60代 なるようになるさ!なんとかなるさ!なんとかするさ!

70代になったけど タイトルはそのままで
 
2015/01/17 12:55:00|ぶらぶら歩き
鶴見線 海芝浦駅に歩いて行く道はない

鶴見線 芝浦支線を進む

走ってる大勢の人に 出くわす

JFEエンジニアリング

オカムラ横浜物流センター

東芝京浜事業所

大きなビルが 続く

ここに勤めてる 人達なのだろう


そう言えば 時間は 昼休みの時間
 
左に 新芝浦駅が 見えた

がっ おかしい

東芝の正門が 正面に見える

しかも 道路を塞ぐように

守衛の人が こちらを睨んでる

気後れがする
 

東芝の敷地に 入るか否かの場所に

その 新芝浦駅がある

コンクリには Toshibaの文字が

この駅は 東芝の所有か?

写真撮影だけは 大丈夫だろう
 

しかし 海芝浦駅への 道がない

いくら探しても

守衛さんが立ってる 道以外は

あいさつしても 通してくれそうにないし
 

東芝の正門受付で 聞くことに

「もうひとつ先の駅に行く道はないのですか」

「ないです。電車で行く以外ないです」

「ありがとうございます」

どうもそのようだ

駅に戻り 時刻表を見る

13:09 までない  あと40分もある

うさんくさい目で 見られながら

駅で 過ごすか・・・

諦めました 次回には必ず

 
一番行きたかった駅

それが 海芝浦駅 だった

わたしが若かった頃の TVの映像

昭和の通勤風景

電車から降りた 職工(この名前が良い)さん達が

次ぎから 次と 工場に吸い込まれて行く

これが この駅なんです

右側に 海が見えた
 

この駅は 東芝の所有です

東芝の敷地内なので 当然か

今は 横に公園も作り

サービスしているようです
 

元の道を 戻ります

東芝の社員の方が ゴミ清掃中です

だから この道路は きれいなのだ

浅野駅の名前は 浅野総一郎から出てる

浅野セメントの創業者で

お墓は 鶴見の総持寺だ
 

次の 弁天橋駅を目指すが

ここでも 線路沿いの道がない

大きく迂回です

JFEエンジニアリングと

旭硝子の 間の道を抜けると

駅があった

昼休みの時間なので

訪問客が 駅前のベンチで時間調整中

サラリーマン感が 満載の雰囲気

 
この駅の改札から 10歩で

JFEの正門だ

ここも生活感に 乏しい

JFEと旭硝子の企業専用駅のようだ
 

昔 知り合いの女性が 旭硝子で働いていた

それ以来 良い会社だと思ってきた

最近は 業績が悪いですね

株も買ったのだが
 

ファミマで 野菜ジュースとパン

駅前ベンチで 昼食

足腰に 疲れが 出てる

鶴見小野駅まで 歩きたいが

でも 体力への過信は禁物 無理をせず

ここから 電車に乗ることに

 
ホームの乗客も増えてきた

そろそろ電車が着くようだ

構内に入る

目の前で 電車の写真を撮る男性

わたしも 撮りたいが 気が引ける
 

前に 働いている中年女性が立っている

40歳前半か

Name Tag が見える

“ Japan Airlines “ だ

日本航空の人? なぜここに

JFEか旭硝子と交渉?
 

電車は13:10発だ

電車到着まじかに 多くの

黒いコートの サラリーマンが入って来た

場違いなのは わたし ただ一人か

午後から 出張に出る人たちだ

 
電車に乗り込む

車内では サラリーマンの会話が

自然と 聞こえてくる
 
いろんな会社の名前が 出てる

その中に わたしが勤めていた会社も

向かいの50歳ぐらいの

サラリーマンと 頻繁に目が合う

知り合いか?

そんなことは ないはずだ

わたしは 知らない

 
鶴見小野駅
国道駅

を過ぎて 鶴見駅に到着

鶴見線のウォーキングも 終わりです
 
竹内まりやの「駅」 良いですね


写真
浅野駅
新芝浦駅
弁天橋駅
海芝浦駅(こんなところ)


今日の歴史
1874年 板垣退助らが民選議員設立建白書を提出
1893年 ハワイで革命によりカメハメハ王朝が倒れる
1920年 アメリカで「禁酒法」が発効
1966年 米軍B52がスペイン海岸上空で墜落 水爆1個が行方不明
1991年 湾岸戦争が地上戦に突入
1995年 阪神・淡路大震災が発生


誕生日
1899年 アル・カポネ
1921年 糸居五郎
1929年 村田英雄
1939年 寺内タケシ   
1942年 モハメド・アリ
1952年 坂本龍一
1959年 山口百恵





