60代 なるようになるさ!なんとかなるさ!なんとかするさ!

70代になったけど タイトルはそのままで
 
2016/05/14 14:26:00|低山を歩く
険悪な雰囲気に凍りつくのだが

ポッカする荷物を 背負って

たった 2kgですがね

ここから 山登りに入る

目指すは 後沢乗越の尾根だ

ところで ポッカって ”歩荷” と書くんですよ

知ってますか

知らないのは わたしだけですかね


640mから 810mの尾根へ

ジグザグの道を 登り

8:39 25分ほどで 後沢乗越に出た

ここまでに

若者3人組  男女2人組に

追い抜かれました

男女2人組は 早いですね

ま〜 われわれ 急いでませんので


少し休憩していると

駐車場にいた 外国の方などの

男女6人組が 登ってくる

英語の話し声が 聞こえる

先を 急ごう


鍋割山頂との 標高差460mだ

途中  急坂も 2、3カ所あるが

のんびりした 登りです

残念なのは 雲が出てきて

富士山も見えません

唯一 西方向に 山が

桧岳でしょうかね


太陽光パネルが 見えてきたら山頂

9:54 鍋割山頂 

二俣から 2時間10分

標準タイムより 10分早い


山頂には 先程の 若者3人が休憩中

でも 男女二人組はいません

すでに 出発してる

後ろからの 6人組には 追い抜かれずに


ポッカした だしのつゆ(?)を 渡しに

山荘の中へ 「こんにちは」

するとだよ 「入っちゃダメ」の 怒鳴り(大きな)声が

わたし 一瞬 何が起こったのか 判らず

すぐに 出ようとしたが

「・・・を運んできたのですが」

「あ〜 ありがと そこへ置いといて」

なんとも 変な気分ですが

言われるままに

「あと 5分で開けるよ」


外で 友達が作った コーヒを飲みながら

待つこと 数分

山荘が 開いた


鍋焼きうどん を待っていると

男女6人組が ポッカした荷物を

渡しに来た

若い男性 10本のペットボトル

女性も 4本の だしのつゆ(?)を

取り出すべく ザックを下ろした

そこへだ 

奥から 「荷物は前に置いて」 の大きな声

怒っているように 2、3回

男性 「わかったよ」 怒っている?

ま〜 判りますね

重かったのに ありがとうの一言もなし

投げ出すように ボトルを置く

奥から 「タンクに水を入れて」

男性 「わかったよ 今やるよ」

怒鳴るような声で 返事です

でも 男性 何もせず 外へ出ていきました

怒っていたのでしょう


そこへ 奥から ご主人が 出てきた

いや〜 ボトルを掴んでは

奥の方へ 放り投げます

怒りだ!!

見ている 男性3人 我ら2人 唖然


暫くしたら 奥から

「タンクに水を入れて! やってる暇がない」

命令口調ですね

従順な 我らは すぐに

水を入れ始めます

終わった


これで ようやく 鍋焼うどん

にありつける

雰囲気は 凍ってましたが

うどんは 熱かったですよ


写真
登り始めとガレ場
後沢乗越と尾根道
桧岳(?)と尾根道
山荘

本日の行動記
太腿が痛い(2日目)、芝生の刈り込み











 







2016/05/13 14:59:00|低山を歩く
もうすでに満車です  県民の森

国道246 菖蒲交差点から

6.5kmで 表丹沢県民の森駐車場

おおよそ 15分ぐらいですね

思ったよりも 早いです

みくるべ病院を 過ぎると

道が狭いですので 注意を!


7:15 着いたときには 駐車場は満杯で

端の方の 平らな場所に駐車

空きスペースがあれば 自由に停める

八王子 横浜 相模 湘南のプレート

皆さん 早いですね


まずは トイレに寄って

ここで 中年の外国の方に

おはようございます の挨拶

次に ヤマヒル対策の格好に

パンツを 靴下の中に入れるなど

友達は ヤマヒルファイターをシューと

わたしは すでにやってある

準備万端だ!

