幻塾庵 てんでんこ

大磯の山陰にひっそり佇むてんでんこじむしょ。 てんでんこじむしょのささやかな文学活動を、幻塾庵てんでんこが担っています。
 
2020/07/06 5:51:28|事務長雑記
『詩記列伝序説』論
 

「現代詩手帖」7月号の〈詩書月評〉「詩の生起する場」(福田拓也)

の冒頭に置かれた、『詩記列伝序説』論です。


 
室井光広『詩記列伝序説』(双子のライオン堂)は、『ドン・キホーテ』と全く同じテクストを二十世紀に書くことによってそれが二十世に書かれたことで全く違う作品になるというボルヘスの「ピエール・メナール」から出発し、違う時代に書かれた複数のテクストが作者と時代の枠を超えて響き合う編年体的歴史を壊乱するような空間を「世界劇場」として夢見ている。この空間にあっては、複数の文学的テクストが未来の作品に影響を与えるのみならず過去の作品をも修正しつつまるで同一の作者によって書かれたかのように、あるいはあるテクストをそれを書いた作者とは別の作者に誤配的に接続させるという手続きを経て、呼応し合い、接近し合う。室井はまたこのような諸テクストの相互接近と分離からなる空間を、異質な要素が共通の場なしに共存するフーコーの「混在郷(エテロトピー)」に引き付けると同時に、3・11の記憶をも介入させつつ「ガレキの山」と規定する。このようにして、ボルヘス、キルケゴール、ベンヤミン、カフカ、メルヴィル、柳田国男、粕谷栄市などがテクストの断片の細部を、しばしば一つの語、例えば「アマーガー平原」など一つの固有名詞を仲立ちとして意想外の接近を果たす。テクスト断片の絶えざる反復、引用、転移によって、各々のテクストをある時代と一人の作者に帰属させつつ位置付け分類する線的歴史秩序を壊乱し新たな配置を創出しつつも絶えずそれを書き換え更新するという果てのない享楽を肯定するエクリチュールが室井の批評である。また、複数のテクストが接近し合っては離れるこのような絶えざる配置転換の磁場を展開してやむことのない室井のエクリチュールは詩について語り詩を夢見ているのみならず、それ自体がすぐれて詩的な行為となっており、まさに「途絶えざる詩」、果てることのない詩となっている。




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感謝
短い文章の中に、室井先生の作品の深さや温み厚みなどの要素をみごとに織り込まれた論評だと感嘆しています。
読み手として再読し再考する糸口になります。

森禮子  (2020/07/09 7:19:47) [コメント削除]

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