子供のころから歯医者が大嫌い
今になっても大嫌い
だからなかなか行かない
食えればいいと思っていた
このまま死ぬまで行かないで済めばと
願っていたが
ついに行くはめになった
部分入れ歯の支えの歯がダメになり
ダメな歯がほかにもあり
もう支えきれないと
意を決して行ってきた
そうして大工事が始まった
普天間の移設どころの話ではない
太平洋に島を二つ造って
それぞれの島を噛み合わせなければと
もうこうなったら俎板の鯉
どうとでもなれと
歯医者に任せることにしました
歯は生きるために大切なものである
食わねばならない
話さねばならない
人間としての容貌も
少しは保たねばならない
そうそのとおり
芸能人として生きている吾輩にとっては
死活問題なのである
そんなわけでしばらくは俎板の鯉
はやく青い空を泳げるように
なるようにと
がまんがまんがまんなのである
太鼓の練習の音が聞こえてくる。
纏三社祭(春祭り)の準備
長閑な音である。
歯を抜いた後の痺れや菜種梅雨
穀雨まつ歯にも恵みのあるように
「 老圃堂 」ろうほどう
(晩唐)薛能 せつのう
剣ス瓜地接吾盧 剣スが瓜地
吾が盧に接す
穀雨乾時偶自鋤 穀雨 乾く時
たまたま自ら鋤く
昨日春風欺不在 昨日 春風
不在を欺く
就床吹落読残書 床について吹き落とす
読残の書
「 穀雨の晴れ間のできごと 」
(訳詩)はぐれ雲
庵のそばには瓜畑
剣スさんの真似をして
晴耕雨読の年金暮らし
穀雨の晴れ間は瓜畑
気の向くままの農作業
庵に帰れば 春風め
わたしの不在をいいことに
読み残しの大切な本を
吹き落しやがった
ベッドの下へ
“穀雨”とは
二十四節季の一つで、
新暦では四月二十日頃
穀物を育てる雨と言う意から
穀雨と言う。春の季語。
読みかけの本吹き落したる春の風
“剣スさん”とは
秦の時代に東陵候の爵位を授けられた
名士。秦の滅亡後は
望まれたが
仕官せず長安の都の東門(青門)の
外で瓜を作って暮らしたと言う。
“老圃堂”は
作者の書斎の名前。
「野菜作りの老人の部屋」の意。
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