被災地にそれでも陽が昇り陽が沈む南相馬市松川浦
3日目(12月1日)の宿泊は南相馬市松浦湾の民宿「はまなす」にしました。
宿の女将さんは気さくな人で震災当時の事、小高に自宅がある姉の事、チェルノブイリの映画監督の事等沢山、話をしてくれました。
「うちは(民宿はまなす)高台だから助かったけど、このすぐ下まで波が来てこの浜で何百人も死んだんだよ。庭のすぐ下まで津波が来て目印(隣の神社:写真案内してくれました)があるよ。この下は全部、流されたけど今、建っているのはみな、直したからね。」
「6千万でリフォームしたばかりで流された人もいたし、近所には木に捕まって助かった人、孫を迎えに行って流された人もいた。もうノイローゼになっている人もいるよ。残った家には泥棒も多かった。悲惨過ぎてやっていられないよ。」「松浦湾にも津波の跡を見に観光バスが来る。遺族はなまらないからやめてくれと、、。でもあっちに行けば残っているから見て行ってね。」と道を教え、福島弁でとめどもなく話してくれました。
写真は2日午前6時30分、地盤沈下で海の中になった建つ電柱、その上に太陽が昇る松川浦・潮干狩場、お月様がまだ見えました。
はまなすのすぐ隣地が墓地と神社で神社が避難所になったそうです。立札に「津波がここまで到達」と書いてありました。墓地や神社の回りが壊滅しましたが下側に見える家屋は再建されたものだそうです。松川浦の民宿やホテルはほとんどかなり再開されているように見えました。