「伊藤 ゆたか」の日々の生活、考え方、まちの情報などを、随時お送りいたします。伊藤ゆたかは、市民の目線を失わずに、強いものに取り込まれず、是々非々を貫きます。
 
2010/02/07 10:58:51|その他
しんどMKO(まちキラメキ応援隊)

偶数月の第一日曜日と決めて、活動を始めて4年あまりになります。今日は落書き消しをしましたが、張り紙はすっかり影をひそめました。私たちの活動の成果とは言いませんが、継続は力だと思います。初期の頃は、MKO実施日の翌日に、びっしりと張られてしまった事もありました。ニューヨークの割れ窓理論というのがありますが、地域の美化・景観が心の安心・安全につながり、地域住民の生活の安心・安全につながって行くのだと思います。かつて、地域でステ看0宣言を発信し、生活者が生活しながら家のまわりのステ看を撤去しましょうと、呼びかけた事もありましたが、ささやかな活動ですが、多くの皆さまの参加をお待ちしております。







2010/02/06 21:51:34|その他
味の素スタジアムは素晴らしい
岡田ジャパンは点が取れない。ベネズエラ戦から含めて0点だ。今日の中国戦は、終始攻め続けて、コンビネーションもかみ合っていた。いい試合をしても0点では勝てない。

試合後のインタビューで楢崎選手のコメントが、印象的でした。「負け試合を引き分けに持ち込んだだけです。」

韓国戦に勝利しないと、岡田バッシングが始まるのではと、心配になってしまいます。

テレビを見ながら、それにしても味の素スタジアムは素晴らしい。5万人の観客席に、大型映像装置は2基ついている。平塚競技場と比べながら試合を見てしまうのも、議員としての習性かもしれない。







2010/02/05 10:51:51|その他
頭がよくてもコンピューターには勝てない
子どもの頃から知識を記憶(暗記)し、記憶の量をテストされて、点数によって優劣がつけられてきました。

ひたすらにこの作業を繰り返すことは、通知表によって良く出来ましたと言われてる間は、すなわち学生の間はよかったのですが、コンピューターの出現によって、知識を単純に覚えこむ作業は勝てなくなりました。

どうしたらコンピューターに勝てるのか。

知識を記憶し、記憶にあることをそのまま引き出しから出すのではなく、わすれる事だそうです。

わすれる事によって、何だったっけなーと思考する。思考する訓練を子どもの時から繰り返すことによって、残っている知識を組み合わせて創造することにつながる。

コンピューターに出来ないことは、創造力なのである。

よって、子どもの時にいくら頭が良くても、社会に出てからそのまま生かされるかどうか、違った実例が出てくるのだそうです。

20年ほど前に、麻生太郎さんがある講演会で言ってました。麻生さんのおばあさんが、アメリカと戦争になった時、負けると言ったそうです。

アメリカ製のハサミを持っていたおばあさんは、日本のハサミと違って、こんなすごい鋼を作れるアメリカに、日本は勝てるわけがないと言ったそうです。

こんな例から、情報は一つでいいのだと言っておられました。

情報がないと我々はよく言って、情報集めで終わってしまうようなことが多々ありますが、正しい情報が一つ、あるいは正しくない情報でも、その情報から何が正しい情報なのか見抜く力があればよいのです。

情報という知識を、思考して整理することの出来る人が、現代社会において求められているのです。

昔、勉強が嫌い(今でも)だった自分の戯言です。



2月7日 「しんどMKO」 AM9:00真土自治会館に自転車で集合。







2010/02/02 12:43:10|その他
筆談ホステス
この本がどうしても読みたくて本屋さんに行ったら、店頭に2刷並んでいましたので、2刷買ってきました。

一気に読み終えてしまうのですが、感動でした。一流のホステスを目指す筆者の生き方が、青森一の不良娘が銀座の高級クラブで、そこをおとずれる客の心を捕まえる言葉のフレーズ(筆談)に、感動しっぱなしでした。

耳の聞こえないハンデを持つ筆者が、いかに人に優しい思いやりに満ちた思考をしているのか。自分に置き換えると、恥ずかしい限りです。

今まで自分では、けっこう人に対して優しいタイプの人間だと考えていたこと自体、反省しなければなりません。


しばらくのご無沙汰な書き込みですが、変わりなく元気に忙しく活動しております。



2月7日  「しんどMKO」
     午前9:00に真土自治会館に自転車で集合して下さい。

 







2010/01/17 11:22:51|その他
1.17.1995
1995年の今日、すなわち15年前の1月17日の早朝、阪神淡路大震災が起きました。

たまたま眠れない夜を過ごしていたので、NHKの地震の第一報から2日間くらい、テレビにくぎ付けでした。

第一報は、NHK大阪放送局の編集室の蛍光灯が揺れている映像が流され、ただいま神戸方面で地震があった模様。神戸支局との連絡が取れず、くわしい模様はわかりません。と、言うものでした。

その後、朝食の頃から時間を追うごとに、一人死亡二人・・・
と、被害が拡大していきました。映像が届くようになってはじめて、被害の大きさがわかりはじめました。

ところが、夜の映像はさらに悲惨でした。一面の火の海。時折プロパンボンベの破裂とともに、大きな火柱が上がります。

世界の戦争や紛争の映像が配信されますが、これほどすさまじい画像は見た事がありません。

映像は、長田区あたりの全景で、火の勢いが強くて近づけないこともよく理解のできる映像でしたが、この時点での消火活動の攻防は、後になってお聞きしましたが、この夜の映像とラップさせると、感謝しかありません。

後日、神戸にて被災された方のお話をお聞きしましたが、涙をこらえながらのお話は、私たちに、今自身でできる備えをすることが、地域の備えにつながることを示唆して頂けるお話でした。

時のたつのは早いもので、15年という月日が流れ、昔こんな事があったという昔語りでなく、カリブ海のハイチでは、今も5万人の死者なのか20万人の死者なのか、わからないほどの甚大な被害を出しているのです。

阪神淡路大震災にて、犠牲となられた6435名の方々に、今平塚のまちとしてなさなければならない備えを、市議会議員という立場から、懸命に取り組むことをお誓い致します。