カフカの「雑種」というタイトルの原語はEine Kreuzung。クロイトゥングはクロイツ(十字)と関係があるだろう。クロイツだけで雑交、異種交配の意があり、動詞形のkreuzenは「交差する、交わらせる、ぶっちがいにする、横断する、じゃまする」といったニュアンス。 カフカ文学の本質を開示する含蓄深いひとかけらの語……。
ついでに、カフカのノートのどこでだったか、認知症患者予備軍の可能性が高い庵主は思い出せないのだが、もう一つ、カフカがこだわりを示したひとかけらの接続辞トロッツデム(にもかかわらず)をあげておきたい。 デムはソレ、トロッツはニモカカワラズ――日本語同様の、文字通りのソレニモカカワラズ。 われわれの視点でホンヤクし直すと、「にもかかわらず」という関わり方を暗示する実存的接続辞。
カフカのtrotzdem考はどこかにあったはずだが、正確な引用ができない。かわりにというのも変だけれど、『変身』や「雑種」と通底するモチーフの『山月記・李陵』を書いた作家中島敦の南洋への夢を紡いだ「環礁」なる連作から、ほんのひとかけらを引く。
〈よく手入れされた芋田と、美しい椰子林とを真昼の眩しい光の下に見ながら、この島の運命を考えた時、あらゆる重大なことは凡て「にもかかわらず」起る、といった誰かの言葉を思い出した。ものが亡びる時は、こんなものなのかと思った〉(岩波文庫版『山月記・李陵』所収)
中島敦は南洋の島にあって、いわばベンヤミン的「一方通行路」を求めて歩いていた作家だ。この「誰かの言葉」の出典を、われわれも知らない。東大大学院に進学した頃、カフカを英訳で読んだ中島は、「にもかかわらず」なる語に英語ではないトロッツデムというカナをふっている。 もちろんドイツ語談義もなされていないが、名詞形のTrotzは「反抗」の意であるから、トロッツデムの逐語訳ふうのイメージには「そのことへの反抗」が隠れている。
われわれの掟の門に刻まれた「夏炉冬扇」「非僧非俗」を特殊なホンヤク装置にかけると、やはりトロッツデムの原義が引き寄せられる気がする。
夏ニモカカワラズ火ばちですか…… 冬ニモカカワラズおうぎですか……
われわれの夏炉冬扇ゼミナールから聴こえてくる呪文のような自問――。さらにこれはたちまち、「雑種」的なつぶやきに翻訳されるだろう。
一方通行路ニモカカワラズ三つの道=トリヴィアが交差するなどということがあるのか。
ベンヤミンのアフォリズム集「一方通行路」なるタイトルの原語について無知なわれわれは、すでに紹介した三種の日本語訳のうち、晶文社版も岩波文庫版も「一方通交路」となっている。ちくま学芸文庫版の「一方通行路」と並べる時、訳者の微妙なニュアンスへのこだわりが伝わってくる。 「通交」なる語は、国家または個人が親しく交際すること(福武国語辞典)であり、道を通って行く「通行」とはややズレる。たぶん、そのことをわきまえたうえであえて「一方通交路」が選択されたものと思われる。いずれが正しいかという話ではない。
一方通行路を夏炉冬扇のポエジーをさがしながら行く非僧非俗者の前に、たとえば三つの道が現れてくる。
またしてもホンヤク的跳躍。 江戸時代にあってドン・キホーテ的な旅をハンプクしたわれらの芭蕉は、すでにふれた幻住庵記のヴァリエーションで、こう書いた。キルケゴール『反復』に登場する青年よろしく、「この書を幾度もくり返して読みましたが、その言葉一つ一つがいつでも新しいのです」という思いを共有するわれわれは、「あるいはこの書体で、あるいはあの書体で、幾度でもくり返して残らず書き写すのが悦び」を口真似しつつ「いつでも新しい」言葉をハンプクする。
〈かくいへばとて、ひたぶるに閑寂をこのみ、山野に跡をかくさむとにはあらず。……何ぞや、法をも修せず、俗をもつとめず……〉 〈……ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは仏籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をひそめ、花鳥に情を労じて、暫く生涯のはかり事とさへなれば、終に無能無才にして此一筋につながる……〉 |