平塚がホームのクマとオサル

生まれた時から平塚で、なんとな〜く生きているクマと、そのクマと結婚してしまってから、遊び人として生きているオサルのブログ 1994年からベルマーレ平塚を見るようになり、1996年に初めて平塚競技場で生観戦。2000年よりシーズンチケットを嫁さんと二人分買うようになる。今は3席分買ってるけどね…
 
2017年05月17日 第14節 H 福岡戦 0−3で敗戦
甲羅ぐま

今日は5月の17日(水)。ホームで福岡戦です。
福岡は昨年J1から一緒に降格してきたチーム。昨年の対戦成績は12節アウェーで0−1で負け、29節ホームで0−2の負け、の2連敗中です。(最近で勝ったのは、あの2014年の14節に2−0の勝ちが最後です)
それに福岡には、ウェリと亀ちゃんがいます。(二人とも大好きな選手で、いまだに未練のあるおいちゃんでした)
あと向こうの監督が井原監督。井原監督って策士だよね。それなのに熱い。特にうちみたいなある程度形ができているチームの対応がうまいと、おいちゃんは思っています。

この日は観戦のために会社を午後半休取ってしまいました(もちろん会社に申請した休暇届の休暇理由は「私用のため」ね。間違っても「観戦のため」とは書かない)。14時30分ごろ家を出発。いつものようにテニスコート横の駐車場に止めました。
さすがに平日、まだまだ空きがありましたが、まずまずの混み具合でした。

今日のフードパークでは、おいちゃんが鳥仲さんのカレーパンところころコロッケを、嫁さんは湘南餃子と豆乳チャイを購入。おいしくいただきました。普通、カレーパンってパン粉がついてて“揚げたてサクサク”てな感じですよね。でも、鳥仲さんのは、パン粉が少なくて唐揚げっぽく、周りがカリッサクッなんですよ。食べるの2度目ですが、大変気に入っています。

いやーおいちゃんは、カレーパン好きなんですよ。

高久製パンの弦斎カレーパンといい、平塚の老舗が頑張っていますな。

今日の選考入場者場所取り番号は24番。さすがに平日開催!人が少ない。要塞前の席を狙ってみようかと思い、嫁さんには、いつもの場所へ行って席を取っておいてと話してから、先行入場しました。運よく要塞前の席が取れました。今日は要塞の45分計の下でした。今日は、そこに座って観戦です。

さて試合は。0−3の敗戦でした。

最初からうちのペース。いい感じにパスが繋がります。しかし相手は同じ降格組、ちゃんと要所要所は抑えてきます。でも、いい感じに押していたんだよ。本当に…

何度も惜しいシーンが見られたし、相手もカウンターから両サイド裏へ潜入してくるし、見ていて手に汗握る白熱したゲームでした。きっと、今季今までの中で最高のゲームだったと思います。最初から前半終了までワクワクドキドキものでした。

しかし、好事魔多し。前半ロスタイムにPAから5mくらい?中央やや左寄りのFKを与えてしまします。(ロスタイムも終わり間際にこの位置でFKを与えてしまう…いけませんなぁ。)

で、福岡がここぞとトリックプレーを仕掛けてくるのですわ
(PA内、福岡の選手全員がジグザグになる感じで前後に大きく動きます)そこへ相手3番:駒野選手が絶妙なボールを入れてきました。うちのDFが飛び上がってクリアしようとする頭の上すれすれを飛び越し、相手29:ジウシーニョの頭へドンピシャ!先取点を取られてしましました。

これは悔しい。ナイスなタイミングでのトリックプレー&とんでもなく絶妙なFK。これは脱帽者です。まだまだ、ゲーム自体はこちらが押しているんだ。

でもこれで、前半が終了です。

後半も前半同様、押してはいたんだけどねぇ。58分にゴール前でパスを廻され相手7番:三門にゴラッソなゴールを決められてしまいました。
ありゃー秋元でも取れんわ。、むしろ、相手7番に打たせてしまったことを反省!でしょうな。何とか張り付いていたんですがね、ほんのちょっと遅れましたね。

ここまでは、「まだまだー!」と思っていたんですがねぇ。この後、ジネイが入り(out広教)、玄太が入り(out直輝―ッ)、北斗が入ったけれど(outリュウちゃん)、相手の堅い守りを突破できず、カウンターでやり返される展開に…

87分に相手10番:城後に頭で決められて万事休す。1点でも返しておけーと思いましたがかなわず。試合終了。特失点差で3位に落ちてしましました。

セットプレーにゴラッソに前掛のところをカウンター、3本とも綺麗に決められてしまいました。

これに対しうちはといえば、相手の倍近くシュートを打って(確か枠内シュート数もこちらが多いにもかかわらず)GK正面、宇宙開発、水ボトル直撃で無得点。相手3番:駒野を捉えきれなかったのが敗因ですかねぇ。

まぁ、こんな日もあるさ!次だ!次!!

