隠遁者にもかかわらず山野に身を隠すことをしない非僧非俗の無用者――。 芭蕉がドン・キホーテ的に魂を同一化させようとつとめた先師には、西行・鴨長明の他に兼好法師があげられる。 書くことが「あやしうこそものぐるほしけれ」の時空に連れてゆく……とはじまる『徒然草』を引き寄せる。
ボルヘスに似たスタンスを猿真似、いや猿が蓑を着るような身振りで引き寄せ、「書物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差しだす」ふうに、『徒然草』(岩波文庫版)をひらき、その解説(安良岡康作)を端折ってみる。
『徒然草』に広がる、「三つの広がり」について。 一方通行路のように見えても、この書は三つの場所に読者を連れてゆく――われわれの表現にホンヤクするとそうなる。
その一つは、兼好自身がその中に生活していた喧騒と煩雑と束縛とにみちた「世俗」。もう一つはそれらの煩悩を断ち、菩提を求め、安心を願う「仏道」。さらにもう一つは、兼好がかのモンテーニュのように中年以後、身を置いた「遁世」の世界。それは、「非僧非俗」という当時の言葉が示す通り、「世俗」とも「仏道」とも異なる、第三の境涯だった。
「幻住庵記」が広義の〈本歌取り〉をした対象は『方丈記』や西行の古歌、さらに杜甫・白楽天らの詩句とされる。しかし広く文業の全体に目をやれば、その核心部にすぐれて『徒然草』的な非僧非俗の境涯へのしなやかで強じんな志が脈うっていることは明らかである。
たとえば、かれが「あなたふと」の叫びを洩らさずにはおれなかった蓑と笠。 どうして「雪ふらぬ日も蓑とかさ」なのか……。 繰り返しになるが、簔と笠はつい最近に至るまで「世俗」生活に必須の実用品だったが、一方、おごそかな神仏の世界にもつながる「透明人間」のためのふしぎの衣でもあった。しかし、芭蕉が「たふとさ」を感得したのは、それら二つと関係が深いにもかかわらず、役に立たないもののたとえ「夏炉冬扇」に重なる何かだったという他ない。 蓑も笠も、もはや消滅寸前のものである。だが、ベンヤミンの言葉をかりて芭蕉的ポエジーをホンヤクするなら、それは「消滅しつつあるもの、おびやかされているものとしてのみ、現在に与えられている」のだ。
芭蕉が「あなたふと」の賛を寄せた画が、老いた小野小町を描いたものであったことにわれわれは深く心をうたれる。岩波文庫版編注者の労作によって句意を写せば―― 「雪の降る日も降らない日も、破れ蓑に破れ笠の乞食姿で放浪している老小町のさまは、人の世の辛酸をなめ尽し、まことに大悟の境に達したものであり、気高く、崇高に見えることだ」 「卒塔婆小町」などに伝えられる小町伝説(虚)と小野小町の実像(実)との断層にかけ渡された芭蕉の〈虚実皮膜〉的俳文は、小町伝説を伝える謡曲、「尊」の字を三度重ねて書かれた『徒然草』第三十九段の表現をふまえたものである。
「晩年の小町の漂泊の乞食像を理想化し、己れの姿に重ねながら、賛仰」する芭蕉に、われわれはドン・キホーテの原像を垣間見る。 『徒然草』第三十九段は、アフォリズムふうに短い。庵主はこの原文をこれまで少なくとも三度はノートに書き写しているが、ここでは作家佐藤春夫の現代語訳(河出文庫)を掲げておく。
〈ある人が、法然上人に、「念仏の時に眠くなってしまって行ができませんが、どうしてこの障害を防いだらよろしゅうございましょうか」と言うと、「目が覚めたら念仏をなさい」と答えられた。じつに尊かった。また、往生は確実なものと思えば確実、不確かと思えば不確かであるとも仰せられた。これも尊い。また、疑いながらでも、念仏をすれば往生するとも仰せられた。これもまた尊い〉 |