緑が丘通信「新しい二宮の風」

「二宮と湘南」の自然と 「オープンな二宮町議会をめざす会」を「美しい街・緑が丘」から新しい風にのせて発信します
 
復旧、復興へ・・被災地の今
 
 県立大槌病院(写真左)・・火災のススで建物が真っ黒でしたが奇麗になっていました。 仮設の小・中学校(写真中)・・・五つの学校の(大中、大小、北小、赤小、安小)仮設校舎が入っている。
仮設団地の大槌町復興商店街(写真右)と旧北小校舎







ハード系ボランティアのあとは被災地研修でした
 二宮社協便はハード系ボランティアのあとはまごころネットのご好意、配慮のおかげででバスで被災地研修が出来ました。
 
 21日はボランテイアのあと釜石市 鵜住居地区防災センターに献花し、ホームだけ残った鵜住居駅(写真左)を見ました。帰りはトイレ休憩で釜石駅シープラザに寄りました。
 
 22日は赤浜小学校、ひょこりひょうたん島の蓬莱島、はまゆうが乗り上げた民宿を回り、駅舎も町も全てが流され無くなった大槌駅(写真右)で黙祷を捧げました。
町長以下の職員の大半を失った大槌町役場(写真下)、大槌北小学校と仮設復興商店街では経済支援の意味で買い物をしました。
 
 「釜石の奇跡の鵜住居小学校」は7月に来た時はまだ4階の窓に軽自動車が挟まったままでしたが もう解体されて学校そのものが無くなっていました。







大槌復興米、飯館かぼちゃ、まごころ農園・・農業支援ボランティア

 
 二宮社協便2日目(10月22日)の作業は大槌町にある「まごころ農園」のお手伝いでした。この農園は地主さんの好意でまごころが開墾し近隣の仮設住宅の住民に開放しているもので安らぎと潤いをあたえています。
(詳しくはhttp://tonomagokoro.net/archives/27999を見て下さい。)
 
 私達は大根掘り隊とさつまいも堀り隊(写真@)、堆肥作り隊(写真A)の三隊に分かれ作業しました。
サツマイモは「まごころ収穫祭 2012」に使うそうで大根はタクアン用に近くの用水路で洗って欄干を作り干しました。
 
 
この農園の中で畳1枚ほどの田んぼで安渡産大槌復興米(写真B)を育てていてその由来を聞きました。
 
 
 午後からは福島県の飯舘村の特産品、飯館かぼちゃ(写真C)の倉庫の整理をしました。(福島県は原発事故により農作物を栽培することができません。そこで、遠野まごころネットは「種の保存プロジェクト」活動として、かぼちゃの代理栽培を始めました。)
 
 







釜石の奇跡、鵜住居地区防災センターの悲劇

 二宮社協便、初日(10月21日)の作業は鵜住居地区防災センター前のお個人宅お花屋さんの草取りと瓦礫の撤去でした。
避難して来た大勢の人がすし詰め状態のままで亡くなった鵜住居地区防災センターと鵜住居幼稚園のすぐそばでの作業です。
鵜住居地区の津波直後の映像は以下ユーチューブで見られます。 http://www.youtube.com/watch?v=ozeL1jJZn-Y&feature=relmfu
 
 わずか600メートルの間で、奇跡と悲劇が起きた。
 
東日本大震災で大津波が押し寄せた岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)地区。釜石東中学校の生徒らは日ごろの訓練の成果で一人の犠牲者も出さず、「釜石の奇跡」とたたえられた。
 
 その一方で小さな長内川を挟んだ対岸では、多くの住民が防災センターに逃げ込み、100人以上が津波にのみ込まれた。防災センターは150〜200人の住民でいっぱいとなり そこへ津波が飛び込んできた。
 
 生存者の話によると、水はものすごい勢いで屋内に入り込み、2階天井まで10〜15センチに迫った。わずかな隙間で呼吸し助かった人もいたがが、ガラスの割れた窓から多くの人が外に流されたという。
 