ちなみに俊介に黄紙リーチが掛かりました。気を付けようね。

しっかし、今年は点が取れんなぁ。今年は今までのところ得点累計17点、得点者6人なんだけど得点がジネイと俊介に集中している(各5点)。岡本拓也(2点)と奈良輪雄太(1点)。あと今回いない大暉(2点)と離脱中の薫(2点)。

この年と比べてはいかんとは思うけど、前回J2の2014年だと14節終了時点で得点累計33点、得点者13名。その前の2012年だと得点累計27点、得点者11名。相手にとって、満遍なく皆が点を取るチームって怖いよね。

まずはFW陣、奮起せよ!







2017年05月21日 第15節 A 松本戦 2−1で勝利
甲羅ぐま

今日は、DAZN観戦なのでサクっとね。

今日は5月の21日。13:00からアウェーで松本山雅戦です。松本山雅といえば、やはりソリさんでしょうなぁ。後は昨年お世話になったGKの村山智彦と、ちょっとだけだったけどパウリーニョ。

現在、松本は5勝4分5敗の10位。喉から手が出るほど勝ち点3が欲しいところでしょうな。まぁ、勝ち点が欲しいのはうちも同じですがね。

それで、4月29日から始まった連戦もこれで最後。湘南の連戦成績は、今のところ3勝1分1敗(この1敗が何とも悔しい)。対する松本は1勝2分2敗。松本はこの連戦で勝ちが少なく、全体の勝ち負けも今のところ五分。ここで負ければ下位グループに入ってしまいそうだし、どうしてもこの一戦をものにしたいところでしょう。

この日は天気が良くて(良すぎて)公式記録で30.2℃を記録しており、大変暑い日でした。湿度は低いものの風が弱く、どう考えても選手たちの体力がどこまで持つかがカギとなる試合になりそうです。

まぁ、おいちゃんは、いつものようにベッドに寝転がって腹にPC載せてDAZN観戦なのですが、腹が熱い。PCの熱で腹が熱いのですよ。腹から汗が…まだ5月だぞ、何だこの気温はー!てな日でした。

果たして試合はどうなるのでしょうか?

さて、試合は。2−1で湘南が勝ちました。

スタメンは、珍しく変更なしで福岡戦と同じでした。たぶん布陣は4−3−2−1なのでしょうか、ポジションチェンジが多くて正確なところはわかりません。まぁ、野田がCFWで直輝―ッと未月あたりがシャドーかな。シャドー位置には他のメンバーも入れ代わり立ち代わりでしたね。

試合は福岡戦に続いて最初から湘南のペースでした。松本は、基本的にかっちり固めてカウンターといったところでしょうか。そして出だしは、福岡戦よりは縦のロングパスが多かったようにおもいます。いいところまでは、持っていけるのにフィニッシュが決まらない。結構、枠内シュートが多かったのですが、弱かったり、GK正面だったり。いやな記憶が思い出され…でも前半は、このまま0−0で終了しました。

DAZNのスタッツでは、ここまでの湘南が61%のボール支配率で枠内ゴール数が8本中7本でした(対する松本は枠内ゴール数が5本中1本)。

後半も、前半に引き続き同じメンバーで開始です。後半始まってすぐ、野田の変態?(華麗な?)シュートが決まって先制点です。
野田がPA内で広教の左サイドからロングクロスを受けようとしたところを相手GK村山がパンチング。この時の野田はゴールを背にDF2枚とGKを背負っていました(ゴールが見えていない)。
このこぼれた球を岡本拓也が頭で野田に返します。おいちゃんはこの時、一瞬「なんでだ―!、飛び出しているGKの頭を超えるループシュートだろ!!」と思ったのですが、ゴールを背にボールを胸で受けた野田は(まだGKを背負っています。う〜ん村山クン相変わらず前に出るのが好きねぇ)体を少々ねじりながらオーバーヘッド崩れのようなシュートを打ちました。これがポーンという感じでゴール左に!先制点です。

