緑が丘通信「新しい二宮の風」

「二宮と湘南」の自然と 「オープンな二宮町議会をめざす会」を「美しい街・緑が丘」から新しい風にのせて発信します
 
真鶴町臨時議会で議員辞職勧告決議
 (28日の新聞記事になると思いますが)焼却灰の県外搬出で「放射能が拡散」と真鶴町議がツイッターで発信し搬出先の受け入れが中止になった事で混乱させたと議員辞職勧告決議が出されました。
その傍聴に行って来ました。 14時〜傍聴者約40人(マスコミ、近隣の議員、行政職員が多かった。)
 
 14時から始まった臨時議会は青木議員から議員辞職勧告決議案が提案されると質疑無し討論無しで採決になり(10分もかからずに)退席1名の賛成7名(定数12名)で可決されました。
 そのあと緊急動議が出され動議に扱いをめぐって長い休会となった。15時30分に再開された本会議で議長不信任の動議が出され提案理由、賛成討論、反対討論(2名)のあと採決に入り退席2名、賛成5名で議長不信任案は可決されました。
 
 討論の中で最終処分場の問題やごみ焼却灰放射能の数値、レベルの問題、外部搬出の問題の議論が無く傍聴者にはわかりずらい内容であった。ですが長い休会中の間に傍聴者同士で議論する時間があり近隣の議員や行政職員、首長の意見も聞け私としては有意義でした。
 
 問題の発端を神奈川新聞が「湯河原、真鶴両町のごみ焼却灰が処分場の地下水汚染が原因で県外搬出を余儀なくされた問題をめぐり、村田知章真鶴町議(37)がツイッター(短文投稿サイト)で「放射能の拡散につながるので反対」などと書き込んでいたことが、24日分かった。
 焼却灰の放射性セシウムは国の基準値を下回っていたが、搬出先が書き込み後に受け入れを中止したことなどから一部町議が問題視し、27日の臨時会に村田町議の辞職勧告決議案を提出する見通しとなった。
 
関係者によると、その前後から焼却灰の受け入れを疑問視する別の書き込みや抗議が相次ぎ、民間処分場は同7日に受け入れを中止。組合は別の搬出先を探す必要に迫られ、「現在は町外に一時保管している」という。
 組合が2月に行った焼却灰の検査では1キログラム当たり144〜490ベクレルの放射性セシウムが検出されたものの、国の基準値(8千ベクレル)は下回っていた。」と報じています。神奈川新聞記事は↓
 
 
 問題は真鶴湯河原のごみ焼却灰の奈良県搬出についてツイッターで「放射能汚染を西日本に拡散すべきでない」と問題を作りそれをツイッターで拡散させる内容なものかという事です。
 
 湯河原美化センターや神奈川県内各自治体の数値を見てみるとこの焼却灰の放射能数値がツイッターで「放射能が拡散」と政治問題化させるような数値なのかという事だと思います。
 県内の市町村等一般廃棄物焼却施設における焼却灰の測定状況 http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/435582_676886_misc.pdf
 
湯河原美化センターの焼却灰等放射能濃度の測定結果(第2回)は
埋立処分できる基準値(飛灰が8,000Bq/kg )以下になっています。 http://www.townmanazuru.jp/yugawarabikacenter_syoukyakubaihousyanounoudo2 (飛灰というのは 空気中に排出されている放射能数値ではなく煙突の出口で外に出るガスからバグフィルターで吸着、捕縛した数値です。)
 
 湯河原美化センターの数値が問題なら神奈川県はおろか それより高い関東の全部の焼却灰の埋め立て処理が全く出来ないという事になります。
確かに表現の自由はあると思いますが問題にならない内容をわざわざ政治問題化させてしまいました。昨年の暮にゴミ問題で市長を辞任した小金井市長のやったことを議員レベルで引き起こしました。
瓦礫の広域処理受け入れでも福島原発から神奈川より遠く離れた岩手県の瓦礫まで受け入れ拒否のセンショナルな何でも駄目では復興は進みません。
 
