日本のプログレッシブロック 新●月

日本のプログレッシブロックバンド最高峰「新月」のファンサイト 「新月ファンサイト〜新●月」 管理人が、「新●月」を紹介するブログです
 
2011/01/04 13:09:36|新●月コンサート
1978年 御茶ノ水全電通ホールライブ
1978年11月25日、メジャーデビュー前に参加した、御茶ノ水全電通ホールで開催されたイベント「FROM THE NEW WORLD」のちらしと、フールズメイトの記事です。
ファンの方からデータをいただきました。

新月メンバーは、花本彰さん(Key)北山真さん(Vo)津田治彦さん(G)鈴木清生さん(Bs)高橋直哉さん(Drs)遠山豊さん(G、Vo)の6人です。

競演は「美狂乱」「ガラパゴス」「目合(まぐあい)」「UNIT-X」。

「ガラパゴス」とは、桜井良行さん、清水一登さんが二人で演奏した曲をこつこつと録音・編集を行うというフリーユニットの名ですが、このイベントで、一度だけバンドとして公に、この名が使われました。

この記事でクレジットされている、ギタリストとベーシストの二人が、参加出来なくなり、急遽コンサート1週間前に、田中英介さんがギターで、桜井良行さんがベースで参加する事となりました。
ドラムは後藤雅夫さん、キーボードはもちろん清水一登さんです。

この時競演した美狂乱とは、翌1979年12月14日に、ビクター・ミュージックプラザ「高田馬場BIG・BOX」にて、ジョイントコンサート「科学の夜」を行っています。


新月は、音作り、機材、そしてもちろん演奏力、全てが圧倒的な存在だったそうです。

ギターアンプのトラブルで、演奏時間が押してしまったそうですが、このコンサートは、新月のメジャーデビューが決まるきっかけとなりました。







2010/05/27 7:57:51|劇団インカ帝国資料
1980年劇団インカ帝国「春の館」
第三期新月が音楽を担当し、1980年10月に上演された、劇団インカ帝国の「春の館」のちらしです。これは、1977年に上演された「春の館」の改訂版です。
このちらしは、わたしが保管していたものですが、どこで配布されていたものか不明です。

挿入歌『あかねさす』は1000年のねむりからさめた額田王がこれを歌うという感動的なシーンに使われたそうです。もちろん曲は北山さん。

「セレナーデ+新月」「光るさざなみ」「新●月●全●史」で、この曲を聴く事が出来ます。
2008年10月に行われた北山さんのバンド真○月コンサートでは、この曲が初めてライブで演奏されました。


劇団インカ帝国の公式サイトはこちらです。
「新月/新●月」収録の『"魔笛"冷凍』が「親王宣下」で使用されたそうです。










2010/05/22 8:19:23|劇団インカ帝国資料
1980年劇団インカ帝国「浪漫風」
第三期新月が音楽を担当し、1980年に上演された、劇団インカ帝国の「浪漫風」のちらしです。

このちらしは何色か違う色で印刷されていますが、その中の一枚を竹場さんからいただきました。

この劇では、本物の竹を団員の手で舞台に運んで、竹林を作り、その中で、花本さん、津田さんが黒の冠頭衣のような衣裳を着て、上演中に演奏をされたそうです。


「浪漫風」のエピソードについては、劇団インカ帝国公式サイト内
「インカ帝国創世記」
で、劇団員竹田のりこさんが解説してらっしゃいますので、読んでくださいね。








2010/05/21 7:55:33|新●月資料
1980年「たけひかる」
「FOOLS MATE Voi.13 LA POP METAPHYSIQUE 」1980年8月発行に掲載された、第三期新月の活動と、セカンドアルバムタイトル案についての記事です。ファンの方が保管されていたものを、データでいただきました。

当時わたしも、この記事を読みました。
鈴木さん、高橋さんの脱退を知った衝撃と同時に、セカンドアルバムのタイトルが「たけひかる」の予定という告知を見て、何とも言い難い思いにとらわれた事は言うまでもありません。

そして、セカンドアルバム発表を待ち焦がれて、プログレ系の音楽誌のレビューの記事は欠かさずチェックしていましたが、この年の12月近くになっても、どこにもその記事は全く掲載されず、12月になっても、レコード店の店頭にも、新月セカンドアルバム「たけひかる」を見ることはありませんでした。

それから、月日が経ったある日、ふと本屋で手にした音楽誌で目にした小さな囲み記事に書かれていた「新月解散」の文字を見て、瞬時に魂がぬけていくような感覚に陥ったことは、今も忘れません。それが81年か、82年だったのか、全く覚えてはいません。

この「解散」は、解散コンサートが行われたわけでもなく、公に宣言が行われたわけでもなく、池袋西口の居酒屋さんで、北山さん、花本さんが、どちらともなく「もう終わりかな」、「終わりにするか」と、言ったのが実質解散宣言だったそうです。
そして、それが、何年だったのか。お二人とも覚えていないそうです。

80年に、すでに新月を離脱した鈴木さん、高橋さん、そして第三期新月として活動を行っていた花本さん、北山さん、津田さんの五人は、さまざまな音楽活動・表現活動を経て、いつか、それぞれの道を別々に歩み始めます。

そして、新月は四半世紀の沈黙に入ります。







2010/05/20 7:56:13|新●月資料
1979年 シルバーエレファント スケジュール表
メジャーデビュー後11月から12月の吉祥寺シルバーエレファント出演スケジュール表です。
ファンの方が保管していた記事をデータでいただきました。

11月のライブは、シルエレ以外にも、新宿ロフト、神奈川大学での学園祭、コンサートカテゴリでご紹介している「原宿クロコダイル」でのライブがあります。
この11月は集中的にライブがあり、このスケジュールに当時「まるで芸能人みたい」と、思ったとか。
12月23日のライブが、コンサートカテゴリで、ご紹介した、わたしが観ているクリスマスイベントです。

このクリスマスコンサート以降、数ヶ月の間、新月コンサートは行われず、翌年1980年4月3日のラフォーレ原宿で行われた、スペース・サーカスとのジョイント・コンサートを最後に、鈴木さん、高橋さんが脱退、第二期新●月は、ここで一旦活動を停止します。


第三期新●月は、花本さん、北山さん、津田さんの3人が、複数の新しいベース、ドラムスのメンバー交代を行いながら、プログレでないかもしれないけれど、ほんとうに「いい曲」を追求しており、この路線でセカンドを出す方向だったそうです。

また、第三期新●月はバンド活動と同時に、北山さん、花本さん、津田さんの3人による劇団インカ帝国の劇伴、津田さん、花本さんの如月小春さんの劇伴を含むPhonogenixとしてのさまざまな活動、北山さんがSNOWレーベルを立ち上げ、津田さん、花本さんのPhonogenix作品、北山さんソロ「動物界之智嚢」、文学バンド「文学ノススメ」などの作品をカセットテープで発表するなど、メンバーの新たな表現に対する試み、それぞれの活動が、並行して行われていました。