60代 なるようになるさ!なんとかなるさ!なんとかするさ!

70代になったけど タイトルはそのままで
 
2015/05/24 13:13:00|ぶらぶら歩き
のぞき込むのはやばい 江の電

鎌倉の路地奥の民家 その間を走る江の電

長谷 由比ヶ浜の住宅街に

それは 狭い路地がある


何気なく 路地に入ると

江の電の踏切が

左右の見通しは 悪い

覗きこむと 頭が電車にぶつかりそう

電車との距離 1mほどか?


笹目の交差点手前で 路地奥へ

またまた 踏切が目の前に

渡ろうとして

左を見ると おばあさんが

歩いてる

線路脇の道 これ通路??

いや 側溝に蓋がされてるだけだろ

にしか見えない

通路では ないだろう

幅は 50cmほど 肩幅ぐらいだ

歩いて良いの? わたし考える 数秒間

線路の柵に 

”歩くときは傘に気を付けて 江の電”

おー 良いのだ

ここは 鎌倉・・・

おばあちゃんを 追うように 歩く

そこへ来たのだ 江の電が 藤沢方向から

わたし 体を避けるような態勢に

1mほど前を 電車が通る

いやー ちょっとスリルがあるね

これで わたしも鎌倉通だね


その先には 和田塚の駅

電車から降りた おばさんが二人

線路の反対側の 脇道をこちらへ

線路を横切った

地元の人なんだろう

ジロッと 睨まれたような気もしたが

ぶつかってしまうね

さて どこで避けようかな

目の前で おばさん達 右へ行った

よかった


わたしも 線路を横断

おばさん達 いったいどこへ行ったのか?

振り向く そこには のれんが

”甘味処 無心庵”

そうか あのお店だ

来店するのに 江の電の線路を

跨ぐので 有名な


そうか おばさん達は

わたしが お客さんだと思ったか

線路伝いに歩いてきたので

びっくりしたのか どちらかだ

男一人では 無理ですよ

このお店は


和田塚駅の 鎌倉寄りの入口は

車が通れる道路に 面してる

その反対側は 人一人がやっとの路地のみ

結構長い 30m?

わたし 路地を歩きだす

反対側から 男性が路地に 入って来た

まずいね これは

ちょっとしたすきまがあった 避けて待つ

地元の人だね 慣れている

カニ歩きで 交差しないと無理な幅

幅1mあるかな?

写真を見てください


いつも一人なので Mr. Lonely or Lonely Walker

路地歩きが好きなので Roji Walker or RojiUra Walker

Alley よりも Rojiですよね

どちらが 良いですかね

どうでもいいことですが


写真
和田塚駅と線路脇通路
無心庵
和田塚駅への狭い道
江の電


本日の行動記
娘を駅に送迎












 














































 







2015/05/23 13:37:00|ぶらぶら歩き
ロケ地巡りで鎌倉坂の下へ

昨日 御成通りで見ました

日暈(ひがさ)です

若い男女が 携帯で空を撮影

指を差してる 人もいて

何だ???

