船の思い出・・・帰国・・・最終回
フィラデルフィアのホテルに一泊し、翌日にはローカル空港からニューヨーク飛行場に飛びます。
ホテルでの食事では、食器類の大きさ、頑丈さにびっくりしました。船内で使用したナイフは、鉛筆を持つ要領で使いましたが、アメリカのナイフは握って使うほど大きなものでした。文化の違いか、西部開拓の歴史によるものか、色々勉強になりました。
また、黒人のボーイにビールを頼んだところ、どんな種類のビールを欲しいのか聞かれました。当時の知識では、キリン、アサヒ、サッポロとかのメーカ名しか認識していませんでした。
面倒でしたから、あなたが一番好む種類を頼むと言い返しました。バドワイザが出てきました。
ホテルから女房の実家(次男誕生のため実家里帰り)に電話をし、応答時間が掛ることを実感した次第です。
ホテルから飛行場へ、東京行きの直行便へ乗り換えました。いよいよ帰国です。アンカレッジ経由を期待していたのですが、手配されていた便は直行便でした。お陰で、お土産はごく僅かでした。
写真ー1
帰国前のひと時、パブらしき店で最後の交流会です。誰かのポラロイドカメラで写したものです。床に座っている右端のメガネがKOCHANです。
写真−2、 3、 4
カナダ上空かアラスカ上空からの氷河の眺めです。
大洋とは違う地球の偉大さを垣間見た瞬間です。
無事、機内の乗客になった安心感からか東京上空まで熟睡したままのフライトでした。
帰国後即出社すると設計部長に呼ばれ、BORGNES号からの手紙を渡されました。ボースンが書き、全乗組みのサインがある手紙でした。
「設計部長名宛
KOCHANは、下船してもなおBORGNESの全乗組みの友人である。階級の分け隔てなく親切に指導してくれた。保証技師として乗船する機会を与えた会社の上位者に感謝する。共々発展することを祈る。乗組みを代表しボースン名」
こんな主旨の手紙でした。
後日、人事の担当者から社内接待を受けたことを懐かしく思い出します。
本日で「船の思い出」を終了します。