幻塾庵 てんでんこ

大磯の山陰にひっそり佇むてんでんこじむしょ。 てんでんこじむしょのささやかな文学活動を、幻塾庵てんでんこが担っています。
 
2014/03/30 14:17:02|文芸誌てんでんこ
願文――『てんでんこ』創刊覚書に代えて
   
    雑木林の明るい廃墟に、原子野″という言葉が浮かんでいた、
    誰の言葉、誰の影?         (吉田文憲『原子野』)
 
 
〈原子野に生きるもののおののき〉と帯に刻まれたウリ=われわれの詩集『原子野』がウラ=オラ=オレのもとにオクラれてきたのは、2001年の夏のことでした。オクリ物の原義通り、そのほんとうの衝撃波は遅れて届きました。古代の枕詞「玉響」のヨミをめぐる一説――玉カギルが想いおこされます。響をなぜカギル(=光る)とよむのかについて、音のとどろきと光のきらめきとが、感覚的に共通する面をもっているから、と註記されていました。
〈原子野に生きるもののおののき〉は、2001年の夏に、光として瞬時にオラを包んだはずですが、雷鳴のようなトドロキと共にオラの身心をさし貫いたのは、10年も遅れた2011年3月11日以降なのでした。ツナミのようなという比喩をうち砕くあの玉カギル衝撃波について、さらに時間が経過した今も多くを語れないでいます。
 
 ウリ=われわれの詩人は『原子野』「あとがき」に、タイトルをめぐって、こう書いていました。
 
 原爆やヒロシマを連想されるかもしれない。そのことは不可避なことかもしれないが、そのことも含めて、ここでの「原子野」というタイトルは、原子がふりそそぐ野原、つまりはわれわれのいま生きているこの現在の場所にほかならない。ここが原子野なのであり、それはなにも特別な場所ではない。そのことは、新しい世紀に入ったいま、ますますはっきりしてきたのではなかろうか
 
 英文学・アイルランド文学研究者の佐藤亨は、右の玉=魂カギル一節を魂合わせ″する如くに、著書『異邦のふるさと「アイルランド」』の終章で引き、次のように解説してくれました。
「原子野」は、「原詩・野(フィールド)」とも読み替えられそうだ。とすれば、「原子がふりそそぐ野原」とは、言葉が発せられ、その言葉と生地とが交わって変幻を繰り返す詩というフィールドと読み換えることができる。
 
 異邦に「ふるさと」を視る佐藤の著書が刊行されたのは2005年――この時すでに、われわれの詩人のポエジーを中核とした三者による《座敷童子の会》は発足していたと記憶します。吉田も佐藤も、ここなる伝言の発信者も東北出土の風狂の徒です。
 異邦にひとしい生地という廃墟と、詩という廃墟は、東北風狂人元祖創設の協会玄関前の黒板に記された伝言文――下ノ畑ニ居リマス――の「下ノ畑」でつながっている、と佐藤は「吉田文憲とシェイマス・ヒーニー」なる副タイトルのついた終章を書きおさめています。
《座敷童子の会》のハジマリは、たぶん、『原子野』所収の一篇「息の光跡″――五つの手紙に代えて」の2にあるでしょう。佐藤と本伝言の発信者が2000年に共訳刊行したS・ヒーニーの第一評論集『プリオキュペイションズ』を吉田にオクったことへのオクれたオクリ物――吉田自身の註では返礼″あるいは返信″として、それは書かれていました。
 
 bog、ボグ――沼沢地からの眼が、あなたからもらった手紙だった……
 
 オンファロス、オンファロス、オンファロス、――涸れた井戸
 私は声のこだまのなかを歩いていた、
 ここはこだまの出るところ、ボグ(bog)の湿地帯、
 土手にはたけにぐさが風に吹かれていた、
 
 ランダムに引いた上の詩行には詩人自身の興味深い註がついていますが、割愛してすすむほかありません。
 われわれの会は、2011年の《3・11》によって玉=魂カギル「変幻」を余儀なくされました。その事実をレトリックで飾ることの痛苦を背負ったまま、創刊覚書に代えた願文をコア・メンバーとなっていただいた諸子にオクろうとしています。
 僕は、いや東北訛語でbogは、トウヘンボグにおくられた詩篇に顔を出す雑草たけにぐさが、どんな姿をした野草なのかわからぬような人間でしたが、羅須地人協会発願者にしてイーハトブ国の住人が「さびしい」病床で思いを馳せた――一説に「迷いの火を吹き消した状態」としての「涅槃」の喩、あるいはこの世とあの世の境界の指標を思わせるともいわれる雑草が、突如リアルな存在のかたちで迫ってきました。と同時に、I'm down in the fieldというその下ノ畑を、今こそ輪耕せねばならない思いに駆られたのです。
 風妖なる風野又三郎が好むたけにぐさが見出される下ノ畑に「涅槃」をもとめれば、ネハンの原義Neantが二重映しになり、やがて〈山への遠足〉に必須のNiemand氏の一行も近づいてきました。
 ここなるトウヘンボグ、東北のデクノボーの生地であるFukushimaのガレキの歴史を書く資格を誰がもつのかわかりません。わからぬまま、Niemand氏の一行と、しょうこりもなくlalaと歌いながらのガレキの山への遠足を夢見ずにはいられないのです。
『原子野』には、別の詩人経由のこんな文言が刻まれていました。
 
