幻塾庵 てんでんこ

大磯の山陰にひっそり佇むてんでんこじむしょ。 てんでんこじむしょのささやかな文学活動を、幻塾庵てんでんこが担っています。
 
2014/05/24 15:38:54|幻塾庵てんでんこ
公開講座 朗読作品 1
  消点                吉田 文憲
 
失われたことによって生きはじめる、まだ言わずにいることを。
ちいさくちいさくなって、ここから追放されて、
おまえは知らなくても、
おまえのことは闇に浮かぶ山裾を流れる夜の川が覚えていてくれた。
樹の幹のかげにしゃがんでいた沼の光が覚えていてくれた。
そこを燃えるような白い手が通って行った。
橋を渡ってゆくもの、あれはわたしではない。
シューシュー言う細い襟首と、
押し寄せる闇の深さを傷つけたのは、わたしではない。
ここに隠れているもの、
ここに隠されて在るもの、
いないのに、
すべてのものはいつでもここから飛び去ってゆくのに、
まだ身じろいでいる、
風の隙間に薄くなっただれかの声が漂っている。
橋を渡ってきた光は夜の街道の方へ折れ曲がっていった。
光は折れ曲がるためにあるのだ。
この目が見たもの、
堤防がところどころ崩れ、川原にはトラクターが這い回っていた
そしておまえはそこにいた
おまえはおまえを知ることもなくそこに立っていた
そこに顕れた人の姿は水面をまばゆい光のように飛びまわる
記憶はカキドウシの道につづいていた
歩いてゆく道は炎をあげて燃えていた

……………………………………………
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遠くはなれたところで
目を開き、目を閉じる、
 
ここで投身しているこだまはだれの記憶の中を落ちてゆくのだろうか
 
(「生誕」1)







2014/05/24 15:26:03|幻塾庵てんでんこ
公開講座 朗読作品 2
  生誕                 吉田 文憲
 
星だといったのだったか、いや傷だといったのだったか、気を失っ
たままの文字が、窓ガラスが割れて、もうとうに奪うことを忘れて、
あるいていったのだ、とあなたはいった、泣いている庭で、光りを
浴びて、わたしはいない人になって、鳥たちのざわめきを聴いてい
た、黙っているあなたに、黙っているあなたまでの距離が、饒舌な
わたしのきょうの生命を繋ぎ留めている、求めつづけるのだ、とあ
なたはいった、硝子玉に歪んだままの愛が木のむこうで目を吊りあ
げて叫んでいる、見るだけなの、見るだけなの、とあなたはいった、
はじまりの場所にふたたび還って、人が言葉を穢さないということ
がありうるだろうか、書きかけた手紙が、顔を忘れて、交叉点の闇
に佇んでいる、一歩あるいてはよろめいた、めまいの中をさまよっ
て、手を伸ばしても届かない人に、はい、といい、いいえ、と答え
た、なにがいわれなかったのか、伝わるはずのないことを、紙に、
色の滲んでいる空に投げあげて、ばらばらにされた言葉があなたの
回りで生きていた、橋はふり返るためにあるのか、声は空に投げあ
げるためにあるのか、聴こえていた耳、聴こえなくなっていた耳に、
夜の電車を乗り継いで、また一つ、また一つ、とあなたへの距離を
かぞえて、からっぽの箱をあけつづけて、生まれつづけるわたしの
名前を呼びつづけてくれ、きょうの日のわたしの生誕を祝ってくれ、
人でないものが立ち上がる、砂の国で、どんな奇蹟が起こるのか、
さよならをいうためには、灰の歌声が必要だ、わたしであったもの、
彼であったもの、饒舌な身体をひらきつづける、施療院の窓には星
が流れた、どんな交信があなたを狂わせ、わたしを導いているのか、
闇が聞き耳をたてている、目はどこにあるのか、砂浜をあるき回る

夜の鷗たち、わたしの不在を照らしつづける星はどこにあるのか、
空がカンカン鳴っている、読みつづける本などもうない、安息日な
どもういらない、いま崩れ去り、飛び散ったばかりの光りをあつめ
て、あなたが降霊の仮面を脱ぎつづけているあいだに、わたしが遠
い街の雨の工事現場を通り抜け、川にそってあるきつづけていたこ
とを、あなたは知っているだろうか、物語る口、物語れなくなった
口、そこからはじまる声が、物語があることを、あなたは知ってい
るだろうか、軽くなってゆく、小さくなってゆく、饒舌な美術館、
その先にあるものをあなたは知っているだろうか、廃墟や折り目の
跡が騒がしい、白い翼がなやましい、闇の底からつぎつぎと小さな
歯車が零れてゆく、この花を、この亀裂を、歌って、歌って、荒れ
狂う線と逃げてゆく川、わからない、もうなにもわからない、ガラ
クタのうえで踊っている人の影、頭上で空がうなっている、砂の降
る町、遠い信号弾の打ち上がる空の下を、夜明け前痙攣する胸があ
るいていたことを、あなたは知っているだろうか。

