※ リウマチと距離をおく俺がいた ※

[リウマチと距離をおく俺]は、俺の人生そのもので、リュウマチは、完治治療ない。40年も恐ろしいリュウマチに苦しめられたが、最近では体と相談しつつ、旅行など実行。ときどき、リュウマチが頭を上げてきたら、我慢のみ。その恐ろしい激痛の治まるのを待つだけ。ブログは快適な心の治療をしてくれる。
 
平安を想うコンサート
(平安を想うコンサート)
11月8日に茅ヶ崎市民会館での「トゥールーズ室内合唱団&東儀秀樹」のバイオリンバックによる東儀秀樹の音楽会です。
トゥールーズ室内合唱団は10人によるバイオリン・チェロ・ベース・による女性3人を含むフランスのグループと東儀秀樹さんの合同コンサートでした。
天満さんのバイオリンは聞いていましたが、このグループのバイオリンは単独でなく複数の人たちが合体しながらの素敵なコンサートでした。
とても感動的な音楽会で、会場の静けさとコンサートが絶妙によかったと今でも余韻に浸っています。
東儀さんは、自身の楽器である「しちりきとしゅー」を使用していました。
「しちりき」は、20cm位の細ながで、小さな笛のように見えました。
「しゅー」は、初めて聞く音感で文字での表現は出来にくいので省略です。
とても落ち着きのあるおしゃべりをしながらの進行をしていました。
また、東儀さんのコンサートは、機会があったら聴きたいと想っています。
最近では、この落ち着いたコンサートいいですね。
皆さんも機会があれば聞いてくれることを祈ります。
では、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







私の家族は?
(私の家族って?)
 私は、今は妻との二人くらしです。私は64才・妻は62才で、仲良く生活しています。
体が不自由になってからは、妻におんぶに抱っこの状態かも知れません。
体調がよければ、洗濯物を干したり・食事後の台所の整理(食洗機を使用していますが)など、余り力のかからないことを行っています。
社会への小さな貢献は福祉村でのホームページの編集や教育委員会の市民委員をやっています。
毎日は充実していますが、体はあまり充実していませんが?
子供は、長男と長女ですが、二人とも独立し、それぞれ生活を保っています。
これが何よりです。孫も4人おりまして子供達の家にいきますと、すごく賑やかですね。
私の家族は、普通の家族であり、私達も彼らに出来ることは何でもやっておりますが、なかなか要望を満たすことは出来ないと思っています。
妻との二人生活になって今は(平成20年11月3日現在です。)5年ほど経っています。
孫のお祝い事なども結構多く出費もかさむ、今日この頃です。
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横浜美術館へ行く(源氏物語の1000年)
(横浜美術館へ行く「源氏物語の1000年」)
 10月30日午後横浜美術館へ行くことになりました。
前の日に妻から、「おとうさん、横浜へ行かない?」でした。
なんで突然横浜へなんて聞くと「源氏の文字が・・・・・・・」
で、前から切符はもっていたようでした。
結果は、私の方が見たかったのでした。
1000年も前のかな文字が今見えるなんて大ロマンですね。
電車で、横浜まで行き、乗り換えでみなとみらい線で隣の駅へ到着です。
展示会のヘッドホーンを耳に当て、一つひとつ展示物を拝見です。見ている内に、対夢中になって・・・・・・・・・・・・・・・
足のしびれも忘れてしまった約2時間でしたが、楽しく・ロマンあふれるかな文字などの世界・・・・・・・・・・・・・・・・・
源氏物語は、世界で初めての小説であって、私達日本人が誇れる文学です。
見れば見るほど、源氏ロマンが漂ってきます。
現実とのギャップもすごいなと感じます、これはこの舞台を築いている光源氏を中心のロマンとこの貴族を支えている農民達の世界です。
しかし、小説の世界のロマンを破壊してはいけませんね私は・・。
源氏物語の世界は、今の私達をロマンに誘うこと素敵なことで、病などすっかり忘れさせてくれました。・・・・・・・・・・・
家には、夜の8時30分頃に帰宅しました。







私の誕生日・いいことがありました。
(私の誕生日・いいことがありました。)
28日は私の誕生日でした。定年してから、早いものでもう4年が経過しました。
64才を迎えることが出来ました。よく、こんな病気をいっぱい持ちながら生きてこられたと思うと、感謝軒持ちのみです。
さて、待ちに待っていたHさんとの打ち合わせの時間になりました。
ボランティア活動を行っている福祉村での打ち合わせです。
Hさんは、車いすで30年以上生活をしている肢体福祉協議会の会員と聞いていました。
彼が、福祉協議会のホームページを作成したいので教えて欲しいとのことです。
福祉村のホームページを見て、以前から考えていたおもいがあり、作成してみようと思ったようでした。
大歓迎で私自身うきうきしたようでしたが、何でも私に出来ることは協力させていただこうと、Hさんにはお話ししました。
いろんなはなしの中で、人生のはなしまで行きまして私のこと、Hさんの事を知ることが出来ました。
ふたりの方向性が非常に似ていることから、肢体福祉協議会のホームページはすばらしいものが出来ると確信したところでした。
ありがとう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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おっかけ・・・・・
(I先生・おっかけ)
 Y病院へ通院するようになって、10年くらい経過した頃のお話です。
私もまだ現職であって、通勤時など膝が痛くて足を引きずって歩いていたころです。
担当医であるI先生が東京のB病院への転出することになったのでした。
I先生から「TAKAさん、わたし東京へいくことになったのですよ。」
私は、I先生にいいました。
「私も一緒につれてってください。」お願いしました。
いわゆる、「おっかけ」です。
病院の先生の追っかけをするとはおもってもいませんでした。
このころ、私は会社が東京・大井ふ頭近くにありましたので、とても具合がいいのでした。
3,4年は病院への通院となっていました。
その後に、I先生が再び、もとのY病院へ戻ることになったのです。
病気は、良い先生に巡り合えた時は、どこへでもおっかけをするのはとてもいいことと真に思ったのでした。