被災地研修とボランティア活動の二宮社協便報告
(二宮町災害ボランティアセンターコーディネーターグループ代表・KSVNボラバススタッフ田口謙吉記)
二宮町初で二宮町発着の被災地支援ボランティアバスで岩手県沿岸部に行って来ました。夜行2泊4日(10月20日〜23日)の二宮社協便の報告です。
10月20日、二宮社協便総勢36名、二宮町生涯学習センターを20時23発に出発し、宿泊施設である岩手県遠野市金太郎ハウスに翌朝の6時30分に着きました。
その日(21日、2日目)は釜石市鵜住居(うのすまい)地区の個人宅・仮設プレハブの建物でお花屋を始められた方のお屋敷跡とお庭の草取りと瓦礫の撤去作業をしました。隣り合わせに鵜住居地区防災センターや鵜住居幼稚園があり鵜住居駅もすぐ近くの所でした。
二宮便の参加者は70代8名、平均年齢が62歳と高齢者が多く、ボランティア活動がどこまで出来るか心配でしたがまごころネットスタッフの配慮でハードな瓦礫撤去作業はまごころ隊が担当し二宮隊は主に草取り作業となり助かりました。
東日本大震災で大津波が押し寄せた岩手県釜石市鵜住居地区では釜石東中学校の生徒達が日ごろの訓練の成果で一人の犠牲者も出さず、「釜石の奇跡」とたたえられました。その一方で小さな長内川を挟んだわずか600メートルしか離れていない対岸で悲劇が起きました。多くの住民が避難拠点の鵜住居地区防災センターに逃げ込み、防災センターは150〜200人の住民でいっぱいとなり そこへ津波が押し寄せ100人以上が津波にのみ込まれました。生存者の話によると、水はものすごい勢いで屋内に入り込み、海側の窓ガラスは突き破られ、2階の天井近くまで黒波が襲いカーテンにしがみつき、顔だけを突き上げて2階天井まで迫ったわずかな隙間で呼吸をし助かった人もいましたが、ガラスの割れた窓から多くの人が外に流されたといいます。助かった人26人、建物内部で63人が遺体で見つかり、隣接する鵜住居幼稚園付近では5 人が発見されています。今も全体の犠牲者は分かっていませんが1,047人が犠牲となった釜石市で鵜住居地区の住民がその55%を占めるそうです。
私達は鵜住居地区防災センターの1階と2階に設けられた祭壇に花を買って全員で黙祷しました。 近くの鵜住居駅は(歩いて行ったら)線路も駅舎も流され草がぼうぼうと生い茂りプラットホームの痕跡だけを残していました。 「釜石の奇跡の鵜住居小学校」は7月に来た時はまだ4階の窓に軽自動車が挟まったままでしたがもう解体されて学校そのものが無くなっていました。
22日の3日目は「大槌まごころ農園」
http://tonomagokoro.net/archives/27999#more-27999で大根掘り、サツマイモ掘りと堆肥の移し替えの作業をしました。「大槌まごころ農園」はまごころネットが大槌町小鎚の蕨打直(わらびうちな)地区に約3,000平米の休耕田や荒れ地を借り仮設住宅に住む(それまで沿岸部に住んでいた)被災した方々が畑作業を出来るように人力で開墾したものだそうです。まごころ農園で大槌復興米を育て数年先の商品化をめざしている臼澤さんから津波を生き抜いたたくましい稲・大槌復興米の由来と経過を聞きました。
「昨年、沿岸部の水田の無い大槌町安渡(あんど)地区のある玄関先に3粒の籾が流れ着いた。その籾は水も肥料もない中、芽を出し、穂を付け、秋には稲穂が実りました。家の持ち主の菊池妙さんが稲穂を見つけ、大事に刈り取りその稲に「平成23年度安渡産大槌復興米」と名付け「大槌の復興の証としてぜひとも増やしてほしい。」とまごころネットに託された。その話をしながら臼澤さんは復興米を育てるようになって「俺は初めて生きたい。長生きしたい。と心から思うようになった。」「俺はボランティアから生きる力と元気を貰った。」と目を輝かせていました。
この日はポカポカと暖かい陽気で休憩時や昼休み時に臼澤さんや飯館カボチャの鈴木さんのお話を聞きながら作業しました。 サツマイモは「まごころ収穫祭 2012」に使うそうで大根はタクアン用だそうで近くの用水路で洗って欄干を作り大根干しに吊るしました。
まごころ農園の作業は我々の人員に比べ作業量が少なかったので14時頃で終わり、まごころネットの宮本さんが減災視察研修コースを作ってくれました。視察のあと大槌町復興商店街、飯館カボチャ鈴木さん宅の倉庫の整理と周りました。(福島県飯舘村の特産品、飯館カボチャは原発事故により農作物を栽培することができなくなり、遠野まごころネットは「種の保存プロジェクト」活動として、かぼちゃの代理栽培を始めました。)
視察研修では(行きのバスの中でも宮本さんが説明してくれましたが)津波の爪痕を回り3・11以後1年7カ月立っても進まない復興の状況を目のあたりにしました。津波記念碑、ひょっこりひょうたん島の蓬莱島、赤浜小学校、はまゆうが乗り上げた民宿跡、駅舎も町も全てが流され草だけの大槌駅跡、町長以下の職員の大半を失った大槌町庁舎跡等をバスで回り降車し黙祷を捧げ説明を聞きました。 津波火災のススで建物が真っ黒だった県立大槌病院は奇麗に塗り替えられていました。サッカー場あとに建てられたプレハブの仮設校舎には五つの学校(大槌中、大槌小、大槌北小、赤浜小、安渡小)が入っているそうです。その生徒で中学2年の臼沢岬さんは震災後、民謡大会に出演した事で今年7月に歌手デビューし24日にミニアルバムを出したそうです。旧大槌北小学校のグランドに建てられた復興商店街(プレハブの仮設)では経済支援の意味でお土産や買い物をしました。
18時30分からは遠野市社協佐々木氏講演「3・11に遠野市社協はどう対応したか。」 で遠野市が5年前から震災の後方支援体制を準備していたが想定通りに行かなかった事、救援要請に釜石から内陸部にある遠野市に真っ暗な山道を40キロ以上も歩いて12日未明に遠野市役所に辿り着いた人の話など真摯に迫るものがありました。とてもいい話でした。
10月23日最終日は(遠野は朝から小雨でしたが)宿泊施設の清掃後の12時まで自由時間でそれぞれが遠野市を見学され満喫されたようです。高齢者の多いボラバスでしたが怪我も事故も無く無事に帰って来られ内容もまた一つ一つが充実していたのでとても良いボラバスになりました。二宮町という地域の皆さんで情報を共有し体験出来た事はこれからの地域の防災、減災活動に大きな力を発揮するものと確信して帰って来ました。
このバスを企画するにあたって二宮社協はもとよりKSVN植山代表、森事務局長、KSVN事務局、金太郎ハウス職員の皆様、遠野まごころネット、遠野市社協と多大な支援とご指導、お世話を頂きました。紙面を借りてお礼を申し述べます。(2012・11・06記)