 







2015/01/16 14:00:00|ぶらぶら歩き
鶴見線の陸の孤島駅 大川駅

浜川崎駅から 武蔵白石駅に向かう

JFE東日本製鉄所に 沿って歩く

ここも 大型トレーラが 行き交う

交差点に 信号機はない

歩道は 大きく凹んでるが

そんなことは お構いなしだ

左右 前後を見て

一気に渡らないと 危ない

運転手 人が歩いているという

感覚は 持ち合わせてないようだ

 
安善駅に着いた

駅の前は 駐輪場だ

20台ぐらい

自然に出来たもののようで

適当に 停めてある

通勤客が いるようだ

 
次の駅 浅野駅を目指す

道の左側は 商店街だが

ほとんどは 閉まってる

マンションが 右手に

やっと 人が住んでる気配が
 
んっ 大川駅はどこだ?

立ち止り

地図を取り出し 確認する

行き過ぎたのだ

急に疲れが 足腰にどっと・・・

しかし 無視する訳にもいかず

戻ります 

一歩が ずっしり重く 遠くに感じる

 
交差点に戻り 運河の方を目指す

結構な距離がある

運河を越え 遠くに 大川駅が

駅の前は 三菱化工機(株)

向こうには 日清製粉(株)

やはり ここも企業専用の駅

9時台から 16時台まで 電車はない


線路が 雑草に埋もれてる
 
駅舎は 木造で 年季が入ってる

戦前の昭和のような レトロ感満載

だが ここは 横浜市なのだ

周囲は コンビニとか 何もない

生活感はゼロ

孤島の駅だ

 
Next 浅野駅へ

先ほどのマンションを過ぎ

左右に民家が並ぶ

行き当たりには 工場が

線路伝いに まっすぐ行く道はない

工場の脇を 迂回です
 
突きあたりの入船公園を 左に折れ

浅野駅です

駅名表示が きちんと有り

外見が 一番 立派な駅です

近くに 大きな会社でもあるのか

この駅は ホームが二つ

浜川崎方面と 浜芝浦駅方面に分岐

そのまま 駅前を 海方向に 南下

ー続ー


写真は
武蔵白石駅
大川駅
大川駅ホーム
安善駅

今日の歴史
1854年 ペリーが7隻の軍艦で再び来航
1974年 石油危機により電力使用制限令
1980年 ポール・マッカートニーが大麻持込み成田空港で逮捕
1990年 勝新太郎がホノルル空港で麻薬所持の現行犯逮捕

誕生日
1853年 ミシュラン
1948年 堀内恒夫








 







