「現代詩手帖」9月号に、庵主が多和田葉子さんと四月に行った対話「言葉そのものがつくる世界」が掲載された。
ギョーカイ人失格の庵主が多和田さんと公的な対話をするのは、およそ二十年ぶりとのこと。
いろいろ思い入れがあったみたいだが、とりわけ、さいごのほうの、庵主の運動に対する多和田さんの言葉に涙した、と。
以下はその発言の一部。
「室井さんは震災前から、遅れるということはしっかりやっていましたね。 学校の遠足の時なんかでも、遅れてはじめて風景が見えるようになる、と。遅れるとみんなから離れてしまうけれど、一人になることを恐れない。だから津波が来ても、「キズナ」を強調するのではなく、ばらばらに逃げろ、と言えるんですね。ばらばらに逃げるためにはひとりひとりがかなり強くないとだめだと思うんです。しかしこの強さは、威張っている強さではない。決して上からものを言わない工夫をしている。その工夫のひとつとして、田舎者っていうスタンスがあるんじゃないかと思うんです。これが非常にすばらしくて、自分は田舎者であると言っておいて、都会人みたいな幻想から距離をおき、自分の仕事をするスペースを確保する。そうやって、じっくりとものを考えたり語ったりする条件を自分でつくるんですよね。そうしなければ、人の欲望のテンポに巻き込まれて、ちゃんとした仕事ができませんから。この「田舎者」というスタンスにはちゃんとした歴史的背景があって、たとえば「会津はそう簡単にオカミの言うことをきかない」という室井さんの一言で、私は、ああ、近代は日本を一つの同質なものとしてイメージさせようと私たちを洗脳してきたけれどそれは違うんだと実感しました。でも室井さんは逆に、自分は福島県の人間として発言する、などということも一度もおっしゃったことがない。震災後にはそういう形で、中心だと思われている東京に自分を対置するということも可能だったと思うのですが、そういうことは避けていらっしゃる」
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