緑が丘通信「新しい二宮の風」

「二宮と湘南」の自然と 「オープンな二宮町議会をめざす会」を「美しい街・緑が丘」から新しい風にのせて発信します
 
2013/08/29 21:38:47|湘南と二宮の自然
大失敗!! 今日が吾妻山ダイヤモンド富士だった
 大失敗!! 夕刻、(自宅から)太陽が富士山の近くに落ちて行った。今日が吾妻山ダイヤモンド富士だった事に気が付いた。

 照が崎海岸や大井町のダイヤモンドの日時に気を取られ肝心の地元を忘れていた。今日なら最高だったのにアホな自分です。
ちなみに去年(2012年)の吾妻山ダイヤモンド富士はは8月28日でした。







山元5便、ボランテイア活動に行って来ました
写真は左から磯浜公園からの海の眺め、磯浜公園で説明を聞くボラバス参加者、草が伸び放題のJR山下駅近くの線路、
下はKSVN山元5便参加者の集合写真です。







KSVN山元5便の作業は雑草のクサ取りと整地作業でした
山元町5便の作業は
雑草のクサ取りと
土をふるいにかけ小石や瓦礫を取り除く整地作業でした。

残暑が厳しく持参したテントの中で休憩しました。







奇跡の中浜小学校、生徒が避難した屋上の物置小屋

 8月27日夜行日帰りのKSVN山元5便で山元町へボラ活動に行って来ました。

28日のボラ活動に先立ち現地社協のIさんが(Iさんとは朝7時に山元町VC待ち合わせ)奇跡の中浜小学校や磯浜公園、復興住宅を案内してくれました。

 震災時、中浜小学校では(山元町は平野が続き高台までが遠く)「逃げても間に合わない。」と生徒や保護者90人が中浜小学校屋上の物置小屋に避難し難を逃れました。私は中浜小学校に6回来ていて今回、初めて中浜小屋上に立ち屋上物置小屋に入る事が出来ました。
暗く狭い屋上部屋で90人もの人が身を寄せ寒さと津波の恐怖に耐え全員が助かった奇跡の中浜、校長先生の英断は素晴らしかったと思います。案内された中浜小学校屋上や磯浜公園で改めて津波の恐ろしさ、逃げる事の大切さを思い知らされました。

 
 当時Iさんは町職員で税務課に勤務し被災後3か月間も遺体安置所にいて家族の安否にも立ち会えなかった。
淡々と語るIさんは当時の津波被害の状況や復興状況、支援金の
実態などを話してくれた。

そして「宮城県のハザートマップは津波60センチだった。しかし50年おきに大きな津波が来ている。歴史から学ばなければいけない。」「2年後、3年後に観光でいいから復興した山元町を見に来て欲しい。」とも。

 視察研修の後、9時に山元町VCに戻りボラ活動の現場に向かいました。
ボラ活動の様子は神奈川災害ボランティアネッワーク(KSVN)の速報にも出ていますので見て下さい。http://ksvn311.jp/?p=1737
また現地やまもと復興センター
「未来に向かって助け合い」のHPにも
http://tohoku-fukkou.holy.jp/
  山元5便の集合写真が出ています。

写真は上から、屋上の下に表示されている津波高さを確認する参加者、校舎の前の津波の歴史が書かれた碑文の説明を受ける参加者、屋上から津波が押し寄せた海を眺める参加者、最後は生徒たちが避難した屋上小屋の内部。
 







2013/08/27 1:39:13|中年低山・山紀行
初秋の丹沢、サガミジョウロウホトトギス
 今日26日は富士山に下見に行こうと思って準備をしていたのですが3時起床の予定が6時、それでヤビツから丹沢表尾根を搭が岳まで往復にしました。

 富士山が見えていたのは三の塔までで烏尾山に着いた時には雲に隠れてしまい新大日から搭が岳の間は霧の中にすっぽり入ってしまいました。 でも
見られると思わなかった富士山が見られ、幻の花になりつつある丹沢の貴婦人・サガミジョウロウホトトギス(写真下)が見られて感激でした。

サガミジョウロウホトトギス(相模上臈杜鵑草)は丹沢山地の一部に分布し、沢沿いの岩場から垂れ下がって咲いていますが山野草ブームによる乱獲で激減し「絶滅危惧IB類(EN)」に分類されています。去年、写真を撮った場所にはもうありませんでした。富士山の写真は二の塔の手前です。