2015/01/15 13:59:00|ぶらぶら歩き
鶴見線の昭和駅は年号でない 昭和駅から浜川崎駅へ
あやうく 通り過ぎるところだった

昭和駅が 信号の左手に 見える

この信号 昭和電工(株)川崎事業所の正門の前



この昭和駅改札から 数歩で 昭和電工正門だ

そうか この駅は 昭和電工(専)用なのだ

周囲には 民家が2軒、店舗が数件あるのみ

ほこりにまみれて 灰色がかってる

人が住んでいるとは 思えないが


昭和電工の従業員用なので

昭和駅” なのだ



運河を 越える

少し ほこりが 減ったような

セブンイレブンを発見

生き返ったように 感じる

おむすびを 買った


地図では 次の駅への 近道が

点線で表示された 道路ではあるが

それは 711の前を通る道

だが そこには 閉まった門 脇に人の出入り口

「緊急時以外 開門しない」 との看板だ

711の人に 尋ねた

「前の道は 通れるのですか?」

「通れますよ」 との返事

しかし どう見ても 会社の敷地

出てくる人も ヘルメット姿

勇気が いるな 入るには


711前で おむすびを 食べながら

前の郵便局ビルから出て来た 若い女性に尋ねる

「この道は 通れるのですか」

「大丈夫だと思います。駅に近いと思います」

安心の一言に 決断



意を決して 門をくぐる

怒られたら その時は その時

毛糸帽子 ウインドブレーカ ボディバッグ

どう見ても サラリーマン風ではない


幸い 人が歩いてない

JFEテクノビルの人に 見られたが

何にも言われず

やっと 無事に出口へ

こちらに 門はありません

何だったんだろう ここは


10軒ほど 民家が続く

初めて見る 民家 散髪屋も

その先が 浜川崎駅

右手には 南武線の浜川崎駅

左手には 鶴見線の浜川崎駅

連絡通路は ありません 道路横断です

南武線は 駅名の看板があるが

鶴見線は 何もありません

横の 浜川崎商店は シャッターが閉まってる



ここは 橋上駅なのだ

階段を上がると 駅らしく

Suica改札 切符販売機が

反対側は JFE従業員専用だ

立ち入り禁止です

プラットホームでは 乗客が

ただ一人座って 電車を待ってます

生活感が まったくない

ー続ー


平塚の相模川鉄橋で見つかった

若い女性の遺体

犯人が捕まりましたね

火曜日に歩いたのは 遺体発見のすぐそば

その日に 任意同行 翌日に逮捕

手を合わせた訳ではないですが

良かったです


今日の歴史
1191年 公文所を「政所[まんどころ]」に改称
1862年 坂下門外の変
1874年 東京警視庁(現在の警視庁)創設
1936年 日本がロンドン海軍軍縮会議からの脱退を通告
1939年 69連勝の横綱双葉山が安芸ノ海に負け
1971年 アスワン・ハイ・ダムが完成
1988年 韓国が大韓航空機事件は北朝鮮側の爆弾テロと発表

誕生日
1892年 西條八十
1929年 マーティン・ルーサー・キング
1930年 新珠三千代
1937年 コシノヒロコ
1941年 高橋元太郎
1943年 樹木希林
1945年 落合恵子
1962年 石原良純






































 







2015/01/14 19:12:00|ぶらぶら歩き
鶴見線を歩きに 扇町駅から第一歩

いろいろと 迷った挙句

鶴見線を 歩くことに 朝決定

この路線は 神秘感 レトロ感 いっぱい

計画は 終点まで歩き

そこから 逆に歩くのだ

なぜか?

駅の周りの景色を 楽しむのだ

電車に 乗ったままでは

生活感とか まったく感じられないのだ


10:20 鶴見駅発 扇町駅行きに 乗る

20数年前は 鶴見小野駅で 何度か降りた

ちょっと わくわく感

椅子には 座らず 

電車の前が 見える位置に立つ

社内は サラリーマンばかり

違和感 丸出しのわたし

弁天橋駅 浅野駅で

ほとんどの乗客が 降りた

10:30 扇町駅に到着

乗客は たったの4人(私を含め)

当然 駅は無人駅


駅の外に出る

大きな道だが

ダンプ 大型トラック トレーラが

激しく 行きかう

騒音が ひどい

ほこりを 巻き上げる

”たまらん”

車道から 歩道まで

ほこりが 積ってる

マスクを するべきだが

持ってこなかった


どうも イメージが 大きく違った

さて 海の方に 行く道は あるか

どうも 無さそうだ

大きな工場ばかりで 道路の先が見えない

ここに居るのも 良くないし 

早々に あきらめ

昭和駅を 目指して 歩き始める

ー続くー


写真は
鶴見線の路線図
電車と車窓から
扇町駅
駅から見える工場

今日の歴史
1874年 岩倉具視が赤坂で高知藩士らに襲撃され負傷
1943年 カサブランカ会議
1954年 マリリン・モンローがジョー・ディマジオと結婚 
1959年 南極大陸で置き去りのタロとジロの生存を確認

誕生日
1875年 シュバイツァー
1925年 三島由紀夫
1938年 細川護煕
1941年 フェイ・ダナウェイ











 
 







2015/01/13 18:46:00|日々の出来事
保険会社のTVコマーシャルの相模川沿いをウォーキング

昼食を 取ってから

ウォーキングに出る

天気も良く 相模川沿いの土手を 歩きに


今日は 初めて 土手を 降りて

花畑 散策路 を歩いてみた

川沿いは 枯れたやぶばかり

花畑の中は 花はなく

菜の花が 20cmぐらいだけ

のんびりと 歩く 年配夫婦

ベンチで ランチを取る 年配夫婦

ジョッギングの夫婦

釣り糸を垂れる おじさん

とかです


湘南ベルマーレの 練習グランドは

芝生の手入れに 余念がありません

3人の方が 仕事をしてました


アリーナの南側の サッカー場では

御年 70歳ぐらいの男性達が プレイ中

しかし 動きが 遅い

仕方ないか 年が年だけに


でも 何かおかしくねえ?

人数が 多いような?

そこで わたし 数えます

動きが 遅いので 簡単です

赤チーム13人 白チームも13人

2人多い

仕方ないか

グランドが 広すぎるのだ


土手の上を 歩きます

風もなく 気持ちよく

9000歩

これで 帰ります


写真は
相模川(水は青いです)
土手の道
川沿いの散策路
ベルマーレと年寄りサッカー
(向こうに見えるアーチがコマーシャルに)

今日
1980年 西ドイツで「緑の党」を結成

誕生日
1938年 野沢那智
1955年 伊藤蘭





































 







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