1995年に発売された新月前身バンド「セレナーデ」の音源と、オリジナルアルバム「新月/新●月」未収録の新月曲、先の「赤い目の鏡」からカットされた芝ABC会館での『せめて今宵は』、新月が音楽を担当していた「劇団インカ帝国」の曲を収録したアルバムです。
新月公式サイト「新月史(2005年)」、
新月ファンサイト「新月史」(2003年)を、すでに読まれた方もいるかと思いますが、このアルバムのご紹介前に、初めて新月を知る方たちに、少し新月のなりたちについて説明したいと思います。
新月は、セレナーデとHALという二つのバンドのメンバーから生まれました(以下敬称略)
1976年にセレナーデの花本彰(key)、HALの津田治彦(G)、高橋直哉(Drs)の3人が新月の母体を結成します。
その後、津田、高橋の青山学院大学の仲間である、マルチプレイヤー遠山豊が加入、新たなメンバーが決定するまでの紆余曲折期間が便宜上「第一期新月」とされ、当初ボーカルは遠山豊がとっていました。
そして、セレナーデの鈴木清生、北山真が加入し、1977年、第二期新月は、花本彰(key)、北山真(vo)津田治彦(G)、鈴木清生(Bs)、高橋直哉(Drs)、遠山豊の6人編成でスタートし、渋谷「屋根裏」でデビューします。
1979年「新月/新●月」レコーディングを機に、遠山豊はマネージャーに転向し、現在わたしたちが「新月オリジナルメンバー」と呼んでいるのは、「第二期新月」メジャーデビュー後の花本、北山、津田、鈴木、高橋の5人のメンバーです。
一部過去の記事で、破天荒の阿久津徹氏が新月に参加していたという記述がありますが、その事実はなく、1979年新月メジャーデビュー後に、高津昌之が伊藤政則氏の企画物のアルバム制作のために、花本彰、小松博吉、そして阿久津徹氏がベースで録音に参加した事が誤って伝わったためのようです。
この新月の歴史についての詳細はまた別のカテゴリでご紹介します。
セレナーデメンバーは、当初、ギタリストに桐谷仁が加入していましたが、1974年に脱退し、高津昌之が加入、セレナーデオリジナルメンバーは、北山真(Vo)、花本彰(key)、高津昌之(G)、鈴木清生(Bs)、小松博吉(Drs)です。
のち鈴木清生が脱退し、1976年8月13日(金)目黒区民会館で行われた、桐谷仁プロデュースのHALとのジョイントコンサートは、HALを75年秋に脱退した桜井良行が参加しています。
ちなみに「新●月●全●史」のDU特典は「プログレの逆襲」というこの目黒コンサートのリハーサル音源ですが、従って、この音源のベーシストは、鈴木清生ではなく桜井良行です。
目黒での演奏曲はこのプログレメドレーと、セレナーデオリジナル曲(2009年発売高津昌之ソロアルバム「信号」に収録の組曲『夜話』を含む)です。
この本番での音源は存在しないそうです。
このアルバム「セレナーデ+新月」ですが、まず、ライナー掲載の作詩作曲者名の訂正をしておきます。
正
『回帰』パート1、2(作詩作曲/北山真、イントロ部分花本彰)
『砂金の渦』(作詩作曲/花本彰)
『茜さす』(作詩/額田王、伊野万太、作曲/北山真)
また帯部分の『殺意への船出PART3』も『殺意への船出PART2』の誤植です。
「セレナーデ」
1.『蘇る記憶』(作曲/花本彰)
2.『回帰』パート1(『回帰』と同曲)(作詩作曲/北山真・花本彰)
3.『回帰』パート2(『回帰』〜『鬼』と同曲)(作曲/花本彰)
4.『殺意への船出PART2』(作詩/北山真 作曲/花本彰)
5.『終末』(作曲/花本彰)
「新月」
6.『砂金の渦』(作詩作曲/花本彰)
7.『島へ帰ろう』(作詩/北山真 作曲/花本彰)
8.『パパと一緒に』(作詩作曲/花本彰)
「新月 芝ABC会館ホールコンサート ライブ・テイク」
9.『せめて今宵は』(作詩/北山真 作曲/花本彰)
「劇団インカ帝国」提供曲
10.『竹光る』(作詩作曲/花本彰)
11.『茜さす』(作詩/額田王、伊野万太、作曲/北山真)
12.『浪漫風』(作曲/花本彰)
13.『まぼろし』(作曲/津田治彦)
また『竹光る』の歌詩は活字化されたものはないので、ここに記載しておきますね。ちなみに、このボーカルは津田さんか花本さんだそうです。
「みまちがう ほどに ふとり ねむる
ぐんじょうの まちも やまも しんだ
このよのふちにたち ふりかえる
あなたの なかから
あおい たけひかる
かざしもで みのる ゆめのなかで
まちわびた しろい はなが さいた
このよのくるしみは つゆになり
あなたの なかから
あおい たけひかる」
セレナーデの曲は1974年〜75年、花本さんの自宅兼セレナーデの練習場であった福生の外人ハウスで録音されたものです。
このアルバムを初めて聴いた時、『回帰』の素晴らしさに息を呑み、そして『回帰』パート2から、突然『鬼』のイントロが突然流れてきて、鳥肌がたったものです。
この『回帰』パート2はギターを含む全ての演奏を花本さんが演奏されているそうです。
そして、『殺意への船出PART2』は『鬼』と共に新月の代表曲ですが、セレナーデ時代のこの曲が、のちに新月を結成するきっかけとなりました。
なお、新月の『殺意への船出PART2』はボーカルは北山さん一人ですが、このセレナーデ版『殺意への船出PART2』では、ボーカルはAパート(王女)を北山さん、aパート(星男)を高津さんが歌っているそうです。
セレナーデは当時ひたすら練習に明け暮れ、非常にライブが少なく、活動期間中三回しかライブを行わなかったそうです。
一度目は、セレナーデがまだバーベキュー(スージーQのパロディ)と名乗っていた1975年11月8日、これも桐谷仁プロデュースで「銀座十字屋2階の3Point D.Q」で、二度目は1975年メンバーのバイト先のクリスマス・パーティで、三度目が目黒区民会館のコンサートです。
この中で『終末』は、2006年12月26日に行われたHAL&RING(2006年に結成されたHALオリジナルメンバーと新月キーボードサポートメンバー小久保隆のバンドRINGが合体したバンド)コンサートに、花本さんがゲスト出演された時に演奏されました。
また「新●月●全●史」にも収録されていない『砂金の渦』は、2006年4月8日、9日に行われた新月コンサート「遠き星より」で演奏され、『島へ帰ろう』が新たなアレンジで演奏されました。
このコンサートについては、また「新●月コンサート」のカテゴリでご紹介します。