でも 周りの皆さんは 何もやってない

ヤマヒル注意の看板はあるのだが


まずは 西山林道との合流地点を目指し

ゲートの横を すり抜けて

勘七橋を 渡り

また ゲートの横をすり抜けて

西山林道との 合流地点だ

ここから 左手の登る道へ


前に 公園?

胸像があり 尾関廣氏とある

日本山岳連盟の初代会長

立派な方なんです


ここを過ぎると 二俣です

以前は 登山カードポストがあったようだが

今はなく

”塩” が置いてあります

ヤマヒル退治用です


木製の橋を渡り

前方に 山並みが見える場所に

あれですかね 鍋割山は?

何度か登ってる 友達も???

見る角度で 変わりますからね


また 橋を渡ります

ありました ペットボトルなどが

有名な 鍋割山荘のポッカ依頼です

「山荘まで運んでください」

友達と 自己体力と 相談だ

うどんの つゆの素(?)かな

これを 2本ずつ 運ぶことに

2kgの重量です


若い男性3人は 2リッタのペットボトルを

1本づつ ザックに


ここを 過ぎると 山登りの開始です



舛添東京都知事の会見ですが

いや〜 おかしい!

一所懸命 つじつま合わせの言い訳を

考えたのでしょうが

質問への回答も

肝心のポイントの説明はなく

関係ない内容を ダラダラと

ごまかしていますね



三菱自動車ですが

経営建て直しの目的で 三菱商事から

派遣された 益子会長

結局 何の成果もだせずに

三菱自動車を 潰したようなもの

経営者の資質なんでしょうかね

下請け企業とか これから大変なことに

なりますよ



写真
表丹沢県民の森駐車場
標識から橋
西山林道合流 二俣
木製の橋 山並み ポッカ


本日の行動記
休養(庭の雑草取り)

















 



















  
















 







2016/05/12 18:55:00|低山を歩く
怒鳴られながらも鍋割山から塔ノ岳

新緑の 丹沢に友達と

登ってきました

20代に 桧洞丸-蛭ケ岳-丹沢山-塔ノ岳

縦走して以来ですね

 
7:22 表丹沢県民の森(600m)を出発

7:45 二俣

8:39 後沢乗越 (尾根に出た)

9:54 鍋割山(1272m) (10:36 出発)

11:09 二俣分岐

11:32 金冷し(きんひやし)

11:51 塔ノ岳(1491m) (12:14 出発)

13:15 二俣分岐 

15:02 二俣

15:25 県民の森

休憩を含んで 8時間です


下りは 標準時間をオーバーです

途中 天候が良くなり

双眼鏡で 景色を眺めていたので

登りは 標準タイムです


鍋割山荘に ”だし汁(素?)”を

ポッカしたのだが

渡そうと 山荘に入ったら

はいちゃだめ! と怒鳴られた

まだ開店してない と

ま〜 詳しくは また

一発触発の 危機的状況も起きた


友達曰く いつもこうなのだと

カテゴリー”低山” を変えるかな?


写真
鍋割山の山頂
雲の中の塔ノ岳











 







2016/05/11 13:41:00|ぶらぶら歩き
いや〜実にでかい墓所ですね

三菱財閥を作った 岩崎弥太郎の墓所

大きさが 半端ないです

染井霊園 三菱重工社宅 小学校に

囲まれていて

 道路に面した 長さが

おおよそ50mです


表示もなにもありませんので

一見すると なんだろな?

