身バンドはセレナーデとHALの二つのバンドです。

 

新月は、結果的に、セレナーデとHALという二つのバンドのメンバーが一緒になって生まれたわけですが、1976年に、まず、新月の母体は、セレナーデの花本彰さん(Key)、HALの津田治彦さん(G)、HALの高橋直哉さん(Drs)の3人からのスタートでした。
その後何人かのメンバー候補を試み、紆余曲折の結果、セレナーデの鈴木清生さん(Bas)、セレナーデの北山真さん(Vo)が加入し、セレナーデメンバーとHALメンバーの5人で結成されたメンバーで「新月/新●月」を発表、メジャー・デビューしました。

 

【out of control】
セレナーデの前身バンドは、1973年に花本さんが同じ大学の和田さんと結成した「Out of Control」です。
バンド名は、ヴァンダーグラフの名アルバム「ポーン・ハーツ」の歌詞からいただいたそうです。
メンバーは花本さん(Key)、和田さん(G)、津久井裕行さん(Bas)、岡部正彦さん(Drs)で、和田さんの自宅が練習場だったそうです。ここで、和田さんの幼なじみ津田さん(当時高橋さんの「ベラドンナ」に加入)と花本さんが初めて出会います。

花本さんは、すでにここでオリジナル曲を作曲しています。
そして、花本さん(Key)、和田さん(G)、津久井裕行さん(Bas)、本坊哲司さん(Drs)のインストバンドで、早稲田の歌声喫茶「十二ヶ月」、でデビュー、その後早稲田大学の学祭でライブを行います。 一時期花本さんはギターも担当していました。

花本さんは池袋のYAMAHAにボーカリスト募集のはりがみをします。
「イエス、クリムゾン、PFMなどのプログレバンドをやりたし。叙情的なボーカリストを求む」
「これはオレだろう。」
と北山さんが応募し「Out of Control」に加入します。
花本さん、北山さんの初の共作『殺意への船出PART1』が生まれます。

 

「Out of Control」の活動とは別に、花本さん(Key)、北山さん(Vo)、和田さん(G)、津久井さん(Bas)、桜井(しんちゃん)さん(Drs)の5人で、一時的に、アルバイトバンドを結成します。
新橋のビアガーデンバンドで演奏を行いますが、ユーライヤ・ヒープ命の和田さんが、ビアガーデンの意向を無視して、ユーライヤ・ヒープだけを演奏する事を強行し、一日でクビになります。 このライブ後和田さんは脱退します。

「Out of Control」は花本さん(Key)、北山さん(Vo)、板山さん(G)、津久井さん(Bas)本坊哲司さん(Drs)で、アルバイト先である池袋三越のビアガーデンで演奏をします。
クィーンやクリムゾンを演奏してしまい、お客さんたちは、会社帰りにビールを飲んでくつろぎに来ているのに、『21世紀』を聴かされてしまいます。

 

それから、花本さん、北山さん、津久井さん、桜井(しんちゃん)さんで、日大芸術学部の学祭に、フラワートラベリンバンドの前座で出演します。、花本さんが母校に敬意を表し、ギターを演奏しました。

 

続いて、浦和のホールでライブを行います。ここでは、「猫」との対バンで、北山さんは慣れないリードギターを弾かなければならず、間違う確率7割だったため、怪我もしていないのに右手の指に包帯を巻くという苦肉の策をとります。
これが伝説の「なぞの包帯事件」の真相です。

このどちらかのライブで『殺意への船出PART1』が演奏された可能性があるそうです。その後、メンバーの変遷があり、「Out of Control」は解散します。

花本さん、北山さんの二人のメンバーにギターの桐谷仁さんが加入します。
そして、池袋のYAMAHAに、ベース・ドラムス募集のはりがみをして、鈴木清生さんと小松博吉さんが加入します。
お二人は、「ぬり壁」(のちに目黒区民会館ホールのライブでジョイントします)のオーディションにも合格するのですが、この花本さん、北山さん、桐谷さんのバンド(バンド名はきまっていない)に加入することを選択します。
 
桐谷さんは、ギターで象の雄たけびを表現する『手負いのゾウ』という曲を完成させようとしていましたが、1974年脱退します。
再び池袋のYAMAHAにギター募集のはりがみをします。 「R・フリップ、S・ハウのようなギタリスト募集」。
それを見て応募してきたのが高津昌之さんです。

 

