少年詩時評『朽木祥「八月の光」』 佐藤重男
□ 東京新聞、10月21日付の「発言 読者とともに」の欄に、次のような投稿がありました。 投稿の冒頭の部分を引いてみます。 【朽木祥さんの本読んで 団体職員 広瀬 美由紀65(長崎市) 児童文学作家、朽木祥さんの講演を聞く機会があった。朽木さんは1957 年広島生まれの被爆2世。―以下、略】 そして、投稿者は、朽木さんがいつか書かなければと心に決めていた、広島に落とされた原爆によって、その影しか残らなかった人の記憶をたどっていく、今月刊行の「しずくと祈り『人影の石』の真実」をぜひ多くの人に読んでほしい、と投稿を締めくくっています。 * わたしが朽木祥(正しくは、朽木祥(くつきしょう)の作品)と出会ったのは2006年3月。 当時、「ファンタジー研究会」という集まりに参加していて、その集まりのテキストに『かはたれ 散在ガ池の河童猫』(福音館書店 2005.10)が選ばれ、それで目を通したのがはじまり、と記憶しています。およそ、20年ほど前のことになります。 余談になりますが、わたしが他に朽木のどんな作品を読んできたのか、読書録から拾ってみます。 『風の靴』講談社 2009.3 『とびらを あければ 魔法の時間』ポプラ社 2009.7 『引き出しの中の家』ポプラ社 2010.3 『八月の光』偕成社 2012.7
その大半が、ファンタジー系文学の本、といえますが、その中で、1冊だけ、ジャンルの異なる本があります。 『八月の光』偕成社 2012.7 この本のタイトル「八月の光」には、英語で「Flash in August」とルビが振ってあります。 そして、その表紙の裏には、 【あの朝、ヒロシマでは一瞬で七万の人びとの命が奪われた】 と記されています。 『八月の光』は、次の3つの章から成っています。 雛の顔 石の記憶 木の緘黙
投書にあった、最新刊「しずくと祈り 『人影の石』の真実」は、まだ読んでいませんので、確かなことは言えませんが、『八月の光』の二つ目に収められている、「石の記憶」と重なるものなのかもしれません。 * そのことを確かめるためにも、と近くの図書館に出かけ、メモしておいた本の中から、朽木祥の本を3冊と、森絵都のもの3冊を借りることにしたのでした(残念ながら、『しずくと祈り「人影の石」の真実』は、所蔵されていませんでした)。 そして、『八月の光』を、おそらく10年ぶりに手にし、その中から、「石の記憶」を読み返すことにしました。 読み返しながら、はじめて読む、という感じで、物語の内容が一つも記憶に 残っていなくて、ある意味ショックでした。 * にもかかわらず、最後の2ページを読みながら、わたしは、不覚にも涙を流していました。何年、いや何十年ぶりだろう、本を読んでいて泣くなんてことは、とぼんやり思いながら外を見ると、音もなくお天気雨が降っているではありませんか。
□ 朽木は、『八月の光』の「あとがき」のなかで、次のように書いています。
二十万の死があれば二十万の物語があり、残された人々にはそれ以上の物語 がある。 この本に書いたのは、そのうちのたった三つの物語にすぎない。 だが、物語のなかの少年少女たちは過去の亡霊ではない。 未来のあなたでもあり、私でもある。
と。 そして、こうも書いています。
いま生かされている人々の未来が、 どうか、平和と希望に満ちたものでありますように! 朽木 祥
□ なお、少年詩の作品には原爆に題材を採ったものはたくさんありますが、広島の人影の石≠ノついての作品は、わたしのデータベースには収められていませんでした(ご存じの方がおりましたら、ぜひ、お知らせください)。 * 願わくば、一人でも多くの方が、『八月の光』(朽木祥 偕成社 2012.7)を手にされますように!
― この項 完 ―
いつものことですが、詩集掲載の作品や新聞記事などの引用にあたっては、誤字・脱字等のないよう努めましたが、何かお気づきの点がありましたら、お知らせください。(文中敬称略)
2025.11.3 |