幻塾庵 てんでんこ

大磯の山陰にひっそり佇むてんでんこじむしょ。 てんでんこじむしょのささやかな文学活動を、幻塾庵てんでんこが担っています。
 
2023/03/19 6:42:19|雑記
アリギリスの歌――今生の編集後記
2023.3.15 06:05



小さな文芸誌「てんでんこ」の創刊第1号から終刊第12号まで、てんでんこらむ〈アリギリスの歌〉を最終頁に置いたのは、隅っこでひっそり、というくらいの意図ではじめたことでしたが、置かれてみると、どこか編集後記のようにも思われてきました。
興に乗ると次号用を書きすすめたりもしていて、第12号を最終号にしようと決めた2019年6月の時点で、そうしたストックが6本作られていました。

そもそも2016年の第8号で終えるはずのところを、思わぬなりゆきで再開が決まり、2018年に第9号を出してからも、毎号これで終わりにしようと言い続けていたのに、一方では第17号(2022年)まで続ければ「エセ物語」36までを載せきることができるとも考えた形跡があり、続行気分が盛り上がったときに〈アリギリスの歌〉を第17号用まで書いたのでしょう。さらには、最終号用? とメモされた1本までもが残っていました。

これら未収録の〈アリギリスの歌〉を入力しておこうか、などと眺めていて、『わらしべ集』(2016年)に第8号までの〈アリギリスの歌〉を入れていたことを思い出しました。
『わらしべ集』を開いてみると、乾坤2巻のうち、坤の巻の最後にアリギリスの歌はありましたが、収録されていたのは8本ではなく、予想外の12本なのでした。
最終号となるはずだった第8号に〈アリギリスの歌〉が見開きで2本あったのは頁調整のためだったかもしれず、あとの3本はストックとして持っていたのか、『わらしべ集』用にまとまりをつけるために書き加えたのだったか、今となっては確認のしようもなく、「てんでんこ」未収録の3本を加えた12本が、『わらしべ集』の最後に置かれているという事実があるばかりです。

第9号から〈アリギリスの歌〉も再開され、第12号までの4本、そして残された6本で、〈アリギリスの歌〉として22本が書かれたことになります。

「てんでんこ」の編集後記のようにもなった〈アリギリスの歌〉9本は、『わらしべ集』の編集後記にも見える12本となり、最終的に22本の〈アリギリスの歌〉が今生の編集後記として残された気もします。

未発表の6本をぽつぽつ入力する、つもりでいます。



 







2023/01/16 6:12:09|雑記
祝! 対抗言論 3号



号を追うごとに充実の一途をたどる「対抗言論」
ずっしり重く深いのだが、さわやかな愉しさがみなぎっている。


川口好美さんの解説に続く頁は、思いがけない『エセ物語』刊行の告知と、川根本町「てんでんこ」の紹介。

〈日本列島語と世界文学を架け橋する、呆れ返った革命的試みの記録〉
〈ジョイス×柳田民俗学=『エセ物語』?〉
〈すべての言霊たちの出会いと別れ ちっぽけなエラーから驚異の超差別=協働へ!〉
〈遺された未完の大作、奇跡の出版?〉

とあっては、当人も呆れ返り、呵呵大笑したに違いない。


パラパラと頁を繰って印象に残る一節に目がとまった。

〈あるとき山城さんが講義でパウル・ツェランの話をしていました。細かい経緯は忘れましたが、投壜通信ですね、川辺に詩人がうずくまっている。壜を川に投げ入れる。その壜には暗号のような文字が刻まれた紙片が詰め込まれています。黒板にそんな絵を描いて、この詩人は室井さんを想像すればいいよと学生に言ったんです。室井さんはほんものの詩人だから、としみじみ言ったんですよね〉
(〖勉強会〗山城むつみを読む より)







2023/01/04 5:38:25|雑記
対抗言論 3号
                                                                                                                   2023.1.2 6:56



室井光広さん『エセ物語』の未発表遺稿に解説を書かせてもらい、自分の論考も書かせてもらいました。
雑誌を通じて関わった皆さんに温かく支えていただき、見守って頂いたおかげで、自分なりの全力を尽くすことが出来ました……

発売は1月20日頃です。
イベントやフェアなどもやる予定ですので、ご注目ください‼ 
出来るだけ多くの方に心を込めて届けることができれば、と思います。

 
(川口好美さんのツイッターより)
 


私たちは今、ヘイトの時代を生きている。

現在の日本社会では、それぞれに異なる歴史や文脈をもつレイシズム(民族差別、在日コリアン差別、移民差別)、性差別(女性差別、ミソジニー、LGBT差別)、障害者差別(優生思想)などが次第に合流し、結びつき、化学変化を起こすようにその攻撃性を日増しに強めている。

さらにデマや陰謀論が飛び交うインターネットの殺伐とした空気、人権と民主主義を軽くみる政治風潮などが相まって、それらの差別や憎悪がすべてを同じ色に塗りつぶしていくかのようである。

