幻塾庵 てんでんこ

大磯の山陰にひっそり佇むてんでんこじむしょ。 てんでんこじむしょのささやかな文学活動を、幻塾庵てんでんこが担っています。
 
2020/05/09 6:35:52|事務長雑記
あんにゃ通信


信書を整理していたら、「あんにゃ通信」というものが出てきた。

命名ということを好んだ庵主は、通信にもさまざまな名前をつけていた。
「師父通信」は故奥井潔先生に宛てたものだし、「さみなし通信」とか「TOKIO通信」とか、続々とあらわれる。

「あんにゃ通信」の宛先はT・N氏なのだが、同じ宛先で「愛兄通信」なんていうものもある。
一度命名したら、二度と変らないわけではなく、その時々で言い換え、呼び変えてとまらないタチだったのだ。

「あんにゃ」について書かれた文章も出てきた。


 黒田(喜夫)の郷里と県はちがっても地理的にはさほど遠くないわがお蔵入り地方でも「あんにゃ」なる呼称は用いられます。1955年百姓家の次男として生れた僕もじつは「あんにゃ」を付けて呼ばれていました。しかし僕のところで今も使われているそれには卑称、蔑称のニュアンスは――もとはあったにしても――ほとんどありません。
 僕にとって「あんにゃ」はオクライリ同様、むしろナツカシイ響きのする言葉です
(対話的思考のすすめ――詩学入門)
 

 
「あんにゃ」は、隣家を訪ねて「〇〇あんにゃ、いたのか」(=〇〇君はいますか)のような使われ方をする第三人称なので、〇〇君があらわれても、面と向かって「〇〇あんにゃ」とは呼ばない。


〈僕はこれまで、文学の全ジャンルを一通り行脚するあんにゃ=作男として生きてきたつもりです〉


 




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文人
文人は文(ふみ)の人、手紙をしたためる人だと、よく言っていました。待つたのしさ、待ち設けていたものを手にしたときのよろこびも大きかったようです。
てんでんこじむしょ  (2020/05/21 7:31:19) [コメント削除]

心のあんにゃ
「あんにゃ通信」、とても良いですね。『おどるでく』にも「心のあんにゃ」が出てきます。漢字をあてると、「愛兄」がぴったり合います。庵主様はきっと各地の「心のあんにゃ」たちと心の交流をされていたのでしょう。私にとっても庵主様は「心のあんにゃ」でした。
丹波一京助  (2020/05/16 7:33:16) [コメント削除]

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