後ろを振り返り 見上げると

太陽の周りに リングがくっきりと

わたし 写るかなと思いつつも

シャッターを押した

撮影されてました

珍しいのか TVでも放送です


ぶらぶら歩きは 鎌倉33観音巡りなのだが

極楽寺 坂の下 は

TV 「(続)最後から二番目の恋」の舞台で

わたしが歩いた場所とか 知ってる場所もあり

しかも ドラマの中で 狭い路地が出てくる

どんな場所かと ぶらぶらすることに


極楽寺が 主役のドラマと言えば

年配者には 「俺たちの旅」 1975年放送だ

三流大学生の青春物語

その 中年バージョンが 「最後から・・・」


江の電 稲村ケ崎駅から歩いて 極楽寺へ

江の電は 家内のおじさんが

江の電藤沢駅の駅長だったので

なにかと なじみやすい


このあたりから 街中を走る電車

その感じが 出てくる

普段通り 静かな道


極楽寺駅は 撮影ポイントだが

前の通りを 写す人はいない

お店が2軒 あるのみ

にぎやかさなどは ゼロ

ドラマでは 度々登場するのだが


極楽寺切り通しを 歩いて

”力餅屋” を左へ

ずっと歩くと 御霊神社(ごりょうじんじゃ)が

おー 前を走るのは 江の電

ドラマで見たとおりだ


だが 奥に中学生の一団が

ロケ地巡りと 思われたくないが

気にしても 仕方ない

別名 権五郎(ごんごろう)神社

平安時代後期の創建らしいが

鎌倉時代の 鎌倉権五郎景政を祀っている


この神社の近くに 長倉家はあるはずだ

もちろん ドラマの中だけの話だが

でも ありました

踏切の手前に

長倉家に続く それらしき 狭い路地

だが 現実は 個人のお宅です

ここ以外 趣のある路地は見当たりません

関係者の苦労が 判ります


長倉家のモデルとなった店は

力餅屋を 由比ヶ浜方向へ歩く

Cafeなので

年寄り一人歩きには 不向きです


葉山の仙元山 鎌倉の六国見山

朝夷奈切り通し 稲村ガ崎展望台

これらも ロケ地です

これで 鎌倉の雰囲気が満杯に

わたし ばっちり歩いてますね



写真
太陽の日暈
極楽寺駅
駅前のお店と通り
御霊神社と江の電


本日の行動記
休養
図書へ本返却












 



















 







2015/05/22 15:05:00|ぶらぶら歩き
こんなにも多くの人達が 千住回向院

JRと地下鉄の 南千住駅 

その南にあるのが 回向院

小塚原刑場で 処刑された人達

行き倒れの人々の 墓所

だとしか 知識は無かったが


安政の大獄

桜田門外の変

坂下門外の変

ハリス襲撃事件(未遂)

2.26事件


これらに 関係した人達も埋葬されている

一番奥の大きなお墓は

吉田松陰と 橋本左内(亨年26歳)

安政の大獄で 処刑

他にも 頼三樹三郎(らい みきさぶろう)

儒学者 頼山陽の三男

などなど 13名


一番手前には 礒部浅一夫婦

戦前の 2.26事件の首謀者の一人

礒部???

わたし まったく知りませんでした

昭和11年2月26日 開戦5年前

1500人が反乱

岡田首相は助かるが

高橋是清大蔵大臣

斎藤実内務大臣 らが暗殺

これを契機に 日米開戦へと まっしぐら


右側に 高橋お伝(女性)のお墓

最後に 斬首刑になった人で

生まれた境遇の悪さ

結婚した夫の病気

再婚した夫の ギャンブル好き

お金を借りにいった先の 理不尽な男

これで 人を殺した

夫に尽くした 健気な女性らしいのだが

幸い 墓参りの女性が増えたと

以上は WEB情報です


その横には 鼠小僧 次郎吉

江戸時代後期の 窃盗犯

ただ 大名屋敷のみだ


桜田門外の変で

水戸藩士 関鉄之助など

22名

ただ 説明の看板には 書かれていません

お墓は 建物の横に ずらっと


坂下門外の変

水戸浪士 平山平介など 6名

老中 安藤信正を襲撃

安藤は 傷を負ったが 生き延びた

安藤は 公武合体を推進した

和宮降嫁ですね 

坂下門は 今の宮内庁の入り口ですね

そこから 100mほどで 

安藤の上屋敷があった

それでも 狙われた


ハリス襲撃未遂事件だは

蓮田東三  信太仁十郎など

彼らも 水戸藩士

1856年 維新の12年前


お墓は 建物の横に ずらっと

名前が はっきりと読めるので

判りやすい

水戸藩士が ほとんどの事件に関与してるとは

驚きです


それと ここは

杉田玄白 前野良沢により

腑分けがされたことで有名

”解体新書”ですね

1771年のこと


回向院の前に

”吉展地蔵尊”がある

あの 吉展ちゃん事件だ

1963年 東京オリンピックの前年


地蔵尊を見てたら

声を掛けられた

同年輩の男性から(69歳だと本人が後で)

「あの事件です」

それだけで 判る

遺体が見つかったのは 円通寺だと

ここから100m離れた 日光街道沿い

まったく知りませんでした

わたしが まだ田舎にいるとき


この男性 ここで生まれて 育ったのだと

今は 小田急線の方に住んでる

たまたま 帰ってきてた

回向院の檀家だとも


コツ通りの コツは骨の意味だと

この方が 教えてくれた

昭和47年(1972) 立体交差の工事で

多くの骨が 見つかったと


昔 都電の終点駅がここにあった

ここから 銀座とかに行けた

それが無くなり 不便になったので

山谷が 浅草寄りに移ったのだと


今は 商店街が並び

操車場跡は マンションが建った

「東京球場はここらですか」

「すぐそこです」 と

「有藤ですね」

「いやもっと古いですよ」と


30分ちかく話し込んだ

この方 「ひまなので」 と言うが

たしかに お寺の前で話すのは

年寄りだね


写真
回向院とお伝と鼠小僧
橋本左内と吉田松陰
杉田玄白と水戸藩士
松尾芭蕉旅立ちの碑と南千住駅


本日の行動記
鎌倉33観音の西方面歩き
かまくら名産巡り
坂の下と由比が浜の路地歩き










































 