後からリプレイを見ると、おいちゃんが思ったように、岡本拓也がループシュートをしていたら、野田が背負っていた2人のDFに阻まれていたでしょう(岡本にボールがこぼれたときに、野田が背負っていた2人のDFは岡本からの攻撃に対応しようとGKよりゴール寄りに左右に下がり、態勢を整えようとしていました)。

ついに野田のゴールを湘南の公式戦で見ることができました(練習試合では決めていたからね。期待していたんだよ。後は表原玄太と齊藤未月だな)。ジネイ以外のFW陣の中で初ゴールです。うれしいねぇ。

しかし、敵もさるもので、53分右サイドからのスローインを相手20番石原崇兆がPA左前で受け、PAラインの外ギリギリを横にドリブル、右足でシュート。岡本がついていたのですが、タイミングよくかわされシュートを打たれてしまいました。このシュートがゴール左隅に。秋元もめいっぱい体を伸ばして触ろうとしますがかなわず、同点弾です。

いやー。敵ながらゴラッソなシュートでした。これで1−1の振り出しです。でも、おいちゃんは“今日の出来ならいける!負けるとしたら事故だな”と思っておりました。まぁ、事故が起きるのがサッカーなのですが…

62分右CKを秋野央樹が蹴ります。狙いはバイーアさんの頭だったと思うのですが、少々大きくPA前の集団を飛び越えてしまいました。これにバイーアさんが猛然とダッシュ。左サイドラインそばでボールを拾い、すかさずPAの外左側の石原広教にパス。バイーアさんは広教にセンタリングかシュートをさせようと思たのではないでしょうか。

でも、広教の選択はバイーアさんに戻すでした。この時、広教の前に相手DFが詰めており、前への突破が難しかった、ところがバイーアさんの方は、寄せるはずのDFが出遅れていた、そんな感じに見えました。広教よく見ていたね。

バイーアさんは受け取ったボールをすかさずセンタリング。

これに反応したのが直輝―ッでした。1人背負いながらのヘディングシュート。高い!あの小さな直輝ーッ(公称168p)が大きく見えました。相手GK村山も飛んで触れていたのですが、そのままゴールへ。これで勝ち越しです。

この後。直輝―ッにもう一本惜しいシュートがあったのですが、外してしましました。

で、このまま試合終了。

おいちゃんは、終了間際の時間稼ぎ「鹿島る」(相手陣内コーナー付近でのボールキープ)にびっくり。なんてうまくなったんだ!。湘南が「鹿島る」をしている。特に今回は結構な時間を「鹿島る」してました。
湘南は今まで「鹿島る」ができなかったのに。゙さん!チームは確実に深化しているよ。

試合終了後のDAZNスタッツでは、湘南のボール支配率が58%で、枠内ゴール数が16本中11本でした(対する松本は枠内ゴール数が13本中8本)。

さて、次は中5日で山形戦です。プレシーズンの練習試合では2−3で負けたけど本番ではいかに。楽しみだなぁ。







2017年05月27日 第16節 H 山形戦 0−1で敗戦
甲羅ぐま

今日は5月の27日。16:00からホームで山形戦です。
山形といえば、ウサミン(宇佐美宏和選手)やケンジ(荒堀謙次選手。栃木経由で山形へ)でしょうか。(あと、縁起でもないけど、山形には痛い目に合っている印象が…(どうも暗黒の時代の記憶が強い)でも、調べてみると過去10年の対戦だと5勝5分5敗。過去5年だと4勝1分1敗なんだよね。※2009年、2011年は山形のみがJ1で、2013年と2016年は湘南のみがJ1のため対戦無し。2010年と2015年は両方ともJ1で対戦)
山形とのプレシーズンマッチの観戦記を読み返してみると(練習試合なので載せるか不明)、体が縦横にでかい(何と言えばよいか、しなやかそうな筋肉がガッチリ、ムッチリとついていて背が高い印象)、フィジカルが強い、サイド(?)に早い選手が何人かいる、ロングスローを投げられる選手がいる、特に山形の2番と10番がイヤダと書いてありました。
まぁ、あの時は、こちらの選手は高負荷状態で疲労のピークだったので、勝敗については気にしなくても良いと思うけど、あの力強い前線からのチャージには要注意ですな。

