毎日新聞4月22日夕刊の4月の文芸時評
……昨年亡くなった室井光広の遺著『詩記列伝序説』(双子のライオン堂)と『多和田葉子ノート』(同)を読んでいると、その室井こそ古井由吉の「晩年の諸作」を「批評できる人」だったのではないかと思える。
松浦寿輝の追悼文の言い方では、それは「途方もない力量を備えた批評家」ということになるが、たとえば室井光広が『詩記列伝序説』で提示するのは、司馬遷の『史記』からはじまり、セルバンテスやキルケゴール、カフカや北村透谷などの文学作品を同列に論じられる、「世界劇場」という文学的な舞台だ。それは詩や小説というジャンルで辿られるのではなく、詩的な散文として柳田国男の作品まで広く含んで語られ、粕谷栄市のような現代詩人も参与している。
そこでしばしば室井光広が依拠する先駆者は、二十世紀アルゼンチンの作家ボルヘスだが、その「世界劇場」の重要な登場人物でもあるボルヘスは「自分がすでに死んだ人間のような感じ」で書いていたという点で、古井由吉の親しい隣人である。一方の『多和田葉子ノート』は、その過去の偉大な文学者たちが織りなす「世界劇場」に所属する、同時代の例外的な「ディヒター(詩人・作家)」として多和田葉子について語っている。批評家を含め、これからの読者が受け継いでいきたい視点だ。