緑が丘通信「新しい二宮の風」

「二宮と湘南」の自然と 「オープンな二宮町議会をめざす会」を「美しい街・緑が丘」から新しい風にのせて発信します
 
2014/04/17 19:04:52|中年低山・山紀行
塩水橋から天王寺尾根を丹沢山へ

4月16日、秦野・清川線(県道70号)の札掛の先、塩水橋から天王寺尾根を丹沢山まで6・6キロを歩いた。

登ってすぐがけ崩れがあり崩れた岩の上を(気をつけながら)通って登ったら堂平の分岐には丹沢山の下山方向からは通行止めの標識が出ていた。
前に登った時のこの天王寺尾根は「展望が無く急坂、きつい。」との印象は今回も変わらなかったが他のコースに比べ丹沢山へ最短距離である。

これ以上の天気が無いと思われる天気図と予報、なのに薄曇りと春霞で前日の素晴らしい富士山はなかった。
下りは堂平経由で降りた。所々に落石や倒木が散乱し長い長い林道だったが新...芽がふき、少しずつ薄緑色に染まって行く山並に咲き残りの山桜やツツジの紫、そして札掛けの辺りからは三椏の群落が奇麗でした。丹沢三峰から下山したかったのですが18時からの会議があったので堂平にしたが思いのほか奇麗で山桜に見とれました。

 
自宅7時発⇒塩水橋駐車場8:10着(車が思ったより時間がかかった)

塩水橋8:15 ⇒丹沢山(6・6キロ・11:20着12:15発) ⇒(堂平⇒林道経由7.8キロ)⇒塩水橋(14:20分着)
6・6キロの登りに(調子が悪いのか)3時間5分を要した。下り7.8キロは写真を撮りながらでも2時間5分とまあまだった。







悲しみの南三陸町防災庁舎

茅ヶ崎社協便の帰りに寄って来た防災庁舎
悲しいのをまた見てしまった。泣けてくる。
 
防災無線で町民に避難を呼び掛け続けて亡くなった南三陸町職員遠藤未希さんの親友で
三浦亜梨沙さん(24)の母と恋人へのメール
 
母へのメール
「無事ですか!?
6メーターの津波きます
役場ながされたらごめん 」
 
恋人のメールへの返信
「うん、死なない!!
愛してる!!」

「ぜってー死ぬなよ!」と呼び掛ける恋人のメールへの返信
 
 
添付の写真は防災庁舎屋上と海面が同じ高さになった瞬間です。
津波はこのあと水位が2メートルほど上まで到達したと言われています。







南三陸下道荘
16日朝、作業に出る前に茅ヶ崎社協便常宿の下道荘まえで集合写真を撮りました。
 
 津波で流された下道荘は元の場所から(津波が来ても安全な)上の高台に竹薮を切り開いて津波の翌年の2月17日に再開されました。
下道荘からは(津波で流され土台だけになった敷地やあとから立った建物も見えますが)南三陸の海が 目の前に広がり袖浜海岸に昇る朝日が(この日は曇りでしたが)見られます。朝、4時30分に起きてお風呂して一人で海辺を散歩しました。

新鮮な食材を使った自家製の 海の幸満載の手づくり料理はいつ行っても最高に美味しいです。下道荘のHPは
http://www.odette-shop.com/user_data/s1.php
 







筏の重石作り

 16日は最終日で帰りの時間もあるので300袋の予定で筏の重石作りでした。
 
作業は3人一組で袋を砂利場の近くに用意し1人が両手で袋を空けておき、他の二人がスコップで袋に砂利を詰め、4分の1位(移動できる重さのうちに袋を)入ッたところで砂利場から移してさらに7分目(60キロくらい)まで入れロープで結ぶ、これを5個単位でまとめておくと重機で漁協の作業員が運んで行きます。

私は前日は道路の補修だったので昨日の経験者2人と組み絶対負けないとあおりました。
20分やって10分の休憩でやって最初の時間で私の組は15個作りましたが休憩後は相方が変わった事もあって最初の三分の1位にスローダウン、それでも周りが私達よりかなり遅いのできつくは無かったです。
年配の方も休み休みやっているようでした。

写真下、近くで漁業の人達が昆布の加工作業をしていました。
 







海の幸満載おもてなしを受けた地元との交流会
15時頃から地元の方との交流会でした。ホタテと生牡蠣、わかめのしゃぶしゃぶ、煮立てのコンブと食い放題のおもてなしを受けました。

「そんなに仕事をしていないのにと、、」恐縮しながら夕食がいらないほどお腹いっぱいにホタテや牡蠣をご馳走になりました。
私は今まで40回近く、ボランティアに出かけましたがこんなすごいおもてなしは初めてです。

前回も生ホヤが2箱も届きましたがあらためて茅ヶ崎社協さんと地元との熱い熱い信頼感と絆を感じました。
写真下は自分の作業が早く終わって昆布の根切り作業を見つめる道路補修班と筏重石班のボランティア仲間たち。