 
(「生誕」2)
 







2014/05/24 15:20:00|幻塾庵てんでんこ
公開講座 朗読作品 3
 さまよう息              吉田 文憲
 
だからこうして黙りこむしかない。こうして話しているときでさえ
黙りこむしかない。テーブルのむこうはもう夜だ。もう届かない。
もう星も流れた。一瞬のあいだに、血やあなたの顔やあたりの風景
すべてを麻痺状態に陥し入れる傷口が開く。ここではだれも言葉を、
声を出すこともできない。だれも近づけない。ここには別の言語の
ささやかれる場所があるのだ。
 
届かない声が聞こえる――
もうだれの声だかわからない――
 
……………………悲鳴を呑んだ黒い影がさっと走る、二十年後の、

三十年後の、古びた郵便局のあるあの同じ曲がり角、そこでわたし
は倒れ、眠りこんでしまったのだろうか、霧のような雨が頬をうっ
すらと湿らせている、そこから数かぎりない水紋の輪がつぎつぎと
開いては消える、闇に伸ばした手の先に白髪の老婆がみえる、さら
にその先に火の手がみえる、罰せられた道を、罰せられたままに歩
いているのかもしれない、カツンと、ヒールが鳴る、強迫的な音だ、
視界が真赤に染まる、それでも窓ガラスを震わせるほどに泣き叫ん
だおまえのいたみがなぜ伝わらない、なぜ伝わらない、そしていま
わたしは、だれの息を、息づかいを訪ねているのか、躑躅の花が咲
いていた、道に細かい鱗粉が飛んでいた、その道を小動物のように
駈けてくるものがいる、ふいに垣根のむこうからかぼそい胸をえぐ
るような声で名前を呼ばれたような気がした、青灰の薄皮一枚むこ
う側を引き剥けば、薬屋のショーウインドーや日に灼けて色もあせ
てしまった家々の長方形の窓の並びがみえる、車のエンジンの音が
聞こえる、目を閉じる、目を閉じる、窓のむこうに夜が運ばれてく
る、わたしがいなくなったことを責めないで下さい、だれが責める
だろうか、音はカツカツと階段を上ってくる、頭上の水面がゆらめ
きみだれて盲いた瞳に突き刺さるように光のかけらが降ってくる、
目をあけてほしい、目をあけてほしい、ものを言ってほしい、もの
を言ってほしい、ワタシ二枚のガラス板ニハサマレテ息ヲシテイル
ヨウナノ、乾ききらない血の雫がまたしても目の前に浮かび、伸ば
した手は勝手方向にひきつり、そこを緑色の太い静脈が這いまわっ
ている、わたしはだれの呼吸のなかを通り抜けているのだろうか、
ひそひそと見知らぬ声の集まる場所、ここはどこだ、はるか地上か
らいないこどもたちの声が昇ってくる、犬が興奮して吠えている、
下の方で影を運びながら坂道が鳴き軋っている、この眠りはどこへ
つながっているのか、あの坂道はどこへつながっているのか、光る
玲瓏の球の鼓動、それがものを言う、さまよう光る鼓動がものを言
う、わたしなにか幽霊と対話しているようなの(これはだれの声だ)、
視界に紫の火花が散っている、うん、……、うなずいたのではない、
ただ話そうとする言葉が声にならず蒸発してゆくように感じていた、
あの坂道であなたの投函した手紙はいまどこをさまよっているのか、
手紙は息だ、あなたの消えない息づかいだ、あなたの息はここに真
昼の花咲く庭を運んでくる、水面に浮かぶ垣根のうえを蜜蜂がせわ
しく飛びまわっている、その上に音もなく燃えあがる小さな炎の渦、
なにも許されるものはない、なにもゆるされるものはない、それで
も、
 
届かない声が聞こえる――
 
もうだれの声だかわからない――
(「生誕」3)
 







2014/05/16 16:25:11|雑記
ペーパーノーチラス
『柳田国男の話』(東海教育研究所刊)の表紙の写真は、ペーパーノーチラス(Paper Nautilus)――和名アオイガイ(別名カイダコ)が産卵のために作る殻。

 
薄紙のようにはかなげで、もちろん壊れやすいので欠けていないものを見つけるのも難しいとか。
その透き通るような艶やかさを印刷で再現するのもひと苦労だったようです。







2014/05/16 16:21:00|雑記
ペーパーノーチラスの話
『柳田国男の話』表紙のペーパーノーチラスは、編集者秘蔵のタカラモノです。

震災の年の秋に下北半島を旅して、「大畑の宿」に泊った編集者が、ペーパーノーチラスを捜していると宿のおかみさんにぽそりと言ったら、
翌朝になって、近所の漁師の奥さんが届けに来てくださったのだそうです

写真は下北半島尻屋崎灯台と、寒立馬(かんだちめ)という放牧馬たち