有り余る時間を楽しく過す極意を知った友人らとの交流の場。 環境にやさしい趣味の世界へどうぞ。 趣味は現役の時から持つと人生が倍に楽しめます。
 
2013/02/21 21:08:11|船の思い出
船の思い出・・・パナマ運河の景観

船の思い出・・・パナマ運河の景観
 
航海中はパナマ運河に関する知識はまるで無く、Net検索で知識を得ている次第です。
運河中央部の海抜26メートルのガトゥン湖に至るのに、水門を設け船の水位を上下させて通過させています。三つの人造湖と三つの水門(ロック)があります。
 
カリブ海 ⇔ ガトゥンロック ⇔ ガトゥン湖 ⇔ ゲイラード・カット ⇔ ペデロ・ミゲルロック ⇔ ミラ・フローレス湖 ⇔ ミラ・フローレスロック ⇔ 太平洋
 
パナマ運河を通過できる船の最大のサイズはパナマックスサイズと呼ばれています。ロックのサイズにより、現在、通過する船舶のサイズは、全長:294メートル、全幅:32.3メートル、喫水:12メートル以下に制限されています。現在拡張工事中で、完成後は、それぞれ最大366メートル、49メートル、15メートルまでの航行が可能となるそうです。グーグル写真で見ると現在工事中であることが判ります。
 
写真ー1
水門のこちらと向こう側との水位差は何mあるでしょう。この繰り返しを3回ほど行ないます。船尾方向を写していますから2番目のロックかもしれません。
少なくとも中央の湖の水位よりも低いですから、大西洋側に向いつつあるのでしょう。
 
写真ー2
第一の水門を閉じられました。ヨットをタグボートが船尾に見えます。ロックの水面と湖の水面は同じレベルに見えます。
 
写真ー3
第一水門が閉じられはるか向こうに見えます。第二水門を通過後、閉じられつつあります。写真ー2のヨットとタグボートが水位が低下したように見えますが、ロックの深さが増したものです。この後、水門が閉じられ水面が再上昇します。電動車のレール敷設面の高さが水門の前後で大きく違います。
ロックの両脇の電動車が船体を水路の中央に保持するよう制御し前進します。

写真ー1は大西洋に出る側、写真ー2、3は太平洋からパナマ運河に入る側のロックだと思います。記憶が定かではありません。







2013/02/20 22:48:35|その他
船の思い出・・英国英語と米国英語の違い

船の思い出・・・英国英語と米国英語の違い
 
運河にはパイロットが乗り込んできます。水先案内人です。アメリカ人でした。
パイロットには運行責任はありません。船長が全てを判断します。
パイロットがなまり英語で「君がギャランボス?何を保証するのか?」ときました。
「パナマ運河内の航行以外全てだ!」と即答。エクセプト ナビゲーション イン パナマキャナル.
彼曰く、君の英語は米国英語だとのこと。
言われてみれば、このパイロットのしゃべる英語は、まるで機関銃。
英国紳士の英語はモデラート。
両方を同時に聞けるチャンス到来。確かにまるで違います。
 
パナマに到着した造船所からの手紙に、デルウェアで下船と決まったとの知らせ。確かに契約期間の3ヶ月をとうに超えています。アムステルダム行けたらなーとの願望は水泡に帰す。
 
写真ー1
パナマの水路を通過中。2隻がすれちがっています。
髪の毛も伸びました。パースで床屋にいってから2ヶ月近くですから。
作業服も汚れが目立つようになりました。
 
写真ー2
パナマで乗船した新人の教育中。彼はアイルランド出身です。まるで英語が違いました。
素直な青年でした。







2013/02/19 20:24:00|船の思い出
船の思い出・・こんなにも狭いの・・パナマックスの寸法

船の思い出・・こんなにも狭いの・・パナマックスの寸法
 
漸くパナマの山陰が見える頃、熟睡していました。30歳早々の男に、勉強の旅を与えてくれた上司の皆さんに感謝し、太平洋に向い頭を下げました。エンジンルームは常にスタンバイ状態、甲板員も全員持ち場でスタンバイ。
 
太平洋側の入江からの入船でした。
インターネットで知った「ミラフローレス水門」に到着しました。
これから掲示する写真は、3つの水門(ガツン、中間の何とか水門)の何処の写真かは覚えていませんが、凄いことを人間は出来るのだということを教えていただいた光景です。
 