 【セレナーデ&HAL】
1975年4月。花本さん(Key)、北山さん(Vo)、高津さん(G)、鈴木さん(Bs)、小松さん(Drs)の5人で新しいバンドが誕生します。

同じく5月には、鎌田洋一さん(Key)、津田治彦さん(G)、高橋直哉さん(Drs)、桜井良行さん(Bs)で、HALが結成され、東大5月祭でデビューします。

花本さん(Key)、北山さん(Vo)、高津さん(G)、鈴木さん(Bs)、小松さん(Drs)の5人でのバンド名は「barbecue」。
なぜバーベキューかというと、当時、CCRの『スージーQ』の替え歌をレパートリーにしていたからです。
「オー、BBQ!」

 

このメンバーでのアルバイト先は大塚のビアガーデンでした。
ここでは、ドアーズ、ザ・バンド、CCR、プロコルハルムに、オリジナル曲を演奏してしまいます。弦が切れたら『青い影』、曲が止まったら『ザ・ウェイト』、いざとなったら『スージーQ』!

ビアガーデンでのアルバイトは、アルバイト代のほかに、結構ボリュームのある美味しい食事がつくのですが、この大塚のビアガーデンで出されたのは、冷や奴に冷やごはんだけの「冷や奴ライス」。

「食べ盛り?の若者にはとても辛かった(高津さん談)」。
 ビアガーデン側からの、選曲に対する無言の抗議だったわけですが、当時メンバーは、誰もその事に気付かなかったそうです。

この、ビアガーデンアルバイトバンドは別として、1975年に結成されたバーベキュー、のちバンド名セレナーデ(以降セレナーデと表記します)は、その2年の活動期間中のライブ演奏はたったの3回でした。

そして、HALは9月か10月頃、東大5月祭に続き、歌舞伎町コマ劇場上の大型ディスコ「ビックトゥゲザー」でライブを行います。HAL結成前に高橋直哉さんと津田治彦さんが結成していた「ベラドンナ」、そしてHALの両方のバンドで出演します。

余談ですが、「セレナーデ」「HAL」の二バンドに加え、「ベラドンナ」が新月前身バンドという、やや事実と異なる記事を散見しますが、おそらくこのライブにHALメンバーが参加していた両方のバンドが出演したためと思われます。
HALは続いて、11月3日にHALメンバー4人のうち3人が在籍中の青山学院大学の学祭に出演します。

セレナーデの第1回目のライブは、高津さんの前任ギタリスト桐谷仁さんプロデュースで、1975年11月8日銀座十字屋2階「3Point-D.Q」で行われたライブです。
ちなみに桐谷さんはzephyというバンドで出演しています。

セレナーデは当時のオリジナル曲全てを演奏したそうですが、『回帰』、『絶望へ架ける橋』(現タイトル『ちぎれた鎖』)、が演奏されたのは確実なのですが、『殺意への船出PART2』『青い青空』については、はっきりしていません。

 

バンドの活動とは別に、北山さんが下北沢キドアイラックホールでのイベント「金の鎧」にボーカリストとして出演しています。女性ボーカルとの共演もありました。
このイベントで、北山さんは、オリジナルソロ演奏曲をカセットテープで流し、それをバックで歌うという、今のカラオケの走りのライブを行いました。
新月メンバーは常に時代より新しいことを行うのです。

 

HALは、11月第3日曜日に毎年行われる電気通信大学の学祭に、「コスモスファクトリー」の前座で出演し、このライブ直後に、桜井良行さん、鎌田洋一さんが同時にHALを脱退します。
HALオリジナルメンバーでの演奏は、この電気通信大学の学祭がラストライブとなりました。

 

セレナーデ2回目のライブは、1975年12月、アルバイト先でのクリスマスパーティ用バンドで先の大塚のビアガーデンバンドで演奏した『青い影』、『ザ・ウェイト』、『ウィズアウト・ユー』、『ライト・マイ・ファイア』などの曲+クリスマスソングを何曲か演奏したそうです。
クリスマスパーティ用だけのためのバンドで、オリジナル曲は演奏されず、したがってセレナーデのライブ、とは正確にはカウントできないかもしれません。

この後、鈴木さんが脱退します。したがって、鈴木さん在籍時は、セレナーデというバンド名ではありませんでした。
そしてその後、バンド名候補は花本さん提案の「チューナー」、北山さん提案の「セレナーデ」があり、セレナーデに決まりました。