この日は天気が良くて(おいちゃんたち夫婦は10時頃から総合公園にいたのですが、だいぶ日に焼けてしまいました)日陰に入って、風が吹けば気持ちが良い、てな感じの天気でした。

実はこの日、おいちゃんが長年「あー、やっちゃいかんなぁ」といつも思っているジンクスを破っちゃいました。(おいちゃんジンクスの1「試合日に総合公園内で、湘南ベルマーレが付いているものはもちろん、相手チーム由来のものも含め、ものを試合前に買ってはいけない。」唯一OKなのは今のところ“ベルマーレビール”のみ。“湘南”だけついているのは平気なんだけどなぁ。“ベルマーレ”とか相手チーム名や相手の地域名入りはダメなんですわ。今までこれを破って、何度負けたことか。)なのにじつは、山形の「炎のカレーパン」(辛口)を買ってしまいました。カレーパン好きのおいちゃんにとっては我慢できませんでした。先に謝っときます。「すんません。勝てなかったら、きっとおいちゃんのせいです」
(じつは、おいちゃんには、もう一つジンクスがありますが、それはおいおい…)

今日の先行入場者列番号は28番。嫁さんのオサルが先行入場者の順番取りに行って、5月3日のホーム山口戦で要塞前の席を譲っていただいたYさんと、お友達のAさんに合流したとのことで、この番号でした(合流しなければ40番ぐらいだったそうです)。いつもいつも、誠にありがとうございます。
今日も、ギリギリ要塞前の席が狙える列番号でしょうか。まぁ、今日で最後だし、狙ってみるかなと、先行入場をいたしました。今日も運よく席が取れました。要塞の時計の下(45分計の逆側。要塞の南側の下)でした。

両チームのウォーミングアップを見ていて、山形の選手たちの尻からモモ裏にかけての筋肉(俗にいうバケツ(馬尻)アレ、これは野球の言葉だっけ?)の太さに、プレシーズンマッチで見たときの印象を思い出しておりました。

さて試合は。0−1で負けました。
それも、アディショナルタイムに、PA外からシュートを叩き込まれて orz オイオイ…

「なんか、チームとしての熟成度が、完全に山形のほうが上だなぁ♯。」という印象でした。

福岡に負けたときの「チッ、やられちまったぜ―。くっそー!、次だ、次!!」てな感想には、まったくならなかったんですわ。

おいちゃん的には、個対個では、負けていた感じは、まったくありません(むしろこちらのほうが勝っていた?)。

だけど、山形は、ボールを奪取した後の対応が、何しろシステマチックに「前へ!!」が徹底していたと思うのですわ。

今回は、秋元陽太のスーパーセーブが2、3本あったのに対して、湘南の決定機は?う〜ん…あったっけ、と考えてしまうような出来でした。なんか「おしぃー!、それが枠に行っていれば…」とか「あっぁー、GK正面…」ばかりだったような気がするんだよなぁ。

最後に、未月と広数、今は、それで良いんだよ。よく考えて、経験を糧にしてくれ。

まあ、負けは負けだ!!次だ!次!!と、自分自身を鼓舞しながら、次はホームで長崎戦。相手は得点源のファンマが累積で有休。湘南は菊俊が累積で有休。要同士が有休の一戦です。楽しみだなぁ。







2017/05/25 22:19:03|日々の出来事
やっと見つけたUSB-ABM
甲羅グマ

デジタルカメラのSONY サイバーショットDSC-F505VのUSB-ABMケーブルをやっと手に入れた。昔に買った、DSC-F505VのUSBケーブルを今年度の頭ぐらいから探していたんだけど、やっと手に入れたよ。灯台下暗しで、Amazonにあった。ちょっとした検索ワードの違いだったよ。しかし、これを手に入れるために、ヤクオフで本体まで買ってしまった(これは、AC-DCケーブルも欲しかったんで、思わずポチッとしてしまったんだけど)。さて、本体1台分どうするかなぁ…
しかし。昔のSONYは、ユーザー泣かせだね。規格外れを平気で出しまくる。まぁ、10年以上は経過してから、文句は言えないけどねぇ…







