幻塾庵 てんでんこ

大磯の山陰にひっそり佇むてんでんこじむしょ。 てんでんこじむしょのささやかな文学活動を、幻塾庵てんでんこが担っています。
 
2014/07/31 16:51:15|猫牀六尺
猫牀六尺 その2
航空公園(所沢)のコスモス
 

このレンズは、たぶん、1930年代のものだと思います
(少なくてもカメラは30年代、38年ぐらいです)。
カラー写真なんてなかった時代に製作されたレンズによるカラー写真です。
使ったレンズは、ライカのエルマーという古典的なレンズで、
普段はボケて写るのですが、この日は異常に緑に反応しました。
 
「わたしはふりかえることはのぞまないけれども」といっているレンズが、
突然、青春を回顧したかのようです(笑)。
それに、実際の公園はこんなに緑色に染まっていませんでした。
たぶんレンズが興奮したのでしょう。
失われた時を求めて――このへんも写真の面白いところかもしれません。

 
――撮影者(佐藤亨氏)のコメント







2014/07/30 13:59:03|幻塾庵てんでんこ
批評家失格者の批評談義(その四)
H・アーレントの「魔法の杖」を駆使したそれにまさるとも劣らぬブリリアントなベンヤミン論「土星の徴しの下に」で、スーザン・ソンタグは次のように書く。

〈ベンヤミンの著作をみると、当然言及されていいはずの事柄が数多くおちている――誰もが読むものなど読もうとしなかったためである。彼はフロイトの心理学説よりも、四体液説のほうを好んだ。マルクスを読まずに共産主義者であることを、あるいは共産主義者になろうとすることを好んだ〉
(富山太佳夫訳 みすず書房)

「当然言及されていいはずの事柄が数多く」網羅されている学者・研究者のベンヤミン論には望めない種類の、錬金術師的に大胆な断定が心地よい。ボルヘスなみの読書人であったはずの「批評家を超脱した批評家」ベンヤミンが「誰もが読むものなど読もうとしなかった」云々とは、とても乱暴なものいいだけれど、にもかかわらず惚れぼれするのは、この非凡な作家・批評家もまた、たとえば〈『失われた時を求めて』を十五秒で要約できる〉天才コメディアンにのみ可能な能力の持主だからであろう。

ベンヤミンがフロイトの学説よりも、四体液説のほうを好んだ、とある四体液をあらわす語は、われわれに親しい「ユーモア」に重なる。つまりhumorをさかのぼると、かつて人の体質・性質を決定すると考えられていた四体液にゆきつく。
血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の四体液(humors)がそれであり、中世医学ではこのうちのどれかが他の体液よりも多いことによって気質や体質が決まるとされていた。

四体液のうち、ベンヤミン(そして文学)にとって最も重要な存在感を主張してやまないのが黒胆汁(melancholy)である。
われわれが注目するのは、「ユーモア」と「メランコリー」が対立的なものではなく、本来的に後者は前者の構成要素だったことだ。ユーモアの母胎がメランコリー――われわれ好みのいい方をすればそうなる。

ベンヤミンは、占星術的思考にも関心を寄せたあげく、自らを「メランコリー」を宿業とする「土星」に支配された気質の人間とみなした。近代(モダニティ)についてキワメツキの思索をつづけたベンヤミンは、すぐれて近代以前のオカルティックな知の様式――錬金術、占星術、中世医学――に自らの実存を重ねていたふしがある。このズレが、批評家失格者のわれわれを深く魅了するのはどうしてなのか。

この問いを背負って、われわれのヨミカキ塾は、〈見果てぬ夢の手仕事〉の何たるかを探究する。







2014/07/28 14:51:21|幻塾庵てんでんこ
批評家失格者の批評談義(その三)
H・アーレントは、著作家ベンヤミンの正体をつきとめるにあたり、「何者でもなかった」ことを列挙する消去法を採用した。ゲーテ『親和力』論のプロローグでベンヤミンがのべた「燃えつづけている生きた炎のなかに、作品の真理を探る」批評家の名づけ得ぬ本質を浮きぼりにするその方法は、二十世紀を代表する政治哲学の記念碑『全体主義の起原』の著者にふさわしく、ブリリアントである。

