60代 なるようになるさ!なんとかなるさ!なんとかするさ!

70代になったけど タイトルはそのままで
 
2025/03/26 13:32:00|ぶらぶら歩き
最後の切通へ

今日は 暑い! 部屋の中28度もある

窓を開けたいけど 外は黄砂だからな



最後の切通は 覚園寺切通で 鎌倉アルプスと呼ぶ

ハイキングコースから 覚園寺へ降りる途中にある

何度も歩いているから 覚園寺分岐までは省く

途中 外国の女性が歩いてた 覚園寺への分岐では

アジア系の男性2人がいて 今泉台の方へ降りて行った 

吾輩は 右手に折れて 覚園寺へ向かう

途中 右手それとも左手に進むか 迷ってたら

地元の方が 左が正しいルートだと 教えてくれた

感謝!


そこ以外は 只管降りるだけの道

住宅の横を通り 反対側は覚園寺の境内

場所的には 二階堂 ですね


小さな切通が 2つあって

最後に ちょっと大きな切通だが そんなに大きく

もない程度 20分ほどで 降りきった

さて 鎌倉駅に向かう 急に増えた外国人だが

歩く姿を見ると 相当お疲れの様子だよ




読んだ本に 南海トラフ地震の説明があった

南海トラフは 水深4000mにある平らな凹みを言い

静岡県から 宮崎県まで続いてる

トラフの北側には 3つの地震の巣があって

東海地震の震源地(静岡沖)

東南海地震の震源地(三重の沖)

南海地震の震源地(徳島ー高知の沖合)

今は これが 連動して起きると 予測されてる

歴史的には

1605年 東海地震(慶長地震 M7.9)
1707年 東海地震(宝永地震 M8.6)
1854年 東海+東南海+南海地震が
    32時間の時間差で発生(安政地震M8.4)
1944年 東南海地震の2年後に南海地震
    (昭和地震M8.0)

大体 100年ピッチですかね

それで 予測されてるのが 2035±5年らしい

遅くとも 2040年までには 起きると


この南海トラフ地震には 前兆があって

最初に 内陸部で 地震が起きるとか

その前兆地震が 2021年山梨東部地震 M4.8

同日に 和歌山でM5.4の地震だという

フィリピンプレートが 動いている証拠だな

さらに 室戸岬に近い場所の 土地隆起を計れば

それなりに 予測が出来るようでもある

東北地震よりも 影響が大きいから 各自の覚悟と

事前準備が必必須だな



写真
鎌倉アルプスから 鯛焼き屋へ向かう階段分岐
 建長寺
  覚園寺への分岐
横穴(墓)が数個
 最初の切通
二つ目の切通
 住宅の横を通る
一番大きな切通
 下に降りた





 







2025/03/25 13:46:00|ぶらぶら歩き
ついに踏破した!

今日は 丹沢が霞んで見えるよ

中国の黄砂襲来 昨晩の雨の水蒸気だと

思うけど 散歩はマスク着用だ

黄砂だけなら まだしも

黄砂に含まれる 大気汚染物質 これなんだよ!



そんな大した 話ではないけど

鎌倉の切通を すべて歩いたよ

鎌倉七口:大仏切通 朝夷奈切通など 7か所

それ以外:釈迦堂切通 獅子舞切通など 11か所

今回は 11か所の内 明月院切通 覚園寺切通を

歩いてきた


明月院切通は 名前の通りで 明月院を過ぎた場所にある

吾輩 この道は何度も通っていて 庚申塚は記憶にあったが

まさか 道があるとは つゆ知らずでした


落石注意の看板を 見ながら登る

地理院の地図には 乗ってないけど

しっかりとした 道が続いてる

最近 見かけなかった 台湾リスもいました

5分ほど登ると 切通にでくわした

大きな切通ではないけどね


なぜここに切通がある? という疑問には

答えられないけど 大船方面から 明月院の谷に

つながり 巨福呂切通を経由して 鎌倉の街に

入って行く 街道なのか?と推測


切通を越えたら 犬を連れて 1歳児ぐらいの子を 

抱っこした 若い母親に会った

まさか この道を歩く方がいるとは 思いもよらず

その女性は 吾輩を危険人物と認識したかも

狭い 藪の道でもあり 地元の方なんだろう


六国見山からの道に出て 降りていくときに

道を間違った すぐ戻ったけど

3-4回通ったことがあっても それでも道迷い

とは 情けないね



令和の米騒動だが ついに米屋が廃業になった

京都で 創業90年の老舗だったが

「米屋ですが コメがありません」と

店先に貼った 閉店のお知らせ


やはり 米の価格の問題ではなく

米の不足が 問題の本質のようだ

農林省の認識不足 米行政の失敗なのか

どちらにしても 戦後80年のコメ政策が

曲がり角にきてる 証拠だよね

変われない 自民党の政策なんだろうね



写真
庚申塔に出くわした
 庚申塔の横の道へ
上り道
明月院切通
真ん中の写真に子供連れが
 赤ん坊はずっと吾輩をにらんでる



 







2025/03/24 17:32:00|ぶらぶら歩き
ダメだな!

意思が弱いと つくづく実感するよ

吾輩 ダメだな!