ライブの3回目が、セレナーデのラストコンサートになる、1976年8月13日(金)目黒区民会館での、HAL、ぬり壁、そのバンドAとのジョイントコンサートです。このイベントの企画も桐谷仁さんで、そのバンドAで参加しています。

セレナーデのベースに、前年11月にHALを脱退した桜井さんが参加、キーボードサポートメンバーに長友冬樹さんが参加しています。

セレナーデの演奏曲は、『回帰』、『組曲「夜話」〜強い光〜悪夢(通称:ドッテテ)〜川に沿って歩いて』、アンコール「プログレメドレー〜『プログレの逆襲』が確実に演奏されたそうですが、他の演奏曲は不明です。

ここか銀座3pointで『殺意への船出PART2』が演奏された可能性がありますが、参加メンバー総意の元で、このライブ音源は破棄されたため、演奏曲を確証する手段はなく、現時点では不明です。

この組曲『夜話』は、高津昌之さんのソロアルバム「信号」で聴く事が出来ますが、ライブの時は、馬のいななきや逆さにすると鳴き声が出る動物のおもちゃ等鳴り物の効果音が使われ、さらに長い曲だったそうです。

又、高津さんは、このライブの演奏で弦を切ってしまい、急遽,HALの津田さんのストラトを借りて演奏しますが、ボリュームつまみの位置が右手に触れてしまい、演奏中にボリュームが下がってしまい、苦労されたそうです。

セレナーデとHALは、すでに花本さん津田さんの共通の友人である和田さんを通じてお互いの演奏のテープを聴いていましたが、このライブで初めてお互いの演奏を目の当たりにします。
HALの出演が、セレナーデより先でした。

 

HALは、オリジナルメンバーの津田さん(G)、高橋さん(Drs)に、津田さんの妹さん裕子さん(key)、米沢さん(Bs)のメンバーで出演します。
演奏曲は、一連のオリジナル曲に加えて、津田さん作曲の未発表曲『巡礼』が演奏されたそうです。

ちなみに、「新●月●全●史」のHAL&Serenadeのジャケット写真がこのメンバーですが、このアルバムに収録されている曲はすべて鎌田さん、津田さん、高橋さん、桜井さんのHALオリジナルメンバーでの演奏です。

この目黒のコンサート後、花本さんはセレナーデを脱退します。そして同年、花本彰さん(Key)、津田治彦さん(G)、高橋直哉さん(Drs)の3人で新月の母体が結成されます。

 

【セレナーデについて】
セレナーデの練習場所兼スタジオは、花本さんと小松さんの自宅を兼ねた福生の旧米軍ハウス(サンハイツH-11)でした。防音のために練習室の窓すべてを毛布で覆っており、夏の暑さは大変なものだったそうです。

そんな環境の中、セレナーデはひたすら曲作りと練習に明け暮れていました。
花本さんが表現されている「バンド内セラピー状態」です。
上記のように、活動期間の2年間の間、ライブはクリスマスコンサートを除いてはたったの2回で、録音やライブの予定があるわけでもないのに、同じ曲を何度も何度も繰り返し、膨大な練習を重ねていたそうです。

ここで、『殺意への船出PART2』、『回帰』、『絶望への架け橋』(『明日に架ける橋』のパロディ。のちに『ちぎれた鎖』と改題)『終末』、『青い青空』、また、未発表曲『夜話』、『オリュンポスの落日』などが生まれます。

セレナーデの代表曲『回帰』は、北山さんの作詩・作曲です。
北山さんが、いきなり作りながら歌い始め、完成は時間にしてわずか5分程度で一気に最後まで完成した曲です。そしてそれに花本さんがテーマを一瞬にしてつけたそうです。

また、北山さんがメロトロンを弾いたりと、セレナーデは、そのくらいたいへん自由度が高く、各メンバーが、楽譜を渡される時も、こんな風に弾いてください、ということは一度もなく、自由に弾いてください、だったそうです。
ただ、唯一、『殺意への船出PART2』はあまり楽曲に自由度がない曲で、この名曲は、セレナーデから新月の代表曲のひとつへ、とつながっていきます。

そして、インスト曲『回帰PART2』は、花本さんが全ての楽器を一人で演奏していますが、この曲の中間部に、突然メロトロンフルートの、とあるモチーフが現れます。

 

そのモチーフは、やがて、間奏部分として重要な役割りを果たし、新月の代表曲として完成することとなります。