緑が丘通信「新しい二宮の風」

「二宮と湘南」の自然と 「オープンな二宮町議会をめざす会」を「美しい街・緑が丘」から新しい風にのせて発信します
 
小田原市生涯学習センター「防災力アップ講座」
 小田原市生涯学習センターで防災力アップ講座(全17回)の8回目「東日本大震災から学ぶ事」が開かれた。
 まず小田原市消防署職員の「被災直後の消防緊急援助隊の活動について」の講演がありそのあと私が45分の持ち時間で「復興への道〜被災地に踏み込んだ人々〜」の演題でKSVNと自分のボランティア活動についてお話をしました。今まで1年半にわたるボラバス活動を写真でまとめたのですが終わってホットしました。
 
 時間は14時〜15時15分:学習講座 15時25分〜16時10分:グループワークと講師への質問等。私の話の粗筋は以下で、写真は講演する小田原市消防署消防司令補Y氏(右)と私。
 
 
 小田原市防災講座「東日本大震災から学ぶ事」要旨    
               2012・10・08  KSVNボラバススタッフ田口謙吉
 
1・KSVNボラバススタッフとして(自己紹介)
 私は神奈川災害ボランティアネットワーク(KSVN)でボランティアバスのバススタッフをやっています。隣町の二宮町に住んでいます。
 通称KSVN、神奈川災害ボランティアネットワークはかながわ県民活動サポートセンターの神奈川県と神奈川県社会福祉協議会との三者で「かながわ東日本大震災ボランティアスティションを立ち上げ、その事務局を担っています。
 
主の事業は1)被災地へのボランテイアの派遣や募集、2)ボランティアコーディネーターの養成、派遣等、様々な事業を行っています。
詳しくはKSVNのHPをご覧ください。事務所は横浜駅西口の県民センター11階です。私はその被災地支援ボランティアバスのバススタッフをやっているわけです。
 
 KSVNの被災地支援ボランティアバスはHPで募集し、横浜西口から毎週、出発しています。(行かれた方いますか?)
KSVNのボラバスは大きく分けて宮城便と岩手便があり 宮城便は夜行日帰りで石巻、気仙沼、山元町便を出していて、岩手便は夜行出発、岩手県遠野市にある金太郎ハウスに2〜3泊して帰って来ます。
 
 宮城便は現役世代の人が多く、岩手便はシルバー世代や主婦の方が多く、リピーターが多くなっています。年齢層は18歳から70歳台前半までと幅が広く、女性の方は30代、40代が最も多く男性はシルバー世代が多くなっています。
 
KSVNボラバスは(実績)・・2011年4月9日〜11日で大船渡市周辺に行った「第1回思いで探し隊」が最初でそのあと「思いで探し隊」は第4回まで陸前高田市、大船渡市、住田町に行きました。
そのあと2011年5月10日〜11日で宮城県亘理町に行った宮城1便から始まり (昨日帰って来た気仙沼便の宮城129便、今晩、帰って来る岩手91便と毎週のようにバスを出しています。
 
現在(2012年)9月末時点でボランティアバスは約257台を運行し、のべ12,824 人を送り出してきました。 行先は宮城県亘理町、東松島市、山元町、石巻市、気仙沼市そして岩手県山田町、大船渡市、陸前高田市、釜石市、大槌町等の被災地と最盛期は同じ日に神奈川から4〜5台出発した日もありました。去年の東北道のSAはどこもボラバスで一杯でした。(研修の写真)
 
2・私は何故、被災地に行ったか?
 私は3・11の時、たまたま出先から帰ったばかりで家にいて揺れの大きさに驚き、テレビをつけ、人や車、家が流されていく悲惨な津波の映像を地震直後から夜中までテレビで一部始終を見続けました。
次の日から色々な行事やイベントが全て中止になりそれまで多忙だった私は毎日、やる事、する事が無くなりました。そして家にいて毎日、悲惨な津波の映像をテレビ漬けで見る事になったわけです。落ち着かない毎日が続きました。
 
