hitorigoto

つれづれに ただ つれづれに つれづれに
 
2006/09/04 18:12:23|映画のこと
映画を観ました。
 最近、映画「udon」を見てきました。
仲間とかノリのよさとかこれも大切だな〜。
 元気って言うのかな?!活力?!青い春?!前へ進む活力あふれる力となる気力。

 人が楽しく生きるうえで、きっとみんな心の底では求めているのに、なんかテレだったり強情はったりして自分でなかなかそこにたどり着けない。結局、空虚な自分がいつもそこにいて、ため息。

 青い鳥はそこにいるのに、旅にでなければどうしてもたどりつけないオリエンテ−リングのような人生。

 成功と思われたことが実は失敗だったり、しかし失ったものも大きければ、また得るものも大きかったりすることも自覚する。

 近道なんか無いだろうし近道したところで、なにが待っているのか。遠回りしたからといって、大変だから”失敗”でもなさそうだし。

 もう一本観た映画「ゲド戦記」では、「死ぬことがわかっているから命はたいせつなんだ。死が怖いのじゃなくて生きる事がこわいのよ!」不安と自信のなさが心の闇を肥えさる。・・・・・「言葉は沈黙に 光は闇に 生は死の中にあるものなれ 飛翔せるタカの虚空にこそ 輝ける如くに『エアの創造』」
と言っている。何か表裏一体だということなのしょうか?!

 裏も知らなければ表知れず、表を知らなければ裏を知ったことにもならない。両面知らなければ知ってるという事にはならないんでしょうね!きっと!そのためにとゆうことではないけど・・・・・・

 何か、大切な何かを知ったとき人は人生を終わりにしてしまうのかも知れない?!  

「あきらめる」と言う言葉は明らかに極めると言う意味があるらしいけど、その際で人間は明らかに極めてやっと諦めて一生を終えることができるのかも知れない?!それが真実を知ったときなのかな???あのひと達にしかわからないことだけど・・・・・
誰も聞く事は出来ないね。

なぞなぞ?????







2006/08/26 23:05:57|ふっと、思った事
ふっと、思いました。
ユーモアの有る人と無い人では、幸福度が違うだろうな?!

幸せって、幸せになるとかならないとかじゃないのは当然だけど

幸せか幸せじゃないか?!って、感じるか感じないかだから、その幸せに気づけるか気づけないかが問題なんだろうな?!

やっぱり、感動する人は幸せだろうし、ましてや、そこにユーモアがあれば人から見れば不幸に見えても本人はそこそこ幸せかも知れない。

それを馬鹿馬鹿しいと思ったらなかなか幸せを感じることは、難しいんだろうな?!

今はそう、思うんだ!ユーモアは大切だって。

家を建てるとき狭い土地にしては無駄なスペースが多かったので「これは無駄だ」と言ったことがありました。そしたら建築デザイナーのひと曰く「無駄は余裕だ」と。

この余裕が無かったら、きっとキツキツでいつも切羽詰まった生活しか送れなかったかも知れない、ユーモアや音楽や絵画も同じで、有ってもなくても生物として生きるには必要性はないようなものにこそ、人生を豊かに出来る魔法が隠されているんだろう。

どうせ生きるなら、その魔法の隠し場所を探しながら生きて見つけるごとに感動したりして小さな幸せをひと時大事に感じていたいと、密かに思っているのです。







2006/08/20 21:43:29|思い出
1999年に父の肉体は亡くなりました
ただその肉体が突然消えてしまった感覚なのです。

能動的には話したりできなくなってしまったけど、生前より父は私の近くにいつもいてくれるような気がします。

父は物質的なことには価値を感じなかったようで財産も借金も残さなかったけれど、いろいろな思いでを残してくれました。

よく家族で夜な夜な飲みに行き、いろんな話しをしてくれました。父の価値観、正義、信念、真実、自然、生きるすべてのことについて、また私達の話を聞いて認めてもくれたし、自分の情けなさや弱みも見せてくれたのです。それが逆に人間的で私はそんな父が大好きでした。・・・いまでも。