その後 [暗黒の時代]
くま

しかし、Bellmareは消滅こそしませんでしたが、“暗黒の時代”へ突入していきました。

チームはメインスポンサーを持たない市民スポーツクラブとして「身の丈経営」を身上に運営されることになりました。

2000年は、結構有名なメンバーが選手、監督ともにそろったのですが途中で失速。フロントと選手間の確執が噂され、チームはシーズン終盤に空中分解してしまいました。
最終順位は11チーム中勝ち点45の8位(第1クール:5勝5敗、第2クール:5勝5敗、第3クール:4勝5敗1分、第4クール:1勝9敗)シーズン終盤は試合を見ていても一体感が無く、選手達がばらばらで、走らず、動かず、見ていて悲しい思いをしたのを覚えています。この為か、お客さんもずいぶんと減っていきました。この年の入場者数は、浦和戦以外で1万人越えは無く、浦和戦以外では7428人(当時トップを走っていた札幌戦)が最高でした。

ホーム最終戦ではたったの3498人しかお客さんがいませんでした。この時の最終戦セレモニーの内容は忘れてしまいましたが(忘れたことにしています)、客席にはパラパラとしかいない観客が、怒り、諦め、嘲り、罵り、悲しみ、混沌とした声援を挙げていました(あえて声援とします。聞くに堪えない罵詈雑言が結構混じっていたことは、“おらが村のチーム”と大事にしてきたものにとっては、とてもつらい状況でした。あのときは、ほんとに悔しかった)。

2001年は、元コロンビア代表のパラシオスが加入、1998年期限付き移籍で加入した栗原圭介がレンタル移籍で加入、メンバーは前年から比べるとガラッと変わってしまいました。監督も田中孝司監督に替わりました。そしてこの年、ワタシが長く贔屓にすることとになった鈴木良和がルーキーとして入団しました。
不安と期待がごちゃまぜになった開幕戦でした。開幕から10節まではまずまずの成績で3勝3v勝1分3敗の勝ち点16でした。が、後半失速して(栗原が怪我で戦線離脱した頃から失速。結構連敗しちゃいました。6月中頃から1か月間勝ち星無しとか(0勝2分5敗)、そのすぐ後に5連敗とか…)で、最終的には12チーム中、16勝4v勝4分20敗の勝ち点60でまた8位でした。
でも、この年は栗原圭介と高田保則がともに17得点しており、いい夢を見させてもらいました。あ、そうだこの年の試合中に茂庭がパラシオスに「モニ〜!ウェークアップ!!」と怒鳴られていたのが印象的で今でも覚えています。

2002年は、Jリーグのレギュレーションが変更となり、延長戦がなくなりました(Vゴール(ゴールデンゴール方式)がなくなった)。これで、現在のレギュレーションと同じになりました。

コロンビア勢は結局パラシオスのみの残留となり、ブラジル人MFのシルバを獲得したのですが結果大失敗。でもこの年は高校生ルーキー加藤大志、横浜FMから本橋卓巳、ちょいと遅れて(5月)浦和から吉野智行、さらに遅れて(6月)磐田から熊林親吾が加入しました。
さらにこの年、磐田から山田松市がコーチとして就任しています。

この年のワタシは、吉野と熊林の連携でずいぶん楽しませてもらいました。しかしこの年は、勝ったり負けたりと出入りが激しく、長い連勝も長い連敗もない年でした。最終的に12チーム中、16勝16分12敗の勝ち点64で5位でした。(しかし、5位といってもこの年は、4強8弱。上位4チームと(大分(勝ち点94)、C大阪(勝ち点87)、新潟(勝ち点82)、川崎F(勝ち点80)勝ち点でだいぶ隔たりがありました。)

ワタシは、この年の17節7月10日ホームで横浜FCを迎えた1戦が大変印象に残っています。雨台風で土砂降りの雨の中、観客数はたったの2120人。激しく降り続く雨にピッチはプール状態、この劣悪の環境の中で坂本紘司が1本、栗原圭介が2本決めて3−0の完勝でした。
途中で激しい雨のカーテン(雨量が多くて黒い大きな塊のように見えた)が南側からスタジアムに迫り、順にピッチを飲み込んでいくのを見ました。いやー、あの光景は感動しましたな。

