カフカを「コメディアン志望のメランコリカー」と名づけた時、筆者も、『失われた時を求めて』を15秒以内で要約するという課題にこたえる時の心持ちに近かった。
コメディアンとメランコリカー(憂鬱者)をむすぶ「と」は、〈見果てぬ夢〉と〈手仕事〉をむすぶ「と」に似た性質のものといっていいだろうか。
カフカに劣らぬ勝るともメランコリカーだったベンヤミンが、子どもの本に興味をもち、収集し、その書評を書いていたことはよく知られている。
ベンヤミンがカフカに冠したのは、
「弁証法家のためのメールヒェンを書いた作家」というものだ。
いいかえれば、高度な哲学的言語による思索をこととするような者も楽しんで読むに「耐える」メールヒェンを書きえた作家。
われわれの塾の思考は、常にジグザグに進む。
当断章の読者は先刻ご承知の如く、
前後を忘れることしばしばなのである。
〈見果てぬ夢〉は、あのドン・キホーテに関わる語として広く知られている。
〈手仕事〉も、コトバ自体は難しいものではないはずだが、これはベンヤミンが特別の思い入れを込めて用いた語である(どんなふうに使われているか、幻塾生諸氏は実地に著作で確認されたい)。
前者は、ほとんど妄想に近い現実ばなれしたものにとり憑かれているイメージ。後者は、一般的に、前者と対照的な(?)手間ヒマのかかるじみな作業のイメージといったところだろうか。
さて、それでは(というツナガリにはなっていないが)、中断・飛躍を承知の上で――
カフカ文学についての批評史上、ひときわ光り輝くアウラを放ちつづけるベンヤミンのカフカ考をメールヒェンふうにひとまたぎし、ベンヤミンが、カフカの文章の中で「もっとも完璧なもの」と断定した「ひとつの草稿」を次に引く。
「サンチョ・パンサは――ついでに言えば、彼はこのことを一度も自慢したりしなかったが――長い歳月をかけて、夕べや夜の時間にあまたの騎士道小説や悪漢小説をあてがうことで、のちに彼がドン・キホーテと名づけることになった自分の悪魔を、わが身から逸らしてしまうことに成功した。この悪魔はそれからというもの、拠り所を失ってこのうえもなく気違いじみた行いの数々を演じたのだが、こうした狂行は、まさにサンチョ・パンサがなる予定だった攻撃の矛先というものを欠いていたので、誰の害にもならなかったのである。
自由人サンチョ・パンサは平静に、ことによると一種の責任感から、このドン・キホーテの旅のお供をし、ドン・キホーテの最期の時までその旅をおおいに、そして有効に楽しんだのだった」(ベンヤミン・コレクション〈2〉所収「フランツ・カフカ」163頁)
このカフカの草稿に「サンチョ・パンサについての真実」というタイトルをつけたのは編者M・ブロートで、カフカ自身のそれは断片のノートである。
この「ひとつの草稿」を、「もっとも完璧なもの」と断じた時、ベンヤミンはやはり、カフカの全作品をふまえた上で「15秒以内で」その本質を言揚げするような心持ちだったと想像される。
ベンヤミン・コレクション7にふれられているように、ベンヤミンはここで、子どもだけが理解してくれるキワメツキの方法――「誇張」表現を実践しているともいえる。
ヨミカキ塾は、あまりにクソ暑いので、期間非限定の長期休暇に入る。
そこで、カフカの上の草稿を課題文として掲げておく。
この謎めいた文を読み解くためには、もちろん『ドン・キホーテ』を読まなくてはならないことはいうまでもあるまい。
だがしかし――、と、われわれは前言をひるがえしたりもする(ボルヘス曰く――前言をひるがえしたところで、どうということはない)。
〈……ねばならない〉に、われわれは疲れきっている。「必読品」などという言葉を何度か使用したが、クソくらえの声もどこからかきこえてくる。
このうえは――『ドン・キホーテ』など読むも読まぬも、めんめんのおんはからい也。
当塾の塾生兼講師の一人で、このように宣言した人もいる。
既出の井口時男氏の批評をめぐる「序」文には、やはりわれわれのてんでんこ塾が祖師と仰ぐモンテーニュの言葉が引かれているが、さらにその一行をコンテクストを無視して孫引きする。
〈ちょうど生徒たちがエッセエを出すのと同じことで、みずから教えられようがためであって人を教えるためではない〉
疲れている、あるいは憑かれている諸氏よ、時にはヨミカキのことなど忘れ、それぞれの仕方で、てんでんこ式に休養されたし。では、まっぴら御免!