〈全体主義〉のワナに陥らずに〈全体〉を圧縮する文体で書かれた大著『全体主義の起原』(みすず書房)の「本論」を例によって回避し、われわれの関心にひっかかる〈序文〉的な箇所のみをひろう。第一巻で、彼女は、ユダヤ人を一夜にして非ユダヤ人にしてしまえるような強力な魔法の杖は存在しなかった、それほどユダヤ人であることのアイデンティティは強靭なものだった、としながらも、同化したユダヤ人が同化によってその先天的な政治的本能を徹底的かつ根本的に変質させられたことは事実であり、「この変質過程の偉大な詩人(半ユダヤ人でありながらユダヤ人と称した)がマルセル・プルーストだった――この変質過程をすでに卒業してしまったより偉大な詩人となったのはフランツ・カフカだったが」――(拙著『プルースト逍遥――世界文学シュンポシオン』十参照)とつづけている。


プルーストを「偉大な詩人」、カフカを「より偉大な詩人」と位置づけているところなどなかなかに興味深い。ユダヤ人問題には立ち入らず、ここではアーレント自身の「偉大な」文体に「強力な魔法の杖」を自在に駆使する魔女が潜んでいたことにとりあえず注目しておく。







2014/07/27 15:21:46|幻塾庵てんでんこ
批評家失格者の批評談義(その二)
われわれすべての人間の中に批評(家)は棲みついている。批評なしにわれわれは生きられないといえるが、好悪・良し悪しをめぐる価値判断の次元にとどまらず、悪口につながる噂話、しゃべくりに程度の差こそあれ関与してしまう点で、われわれは卑俗なイキモノである。

卑俗性の化身ともいうべきこの噂(話)を最大限に活用したのが、すぐれて批評的な作家プルーストで、その大長篇には、形而下的しゃべくりが一種宇宙論的なスケールの形而上的噂(話)となって、随所に登場し、読者を圧倒、もしくはウンザリさせる。感動に値するタイクツさ――この大作にさいごまでつきあいきる読者はそれを何度も味わうことになる。願わくばわがマボロシのヨミカキ塾生諸氏もまた、その体験を!

卑俗な噂(話)の滑車が高度な「表現」としての「作品」を構成するという逆説をプルーストは体現しているわけだが、あくまで「表現」「作品」としての批評を志す者にとって、この逆説は、井口時男氏がのべた「難題」以外の何者でもない。

氏が簡潔に言揚げした「文芸批評だけの特性」――「文芸についての批評であるとともに文芸としての批評」――を、二十世紀の世界文学で、ひときわあざやかな文体によってなしとげた「表現」者がベンヤミンである。
われわれのヨミカキ塾での必読品として、プルースト、カフカ等と並んでベンヤミンがあげられたユエンだ。

ベンヤミンの「創作」者としての体質を窺い知る作品の筆頭にあげられるものに自伝『1900年前後のベルリンにおける幼年時代』がある。一読してプルースト的匂いが濃く漂っているのがわかる。しかしこれは限りなく創作に近い特異な批評のタマモノというべきだろう。

ベンヤミン・コレクション(ちくま学芸文庫)には、われわれが待ち望んだ、彼の青春期の文字通りの創作も収録されていて、興趣が尽きない。
詩作品、小説、批評的断章などが独特のアウラを放ち、後に彼のキーワードとなる「星座的布置」をなしている。
まったく逆説的なことだが、ベンヤミン的な、あまりにベンヤミン的な批評精神は、青年期より、たえず批評のフレームを超脱する(としかいいようのない)方向へ彼をけしかける。

拙著『ドン・キホーテ讃歌――世界文学練習帖』(2008 東海大学出版部)所収のベンヤミン論にも引かせてもらった、ハンナ・アーレント(『暗い時代の人々』ちくま学芸文庫)の卓抜な言葉を再度パラフレーズする。