この年は、クラブ側の変化もありました。この年に「特定非営利活動法人湘南ベルマーレスポーツクラブ」が設立されました。サッカーのジュニアとジュニアユースがこれに移管(これについては、所属する選手の親御さんたちと、いろいろあったようです)。
2001年に発足したトライアスロンとビーチバレーチームもこれに合流しました。

あと、この年を最後に、GKの伊藤裕二さんが引退しました。3年間、湘南の守護神としてゴールを守っていただきました。 引退セレモニーを憶えています。

また、前年はゴールゲッターでキャプテンだった栗原圭介が怪我のためパフォーマンスが上がらず、この年で戦力外通告を出され、退団しました。

2003年は、監督があの「白い呪術師」フィリップ トルシエと一緒に日本代表のコーチをしていたサミア(アジャム・ブジャラリ・モハメッド)が監督として就任しました。
まぁ、2002年までは日本代表のコーチをしていたのだし…と期待と不安があったことを憶えています。
そしてこの年は、新加入選手として石原直樹が加入した年です。サミアドン(当家ではサミア監督のことをそう呼んでいました)が指揮の第1節ホーム山形戦。雨の中、ワクワクしながら見に行きました。開始直後から選手が常に細かく足踏みをしていたのがとても印象的でした。1節は2-0で勝利したのですが、その後、ふるわず、14節ホームで甲府に0−3で負けて、3勝1分10敗で最下位になったところでサミアドンは辞任してしまいました。

あとを山田松市コーチが継ぎましたが、立て直すまでにはいかず、結局、15節以降は8勝10分12敗、サミアドンと合わせて、11勝11分22敗で12チーム中10位で終わりました。

ふがいない成績ではありましたが、この年、加藤大志がU−20代表候補とU−22代表に中里宏司がU−22代表に選ばれていました。

2004年は、なんといっても「ミスターFC東京」のアマラオの加入でしょう。あとワタシが期待していたのは佐野裕哉。贔屓にしている鈴木良和と中学生の時に全国優勝した選手です。

相手や場所を忘れてしまいましたが、練習試合で佐野裕哉と鈴木良和がファンタスティックなパス交換で相手をかわしていくのを見て歓声を上げたのを憶えています。あの時は「これなら!!」と思ったのですがねぇ(この記憶、2005年の開幕前だったかも…)。

でも、そこまでだったんですよ。結局。アマラオは全く機能せず(19試合出場で2得点)DFリーダーのパラシオス選手が9月末に柏レイソルへレンタル移籍…(その後は2004年を最後に退団。当時は“いや確かに柏の守備は崩壊しているけど、J2下位のチームから守備の要を引っこ抜くのは「お代官様、勘弁してくんろ〜」状態だろ!”と思っていました。)

この年は、昨年に引き続き山田松市監督を継続しましたが、成績がふるわず、22節を最後に解任され、その後を望月達也監督代行が引き継ぎました。

この年の松市監督は、3勝7分12敗の成績でした。

その後34節より上田栄治監督が引き継ぎました(上田栄治監督は、あの1999年の前半を指揮していただいた監督です。きっと、フロントも監督を引き受けてくれる方を探し回ったのでしょうね。そしてなかなか見つからなかったんだろうな…)。

望月達也監督代行は結局11試合を指揮し、3勝3分5敗の成績でした。

上田栄治監督が引き継いだ後の11試合は、惨憺たる成績で、1勝5分5敗でした。

2004年は、結局44試合して、7勝15分22敗の10位でした。

2005年は、柏から加藤望(確か合同トライアウトから引っ張ってきたはず。トライアウトとはいえ、よくあの当時の湘南に来てくれたなぁ)。何しろいつも落ち着いていて素晴らしいキッカーでした、C大阪から“問題児”佐藤悠介(湘南に来たときは既に問題児ではなく、ぶっきらぼうなにぃちゃんでした)、大卒ルーキーとして田村雄三が加入。助っ人外人として、クロアチア出身のバリシッチやガーナ出身のグラントを獲得しました。バリシッチ(当家ではバリちゃんと読んでました)は湘南のDFリーダーになりましたが、グラントは結局1回も出場せず8月に解雇。