写真ー1
プッシャー(タグ)ボートが舳先を押しています。
左側の船はロックに入っています。当方は右側の水路です。
ここが太平洋側の入り口か出口かは覚えていませんが、写真だけは残っていました。
 
写真ー2
左側の船は水位が下がり次のロックに移りました。
当方は、太平洋から大西洋へ向っています。大きな湖のレベルまで持ち上げ、再度、向こう側の水位にまで下げる操作をしています。
この時はパナマキャナルの何処にいるのかが判りませんでした。GPSがあればと思いますが、これも古きよき時代の経験です。
 
写真ー3
電車車(日本製?)に引かれているところです。正面の壁が水門です。これを乗越えて次のレベルに至ります。先に見える急勾配を牽引車は登るのです。アプト式?ピンラック式かな。








2013/02/18 20:43:32|船の思い出
船の思い出・・・オーストラリアを離れパナマへ

船の思い出・・・オーストラリアを離れパナマへ
 
オーストラリアの最後の寄港地「ブリスベン」を出港し太平洋を一路パナマへと向います。
ブリスベンではエンジントラブルが発生し下船できませんでした。
南十字星や名前を知らない星座を眺め航海が続きます。
 
写真ー1
赤道を越えたのは真夜中でした。
新任機関長と一等航海士の奥様と夜空を眺めながら、故郷の話をしました。
メイク モネーしたら別荘を買うんだとか、世界一周の旅に出るんだとかの夢を語っていました。船乗りなら世界一周してるでしょうに、と言えば、貨物船では観光地には行けませんとのことでした。
 
写真ー2
いずこでも上司部下の関係は同じだと思いました。
2等機関士と3等機関士は、お酒が入ると仕事の話です。実にまじめな話をしています。自動化船であっても、緊急に備えエンジンのマニュアル始動や停止の訓練をしたいと相談を受けたことがあります。
酔いが回れば、小言も聞かれました。
 
写真ー3
エンジンを船体に取り付けているボルトの緩みチェックを急遽行なう羽目になりました。南氷洋向い航行したことの影響が出ていないかを調べようと言い出したわけです。
2等機関士が3等機関士の教育のために宿題を出した次第です。
それに付き合された時に説明したボルト締めつけ要領の一部です。
フリーハンドのジャッキの図面です。町工場に製作発注したときの概要図です。







2013/02/17 21:51:10|船の思い出
船の思い出・・船長の偉大さ・・動じない棟梁

船の思い出・・・船長の偉大さ・・・動じない棟梁
 
南氷洋に向かいハーフ前進速度で、ピッチングと戦いローリングに苛まれている時でも、船長はびくともせずブリッジに昼夜常駐。睡眠も食事もキャップテンチェアで摂る。その威厳ある姿に全員が安心するのです。
全ての判断はCAPがするのです。
 
当方、ほろ酔い加減で寝ることも出来ない揺れの中で自室にこもっていました。
ドアのノック音がします。ドアを開けると、直ぐブリッジへ来てくれ、2等航海士が青ざめて立っています。了解!階段をを駆け上がります。
 
船長からの質問でした。
本船のプロペラはキーレスですね。南氷洋に向かい海水の温度が急激に下がるが、プロペラの強度は持つかね。
 
キーレスプロペラは、ボスとシャフトのコーン部分の押込みにより発生するトルクで、エンジンからのパワーをプロペラの羽根に伝える構造となっています。
 
プロペラボスの温度が急激に下がると縮もうとします。それによりグリップ力(冷やし嵌めの状態に似てくる?)が大きくなり、プロペラが割れないだろうね?
 
当方は一瞬???でした。咄嗟の質問に動揺しては保証技師は務まらない。
自室に跳んで帰り、お助けノートをめくりました。
造船所で押込み作業をするは、プロペラと軸が同じ温度で一定になっている時を見計らい実施します。
海水温度の上昇や下降により、両材質の違いによる熱膨張を予測した設計をします。そのメモが在ったのです。
 
OKです。船長!心配なさらず前進してください。
船長曰く、信頼関係を樹立できたな!
大きな手でぎゅっと握られました。一晩中、ブリッジとエンジンルームを行ったり来たりで不眠症。
当方もそのように言ったもののエンジンの調子や補機器の唸り声が心配でした。


今では当たり前のキーレスプロペラでしょう。
当時の計算資料です。
自分を安心させる意味でも自分で記録を取り手元に置く、この時ほどそのありがたさを実感したことはありませんでした。
今でしたら、ネットを検索すれば答えはくれます。何か物足りなさを感じる自分は加齢のせいかも知れません。