「外へ行こう」という誘いは、日本ではあまり耳にしない。……
自然の中で時間を過ごすと、複雑な人間関係や仕事の疲れでもつれた神経が元に戻るらしい……
「外」という日本語には楽しさが感じられない。むしろ不安を感じさせる。わたしの言う楽しい「外」は「アウトドア」に近いが、この外来語には少し商業的な手垢がついていて、キャンプ用品やスキー用品を買わないと自然に触れてはいけないような気にさせるところが気になる。カタカナなしで、ただ「外へ遊びに」行けばいいのではないのかと思う。子供のように。
「外」ではなく「野」という言葉もある。『あとは野となれ』を書いた室井光広さんは、外に出ることのできる人である。大抵の大人が会社で働いている平日の日中、縄文土器のかけらを捜して家の近くの「野」を歩き回っていて巡査に呼びとめられた、という話をしてくれたことがある。野を歩き回って調査していたのだから、「フィールドワーク」なのに、詩人を「野放し」にしておいては危ないということなのか、怪しげな人物なのではないかと誤解されてしまったようだ。多和田葉子著「言葉と歩く日記」(岩波新書)より
藪を漕いで出たら、「何してるんですか」と呼びとめられた。
訝し気にしていたのだろう、「私、誰だかわかりますよね」と言われて、バイクの荷台に書類ケースふうのものがあるのに気づき、「保険の方ですか」と言ったのは、過疎地の少年時代の、農協職員の風情が思い浮んでしまったためらしい。「えっ!保険の人に見えますか。この格好で誰だかわからないと言われたのは初めてです」と言われ、応援もあらわれて、ようやく警官だとわかったって。
7月6日は梅雨のさなかで、外あそび向きの日にならない可能性もありますが、
「外へ」行って、山の上から海を見よう! という気分で「海の見えるホール」へお出かけください。
隠れキリシタンの遺物などを展示した「澤田美喜記念館」もリニューアルオープンしたそうです。