「こんな事をしていていいのか。」「これまで自分のやって来た事の意味があったのか。」と焦燥感に駆られました。後で考えるとこれって惨事ストレスだったんですね。
 
被災地支援に行こうにも「ガソリンが無い。」「ボランティアは食糧、寝る所を確保してから来い。」との事で初心者が被災地に行くのにはハドールが高かったのです。 ようやく動き出した神奈川災害ボランテイアセンターのバスもすぐ一杯になり なかなか被災地に行く事が出来ませんでした。そんな中で募集があった海老名災害ボランティアセンターのボラバス便にようやく乗れました。それが私のボラバスの始まりで被災地に行く事で落ち着いたのです。
 
3・被災地の変化とボランティア活動(写真220枚)
ボランテイアのやって来た事、仕事は瓦礫の撤去や側溝の泥出し、思いで捜し隊、カフェ隊、足湯、農業・漁業支援、仮設支援や地域や団体の行事、イベント支援です。
仮設支援はカフェ隊(お茶っこ隊)、足湯、バザー、炊き出し、芋煮等 被災者の孤立防止や自治会が立ち上がるまでの住民間のコミニュケーシュン作りです。
(仮説で涙した事)
最近は瓦礫の作業も少なくなって生活再建の支援、農業、漁業支援と中味が変わって来ています。
 
津波の映像はユーチューブ、テレビ等、報道で見られます。これからお見せする私の写真はボランティアの写真です。今は何でも無い事ですがその当時は現地のボラセンでは「人は勿論、風景も撮るな。」と言われていました。「バスの中からの風景もいけない。」と言われた時期もありました。私はスタッフだったので記録として現地スタッフの許可を得て撮った写真です。だから自分達のボランティア活動の写真が主です。
 
ボランテイアで何をやって来たか。○まずトイレと避難経路の確保、水は持って行く
(1)2011年6月・釜石・・釜石駅まで津波が来て釜石駅で亡くなられた人もいるそうです。駅の近くにボラセンがあって広場は警察車両と自衛隊の車、資材置き場のテントでした。商店街は建物こそ残っているものの1階は瓦礫の山でした。交差点は警察官の手旗信号、海沿いの道路は閉鎖されたまま通行止めでした。そこから山側の道路を回って行って鵜の住まい地区の個人宅の瓦礫の撤去、泥出しをしました。
 
(2)東松島市の側溝の泥出し(生活排水、大量のハエの発生)側溝のコンクリートのふたが重いんですね。高校生が3時間位でしたが150人位応援に来た。思いで返し隊、仮設支援・・・カフェ隊(お茶っこ隊)、足湯、バザー、芋煮など炊き出し、タッピングタッチ、 KSVNは月2便、大森団地に行っています。
 
(3)宮城21便(初リーダー)石巻市道路の側溝と個人宅(2階まで津波が上った居酒屋)の泥出し、床をはがし泥出しをし消毒をする。SAに行ってから集合写真。
 
(4)大槌町安渡(あんど)地区&(5)並板海岸
 
(6)神奈川大学「ボランティア駅伝」三陸文化復興活動・・KSVNとのコラボ
 
(7)思い出返したい・・・大槌町ボラセンの写真展、岩手県陸前高田市モビリアの活動
(8)仮設支援便・・・・・大船渡仮設住宅のお茶っこ隊、大槌町仮設住宅のふれ合い支援隊。      
宮城54便、74便の石巻市大森仮設団地・・帰りに東北道が雪で通行止めになった。
 
(9)原発から60キロの山元町 山元町沿岸部は堤防が決壊し防災無線は不能、多大な損害、犠牲を出した。原発から60キロ圏内で長い間立ち入り禁止区域になりボランティアやマスコミも入って来ず住民は誰も手伝いの無い中で泥だしをして来た。「いくら言っても行政は何もしてくれない。神奈川は本当に有難いです。」との依頼者のお話。
 
