平成20年(2008) 53歳 「三田文学」秋季号より創作長編『エセ物語』連載を開始。
11月、『ドン・キホーテ讃歌――世界文学練習帖』を東海大学出版会より刊行。同署に、書き下ろし評論「東北のドン・キホーテたち――石川啄木・宮沢賢治・太宰治・寺山修二」を収める。
平成21年(2009) 54歳
7月、『プルースト逍遥――世界文学シュンポシオン』を五柳書院より刊行。『カフカ入門』『ドン・キホーテ讃歌』と合わせ〈世界文学イニシエーション〉の批評篇三部作を完結させることにより、『エセ物語』を〈世界文学イニシエーション〉創作篇とする方向性が定まる。
平成22年(2010) 55歳
6月、月刊誌「望星」に「柳田国男の話」連載を開始(全36回)。
平成23年(2011) 56歳
3月、東日本大震災を機に、〈ビジネス〉としての執筆業への年来の懐疑がピークに達し、商業的な著作活動に終止符をうつ準備を開始する(これを客観的にいい直せば、大震災などと関わりなく、早晩、職業人著作家の能力の欠落をつきつけられる運命だったということである)。
4月、東海大学文学部文芸創作学科の教授となるが、種々の意味で大学人失格を痛感させられ、辞職を決意。
「三田文学」の『エセ物語』を12回で中断する。
平成24年(2012) 57歳
3月、東海大学を辞職する。
単読者による共同誌「てんでんこ」を立ち上げ、「創刊覚書に代えて」を起草する。この創刊号で、「三田文学」で「一の巻」を終えた編纂体フィクシオネス『エセ物語』の連載を再開する。