当然 門は固く 閉まってますので

内部は見えません


今まで見た お墓の中で

一番 大きいですね


その北側 染井霊園の中に

岩崎家の養子 そして分家した

岩崎豊弥のお墓があります

こちらのお墓も大きいですが

本家とは 違いますね

しかし この豊弥の娘が 

嫁いだ相手の 姉の娘が

三笠宮親王と結婚している

皇室とつながっているのだ

豊弥の 実家の方のつながりでは

あの 歌手 中島みゆき に繋がる


岩崎弥太郎の庶子(妾の子供)が

幣原喜重郎(総理大臣) と結婚

いや〜 すごい


ちなみに 弥太郎の弟 弥之助(2代目社長)

の お墓は 長男 小弥太(4代目社長)とともに

二子玉川の 静嘉堂美術館の横

岩崎家墓地にあるようだ

弥太郎の長男 久弥(3代目社長)のお墓は

護国寺にあるようですが

公開されていないようですね

久弥の娘が 

岩崎美喜(大磯サンダーホームズ創始者)だ


岩崎家は 蒼々たるものですね

比べるべくもない我が家(大きな笑い)


他の財閥 住友家 三井家は 

どうなっているのか

大いに 興味が出てきますね



舛添知事の お金の問題

TVで 取り上げられてますね

権力を得ることが 目標で

そこで 金を稼ぐことが狙いなのかな

金(税金)を 使うことが楽しみなのかな

そう言えば おかしなことばかりしてる


4度も 離婚しているので

性格的に 何か変わっているのでは

これは 家内の弁


写真
岩崎弥太郎の墓所 2枚
岩崎豊弥のお墓
弥太郎の墓所を染井霊園から


本日の行動記
なし

















 







2016/05/10 13:46:00|ぶらぶら歩き
悪名高き田沼意次ですが 勝林寺

田沼意次

わたし的には 悪者というイメージなのだが

どうも 違っているようだ

戦前は 賄賂政治ということで

悪名高き ということらしい

某自民党代議士も そうであるが

戦後は 経済通として評価されているとか


でも お寺の奥様も

小さい声で ”評判が悪いので” と

話してましたね

だから お墓にも ”田沼意次”とは

彫ってないのかな?


田沼意次の お墓があるのが 

染井霊園の隣 勝林寺だ

このお寺 元は大名のお寺だったようで

格式が高かった


奥様によると

徳川家康が 江戸に来たときに

お城から 追い出されたと

1590年の出来事だ

そこで お寺になったのかな?

以前は 学問所らしい


お寺は 正林寺と呼ばれていたが

家康の命で 勝林寺に 改名

側室 お勝の局から取られた

1600年のこと(関が原の戦い後)


この勝(正)林寺なのだが

江戸の古地図 (1860年)に

加州(加賀前田、今の東大)屋敷より

本郷通りを 数百メートル北に行った場所に

書かれている ”正林寺”として


また 奥様の話

昭和16年 本郷通り拡張で

現在地に 移転したのだと

軍部には 逆らえない時代


これを考えると

江戸の終わりの地図で 正林寺は

おかしいのでは? 勝林寺が正しい?


お寺の 前の道

染井霊園から 続くのだが

狭いのなんのって

下町風で 実に良い雰囲気

なのであるが

ついでですが お寺のご本尊

東京で 最も旧い

木造釈迦如来坐像です(今は修理中)



歴史的なことで言えば

あの世界遺産

マチュピチュの村を作って

初代村長になったのが

日本人なんですってね

死ぬまでに 一度は

訪れたい場所といわれている

わたしは まだですが


その日本人 野内与吉さん

クスコ〜マチュピチュの鉄道敷設

ホテルを起業 水力発電所を作り

村に電気を起こしたなど

52年ぶりに 日本に里帰り(1968)し

そして ペルーに 帰国 

翌年に 亡くなったそうです

お墓は マチュピチュ村にあるんでしょうね


生まれは 福島県大玉村だ

マチュピチュが 唯一友好都市を結んでる

町なんですね

”大いなる田舎” とある

いや〜 一度は行ってみたいですね

マチュピチュか 大玉村


写真
勝林寺
前の道路(通路?)
田沼意次のお墓


本日の行動記
山登り準備で HAC・100均へ




















































 







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