ここにも釜石と同じ奇跡が・・中浜小学校は地震直後の情報をもとに二次避難所までたどり着く時間がないと判断し、二階建て校舎の屋上に避難し全員無事だった。
 
(10)どんどん消えて行く被災地の風景・・箱崎湾、大槌湾の活動(岩手64便、岩手72便、岩手78便)球根や花を植える活動、花壇作り、
 
○被災地の変化・・風景が無くなった。以前は鉄骨だけ残ったコンビニ、軽自動車が4階の窓に突き刺さったままの鵜住居小学校、黒焦げの病院、崩れかかったホテルそのままだった。
 
(11)大槌町赤浜地区の活動 ○山元町と石巻市、箱崎の違い  石巻市、大槌町、箱崎湾・・屋敷跡の瓦礫の撤去、掃除は送り人との役割、山元町は人の住むところの瓦礫の撤去や下水側溝の泥出し原発が近いほど被災状況がそのまま残っている。
 
○現地の方の心の変化・・炊き出しをしてくれるようになった食事(昼飯は必ずボラセンに戻って食べた)、会話に注意し写真を禁止する等、
 
4・被災地支援ボランテイア活動で学んだ事(ボランテイアの役割、意義)
ボランティアに仕事休んで費用をかけて行くよりそのお金を被災地に送った方が経済的には効率的だという人もおられます。そうではないンです。私達が被災地に行く事で被災者が「忘れられていなかった。」と元気になるんです。やる気を取り戻してくれるンです。そして私達も被災者に励まされ、私達ボランテイア自身が元気を貰って帰って来るンです。
 
 作業としてはそんなにやっていませんが皆でやれば驚くほど仕事が進みます。草刈り、泥出し、瓦礫の撤去と一人の力はたいした事が出来無くても 大勢でやれば驚くほど片付いて行くんです。達成感、充実感、満足感がえられます。また行きたいと思います。本当に被災地に行く事に意義がある。
自己満足かも知れませんが私には人の役に立ちながら自己を問う自分捜しの旅になっています。
 
 5・これから
 3.11から1年7カ月になります。あの悲惨な津波体験も少しずつ風化しようとしています。南海トラフト地震は「最悪32万人が死亡も」と新聞に出ていました。
小田原市の予測は最大震度6弱、津波が最大4メートルです。自分と家族の命は自分達で守らないといけません。
 
私達は被災地支援を続けながら被災地に学び災害に備えなければなりません。
 
1・繰り返す災害を歴史から学ぶ (関東地方の地震史、神奈川の地震史、洪水史、富士山の噴火史)
 
2・津波への対応を東日本大震災から学ぶ(津波からの避難は難しい。鵜住居小学校、津波はすぐ来る。)
 
3・地域を知る・・避難経路を捜す、相模湾に予想される津波、地域の情報、避難方法の検討、
4・災害に日常生活で備える ○○○○○○○○○○
 
「百聞は一見にしかず」で観光でもいいですから被災地に行く事、現地に行く事が大事です。 KSVNは来年3月まではバスを出すそうですから まだ行っていない人は一度でも行くことをお勧めします。私達は被災地を支援しながら被災地に学びいつか来る災害に備え地域防災力を蓄えたいものです。是非、今度、一緒に行きましょう。







2012/10/05 21:40:37|平和・市民運動
葦牙(あしかび)試写会&小池監督トーク
 10月5日、「葦牙(あしかび)」の試写会が平塚市美術館ミュージアムホールで開かれ行って来ました。       午前の部は30人位の方の8割ぐらいがご婦人の方でした。
 
 葦牙(あしかび)は岩手県盛岡市の北に位置する閑静な住宅地にある児童養護施設「みちのくみどり学園」が舞台で、親に虐待された子ども達の心の軌跡と、それを見守り、育み、心の回復に真剣に立ち会おうとする人々の記録映画です。
 
 終わってから小池監督の挨拶、フリートークがありました。「子供がひどい状況でも周りにしっかりした大人がいれば生きて行かれる。児童虐待を社会の問題として捉え家族が作れない愛情や心を社会が作って行く事の大切さを子供に教えられた。」との弁で小池監督にお会いしたのは22年1月の「いのちの作法」平塚上映実行委員会以来でした。葦牙とは葦の若芽のことで生命力の象徴だそうです。
 
