被災者の受け入れも、自治体間で格差があるようです。平塚市の対応は、総合公園の体育館に200人受け入れます。ストーブ、毛布、シャワー有り。食事は各自で、というものでした。被災した方々への暖かさが感じられない対応に、今だに受け入れがゼロだそうです。 新聞記事を添付しますが、 平塚市民として恥ずかしくない対応を、皆で考え、市を動かすべきと考えます。
東日本大震災 県外避難者、受け入れ自治体で待遇差…群馬 毎日新聞4月2日 11時31分配信 前橋市の「しきしま老人福祉センター」では被災者が大広間で生活した=2011年3月22日、角田直哉撮影 福島県を中心に約3400人の避難者を受け入れている群馬県では、自治体によって避難者の待遇に差が生まれている。大震災で観光地の予約キャンセルが相次いだ自治体は、温泉旅館などに無料で被災者を受け入れる一方、都市部の公共施設に避難した場合、3食とも自費の場合も。収入の途絶えた避難者にとって、避難中の出費は重くのしかかる。【角田直哉、庄司哲也】
【東日本大震災 図説集】各地の被災状況、原発の仕組みや避難区域など
福島第1原発の事故で約7万人が散り散りになった福島県南相馬市。農業を営む今村秀紀さん(70)の自宅は、国が自主避難を要請した30キロ圏からわずか1キロ外だ。今村さんと妻和子さん(70)は地震発生の約1週間後、親類を頼って前橋市内に避難し、前橋市が用意した公共施設「しきしま老人福祉センター」に移った。
センターは食事が出ず、炊事場もないため、コンビニエンスストアやスーパーで弁当などを買って食いつなぐ日々。地域住民が朝、おにぎりとみそ汁の炊き出しをしてくれるようになってからは、このおにぎりを昼食用に残して節約した。
そのセンターも3月31日が滞在期限。前橋市は長期滞在が見込まれる被災者に市営住宅に移るよう勧めている。今村さんは「自宅の様子が心配だ」と南相馬市に戻り、和子さんだけが市営住宅に移った。今後は蓄えを取り崩して生活するほかない。それでも和子さんはセンターを去る際、「風呂に入れて、暖房がある部屋で眠ることができた。本当に良くしてもらい、これ以上は甘えられない」と話し、職員に深々と頭を下げた。
前橋市はこうした避難者の待遇について「市営住宅は1年間、家賃無料で入居できる。市として最大限の支援をしている」と説明する。
◇滞在1カ月だけ
一方、温泉観光地として名高い草津町にも南相馬市から約250人が避難している。町と草津温泉旅館協同組合が話し合い、温泉街のホテルや旅館の宿泊費は朝夕2食付きで無料。宿泊費は国から補填(ほてん)される見通しだ。
同市原町区の主婦、上林輝子さん(78)が夫進さん(78)と草津町に到着したのは3月25日。同市が用意した観光バスでたどり着いた。体育館のような場所を想像していたが、温泉旅館の個室をあてがわれ驚いたという。温泉につかり、若手落語家が高座に上がる草津名物「温泉らくご」にも出掛けて、久しぶりに腹の底から笑った。夫婦は一時期、福島市内の温泉旅館に逃れたが、そこでの宿泊費は全て自腹だった。
草津町によると、ホテルや旅館の宿泊予約のキャンセルが相次ぎ、収容能力に余裕があった時に南相馬市から受け入れ要請があった。温泉街の飲食店は、被災者向けに2〜5割引きのサービスも実施している。「生活が落ち着いた時に、リピーターとして足を運んでくれるかもしれない」(旅館経営者)との期待感もある。
ただし、無料の滞在期間は1カ月だけ。ゴールデンウイークを控え「経営を維持するためには、一般客を増やさなければならない。客が戻れば、避難者には出て行ってもらうしかない」(同)。
◆ 尾瀬の玄関口として有名な人口約5200人の片品村。約900人の被災者を村の財源を使って無償で受け入れている。滞在先はホテル、旅館、ペンションで食事付き。千明(ちぎら)金造村長は「1カ月たったから出て行ってくださいということにはならない」と明言する。
全国から支援物資や義援金が送られてきており、国費の補填も見込みながらやりくりする方針だ。千明村長は「福島とは尾瀬でつながっている。困った時はお互い様だ」と話す。
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