宮城54便(石巻仮設住宅支援便)はテント、机、機材を積み込み横浜駅天理ビル前を25日21:02出発し無事、予定の作業をこなし5時20分帰着ました。
この宮城54便の参加メンバーは女性20名、男性11名、スタッフ5名総勢37名の20歳から71歳まで大学生4名を含む若い女性が圧倒的に多い参加構成でした。現地のニーズ掘り起こし調査と仮設支援は活動の幅が広い為、スタッフ数の多い便となりました。
25日の出発は4台(宮城54便、宮城55気仙沼便、岩手45便、コラボ便)のバスが同時出発、天理ビル前も大混雑で 最初の休憩地佐野SA(11/25 23:40)でもボラバス4台がそろって、見知ったスタッフが大勢居合わせ、さながら同窓会の雰囲気でした。嬉しいお見送りの中、出発できました。
道の駅「上品の里」(4:17に到着8時出発)トイレ、コンビニ休憩、睡眠など時間調整をしました。石巻の朝は4℃と寒い。 11/26 8:51「がんばろう!石巻 」の看板の前で全員黙祷。前の道路は信号が出来、近くの工場の煙突から煙が出ていて少しは再会が進んでいるようでしたが延々と広がる津波のあとの風景は夏と変わっておらず瓦礫を片付けたあとの空き地が多くなって車も野積みされたままです。
石巻ボラセン(湊小学校)で荷物の運搬作業の別動隊7人を降ろしてから専修大学に向かい倉庫からバザー用品を積み込み石巻開成11仮設住宅に入りました。 石巻開成11仮設住宅はかなり大きな団地で大きな集会室がありそこでバザー、ペーパークラフトをやりました。
KSVN(神奈川ボランテイアネットワーク)の女性陣バザー組は手作りニット帽子、マフラーなど、仮設のお客さまに値切り交渉して貰ったり、試着して貰ったり楽しく会話しながら売り子をやっていました。ペーパ=クラフト組はお茶っこしながらクリスマスオーナメントやサンタさんやランタン作り仮設の人と作っていました。
午後からはフラワーアレジメント、3時からはコンサート(ハッピープロモーション)と外で長野の日赤奉仕団(松本市白板北部公民館)が大鍋で作るうどん入り芋煮会でした。「入れ物がこれしか無いから。」と鍋を持ってくる人「家族の分もくれ。」と鍋を持ってくる人等どのイベントにも結構人が集まってくれました。神奈川の私達もあとでご馳走になりました。体がぽかぽかと美味しかったです。長野の地酒の振る舞いもありましたがお酒は丁重にお断りしました。
ミニコンサートは1960年代、70年代のヒット曲が中心で他に”青葉城恋唄”等地元の有名曲もあり最後にはアンコールの声もかかる程の盛況で終わって帰って行く皆さんから笑みが零れていました。
イベントと同時に団地の一戸一戸にお誘いの声かけを2〜3人ずつグループでローラーをしました。震災から8か月も立っても家族を失った悲しみや津波の恐怖から立ち直れず人と会いたくないという人の話を聞き一緒に涙しました。足が悪いとか外に出られない人にはデリバリーしました。芋煮を届けに行った時の嬉しそうな顔は忘れません。「また来るすっけ。風邪っこひがねぇようにな。」と帰りました。
11/26 16:51に活動終了し、荷物を積み込みバスに乗りました。帰りの道の駅「上品の郷」にある「ふたご湯」で買物、お風呂、食事をしましたがここで3時間とここでの時間が長かったです。
帰りのバスの中では惨事ストレスもあるので一人ひとりの振り返りをしました。住民に触れる事で聞いた津波の悲しい体験、仮設で困っている事、参加者の強い思いが語られ、上品の郷から安達太良SAまでの2時間10分では全員の話が終らない長い長い振り返りとなりました。
帰りの時間は開成地区第11団地(16:50発〜)→上品の郷、ふたごの湯(17:05〜20:10)→安達太良SA(22:20〜22:50)→佐野SA(0:52〜1:07)→大黒PA(2:53〜)時間調整・4:30発 →5時20分帰着・解散5時50分です。詳しい事は
NGO魅来「笑顔(^o^)届け隊!」(藤吉代表)のブログは