60代 なるようになるさ!なんとかなるさ!なんとかするさ!

70代になったけど タイトルはそのままで
 
2015/10/22 19:24:00|低山を歩く
蒲原 御殿山に眺望を求めて

蒲原宿の 山側にあるのが

”御殿山” と呼ばれる山

家康が ここに御殿を建てていたそうで

その名前が 残っている

眺望が 良さそうなので 登ることに


旧街道から 八坂神社の鳥居をくぐり

神社横の 公園から登り始める

少し除草は されているが

人が歩いた 痕跡はない


少しづつ 標高をかせぐ

と言っても 146mの山です

日本軽金属の向こうに

伊豆の山々が 少しかすんで


まずは ”さくら吊り橋” だ

おや〜 誰かいるね

カメラが見える

こちらを 狙っているようだ

歩きを 止めて

終わるのを 待つことに

もう 良いだろう


赤い吊り橋で 長さ37m

それなりに 揺れます

吊り橋ですからね

高さは 10数メートル

自分が揺らしているのだから

仕方ない


写真を撮っているのは

20歳代の男性

三脚で 本格的です

「この橋を撮りに来たのですか」

「そうです」の返事

そんなにすごい 吊り橋にも見えないが

余計な お世話です

「それじゃ」と

先に進みます


御殿山広場 です

ここが 山頂???

しかし 展望が悪い

富士川河口は 見えるが


この上は のろし台だ 登る??

何か 期待できる?

降りることに

数分 降りたが

何か物足りない


結局 広場に戻り

さらに のろし台まで 行ってみることに

道は草が 多いので

車道を歩くことに

10分ほどで 到着


ここに のろし台(展望台)がありました

さっそく 上に登ります

がっ 眺望が悪い

木が邪魔をしてる

富士山方向 静岡方向とも


やっぱり ダメかと 気落ち

草っぱらを ぶらぶらと歩く

お〜 良い景色に

これだ!

東名高速 富士川の橋(歩いて来た)

富士市街 富士山は雲の中だが

いいね!

これなら 満足感いっぱいだ



また 同じ道を下るのも

面白くないので

車道を 北方向に下り

ぐるっと回って 

蒲原に 戻ることに


本日は Gymに

ちょっと 変わった人を発見

この男性 30代後半?

じっくり筋トレを やるようで

ひとつのマシーンに 時間が掛かかる

彼が ひとつ終わる間に

私は 7つのマシーンを終了

Gymのマシーンの ほぼ半分を終了

わたしが せっかちなんですかね




写真
八坂神社と登り道
吊り橋
のろし台と日本平方面
御殿山の眺望


本日の行動記
Gym































































































 







