生誕 吉田 文憲
星だといったのだったか、いや傷だといったのだったか、気を失っ
たままの文字が、窓ガラスが割れて、もうとうに奪うことを忘れて、
あるいていったのだ、とあなたはいった、泣いている庭で、光りを
浴びて、わたしはいない人になって、鳥たちのざわめきを聴いてい
た、黙っているあなたに、黙っているあなたまでの距離が、饒舌な
わたしのきょうの生命を繋ぎ留めている、求めつづけるのだ、とあ
なたはいった、硝子玉に歪んだままの愛が木のむこうで目を吊りあ
げて叫んでいる、見るだけなの、見るだけなの、とあなたはいった、
はじまりの場所にふたたび還って、人が言葉を穢さないということ
がありうるだろうか、書きかけた手紙が、顔を忘れて、交叉点の闇
に佇んでいる、一歩あるいてはよろめいた、めまいの中をさまよっ
て、手を伸ばしても届かない人に、はい、といい、いいえ、と答え
た、なにがいわれなかったのか、伝わるはずのないことを、紙に、
色の滲んでいる空に投げあげて、ばらばらにされた言葉があなたの
回りで生きていた、橋はふり返るためにあるのか、声は空に投げあ
げるためにあるのか、聴こえていた耳、聴こえなくなっていた耳に、
夜の電車を乗り継いで、また一つ、また一つ、とあなたへの距離を
かぞえて、からっぽの箱をあけつづけて、生まれつづけるわたしの
名前を呼びつづけてくれ、きょうの日のわたしの生誕を祝ってくれ、
人でないものが立ち上がる、砂の国で、どんな奇蹟が起こるのか、
さよならをいうためには、灰の歌声が必要だ、わたしであったもの、
彼であったもの、饒舌な身体をひらきつづける、施療院の窓には星
が流れた、どんな交信があなたを狂わせ、わたしを導いているのか、
闇が聞き耳をたてている、目はどこにあるのか、砂浜をあるき回る
夜の鷗たち、わたしの不在を照らしつづける星はどこにあるのか、
空がカンカン鳴っている、読みつづける本などもうない、安息日な
どもういらない、いま崩れ去り、飛び散ったばかりの光りをあつめ
て、あなたが降霊の仮面を脱ぎつづけているあいだに、わたしが遠
い街の雨の工事現場を通り抜け、川にそってあるきつづけていたこ
とを、あなたは知っているだろうか、物語る口、物語れなくなった
口、そこからはじまる声が、物語があることを、あなたは知ってい
るだろうか、軽くなってゆく、小さくなってゆく、饒舌な美術館、
その先にあるものをあなたは知っているだろうか、廃墟や折り目の
跡が騒がしい、白い翼がなやましい、闇の底からつぎつぎと小さな
歯車が零れてゆく、この花を、この亀裂を、歌って、歌って、荒れ
狂う線と逃げてゆく川、わからない、もうなにもわからない、ガラ
クタのうえで踊っている人の影、頭上で空がうなっている、砂の降
る町、遠い信号弾の打ち上がる空の下を、夜明け前痙攣する胸があ
るいていたことを、あなたは知っているだろうか。
(「生誕」2)