有り余る時間を楽しく過す極意を知った友人らとの交流の場。 環境にやさしい趣味の世界へどうぞ。 趣味は現役の時から持つと人生が倍に楽しめます。
 
2013/02/27 21:33:53|船の思い出
船の思い出・・・デルウェアで下船

船の思い出・・・デルウェアで下船
 
カリブ海を北上しキューバ島を眺め航海した記憶はありますが、写真が残っていません。
デルウェア湾に入り下船する岸壁に着きました。永い船旅でしたがあっという間の出来事でした。
ホテルは由緒ある「ベンジャミン フランクリンホテル」だとエイジェントが案内してくれました。
盛大なお別れパーティが行われましたが、誰もが別れを惜しみ深酔いすることはなく紳士・淑女然とした雰囲気でした。
パーサーから最高のスカッチだ、全員からのプレゼントだ、とボトルを頂きました。
30歳の日本人一人と、20数名のイギリス人との交流はひとまず終了します。今、彼らに会うことが出来たら、心からありがとうと感謝の言葉を掛けたいものです。
 
写真ー1
下船する港の岸壁です。
イミグレーションの手続きを終え、迎えの車に乗った時には寂しさとありがとうの涙が頬を濡らしました。
 
写真ー2
数年後の正月に頂いた電気技師のトニーからの新年の挨拶です。
 
写真ー3
もう一度乗組の皆さんとお別れです。
素晴らしい時と機会をありがとう。その後の人生に大きな幹を築いてくれた仲間でした。







2013/02/26 20:08:19|船の思い出
船の思い出・・・カリブ海への航海

船の思い出・・・カリブ海への航海
 
パナマ運河を抜けカリブ海に出ました。
この時点でフィルムが無くなり大西洋の航海の写真はほとんどありません。大西洋に出たことでまたパーティーとなります。
 
写真ー1
2等航海士と腕相撲です。彼は非常に冷静な男で、何くれと無く助言を頂きました。乗船して4ヶ月にもなると旧知の友人のようになりました。
人種は異なっても人間は同じだと実感した次第です。
顔を手で覆っているのは通信士です。
 
写真ー2 写真ー3
パナマ運河の絵葉書です。運河のパイロットが記念に持っていけと呉れたものです。快活なパイロットでした。何時かは日本に遊びに行きたいといっていましたが、夢が実現することを祈っています。







2013/02/24 20:27:45|船の思い出
船の思い出・・・パナマ運河最後のロック

船の思い出・・・パナマ運河最後のロック
 
ガトゥン湖を航行しいよいよ最後のロックに入ります。このロックを抜ければ大西洋側です。
 
写真ー1
ロック内での航行は、水路が広ければエンジンを回し自航します。但し、前後左右に電動車が付き、本船を水路の中央に維持します。
この写真は途中のロックです。
 
写真ー2
ガトゥンロックの管制センターです。
1913年の文字が見えます。
 
写真ー3
ロックの水位が下げられリモン湾の水位と同じ高さまで下ります。
いよいよ大西洋側のカリブ海に出ます。
 
写真ー4
水路の間には地下室があり水位の制御をしているようです。幾つもの空気抜きベントが並んでいます。







2013/02/23 21:29:50|船の思い出
船の思い出・・・ガトゥン湖・・・運河内のパーキング

船の思い出・・・ガトゥン湖・・・運河内のパーキング
 
ゲイラード・カットを抜けると眼前に大きな湖が広がります。ガトゥン湖です。運行時間待ちによりここでアンカーを下ろす船もあります。ブイの並びに沿い航行します。
 
ガトゥン湖と記憶していますが、SANKO汽船の貨物船と出会いました。太平洋上でもジャワ海でも、何処に行っても日本の船会社の船に出会います。海上荷動きが活発だった時代なのでしょう。但し、乗組員は仕組み船のため外国人のようでした。
 
太平洋のど真ん中でも、海面に浮いているオイルの色には、人間の営みの大きさを感じると共に、汚した地球を元に戻すことは簡単でないことを実感しました。
後々に転勤し、下水処理関係の業務につくことは夢にも思わなかったですが、この航海に因縁があったのでしょうか。
 
写真ー1
大西洋側から航行してきたSANKO汽船の船と出会いました。ロックを抜けたところです。
 
写真ー2
時代を風靡したSANKOが輝いて見えました。満載喫水での航行です。
同船主の船を建造したこともありますので、余計にまぶしく見えたのでしょう。
 
写真ー3
湖か水路の途中かは定かではありませんが、港町や造船所がありました。







2013/02/22 21:21:52|船の思い出
船の思い出・・・水路の開削・・・難工事の跡

船の思い出・・水路の開削・・難工事の跡
 
太平洋 → ミラフローレスロック → ミラフローレス湖 → ペデロ・ミゲルロック → ゲイラード・カット と進みます。
 
写真ー1
ゲイラートカットと呼ばれる水路です。いわば切通しの水路です。難工事で、その大部分は岩を削った水路で、土砂崩れなどの事故があったそうです。この水路はタグボート無しで自航します。はるか向こうにすれ違う船が見えます。
 
写真ー2
岩盤を何回も掘り下げた工事の後が階段状に見えます。白い記念碑は、鎮魂の碑か水路のネームプレートだったと思います。パイロットがなまり英語で解説してくれました。
 
写真ー3
2〜3万トンの船がすれ違います。お互いに汽笛を鳴らし航海の無事を祈ります。
狭い水路のため、船長以下航海士は緊張の連続です。機関室のエンジニアはのんびりしていました。テレグラフが鳴りっぱなしの商船では無く、自動化船の良さだと褒められました。スクリューによる波立ちがほとんどありませんから、船速はデッドスローかスローくらいですかね。
 
写真ー4
川崎汽船の「K」マーク船とすれ違いました。船舶電話で日本語を話したかったですが、緊張の航海中ですからお遊びは厳禁でした。大分使い込んでいるようで船体も古びて見えます。
当方の手摺も塩にやられ、溶接部やベンダー曲げ部分に錆が発生し始め、防錆塗料を塗り始めました。