2015/10/21 8:59:14|低山を歩く
なんでこうも失敗するのか

昨日の 市民の森のハイキングコース

武蔵の国 相模の国の 国境の道

古くは 「鉄の道」と 呼ばれてた

この円海山のあたりで 鉄が作られていた

説明板に 書いてあります


それを 鎌倉に運ぶ道

鎌倉は 周囲が山で囲まれており

山を越えて 運ぶしかない

そう言えば

途中 岩を切り開いている場所が

何か所かあり

切り通しの道なんですね



まず 最初の失敗は

野性リスの 撮影失敗

3回も 見かけたのですが

動きが すばやくて

左の木に 登ったと思ったら

右の木に 飛び移り

木を駆け下りて

茂みに 消えて行きました

適当に シャッターを押し

1枚だけ リスらしき 黒い動物が

写っているが

リスらしく 見えません

コンパクトデジカメでは

ダメなのか

以前は 撮影に成功してましたが



ふたつめの 失敗は

同年配の男性が 歩いていたので

後ろを 付かず離れずで 歩くことに

少し早く歩くと 追いついてしまうし

距離加減が 難しい

ひとりで歩くのも 良いのだが

これも 面白いのではと


それが 途中で 離された

わたしが リスの撮影をしたり

年寄りの話を聞きながら

一休みしてたせいだ

急ぎ足で 歩いても

追いつきませんでした

横浜自然観察の森

横浜霊園の脇 鎌倉天園茶屋

大平山(鎌倉市の最高地点)を 過ぎても

しかし 13:00ころ

また 会ったんです

それが 明月院近くの道で

前から 歩いて来たので

また 山に上がって行くようです

逆戻りで 港南台を目指すのか

六国見山を 目指すのか

表情を変えない 淡々とした人です


3つめは

服装と汗の 関係です

北鎌倉駅の トイレで気付いた

鏡を見ると

胸の左右2ヶ所に 丸く濡れたあと

3cm程度だ

何だろうと 触ってみると

どうも  おっぱいの場所だ

え〜 なにこれは

前から見ると

ここが xxですと見せているような
 

まいったね 変質者に間違えられる

今まで 気付かなかったのが

恥ずかしい

さて さて どうしたものか・・・

水で 周りを 濡らして 誤魔化すことに

丸い形状にならないよう


トイレを出ても

周囲の目が 気になります

早く 乾いてくれよ!


ユニクロのヒートテック(汗を逃がす)

Tシャツの 2枚なのだ

しかし Tシャツが 汗で濡れることはなく

(濡れると黒く見える)

快適でしたが

この部分だけ 汗が蒸発しないのか?

原因究明と 対策が必要だ


4つめは 

皆さんの ザックをチェックすること

これが 難しい

すれ違った時に 振り向いて

どこのメーカのザックか 

サット 見るのだが

判らないことが 多い

一度だけ 成功

前を歩いている人は

何でもないが

ドイター グレゴリーなど

高そうな ザックです

目下 ザック購入を検討中で

参考にしたい



写真
いっしんどう広場
 (ここから円海山に行く)
大丸山の135段の階段
分岐(左大平山、右は市民の森)
鎌倉の街(煙は?)


本日の行動記
休養






































































 







2015/10/20 19:21:00|低山を歩く
山で外国の方に会ったら Hi, Hello らしいね

本日は 根岸線 本郷台駅から

瀬上市民の森 氷取沢市民の森

金沢市民の森を 抜けて

鎌倉の天園ハイキングコースへ

そして 明月院の付近へ

降りて 最後は 北鎌倉駅へ


10:00 〜 13:00 3時間

13km ほどでしょうかね


円海山は コースから外れていたので

寄りませんでしたが

横浜市 最高峰 大丸山(156.8m)には

登りました

頂上からは 眺望が良いとあったのですが

曇っていて 金沢方面が遠くに

見えただけで 良いとは思えません

年配の方々 10人ほどが休憩してました


市民の森の道は

平坦で Up Downもなしです

最初に 少しだけ登りますが

ずいぶんな 年寄りが歩いてます

80歳半ば・・・

近所の方なのか

水も持たずに 歩いている方も

多くは ザックを担いでますが

トレイルランの方を 3人

見かけました


当初 鎌倉に抜けるつもりは

なかったのですが

山と言う雰囲気が ないので

戻っても 距離的には同じかな


天園ハイキングコースでは

外国のカップルに 会いまして

あいさつせねばと

ただ なんと言うべきか

「こんにちは」かな?

まずは 女性に

出た言葉は " Hi " です

若干 違和感はありましたが

そしたら ”こんにちは” と返されました

それならと

次の 男性には

”こんにちは” です

”こにちは” の返事


アメリカなどでは

山のあいさつは "Hi" "Hello"

で良いそうです



写真
本郷台方面の入り口
市民の森の平坦な道
大丸山ピーク
鎌倉天園コースに合流



本日の行動記
低山歩き


























 







2015/10/19 15:31:00|歴史
ついに蒲原宿ヘ入る 53次東海道

蒲原宿と言えば これですね


(買った絵ハガキ)

広重の名作 「蒲原夜の雪」

蒲原は もともと雪がめったに

降らないのだと

そこに 雪化粧にするのがすごい


しんしんとした 静けさ

肩をすぼめながら 歩く人々

旅人なのか

在の人なのか

右の 二人が旅人で

左の人が このあたりの人なのでは

傘を差して 下駄をはいている



蒲原宿は 旧い家 (国登録文化財)が多い

宿場の説明も あちこちに

地元の人達が

町を 活性化させようと

頑張っているのだ

歩いている人は わたしだけと

少ないですが



江戸時代 蒲原宿

人口 2480人

家数 509軒


山が 宿場の裏手にせまり

海は 宿場の すぐ下にある

狭い平坦な土地に 街道がある



ぶらぶらと 歩くには良いが

足を休めるのは 旅籠 和泉屋だ

「夜の雪」石碑が 小川の横に

だが このあたりの景色は

それらしくない

何故 ここに石碑が??



