緑が丘通信「新しい二宮の風」

「二宮と湘南」の自然と 「オープンな二宮町議会をめざす会」を「美しい街・緑が丘」から新しい風にのせて発信します
 
3.11から3年以上たっても津波被害の残る福島
3.11から3年立って岩手や宮城は震災遺構が解体され津波被害の風景がどんどん消えて行っていますが福島の海岸近くは原発の影響で突き抜けた家屋、地震で崩れた家がそのまま残っています。市街地近くの畑や田んぼにも津波に流された車の残骸が残っています。

写真は津波被害がそのまま残る家屋、除染で出た土嚢袋の山、南相馬の奇跡の一本松。
 







住民の帰還に向けて南相馬市小高区ボランティア

 はちはち会で南相馬市小高区に6月26日夜発〜30日でボランティアに入りました。
 
 今回の作業は原発による立ち入り制限が解除された地域の個人宅の後片付け作業でした。仏壇と神棚は残してくれと言われましたが日用品の類を始め、洋服タンスや整理タンスの中の衣類や洋服、布団、家具、電化製品や感謝状や賞状、絵画なども全てをビニール袋に詰め廃棄します。家はあとで解体されるそうです。

 原発事故で着の身着のままで避難、3年以上も放置されたままの状態なのでどの部屋も鼠の糞が凄かったです。28日に入った家の方は横浜の避難先から時々、掃除に帰られていたのか、部屋がわりと奇麗で、真新しい布団や立派な家財の廃棄、代々続くはずだった蔵や大きな家の解体に心が痛みました。原発事故は財産も人の思い出や心も全てを奪い去ります。
 
 政府と南相馬市は福島第一原発事故に伴う市内の避難指示解除準備、居住制限を平成28年度4月の解除を目指し今年8月〜10月を試行するそうですがまだ水道も使えません。
ここには忘れては行けない福島の現実があります。写真は27日の作業で庭に積み上げられた廃棄される家財の山です。
 
「はちはち会」とは旧KSVNボランティアバスの岩手便に乗っていたボラ仲間で岩手便を継続するために作られた被災地支援チームで松原さんが会長をやっています。
 
 







2014/06/24 9:46:27|中年低山・山紀行
西丹沢檜洞丸今年のシロヤシオ
西丹沢檜洞丸今年のシロヤシオはここ10年間で最高だった。
ボラバス仲間のヤマトモで5月31日(土)と6月4日(水)の2回、登ったが満開のツツジのトンネル、最近にない見ごたえのあるシロヤシオでした。ブログ掲載が遅くなりましたが記録として記しておきます。

31日は西丹沢自然教室から檜洞丸までピストンでしたが2回目の4日は下山を檜洞丸から犬越路へ、檜洞丸からの下山路は稜線が開けていてスリルもあって奇麗でした。登り休憩入れて3時間25分、下り3時間35分。湿度が高いせいか汗がぼたぼた、タラタラ流れ落ちる汗で上のシャツまでびっしょりで帰り信玄館で日帰り入浴して帰りました。
西丹沢自然教室(8:30出発)⇒ゴーラ沢出会(9:10着)⇒檜洞丸(11:55着・13時発)⇒犬越路(15:5着・15分発)⇒用木沢(16:15着)⇒西丹沢自然教室(16:45着) 







宮田工業「火災体感、消火訓練、研修」
二宮災害ボランティアネットワークで茅ヶ崎市の宮田工業に「火災体感、消火訓練、研修」に行ってきました。
天ぷら油火災体験、引火点まで温度をあげ発火するまでの過程や油火災に水をかけるとどうなるか等、実際の実験を
見せてくれました。積み上げた木材(森林火を予測)の輻射熱体感と消火器による消火訓練も行いました。

老朽化した消火器の破裂事故で死亡事故が数拾件、起きていた事を初めて知りました。古くなった加圧式の消火器はレバーを引くだけでも破裂する事故があるそうで(最近の消火器は破裂事故防止の蓄圧式になっている。)古いのは絶対、使わない方がいいとの事でした。







亘理郡山元町ボラヒヤリング

4月22日夜行で横浜市の県サポ前を23時に出発、23日22時30分帰浜で宮城県山元町にヒヤリングに行って来ました。
 
山元便ボラバスを出すに当たって継続するかも含め現在の復興の状況や被災地ニーズ、ボラバス実施上の問題を把握するためです。
 まず「未来に向って助け合い」福井代表に挨拶し、過去にかながわボラティアバスで行った事業、作業のあとがどうなっているか説明、案内を頂きました。現場を4か所案内して貰いました。

ボラバスで瓦礫拾い、ふるいをかけ整地した農地は立派に桑畑やカボチャ畑になっていました。
桑茶、からむし茶、植えられたカボチャはウルトラ万次郎と名付けたカボチャのパウダー等に製品化され地元の雇用を生みだしているそうです。
これから草取り、桑の葉の茶摘み、肥料やり等ボランティアの仕事は沢山あるそうです。
 
次に山元町社会福祉協議会に行き岩佐事務局長や山元復興センターの佐藤副所長(県出向職員)、主事の桜井さんと面会し山元町の復興の現状やボランティアニーズについて話を聞きました。
 
そのあと山下駅の前の橋元商店内の事務所で「やまもと語り部の会」渡辺会長と面会し山元町の現状を聞き新しく出来た(橋元商店の向かい)震災を忘れない伝える「みんなの写真館」を見学しました。
 
食事を終えた午後からは「ほほえみみやぎネットワーク」会長鹿野さんと面会、ここは2月にかながわボラバスで行った所で(その時、黒川副知事夫妻と産経新聞記者も参加されていてその記事が新聞に掲載されていて、空き地の刈り取った雑草をかたずける作業でしたが)
生い茂った枯草の放置は火災の危険もありここでの作業は空き地の草刈、かたずけと社協からの依頼の引越しの手伝いなどのようでした。
 
私は「二宮災害ボランティアネットワーク会長」の名刺を持参していたので未来に向って福井理事長やほほえみの鹿野さんからは「ぜひ、二宮からも来て欲しい。」との事でした。
 
そのあと、桜復興プロジェクトで植えられた桜、菜の花プロジェクトの菜の花、津波で流され道路のそばに放置されたままの車の残骸、夢いちごの郷、工房地球村、バスドライバーの仮眠施設と考えている「グリーンホテル角田」など回りました。
 
現地を出たのが17時過ぎで、横浜県サポ22時30分、二宮駅が23時30分、自宅が0時10分と帰宅が遅くなりましたが被災地の現状を知るいい機会となりました。これから問題提起も含め少しずつ整理して行きたいと思います。