総持寺を訪れるのは 12年振り
サンノゼの相棒を 案内して以来だ
ここが有名なのは
石原裕次郎のお墓
他にも 益田孝(三井物産、日経新聞)
水原茂 浅野総一郎 前田青邨 芦田均
などなど
今回は お墓マイラーとして
マイラーは お墓参りの”参り”と
人の ”er" を掛けたものらしい
総持寺は 鶴見にある
曹洞宗の大本山のひとつ
元は 能登半島地方に
700年前から あった
明治38年 寺が全焼したため
明治44年に 鶴見に寺を建て
移ってきた
参道を歩き 総門をくぐり
目の前には 大きな 三門が
コンクリ作りでは 最大のものだと
ネットでも 地図は見つからず
境内に 案内の地図もないし
さて 墓地は どこにあるのか
とにかく 奥に進む
伽藍の中心の 仏殿を見て
その右側には 大祖堂という 大きな建物
現在は 工事中だ
その横を 通って奥へ
ようやく お墓が見える
ここは 左 中央 右とエリアが 分かれ
相当広いようだ
今 自分が 何処にいるのか
迷子状態
有名な人の お墓は大きいのだろう
勝手な推測で とにかく 歩く
歩いても 歩いても そのような
お墓には 出くわさない
左手の方にも お墓が見える
そちらへ 行ってみようと
小屋みたいなものを 発見
地図がありました
ここは 右エリアと中央エリアの境界
たしか 裕次郎のお墓は 左エリア
さらに 歩く
案内板を発見
「石原裕次郎氏の墓処」
途中に 2〜3か所に 案内が
途中に 剣豪 神刀流 日比野雷風
先生近代剣舞の祖と言われる 明治の人
高さ 9mのお墓が あった
形が 日本刀に似て
周りを 威圧する
やっと 見つけました
きれいに 花が いっぱい
生けてあります
さすがです
昭和の大スター
亡くなってから 28年
生きていれば 80歳
若い男性が お祈りをしています
その後に
年老いた 80歳ぐらいのおじいさんが
線香を あげて
お祈りをしてから
お墓の 階段付近に 腰かけます
思い出に ふけるのか
わたしも 手を合わせます
わたし 写真を撮ろうとすると
おじいさん
「写真か どうぞ」 の一言で
立ちあがってくれました
同年輩の夫婦が 来ました
わたし おじいさんに
「よく来られているのですか」
おじいさんは 何も言わず
夫婦に向かって
「中で どうぞ お参りしてください」
夫婦は 遠慮してます
おじいさん
階段に 腰掛け直します
よく見ると
おじいさんの 帽子には
"ISHIHRA YUJIRO"
関係者の方ですかね?
帰ることに
ただ 出口が見つかりません
右へ 左へと歩く
階段らしきものを 見つけ
やっと 普通の道へ
東京の谷中墓地では
お墓の地図が 配られていたが
このお寺 お墓探しは 難しそう
写真は
三門
仏殿
日比野雷風お墓
石原裕次郎お墓
今日の歴史
1467年 応仁の乱が始る
1657年 江戸で明暦の大火(振袖火事) 死者10万人以上 江戸城天守閣が焼失
1778年 クックがハワイ諸島に到達
1890年 富山市で米騒動
1942年 「日独伊三国軍事協定」に調印
1952年 韓国が李承晩ラインを設定
1980年 自衛官スパイ事件
誕生日
1689年 モンテスキュー
1889年 石原莞爾
1904年 ケイリー・グラント
1937年 上田利治
1944年 小椋佳
1947年 衣笠祥雄
1947年 ビートたけし
1948年 森山良子
1955年 ケビン・コスナー
1957年 秋野暢子