絶対少数〈定本版〉のための序
I don t like the book but wish it were
published and be damned to it.
―James Joice
ボルヘスが編纂した世界文学選集『バベルの図書館』の22巻は彼自身の作品を収める。ボルヘスの意によるのではなく、とある「つつましい編集者」がバベルの図書館館長の特権を奪って叢書のなかにすべり込ませたものらしい。表題作「パラケルススの薔薇」を含む四つの短篇を収めたこの巻には懇切な年譜・書誌の他、1973年4月ブエノスアイレスの国会図書館において行われたインタヴュー「等身大のボルヘス」が併録されている。同インタヴューで彼は、友人たちから「詩の分野へのいわば闖入者であって、詩を書くべきではない」とたしなめられるにもかかわらず「自分の書く詩が好き」だと苦笑気味に語る。
『伝奇集』や『エル・アレフ』のような作品を創作しえた作家は短篇に関しても「このジャンルについては無能だと感じ」ると謙遜しているのだが、私がしがみつくのは「闖入者」としての詩への愛惜という一点だ。
1988年自我のため息状の星雲をあつめたつもりで元初のカオス〈零〉より陰陽二元をかたどる限定二部版を作って以来、十二使徒≠かたどる限定十二部のprivately-printed booksに増殖するまで八年かかった。そして「九年の間は詩稿を筐底に蔵せよ」というホラティウスの言葉をかみしめる今、ようよう自分のイメージする定本版にたどり着いた。ボルヘスの処女刊行物が恵まれた「三十七人」という当方の目ざしていた読者数にある事情で届くことが可能になったからである。
むろんこの歳月はただ押し流されたわけではなく、あのホイットマン『草の葉』を猿真似したような種々の改訂作業もなされた。「臨終版」まであとどれくらいの迷いの時間が私に与えられているか見当もつかないが、もはや「不出来」を気に病む必要もないだろう。
これは一つの出土品(正確にはひとかけらのモノの集成品)と化してしまっている。今回奇蹟的な発掘の機縁を与えてくれたのはintegrityな編集・発行人……である。日本(大文字のJapan)文化が漆(小文字のjapan)の付着した縄文出土品を否定し去れないのと同様、この私の精神土壌(漢語・中国語にいう底土)にあっても、詩人モドキの層――種類の違う詩器(短歌・俳句・現代詩)のヘテロなる積み重ねを否むことはできないのだ。
これはまた私の貧しい財産目録のようなものでもある。ボルヘス晩年の詩篇「財産目録」(『永遠の薔薇・鉄の貨幣』所収、鼓直訳)のはじめと終りに置かれた自問自答を引き写して、定本版刊行の心境にかえたい。
梯子を寄せ掛けて昇らねばならぬが、一段が欠けている
雑然と積み重なったもの以外に
屋根裏で 何を捜すことができるというのか
忘却のために 忘れられたもののために 私はこの記念碑を建てるのだ
某年 某月 某日
室井光広
『おどるでく 猫又伝奇集』(中公文庫)、さらには『エセ物語』(法政大学出版局)という奇蹟に次ぐ奇蹟に慄いていた一年ほど前に、私家版の詩歌句集『漆の歴史』を公刊したいという話をいただきました。
「やりたいと考えた以上のことができた、思い残すことはない」と言い切った本人の、思いを残す余地もなかった奇蹟をしめくくる最後の一冊です。公刊の動きは何度かあって、その気配を察知するたびに公刊本のための序文を書き改めていたことを思い出し、筐底から探し出したのが、末尾に「某年某月某日」と記された、発行人が空白の序文でした。
この1本を加えると前書は8本になり、後書の3本と合わせて11本、前書と後書だけで冊子になると笑い合ったものなのに、さらに解題を加えるなどとは考えてもいないことでしたが、「限定十二部版」の編集人として一言あってもいいのかもしれないと思い直しました。
奥付の発行日7月29日は、林昭太さんが双子のように創られた『深夜叢書社年代記』と同日(頁数も期せずして同じ)、発行者として齋藤愼爾さんの名前の入る最後の本になるのだそうです。