日本のプログレッシブロック 新●月

日本のプログレッシブロックバンド最高峰「新月」のファンサイト 「新月ファンサイト〜新●月」 管理人が、「新●月」を紹介するブログです
 
2010/05/09 20:31:12|新●月コンサート
1979年12月23日新●月 クリスマスコンサート
昨日、ちらしをアップした1979年7月25日、26日の芝ABC会館でのコンサートが、新月メジャー・デビュー記念コンサートです。

わたしが観ている当時の新月コンサートは、このメジャーデビュー後、3回のライブのみです。

一度目が、先日ご紹介した12月14日の高田馬場BIG・BOX「科学の夜」です。

二度目が、その9日後の、12月23日(日)に、吉祥寺シルバーエレファントで行われたクリマスコンサートです。


「プログレの逆襲」では、開演からずっとびりびりとした緊張感が会場を支配していましたが、このクリスマスコンサートでは、打って変わってラフな雰囲気で、新月メンバーは終始一貫にこにこと演奏していました。

キーボードサポートは、ギタリスト津田治彦さんの妹さんの津田裕子さんです。

この日の演奏内容はかなり覚えていて、『赤い目の鏡』のボーカルはギタリスト津田治彦さんなのですが、北山真さんが、そのモノマネをして、『赤い目の鏡』のさわりを歌われました。

ここでまた、まだ曲名を知らなかった『殺意への船出PART2』が演奏されて、感動しました。わたしがこの曲名を知ったのは、これから15年後に発売された「セレナーデ+新月」のアルバムでした。

このコンサートで、当時の新月ファンクラブ会長で、劇団インカ帝国団員の小熊一実さんと出会いました。


このライブ会場の様子を撮影したファンの方から、お借りした写真をサイトへ掲載していますので、興味のある方はリンクをご覧下さい。

吉祥寺エレファント新●月クリスマスコンサート

北山さんのコスチュームから、『少女は帰れない』、『殺意への船出PART2』が演奏されたことがわかります。








2010/05/09 20:30:01|新●月コンサート
1979年12月14日「科学の夜」
7月25日のメジャーデビュー後、新月は精力的にライブを行っていましたが、わたしが新月を初めて観たライブが、1979年12月14日(金)高田馬場BIG・BOX「ビクターミュージックプラザ」での、「美狂乱」とのジョイントライブでした。
この時のコンサートタイトルは「科学の夜」。

この時のライブの印象はとにかく「ものすごかった」です。

実は、ライブの内容は殆ど覚えていないのです。ただ、ボーカルの北山さんが非常にこわい顔をされていて、びりびりとした空気が流れていたこと、新月、美狂乱共に鳥肌が立つような演奏だった、という事です。

美狂乱が先の演奏で、新月が次だったと思います。美狂乱は特に佐藤正治さんのドラムに圧倒されました。

美狂乱・新月、共に鬼気迫る演奏で、わたしの運営する新月ファンサイトへ、当時このライブを観た方の書き込みでも「とにかくものすごかった」という表現でした。

「新月/新●月」の曲の他に、未発表曲が演奏され、その中で、当時は曲名も知りませんでしたが、『殺意への船出PART2』が強烈な印象でした。

新月と美狂乱の、すさまじいライブ。この伝説のライブを観ることが出来たことは、本当にしあわせだったと思います。

この時のちらしは、北山さんのデザインだそうです。ちらしの画像がないのは、北山さんがお持ちとの事ですが、まだ発見されていません。もしも見つかってお借りすることできたら、またアップします。







2010/05/09 20:28:23|新●月コンサート
1979年11月18日原宿クロコダイル
1979年11月18日(日)に原宿クロコダイルで行われたライブのちらしです。
新月後期マネージャー竹場元彦さんからいただきました。

当時のロッキンオンの読者の多くが高校生でしたが、なかなかライブを見る機会のない高校生に、日曜日の昼間、出来る限り安い料金でライブを見られるようにと企画されたrockin on prezents「The Other Lives」の第一弾です。

スタッフには、2006年の新月復活コンサートでPA担当をされた志村明さんも、お手伝いをしてくださったそうです。

このちらしのデザインは花本さん、そして、北山さんが当時のアルバイト先にて、ご自身で、印刷されたものだそうです。







2010/05/08 16:07:33|セレナーデ&HAL資料
1976年HAL&セレナーデ ジョイントコンサート
1976年8月13日(金)目黒区民会館で行われたプログレ&ジャズコンサートのポスターです。北山さんにいただきました。

これも、セレナーデ前ギタリスト桐谷仁さんのプロデュースです。先にご紹介したように、演奏曲は、プログレメドレー「プログレの逆襲」と『回帰』、2009年発売の高津さんのソロアルバムに収録されている『夜話』(通称ドッテテ)が演奏されたそうです。

セレナーデからはすでにベースの鈴木さんが脱退し、HALを75年秋に脱退した桜井さんがベースで参加しています。

HALからもすでに1975年キーボードの鎌田洋一さんが脱退し、キーボードは津田さんの妹さんの裕子さんです。津田さん作曲の未発表曲『巡礼』が演奏されたそうです。

このコンサートが、セレナーデの事実上のラストライブとなり、この後、セレナーデとHALが合体、セレナーデの花本さん、HALの津田さん、高橋さんの3人が新月の母体を結成します。

そして、津田さん、高橋さんの大学の友人遠山さんが参加、その後セレナーデの鈴木さん、北山さんが参加し、当初は6人編成で新月がスタートするのでした。

この時のセレナーデの写真はこちらを見てください。








2010/05/08 15:26:12|セレナーデ&HAL資料
セレナーデライブ(クリスマスパーティ)
1975年のクリスマスパーティが、セレナーデの2度目のライブだったそうです。

写真はここには掲載できないので、こちらを見てくださいね。

新月ボックス「新●月●全●史」ブックレットに掲載されているのと同じ写真です。