今日 立ち寄らないと決めた 鯛焼き屋へ

足を運んでしまった

先日から 右足がちょっと痛いけど出かけた

ストレッチで 足を痛めた 面目ないよ



今日は 鎌倉の切通歩き 江の島の瀧口寺 常立寺

の計画で 出かけたのだが

切通し歩きの途中で 今泉台の 一丁焼き 鯛焼き屋へ

それも この鯛焼き屋 今朝NETで知ったばかり

しかも 今泉台は 限界集落と言うか 高齢者が多い

そんな 北鎌倉商店街にある

シャッター通りに近い雰囲気だった


鯛焼きは 江戸時代に三重の人が始めた と店主

元々は 一丁焼きが本来の焼き方だという

鉄板で焼く 鯛焼きと異なり 専用の型で

ひとつづつ焼く

小豆の鯛焼きを ふたつ頼んだ

目の前で コンロに点火し 焼き始めた

15分ぐらいで 焼きあがったよ


その間 店主と雑談だよ

なんでも 渋谷の富ヶ谷の生まれで 

吾輩より1歳下だった 良い時代に生まれたと言った

日本が 経済成長を始めた時代を 生きて来たから

貧乏だった時代の話は 芋粥とか言ってたな

吾輩は 麦飯の話だよ


店主が働いているので 1歳違いの吾輩も働くべきだ

と言われたが 若い時から 自営の店主と違い

サラリーマンだった 吾輩にはスキルがゼロだよ


2009年 鯛焼き屋を創業し 奈良 京都で店を持ち

2022年 ここ今泉台に開店した

奈良では 東大寺の関係する 町家を借りて

京都では 京阪三条に店を持ってたらしい

焼きあがったら お元気でと声をかけ 店を出た

いつまでも尽きない 昔話だが 吾輩は先を急ぐ



石破内閣の支持率が 急下降してる

朝日放送 29.2% 8.3%低下
TV東京   35% 5%低下
共同通信 27.6% 12%低下

今年の夏の 選挙までもちますかね



写真
北鎌倉商店街
 鯛焼き屋
一丁焼きの看板
 型で焼いてる途中
  鯛焼き(HPから)


 







2025/03/23 14:24:00|日々の出来事
始まりは1618年だと

江戸幕府公認の遊郭 吉原遊郭は1618年に

湿地帯を埋め立てて 始まったという

ヨシが生い茂る街で 葦原から𠮷原に転じた

その場所は 今の都営の人形町駅の東側にある

大門通りに 沿ってあったようだ

交差点から見ると 北北東ですかね


ただ 明暦の振袖火事1657年で 浅草北のたんぼ地に

移されたという

𠮷原の西隣にあったのが いくつもの芝居小屋で

こちらも1841年の火事の後 浅草の猿若町に

移されたとか 賑わったらしいよ



日本は大丈夫なんだろうか

韓国で 大韓航空とアシアナ航空が 合併し

世界10位の航空会社が 誕生する

世界の利用者数で 20位に入ってない両社なんだが

日本は ANAが20位にランキング  JALは不明

因みに 1位アメリカン 2位デルタ 3位ライアン

8位インド 10位トルコ となってる


それとも アライアンスがあるので 競争力 利便さは

維持されるのだろうか

ちょっと やばいような気がするけど



写真
江戸時代の芝居小屋 𠮷原の位置
 東堀留川 西堀留川と銀座
吉原の入り口 思案橋とおやじ橋
 現在の地図上ではここだ
思案橋(𠮷原との境界)
 おやじ橋から芝居小屋を見る



 







2025/03/22 14:01:00|日々の出来事
確信に変わったよ

60年ぐらい前の話は 田舎にいた子供時代

徳島新聞に 写楽は徳島(阿波)の人という記事

内容は 推測の域を出てなかったが

我輩的には まさか阿波の人が 東洲斎写楽?

それはないだろう 阿波は田舎で 浮世絵には

ほど遠いよだったが どうも 本当のようだ


阿波藩の 能役者で 斎藤十郎兵衛(右衛門とも)が

その人だという  疑問だったのは 阿波藩の人と

江戸の浮世絵が 距離的に遠すぎて 結びつかなかった

それが 江戸時代の地図 地蔵橋近くに 斎藤右衛門と

いう武士が住んでいて これが写楽だと


江戸時代の俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也

と本に記載 他の本にも 号写楽斎地蔵橋とも 書いてある

蜂須賀家の古文書にも 斎藤十郎兵衛の名前が出てる

さらに お寺の過去帳にも 八丁堀地蔵橋 阿州殿御内

斎藤十良(郎)兵衛とも 書かれてる


わずか10カ月の絵師だったが 大したもんだよ

あの 歌舞伎役者 大谷鬼次の絵は

居宅は 今の日本橋茅場町にあったので 寄り道もあり



先日歩いた 旧米澤町に生まれた 小林泰彦さん

実家は 上生菓子を作る 立花屋と言った

創業は 享保8年(1723年)で 今から300年前

老舗だったわけだが 戦時中 軍部から

生菓子は贅沢だと言われ 無理に閉店させられた

碌なことをしない 軍部だと実感



生成AIを使って 犯罪が出来るようだね

楽天モバイルが その被害者

楽天から獲得したアカウントが 転売され

闇バイトに 使われているともいう

生成AIが 犯罪の引き金になるとは


さらに 武器も製造できるようだよ

AIも規制が 必要かな?



写真
写楽の役者絵
 写楽の居宅跡
江戸時代の地蔵橋付近地図
 コロナの定点把握推移