両親を含めた 先祖のお墓詣りへ行った
7年前に 姉が墓じまいをやっていて
今回 初めて 菩提寺の永代供養の納骨堂へ
吾輩 ここは2度目で 15年前に来た
父親の27回忌の法事
弟とふたりで 手を合わせてきたよ
この納骨堂には 隣の家も収められている
やはり 墓の面倒をみる人が いないことが要因
隣のおばさんと 吾輩の母親で 話が弾むだろう
我が家は 姉の娘が結婚して 名前を引き継げない
ことと 墓の守りが大変なので 姉が決断した
お寺には 檀家別過去帳があって
位牌の文字を読み取って お寺が作ってた
ただ 文字が読み取れたのは 少しだけ
しかし 変なんだよね
吾輩 弟 姉が知らないし 両親から聞いたこともない
そんな人が 過去帳に書かれてた
矢野孫吉 明治33年3月14日逝去
我が家の 名前ではない
それと 昭和21年7月1日に亡くなった 童女
まったく聞かされてない
先祖の遺骨は 50ぐらいあったのかな
中学生の当時 旧菩提寺から お墓を移す時
一時家に お骨を置いてあったから 分る
その時 一番古い位牌に 寛文xxと書いてあったのは
記憶してる 1670年ぐらい?
我が家 途中で血筋が絶えて 広島の方を
養子にしたというのは 母親から聞いていた
江戸時代の話なので 真偽は不明
その当時 新菩提寺から 五十回忌 百回忌の法要を
言われて 法事をやったよ
その時の記録が お寺に残っていると思うが
世代が変わっているからか 資料は残ってない
今なら 百五十回忌の法事だな
今読んでる本に
月日は百代の過客にして 行き交う年も・・・
ここ数日で 実感した
写真 部落の神社(吾輩の遊び場だった) 神社の境内(祖父の映った写真がここ 紙芝居の場所) 樹齢数百年のクスノ木 60年以上前のスベリ台と廃屋(ここで習字を習った) 神社の階段 神社の本殿(壊れているが 解体費用が高くて) 上から見た町並み 神社の横手にある 部落の墓地 我が家のお墓の跡 菩提寺 お寺の本堂 その横手に 納骨堂
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