マスコミが沢山、来ていましたが話題になればなるほどその是非とは別に「放射能が拡散」と一人歩きし受け入れ先が無くなり湯河原町、真鶴町の財政負担が大きくなります。 町民の利益に反すると思いました。
 
 放射能を問題にするなら内部被ばくを避けるため食べ物の監視体制、通学路や公園などの放射線量の管理、そして同時に脱原発を進めて行く事だと感じて帰って来ました。
 
写真は真鶴町議会の様子と議員辞職勧告を決議された(マスコミに答える)村田議員 







荒涼とした色のない景色が続く 宮城県亘理町
 宮城県亘理町はどこまでもどこまでも荒涼とした色のない景色(写真中)が広がって  復興から取り残された町になっています。
 
写真右:骨組だけ残ったコンビニの駐車場でバスは留っています。
 閉鎖された山下駅(左)の前はお店も再開されていました。駅トイレは水も出るようになっていました。
山下駅には自衛隊やボランテイアへ感謝の言葉がつづられていました。復興支援はこれからです。







取り残される被災地、進まぬ復興・・亘理郡山元町

  宮城87便(4月24日〜25日夜行日帰り便)添乗スタッフで山元町にボランテイアに行き宮城県亘理郡山元町での作業を終え22日21時35分に横浜県サポに34名全員無事に帰って来ました。参加者は一般32名、スタッフ2名の34名(男性18名、女性16名)で平日便なので女子大生もいましたが年配者が多くまた初参加者が半分位でした。
 
  山元町沿岸部は堤防が決壊し防災無線も使えなくなり原発から60キロ圏内で長い間、立ち入り禁止区域でした。ボランティアやマスコミも入っ来ず住民は誰も手伝いのない中で泥だしをして来ました。「いくら言っても行政は何もしてくれない。神奈川は本当に有難いです。」と依頼者のご夫婦に深々と頭を下げられこちらが恐縮してしまいした。
 
 作業は(6月にリフォームが終わると住むようになるので)個人宅近く側溝の泥出しでした。ここは海まで何キロも何キロも続く平坦地で高台まで遠く、津波が来たら逃げ場のない所で万一に備え近くにバスを待機させておきました。
 
すぐ近くにコンビニの鉄骨の骨組みだけが残っていて、広々とした何もない瓦礫だけの荒涼とした景色にこの場所が住宅だったのか畑だったのか想像も出来ませんがポツンポツンと被災した家屋が所々に残っています。地元の人に聞くとここのほとんどは住宅地で、重機で土台ごと片付けたあとだそうです。石巻や箱崎は敷地の土台だけ残っていますが山元町は土台も撤去したのだそうです。
 
 側溝の泥出し作業は土砂に埋もれ側溝がどこにあるかわからない状況からの掘り出しで、2班に分かれ両端から始めました。9時から14時までの間でやり終えるか心配でしたがチーム神奈川は一丸となって頑張り貫通させる事が出来ました。ほっとしました。参加者全員がやり遂げた達成感、自己完結に、帰りの振り返りでも殆どの人が口々に「来て良かった。また来たい。」と話されていました。
 
 山元町はまだ水道もトイレも無いのでトイレは車で5分程のJR山下駅まで現地スタッフがピストンをしてくれ、水は国見SAで20ℓポリタンク4個に水を入れて持って行きそれを使いました。
 
山元町の状況は去年5〜6月の石巻市や東松島市の状況でこれからの長い支援が必要と思いました。山元町の映像はネットで検索すればいくらでも出て来ますので見て下さい。
 
 写真は土砂に埋もれ姿の見えない側溝とその作業、下は貫通間近の側溝です。
A写真の見える鉄骨がコンビニのあとでその駐車場にバスを待機させています。
宮城87便の様子は速報で神奈川災害ボランテイアネッワークのHPに出ています。
 







消えて行く被災地の風景、箱崎湾
 左の写真は先日の岩手64便で箱崎小学校2階から撮った写真です。
中の写真(神大便:3月12日〜16日で行って少し角度は違いますが同じ場所で同じ箱崎小学校の2階から撮った写真)と比べると景色が消えています。良く見るとわかると思います。
 