急いでいたので

由比を目指すことに



散歩で 日向が丘へ

前の会社の方が 家から出て来た

顔を見合わせた

会釈をしようとしたが

何の反応も ないので

そのまま 通り過ぎた

しっかり 表札で 確認だけはして

以前 町の食堂で会ったときも

そうだった

会釈はしたが 相手は 無反応



写真
蒲原東木戸と常夜燈
国登録重要文化財と本陣跡
旅籠和泉屋と石碑
大正時代歯科と西木戸


本日の行動記
NETで調べ物


































 







2015/10/18 13:33:00|歴史
親不孝罪があった古代中国
ちょっと 堅い話になりますが


専修大学の 講義は

”新出簡牘からみた秦漢時代の 家族”

 講師:文学研究科 博士後期課程のRAの女性

”新出簡牘からみた秦漢時代の 裁判”

 講師:文学部 教授


つまり 最近出土した 木簡・竹簡を読んで 

当時の 家族関係・刑法・裁判について語る


紙が出来る前の時代

(紙:一番旧い紙 前150年頃(前漢の時代))

木・竹の短冊状のものに 墨書した

あの 「史記」 もそうだ


最近 中国で開発(土木工事)が進み

いろんな 墓が発見 発掘された

馬王堆漢墓 銀雀山漢墓など

前漢時代の墓で 2200年前の

木簡・竹簡が 多く出土


「睡虎地秦簡(すいこちしんかん)」では

親が 子供の親不幸を 役所に訴えた

親は 両足を切断し、辺境への流刑を願う

役所は これを聞きいれ 処刑

(法)律に基づき 妻・子も ともに流刑に


「張家山漢簡(ちょうかざんかんかん)」の

「秦讞書(そうけんしょ)」(上申書) では

(上位の役所に 判決結果を上奏したもの)

夫が亡くなり 棺を囲んで 哭礼の最中に

妻が 近所の男性と 別室で通じ合っていたと

夫の母親が 告発

役所の判決は

妻は 無罪(不貞行為ではない)

すでに 夫は亡くなっている

現行犯でなければ 罪ではない



「張家山漢簡」の

「二年律令」では

戸籍の作成・管理に関する規定があり

毎年8月に 家(戸)を調査すること

副本を作り 役所が管理することなど


また 特定の年齢(70歳以上)になると

毎月米の支給、杖の支給も規定



午後の ”裁判” の講座では

「張家山漢簡」の「秦讞書」(上申書)より


秦漢時代の 裁判は 三審制

県:地方裁判所 郡:高等裁判所

中央:最高裁判所

この上に 皇帝が居た

判決に 不服の場合

上級審に 控訴出来た

ただし 刑が科せられた(実行)後


「拷問」は 原則禁止

尋問調書への記録を徹底

(最初に 容疑者の言うことを 

すべて聞き 文書に記録)

冤罪の防止


現場検証の厳格さ

大きさ(x尺x寸) 足跡の詳細 落下物

盗品の詳細 近所の聞きこみ など

科学的証拠主義かな


証拠保全と差し押さえ

容疑者の財産 家族を文書に記録

近所の者に 維持・管理を命じる



刑罰がすごい

ひとり殺したら 刑罰は死刑

死刑: 磔 腰斬 さらし首 棄市(遺体を街中に捨てる)

懲役刑(原則 無期)

肉刑: 宮刑(性器切断) 斬右趾(右足切断)

     斬左趾 劓(鼻削) 鯨(入れ墨)など

労役: 城旦(土木工事) など

流刑: 流刑地で終身居住

罰金刑: 贖死(死刑を罰金で逃れる?)など


「史記」 の司馬遷は 宮刑になっている

その後、内廷の総責任者になった

後の 文帝が 肉刑の廃止 懲役を有期刑に


刑罰を受けた人は 普通の人達の

周りで 生活させた

社会から見放されると 生きていけない

門番など 卑しい仕事に従事させ

食料を 与えた


紀元前200年ころには 律(法律)が制定され

それが 全国で実行されていた

いや〜 すごいですね

当時の 日本より はるかに進んでる

現在の中国より 進んでいるのでは



最後に

”法” と言う 字は

”氵”(さんずい) と ”去”から成っている

これは 水に流せ と言う意味だと


写真
明治大学の正面玄関?


本日の行動記
休養
















































 







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