――彼は言語に深い洞察力をしめしたが言語学者ではなく、神学的な解釈に強く惹かれていたが、神学者ではなく、とびきりの文章家だったにもかかわらず、終始望んでいたのは引用文から成る作品をつくりあげることだった。プルーストやボードレールのすぐれた翻訳を残したが翻訳家ではなく、書評や作家論を多数ものするレビュー活動をしたが文芸評論家ではなく、ドイツ・バロック演劇について本を書き、十九世紀パリをめぐる膨大な未完の研究を残したが文学史家でも歴史家でもなく、詩的にまた哲学的に思考していたものの詩人でも哲学者でもなかった。
(つづく)







2014/07/23 12:20:40|幻塾庵てんでんこ
批評家失格者の批評談義

ベンヤミン・コレクション〈7〉の任意のページをパッとひらく。そこ(443頁)にこんな一行が
〈書評者にとって何より難しいのは、この作品を――読むこと、理解することだ、とは言わないが――読者に紹介することである〉

同時代のある書評者について書かれた一文であるが、「この作品」とは、われわれのヨミカキ塾の必読品であるプルーストの大作『失われた時を求めて』を指す。

日本語の四百字詰原稿用紙で1万枚相当といわれるプルーストの大作を「書評」する!?
筆者は、書評の前提となる、読者への「紹介」――その難行を想像しただけで、はるかな思いにとらわれ、いつものように、立ち往生してしまう。

2009年に、四百頁をこえる『プルースト逍遥』(五柳書院)刊行に及んだ筆者は、この難行を回避したあげく、あるコメディアンの方法に思いを馳せた。

〈再読し終えて、夢を見た。私はあるコンクールに出場し、舞台の上で立ち往生していた。……私は出場していながら、そのコンクールの名前を知らないのだった。焦りながらも祝祭のムードにつつまれた私は、つとうしろをふり返り、コンクールの名前を読んだ。――「全日本プルースト要約コンテスト」。思わずこみあげた笑いを祝福するかのように観客は、さらにやんやとはやしたてた。
イギリスのコメディ集団モンティ・パイソンのスケッチ、『失われた時を求めて』の内容を十五秒以内に要約しようという「全英プルースト要約コンテスト」が記憶から躍り出てきたものらしい〉(『プルースト逍遥』一)

プルーストをダイジェスト版で読むのは論外だとして、筆者はこのユーモアを大切にしたいと考えたのだった。

人生は短く、プルーストは長すぎる、と人々を嘆かせた大作を「十五秒以内で要約する〉能力をもちあわせた唯一の批評家、それがベンヤミンだ。もちろん、こんないい方が批評的でないことは承知の上である。

田中和生氏が「理想的な批評のかたちの一つ」としての「序文」に言及したことを思い出し、井口時男氏の『批評の誕生/批評の死』(2001講談社)の「序」をひもとく。そこに、あらゆる批評のなかで文芸批評だけに固有とされる「難題」への言及がある。

〈文芸批評は文芸作品に対する批評であるとともにそれ自体文芸の一ジャンルである。つまりそれは、文芸についての批評であるとともに文芸としての批評でもある。これは文芸批評だけの特性だ(誰も美術批評に美術であれとはいわないし、音楽批評に音楽であれともいわない)。
ならば、文芸批評はそれ自体が「作品」でありうるのか。ありうるとすればそれはどういう意味においてか。「作品」というものが「私」の「表現」だとして、では批評作品において表現される「私」とはなにか、批評という形態における「表現」とはなにか〉

井口氏のいう「難題」は二つあるのだが、このつづきは「読めばおのずとわかる」こととして、割愛する。

氏の著書は、日本を代表する批評家たちの精神の列伝という「本論」をもつが、例によってその内容を回避してすすむ。
日本の事情は氏の「本論」を「読めばおのずとわかる」こととして、世界文学史上最高の「難題」を背負った「作品」「表現」としての批評文をのこした人こそベンヤミンだと、われわれの塾では位置づけている。

 

つづく