 海側の窓ガラスは突き破られ、2階の天井近くまで黒波が襲った。カーテンにしがみつき、顔だけを突き上げて助かった人らが26人。建物内部で63人が遺体で見つかり、隣接する鵜住居幼稚園付近では5 人が発見されている。
 
今も全体の犠牲者は分からないが1047人が犠牲となった釜石市で鵜住居地区の住民がその55%を占めている。
私達は鵜住居地区防災センターの1階と2階に設けられた祭壇に花を買って全員で黙祷した。
 
写真は上から@鵜住居幼稚園AとBが作業の様子、C作業が終わって奇麗になった宅地の前での集合写真、後ろが幼稚園と多くの犠牲者を出した防災センター。







二宮社協便で被災地支援ボランティア活動に行って来ました

二宮社協便ボランティア活動報告
 
 10月20日〜23日の二宮社協便運営責任者として岩手県沿岸部に被災地支援ボランティアに行って来ました。
 
10月20日;
二宮生涯学習センター(ラディアン)20:23発→東名港北PA(21:00着、車両入れ替え21:20発) →佐野SA(22:47着、23:30発)→安達太良SA(01:25着、01:40発)→長者が原SA(3:25着、3:40発)→遠野風の丘(5:45着、6:20発) →遠野市金太郎ハウス(6:30着)
 
 10月21日の作業・・・釜石市鵜住居地区個人宅(プレハブでお花屋を始められていた方の屋敷跡、庭)の草取りと瓦礫の撤去35名、現場は避難場所に指定され多くの人が無くなった防災センターのすぐそばで鵜住居駅もすぐ近くにありプラットホームの痕跡だけ残っていた。 1名は陸前高田市の思い出返し隊。
 
帰り釜石駅近くのシプラザで買い物、トイレ休憩を取った。(日曜日の為いつもの金太郎ハウスの弁当が無かったので返金した。)それぞれでシャワー入浴後、食事会(33名参加)。
 
 10月22日の作業・・・仮設住宅のそばの「大槌まごころ農園」に35名、思い出返し隊1名
 
 臼沢さんから安渡産大槌復興米の説明を受ける。作業は大根掘り(洗ってタクアン用なので干す)、サツマイモ掘り、堆肥隊の三班に分かれて作業 。
 
14時から被災地研修(蓬莱島、赤浜小学校、はまゆう民宿跡、大槌駅跡、大槌町庁舎跡)でバスで回りそのあと遠野の鈴木さん宅で大舘カボチャ倉庫の整理。
 
18時30分〜18時50分
遠野市社協佐々木氏講演「3・11に遠野市社協はどう対応したか。」
とてもいい話でした。
 
 10月23日・・・・この日の遠野は朝から小雨だった。金太郎ハウス清掃後(8時50分)、12時まで各自グループ毎で自由時間にした。
7時頃、アレルギー症状を起こし呼吸困難になった参加者の1人を救急車で搬送、私はその付き添いで県立遠野病院へ行った。金太郎スタッフT氏が付き添いを交代してくれたので行き先の決まらない初参加の人達16名を五百羅漢から鍋島城跡の散策コースを案内し、そのあと遠野博物館の前で(昼食をしないで)みんなと別れ私だけ早めに金太郎ハウスに戻った。
 
帰り:金太郎(12:30集合、13:35発)→遠野風の丘(13:40着、13:10発)→長者が原SA(3:25着、3:40発)→那須高原SA(3:25着、3:40発)→佐野SA(19:10着、19:52発)→東名港北PA(21:15着、21:25発)→二宮町生涯学習センター(ラディアン)22:05着
 
写真は上から@鵜住居地区の瓦礫撤去作業。A左後方の建物、鵜住居地区防災センターの前での草取り作業。
B防災センターの祭壇に献花し全員で黙とうしました。C翌、22日のまごころ農園の作業の一コマです。