 ヒロシマの街は、元の地面から30センチほど、高くなっているそうです。……たくさんのガレキの山ですから、それをキレイに片付けることよりも、中国山地かどこかから大量の土を運び入れて、ガレキと、……ガレキの下にかくれてみつけられなかった人の骨も一緒に埋めてしまうほうが簡単だったのだろうと思いますが、歩きながらそのもともとの低い地面のことをよく考えていました。……
 
 ガレキの山から成る「荒地」で、トウヘンボグもまた、やはり〈あらゆる透明な幽霊の複合体〉ともいうべきニーマントに向け、「誰の言葉、誰の影?」と問う一人の年若い詩人に出逢いました。本人に無断で、ボグの記憶の下にある詩篇のひとくさりを掘りおこして引けば――
 
  南中高度を過ぎて太陽は煤けたように黒く大きい
  溺れたら摑む岸辺を求めるだけの
  透明な手
  何本も何本もあらわれては揺れる
  ニーマントたちのうつろな囁き
  呪われてうっすら明滅し続ける空気の束から
  切り離した意識でもって自分を支えようとして
  うまくいかず何度でも転んだ
  ここが天国なら良かったのに
 
 多くを語れないといった以上、もうやめるべきでしょうか。〈この「覚書」は読まないでいただきたい、いや、ざっと眼をとおしたとしても、そのまま忘れていただきたいくらいだ。熟達した「読者」の理解のさらに先を行くようなことを、ここから学ぶことはほとんどない〉。
 佐藤は前記の著書で、「うた」と「禁忌」がつながって、「故郷=異郷」が「禁忌」の意を孕む東北方言(に生きる古語)「うだでき」場所となる吉田のポエジーを語っていました。「いよいよひどく。まったく」とか「思わしくなく。情けなく、いやらしく。気味悪く」などを意味する日本古語〈ウタテ〉は、われわれの生地の方言「うだでのし」とか「うだでなし」を生んだのですが、詩人はこの二語のつながりに鋭敏でした。吉田は、「〈うた〉と〈うたて〉」なるエッセーで〈ああ故郷=異郷とは「うだでき」場所であり、その「うだでき」場所で、そこから聞こえてくる〈うた〉をめぐるようにしておれは詩を書いてきたのだな〉とつぶやきました。
 生れてすみません、とつぶやいたもう一人の東北風狂人元祖は、デビュー作の『晩年』中に刻んだ津軽方言詩「雀こ」で、かなしい「うたて遊び」の風景を点描してくれました。
 ボグの生地の方言「うだでなし」は、なんだか「人でなし」みたいなひびきをもっていますし、また〈こんなものはウタ=詩=文学でない〉のようにも聴こえます。
 羅須地人協会発願者は、かつて需めに応じて書き下ろした宗教テキスト〈法華堂建立勧進文〉のエピローグ部分を、その「作者」は七面講同人あるいは東都文業某とし、「小輩の名を出すなからんことを。必嘱!」とむすびました。
 ウリ=われわれの非在のてんでんこ協会も、「小輩の名を出すこと」ができない発願者のオラが勝手に撰んだ、オラを含めて七名から成る単独者組合ですが、われわれの場合、七面講同人を、七面妖同人とでも変幻させてあやかろうともくろんでいます。
 単独者の組合とは、すなわち単独者の精神を極限にまで尊重し、各自の主体的創作行動を信頼し尽すという見果てぬ夢の組合、不可能性のギルドです。そこでは、めいめいが〈ひとり親方〉であるにもかかわらずニーマント氏の弟子でもあります。本誌創刊号のコア・メンバーが〈もし万一にもわたくしにもっと仕事をご期待なさるお方は同人になれと云ったり原稿のさいそくや集金郵便をお差し向けになったりわたくしを苦しませぬやうおねがひしたいと存じます〉というようなつぶやきに同調したとしても奇異でないのはこのためです。
〈日本に生れやがて地をば輝く七つの道で劃り、一天四海、等しく限りなきの遊楽を共にしようではありませんか〉と、再度幻師の口真似をしたうえで発願者曰く――〈原子野に生きるもののおののき〉を共有する七面妖同人諸子よ、汚れちまった詩の廃墟で、ニーマントたちの透明な手を支えに、てんでんこのうたて遊びをつづけましょう。
 

 





     コメントする
タイトル*
コメント*
名前*
MailAddress:
URL:
削除キー:
コメントを削除する時に必要になります
※「*」は必須入力です。