フロントにはC大阪から強化部長として大倉智氏がフロント入りし、また、スタッフにはC大阪からジュニアユース監督としで貴裁氏が加入しました。

8月には元パラグアイ代表のカシアーノとクロアチアの年代別代表だったゴーランが加入。ゴーランは足元がうまくてできれば残って欲しかった選手でしたが、翌年に母国のチームに移籍しちゃいました。
カシアーノなのですが印象がないんです。確かFWだったと思いますが、得点のイメージがないです。
あッ、もう一人いた、森谷佳祐。湘南のトライアウトで入ってきた選手。デビュー戦でいきなり2ゴール!なんかすごい体勢からシュート(「おいおい、その体勢からシュートを打てるのか?!なんか、怪我しそうで怖いよ…」って感じでした)を打つのが印象的でした。(が、その後は怪我がちで、鳴かず飛ばずで2007年末に退団)
佐藤悠介は、上田栄治監督がボランチにコンバートして開花(最初のうちは攻撃的MFだったけど、いつの間にかボランチにいたなぁ。もしかしたらコンバートは2006年?)。“点を取るボランチ”“足元がうまい”“強いシュート”が印象に残っています。

また、8月には浦和から梅田直哉が期限付き移籍で加入しました。高くて強いCFWでした。確かこの年だと思うのですが、相手DFを2人引きずりながらゴールを決めたシーンが印象的でした。(だけど、結局怪我がちで2008年を最後に退団。好きな選手だったのですが…)

しかし何といっても、この年で一番印象に残っているのは、“湘南の貴公子”高田保則が横浜FCへ期限付移籍をしたことでしょう。最終戦の横浜FC戦終了後のヤスのパフォーマンスには涙しました(そういえば、1999年のワールドユース選手権のビデオをまだもっているなぁ。早く電子化しとかないとなぁ…)。

この年は、最初の2連勝以外連勝がない年でした。3連敗はあったけど…最終的に13勝15分16敗の7位でした。

あと、この年は、私事ではありますが、2000年からのホーム皆勤賞が崩れてしまいました。忘れもしない、2005年5月21日14時からホームで札幌戦の日の朝、庭掃除の最中に庭石を踏み外し、左足首の骨にひび(脛骨骨端に縦にひび)が入りドクターストップとなってしましました。結局ホーム戦13節と15節をお休みしてしましました。

この年末に高田保則、吉野智行、佐野裕也、鈴木正人、そして鈴木良和など、これまで中心選手として長年楽しませてくれた選手たちが解雇されました。(ワタシは大倉強化部長が大ナタを振るったんだろうなぁと想像していました。)

2006年は、なんといってもアジエルの加入でしょう。それから、当時、「なんで?」と言われていたヨシオちゃん(北島義生選手)が水戸から移籍してきました。(サポには、まだヨシオちゃんの存在意味が分からなかったのです。ヨシオちゃんは、のちに湘南のムードメーカーとなります。アジエルが「太陽」ならヨシオちゃんは「月」かな。中盤の潰し屋的存在で、年1ミドルを放ちチームを救う。パスやシュートが上手いわけではなかったけど、その明るい性格と中盤での的確な潰し役で、皆に好かれていきました。)

J2リーグとしてはJFLから愛媛が上がって来て、全13チームとなりました。

この年は、何しろ「メンバー一新!」てな年でした。

最初にアジエルを見たときは、なんてうまい選手なんだろう(ディフェンスはしないけど)という印象が残ています。ボールを全身を使って前に持っていく姿は(頭、肩、胸、膝、もちろん足を使って相手DFを抜いていく)痛快でした。湘南では初めて見るタイプでかつ若かった(1980年8月13日生れ。入団時25歳)。でも、はじめのころは一人で動き回り、相手DF複数人に囲まれてよくボールを取られていました。

選手のポジションコンバートが多かったような印象があります。

しかしこの年は、本当に勝てなかった!

シーズン途中、上田栄治監督が、20節終了時点で6勝4分9敗1休、16節から5連敗したところで辞任されました。(上田栄治監督はこの後(2006年9月)日本サッカー協会女子委員長に就任しました。)

その後を菅野将晃コーチが監督に昇格しました。

この年は栄治監督と菅野監督にまたがって8連敗、あと42節の水戸戦に1−0で勝った後、最終節まで勝ち無し(0勝1分7敗1休み)。

最終的に13勝11分25敗のチーム史上最低の11位でした。

でも、シーズン終盤は勝てなかったけど、何かを感じることができた試合が何度かあったのを憶えています。


以上、ここら辺までがワタシの考える「暗黒の時代」です。







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