《1992年夏〜》 この夏にマスターした精米機械作動法。七月に参加した古式ワラ屋根ふき儀式。このようにして、カラダが丈夫なうち、一つ一つ、祖霊をなぐさめる行為″をつみ重ねられればよいと思う。どんなちいさなものでもよいのだ。たとえばこの次は、母の指導による切り干し大根製作、といったように。 水田コース(メインコース)にばかり気がとられて、畑作コースはどうしてもなおざりになりがちだ。そしてそれはシンボリックなことでもある。小説中心意識=米作り中心主義。 雑穀のよさを見直し、大麦、小麦、カラス麦も作り、ソバもまき、野草も収穫するという態度。わたしの祖霊のその基本態度が規範である。 終日オペラ。日々、オペラばかり……。これしかないといったような溺れぶり。無趣味男にしては珍しい現象。ジョイスの狂い気が痛いほど。ついには、四囲の雑音も、低い低いオペラ・アリアにきこえてくる病理に転落するしまつ。 オペラ狂い。病膏肓。オペラとアルコールにいかれたジョイスのキモチが体でわかる、血でわかる。 痛風の危険信号ありとの診断がくだって以来、アルコールは遠のく傾向。そのぶんオペラへののめり方がひどい。飯もくえない分際でという声もきこえてくるが、かまわず、antをわらいとばすgrasshopper意気さかんなり。 世界史と同じようにわたしの歴史にも古代・中世があり、そして何事かの‶めざめ″の時期がある。今は、ルネサンス時代なのだ、わたしの歴史の。官能的実証主義の嵐。シュトルム・ウント・ドランク。わたしの貧しい歴史舞台においてもモーツァルトが登場する。一方、わたしのなかの民衆も、日銭とりにあえぐ。これらふたつは矛盾することなくわたしの中で同時進行する。日々の音楽と日々のパン。グラスホッパーとアントの共存。 書かなければ、眼が良い映像や文学作品を視すぎて耳がすぐれたオペラを聴きすぎて……あるいは情欲がオカシな生理をまきおこしすぎて――ビョーキになるだろう。私はそのために、病気にならないために書く。 書けばスイミン薬も効かなくなるほど覚醒する――つまり書くことはいかんともしがたい覚醒剤だが、しかし先の意味ではやはりトランキライザー、ヨクセイ剤なのである 内面と外面――のような構造の書くこと。仕事であり、快楽でありゆううつのタネであり、病気のモトでありクスリであり、火付犯人であり消防隊員であるこの書き魔! クリスチャンが聖書をひらくように、ときおり手にとってどこでもよいから一ページをみつめる、すると心が洗われる。カフカの「手紙」や「日記」は僕にとって、そうした数少ない書でありつづけている。 ノートを書く意味はおそらく一つしかない。たとえ雑録であってもこういうものを書きつづけるには、不断に孤独が創られなければならぬというそのこと。 僕がこれから、何を書こうと、そして、書けなくなろうと、僕のペンにはピエール・メナールという作家がすみついているということ、これだけは動かし難い。おそらく、僕がゼロのちからを思いしったとき、細菌のように僕の中に入り込んできた魔の作家なのであるが、僕が操作する「登場人物」の中で、もっとも支配しにくい存在である。この作家は、J・ジョイスよりおそろしい。 〈この正月が越せる資金を出してやろう〉と師父に本気で言ってもらえたこともメナール的にうれしい。洋書店で、ジョイスとパウンドの書簡集で高くて手が出せなかったものをぜんぶ買ってくれたこともとびあがるほど(二重三重に)うれしい。
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