こうしたヘイトの時代はきっと長く続くだろう。

SNSや街頭でヘイトスピーチ(差別煽動)を叫ぶ特定の者たち以外に、ヘイト感情や排外主義的な傾向をもった人々がこの国にはすでに広く存在する。私たちはその事実をもはや認めざるをえない。

在外外国人や移民を嫌悪し、社会的弱者を踏みつけにしているのは、日々の暮らしのすぐ隣にいるマジョリティのうちの誰かなのだ。いや、私たちの中で差別加害を行っていないと断言できる者などどこにいるだろう。

本誌『対抗言論』は、ヘイトに対抗するための雑誌である。

 
(「対抗言論」1号 巻頭言より)


「対抗言論」なんて、ストレートすぎて、ずいぶん大風呂敷な名前かもしれません。でも、許容できないものには反対の意思を示さないと、世の中はあきらめと冷笑で覆い尽くされてしまいます。「敵」をつくり、憎しみを煽り、空虚な優越感でおのれを慰めることで、隣人たちのありのままの姿を見ないで済ませようとする、私たち自身の習慣に「対抗」したいと思いました。

その道の専門家でもない私たちが、「身の丈」をこえて、政治や社会や歴史の問題に何か言うべきなのは、どこにでもいる小さくて不完全な誰それこそが、この国の主権者だからです。同じ星に生まれた隣人たちも、知性と尊厳をそなえた平等な人間なのです。

 
(「対抗言論」1号 編集後記より)

(「対抗言論」1号 2019年12月25日 法政大学出版局刊)

 







2022/12/24 6:18:33|雑記
パウル・ツェランと中国の天使



2020年の2月ころから夏まで集中的に執筆された本小説には、随所にパンデミックの雰囲気が漂っている。

「コロナ」という言葉は本文にはたった一度登場するだけであるが、コロナウイルスの形状を彷彿とさせる「糸の太陽たち」や糸かけ曼荼羅も含めて、遠い将来、この小説がコロナ禍の中で生まれた先駆的な地位を占める日がやって来るかも知れない。

さほど長くない作品であるが、翻訳は思いのほか難航した。訳者の非力によるところが多いが、ツェランの詩を縦横無尽に織り込んだ文章は難解であった。幸い齋藤由美子さん(帝京大学専任講師)が大きな力になってくれた。齋藤さんは多和田さんも博士号を取得したジークリット・ヴァイゲルの下で「多和田葉子と翻訳」というテーマで博士号を取得し、滞独経験も長い。彼女が訳文を原文と突き合わせて確認するというやっかいな作業を引き受けてくれた。

本書が刊行できるきっかけを作ってくださった、ツェランの愛読者でもある心優しい文藝春秋の大川繁樹さん、担当編集者としてあらゆる面で相談に乗り、献身的な援助と細部に至るまで念入りのチェックをして頂いた田中光子さんにも心から御礼申し上げる。とりわけオペラに精通した田中さんの助言のおかげで、訳注がいっそう充実することになった。最後に忘れてはならないのが、訳者からの細かな質問にも丁寧に答えてくださり、素晴らしい本文の後に蛇足ともいえる「訳者によるエピローグ」の挿入を認めてくださった作者の多和田葉子さん。すべての方々に心からお礼を申し上げたい。

 

多和田葉子『パウル・ツェランと中国の天使』
関口裕昭訳(2023年1月10日 文芸春秋刊)
あとがきより







2022/12/13 6:43:39|雑記
T.S.ELIOT REVIEW
                                 侘助



外国語を話せないから日本語の中でしか生きられず、エリオットのこともよく知らない僕がこの場に呼ばれたのは、ひとえに、佐藤さんと僕の共通の友人だった室井光広が結んでくれた縁のおかげだと思います。

室井光広は1988年にボルヘス論で「群像」新人賞を受賞。まもなく小説に転じて『おどるでく』で1994年上半期の芥川賞を受賞しました。彼の小説はほとんど、彼の故郷である南会津の山奥の村とその周辺が舞台でした。そこが彼の言葉を支える「身体」の基底だったわけです。だから彼は、そういう中央から見捨てられた田舎の文化に照明を当てた柳田国男の仕事を尊敬していました。その一方で、彼はボルヘスやジョイスやプルーストといった二十世紀の「世界文学」にも親炙していました。彼の小説もエッセイも、言ってみれば、日本の片隅の南会津の村という自分の身体の奥底と、世界文学の最先端との間を自由自在に往還するための独特な文章装置だったのです。

室井さんは故郷福島県が大きな災厄を被った東日本大震災の大津波と原発事故の後、大学教員の職を辞して隠遁し、「てんでんこ」という小さな雑誌を始めました。津波が来たらてんでんこで逃げろ、各自一人一人で逃げろ、という当時有名になった東北地方の言い伝えの、あの「てんでんこ」です。その「てんでんこ」という雑誌の誌面上で、僕は佐藤さんと初めて会ったわけです。「てんでんこ」誌上に、佐藤さんはエリオットの翻訳を載せ、僕は自己流の俳句を載せていたので、誌面上での、言葉同士、文字同士の対面です。
 

(日本T.S.エリオット協会 第33回大会特別公演
井口時男「伝統と現代――俳句の場合」より)