 3月は雪解けでグランドがぬかるんで長靴が泥だらけで歩く所を捜すのに苦労しました。 (下:集会所の横の建物)や(右:海の前の被災した建物)がわずか1カ月であとかたもなく無くかたずけられていました。
神大便の様子はブログに載せています。↓
 
今晩から宮城便(山元町)は側溝の泥だしだそうでこれから出かけるところです。







復興への思いを一つにした神奈川ボラバス「岩手64便」

 4月19日から22日迄の岩手64便で被災地支援ボランティアに行って来ました。
  
 岩手64便は20歳から70代後半までの男性17名、女性13名と中長期2名の30名で出発し帰りは28名で帰って来ました。   4割位の方が初参加ですが中には岩手便33回という大ベテランもいました。
 
 20日(第1日目)はディーサービスに1名、27名が大槌町桜木町の公園のガラス拾いでした。住宅地の真ん中にある桜木町の公園は今まで瓦礫の仮置き場だった所で子供が遊べる元の公園に戻す作業です。
 園芸用のスコップで土を掘り返しながら小さいガラスの破片や小さな瓦礫を拾う地道な作業でしゃがみ込んだままの姿勢で結構、腰が痛くなります。近くを通る住民の方の「御苦労さんです。ありがたいです。」というねぎらいの言葉に励まされみんな頑張りました。
 
 21日(第2日目)は全員、釜石市箱崎地区の個人宅の瓦礫撤去でした。 KSVNでは何度も此処に来ていて漁港の周りや箱崎神社、堤防の内側の瓦礫撤去等をしています。今日は箱崎小学校の左側の奥の方、津波から免れた住宅や仮設が近くに見えるところです。  この辺はまだ復興計画が出来ていなく家が建てられるか まだ決まっていないそうで瓦礫のままだといつまでも心を引きずるので、また家のお葬式の意味で奇麗にしたいというニーズがあるそうです。
 
 枯れ草や屋根瓦、木片、ブロック塀の壊れたコンクリーの塊、赤煉瓦、自然石、ガラスなどを片付けて行くと土台のコンクリートが顔を出しすごく奇麗になりました。
3・11から1年も経っているのですが作業中にキャシュカード(2枚)や郵便通帳、包丁2本、梅干しを漬けたままの瓶、カメラなど生活そのものが出て来ます。
そして瓦礫の中にボケの花芽や水仙が芽を出していて感動しました。
 
 ここの箱崎湾は漁港の方は復興が進んで来ていて何艘も船が浮かぶようになっていますが、陸地の方は被災した建物がどんどん壊され片付けられていくだけで風景や色が何にも無くなって来ています。
それで「まごころネット」では花を植えようと少しずつ花を移植したり種を蒔いたりしています。我々岩手64便メンバーもお昼のあと午後の作業の前にベニバナの種を全員で蒔きました。花が咲く頃、訪れてみたいものです。そして午後から女性4人が瓦礫隊から球根の移植作業にもまわって貰いました。
 
 1日目、2日目とも作業は午後2時半頃で終わらせ道具の後片付け、ミーティングを終え15時20過ぎに現地を出て金太郎ハウスには17時頃に戻りました。
1日目の帰りは大槌町北小学校あとのプレハブの仮設復興商店街、2日目は釜石駅近くのシプラザに20分ほど時間を取りました。
現地にお金を落とそうと皆さん、沢山のお土産を買い込んでいました。
 
 帰りのバスの振り返りでも「また来たい。また一緒に来よう。他の人にも伝えて行こう。」と神奈川の復興への思いを一つにした64便でした。(楽しいと言えば不謹慎かもしれませんが、、)岩手便はいつも楽しいです。(岩手64便バスリーダー田口謙吉記)
 
写真は2日目の釜石市箱崎地区の作業風景で上から順番に見て貰うとわかりますが見違えるように奇麗になりました。
 
岩手64便のボラバス速報は神奈川災害ボランテイァネットワークのホームページにも載っています。↓