2015/05/21 14:47:00|ぶらぶら歩き
まいったね 夜中の雷と雨には

昨晩の 雨と雷にはまいりました

予報では 関東北部だけのはずだが

しっかり 湘南地方にも降った

レーダでは 黄色・赤色となっていて 激しい雨

当然 高尾の方も 同様に雨


結局 高尾山登りは 延期

日中 晴天となったが

山道は どろんこ道だろうし

行かないのが 正解


先日の続き

”泪橋” より 北側は 小塚原刑場の地

おもに 庶民の処刑を行った

その 最後の別れが ここ

だから ”なみだはし”


泪橋を過ぎて

左に折れて しばらく行くと

日光街道傍に 浄閑寺

いわゆる 投込寺

吉原の遊女が 投込まれるように埋葬

吉原から 600mほどだ

生きて行くのが 大変な時代を表す


泪橋のある コツ通りに 戻る

この コツは 骨の意味だと

年配の方が 教えてくれた

小塚原刑場のことを 表している

現代の今も


この コツ通り

江戸時代の初めは

細い道で

民家とかは無く さびしい場所だと

後期になると 大きな道に

浅草から 千住大橋へ向かう道


わたしの江戸時代の地図には

その道の途中に 

四角く 表示されている場所が

刑場とかは 書かれていないが

ここが そのようだ


ここは 吉原大門から

わずか 900m

歩いて 12分ほど


ここに建つ お寺が

延命寺 回向院

もとは ひとつの寺だったが

常磐線が 寺の真ん中を 通ったので

分かれたのだと

聞いた話では 仲が悪いのだとか


延命寺には 地蔵尊がある

”小塚原首切地蔵”

寛保元年(1741年)に建立

ここで 処刑された人を 弔うため


線路を挟んで建つ 回向院と

年配の方との話は また


写真
浄閑寺
延命寺と地蔵

本日の行動記
Gym
























 















 







2015/05/20 14:30:00|ぶらぶら歩き
吉原から山谷界隈を歩く

浅草から 

千束 日本堤の 吉原 山谷界隈を歩く


まずは 鷲(おおとり)神社へ

この神社 江戸時代の地図には

”鷲明神” とある

あの 酉の市の発祥の地で 有名だ

11月の 一の酉から 三の酉まで

来年の 開運、除災、商売繁昌のお祭

大きな 熊手は TVで良く見ますね

思ったより 味気ない神社でしたね


面白いのは ”なでおかめ” 

さわると 縁起が良くなると

神社のHPによると

「おでこをなでれば賢くなり
目をなでれば先見の明が効き
鼻をなでれば金運がつく
向かって右の頬をなでれば恋愛成就
左の頬をなでれば健康に
口をなでれば災いを防ぎ
顎(あご)から時計回りになでれば物事が丸く収まると云う」

恋愛成就以外 すべて御利益に あずかりたいが

お賽銭も入れずに 手を合わせただけなので

さわりませんでした


吉原神社に 手を合わせ

吉原の メイン通りを 歩く

普通の通りだね

吉原六カ町の 神輿も見かける

マンションも 普通だ


歩道の横から 男性が出て来た

スーツ姿だ

わたしの前を 歩く

看板も無いビル 入口にスーツ姿の男性

数軒 続いてる

男性達が 頭を下げる

いやな 匂いがする

やばい店のようだ

まだ 12:00ですよ

呼び込みは やってない

わたしが 貧乏に見えたのだろう


脇道を入ると それなりの看板が多く

この通りに面し 吉原大門近くには

交番がある

パトカーが2台 止まってる

やはり この界隈は怖いのだろう


土手通りに出る

向こうは 日本堤

この通り むかしは 川だ

だから 日本堤なのだ


そこにあるのが  ”いろは会商店街”

山谷の 真ん中か?

江戸の地図には

”山谷浅草町” と呼ばれている

最近では

”あしたのジョー”で 有名だ

だが 今日は 日曜日

ほとんどの店が 閉まってる

Openの店も 店内は暗い

哀愁商店街とでも・・・


通りの南側には

簡易宿所が ずらっと

¥2200円

道とか 綺麗ですよ

変な空気も 感じないが

わたしが 溶け込んでるのか?


ここで 気が付いた

樋口一葉記念館を 見過ごした

大失態だ

だが 戻る気力は 残ってない

まー いいか


左に折れて 泪橋交差点へ

この脇に ボクシングのジムがあった

丹下段平

あのしゃべり方は 今も思い出します

すべて 漫画の世界だが

でも 南千住の人は ご存知でした


写真
鷲神社(お参りの仕方が英語で)
吉原神社(外人さんも)
吉原界隈
いろは会商店街(山谷地区)

本日の行動記
読書
明日の計画




























 







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