 今後の実行委員会の予定は
 2012年12月09日:「葦牙」予告編上映と「いのちの作法上映」 
             平塚市図書館3階ホール
 2013年01月20日: 「葦牙」上映と平塚市中央公民館上映会準備 
             平塚市活動センター   
       4月6日: 記録映画「葦牙」上映 平塚市中央公民館   







二宮町災害ボランティアコーディネーター初級編
10月3日、二宮町で2回目の「災害ボランティアコーディネーター初級編」が開かれた。
 
講師は座間災害ボランティアネットワーク濱田代表、
会場:二宮町社会福祉協議会第1会議室 13時30分〜15時40分。
 
 濱田さんの熱弁、日頃の座間の取り組み、為になるとてもいい話で参加者から「どうしてこういう話を各地区で開けないの?」の声が上がった。(写真は熱弁の濱田代表と会場の様子です。詳細は後日の予定)







2012/10/02 10:29:05|湘南と二宮の自然
菜の花台からの秋のダイヤモンド富士

 
 台風一過、今日は晴天でした。昨日の予報では今日は曇りで午後が雨。朝の予報は少し変わって今日、1日曇りのはずでした。
ところが今日は台風一過、1日いいお天気でした。朝のうちに金時山に行っとけば良かったと後悔です。
 
 
 今日は10時〜二宮町災害ボランティア・コネーデターグループの会合、14時から小田原市の防災講座、帰って来てすぐ菜の花台へ、17時少し前に着いたら大勢の人が写真を撮りに来ていて駐車場が一杯、道路に溢れていました。
日没17時05分。水を汲んで帰ったら自宅18時50分でした。







被災地からの報告〜「被災の体験から・避難所の運営に携わって」

 10月1日、小田原市生涯学習センターで行われている防災力アップ講座「災害を乗り越える!」(第7回)の東日本大震災から学ぶ「被災地からの報告〜被災の体験から・避難所の運営に携わって〜」福島県男女共生センター長沢涼子氏の講演を聞いた。
 来週10月8日の講座は私がKSVNバススタッフとしてお話をする事になっているのでその打ち合わせもあって会場に行ったので特別に受講させて頂きました。
 
 女性8,363、男性7,360←この数字は何の数字かわかりますか?
 そして男性52、女性17は?男性70%、女性30%は?で始まった福島県男女共生センター長沢涼子のお話は世界で一番有名になってしまった福島の風土と今、県外避難者が60,047人だが実際には福島に残っている人が多い、母子だけが県外に避難し福島に残った父と別居生活をしている人も多い。原発で自宅に戻れず避難所で生活をしている人もいる。(最初の数字は3・11で亡くなった人、次の数字は自殺した人の数、最後が阪神淡路大震災で“孤立死”された方の男女の割合で、そのうち、男性の30%が肝疾患だった。)
 
 長沢涼子氏のかかわる福島県男女共生センターは3・11以後、翌日から被ばくスクリー二ングの会場になり館内の一部が浪江町役場になった。そこでの男女共生センターの取り組み、段ボール1メートルだけの避難所のスペースで女性の安全安心から日本初の「女性専用スペース」が設けられた。
 
 その取り組みの過程や経過が語られた。女性の問題や仮設入居者の問題を個人の問題にするのではなく人権問題として捉える視点や意識、そういう体験と日常的に向き合いながら頑張っている姿に感動を覚えました。また避難所の運営の行政と繋がって行く事の実現性等、福島からの生々しい体験を話された。  
 
 講演は「今、福島がどうなっているか」を考えさせられ福島の方々がご苦労され困難に立ち向かう姿に心が痛みました。また女性の抱える問題や困りごとに男性側の視点の欠如など平常時から男女参画を進めなければいけないと思いました。これからのボランティアは福島だと思います。
 
写真は今朝6時過ぎの緑が丘からの富士山。台風一過の晴天で天気予報が外れです。