あれから7年、私にもいろいろな困難苦難も訪れたけど、人のセイにせず逃げる事も無く乗り越えることができたのはそんな父が残してくれた思いでがたくさんあったからだと思います。

物質至上主義的に考えている人から見れば負けよしみに聞こえるかもしれませんが、お金や財産は守るのも大変だし維持していくのも気が気でなりませんが、父が残してくれた思いでは消える事も無く減る事も無く、盗まれる心配もないし嫉妬さえされず、いつももって歩けます。もしかしたら、あの世にだってもって行けるかも・・・・・

それなのにものすごい力があるのです。

多分、今父は私達家族の事など心配することもなく、先に逝った友人や親類と酒でも飲み交わし意見を戦わしながら楽しんでいるんじゃないかと確信しています。また私達家族も先に逝った父を心配している人は多分いないと思います。信じているからです。

お父さん!  ありがとう。  私はあなたの娘でよかった。
たった38年間だったけど、楽しかったよ。逢えてよかった。












2006/08/18 23:57:44|小旅行
落雷の影響
 お盆に田舎へ帰ろうと、前日から準備をしていたけど、お昼になっても準備はできず、しかたがないので、私は掛け声をかけた。「1時に出るつもりで3時に出よう!」そう!我が家にはセッカチも仕切り屋もリーダーらしき人も誰もいないのです。

それでも帰省組その他大勢の母と子供二人は落雷で止まった山の手線を横目に京浜東北線を待ちに待った

子供達にとっては初体験の満員電車に驚きは隠せない様子(夏休み最高の思いでになりそうです)

荷物も子供も人の間で宙ぶらりん。朝のラッシュと違って大きな荷物がところどころ有るせいで小さい子供も息が難なく吸える。と言ってもやはり息苦しい。

そんな中神田から乗ってきた都会的センスを身につけた30歳半ばのカップルが子供達を安全な場所へと誘導してくれた・・・・
ありがたかった。

子を持つ母としては地獄に仏に手を差し伸べられたようだった子と共に深く深く感謝した。

上野に降り立った人たちは運命共同体のごとく手を握り合って喜びたかったに違いない

ほんの数十分ではあたが誰も文句も言わず状況を認め受け入れていた。そんな知らない人達同士の中に一緒に居れた事にチョッと幸せを感じていたりするのです。

一期一会   袖擦り合うも他生の縁?!







2006/08/02 22:20:34|ふっと、思った事
甘える人がいるから
 先日、二百人の子供達をつれて、キャンプに行ってきました。
勿論 沢山のボランティアの人たちのスッタフの一人です。

 いろんなアクシデント、トラブル、落ち込んで眠れなくてと言う二泊三日で何もできなかった私自身、疲れたなーと言う感じでした。

 その疲労の中、最後の締めの反省会(会長 男性 40半ばかな?)
勿論ボランティアで、本業の仕事もかなりできそうな、しかも決断力もあって、優しい気持ちも持ち合わせて、完全自主独立してそうにみえる本部会長が、野外活動指導者(かなりこの方も独自のしっかりした考え方を持ったいい意味で熱い人なのですが)「この方に甘えられたからここまで頑張ってこれた・・・」と言うんです。

 ここまで何でも出来る人がそれでも甘える人は必要だと言うことに驚きと、ともに感動してしまいました。

 この方の他力に対する感謝の気持ちなのかも知れません、自主独立してるからこそ甘えてもいいのかもしれません。何もしようとしない人に甘えられても甘やかしたくもないでしょうけれど。

 人間が仕事をしたり勉強したり頑張らなければいけない時にはいくつになっても誰か甘える人が必要だということなのでしょうか?!

 子供は勿論
そうかぁ・・・!家の旦那も甘えさせてあげないと仕事も頑張れないと言う事かぁ・・・・・ふむふむ。

 会長、ありがとう!
大変だったけど反省会で疲れは無くなってしまいました。
どころか今まで感じた事の無い未知なるさわやかな感動だけをのこして・・・・・なんて空は青いんだぁ。