音楽療法と言わない音楽療法 6 滝廉太郎「憾」
滝廉太郎は「荒城の月」「花」などで知られている。 1879年8月24日〜1903年6月29日 日本の西洋音楽黎明期の代表的な音楽家で才能あふれるピアニストであった。父は大蔵省から内務省に展示大久保利通や伊藤博文らの下で内務官僚として勤めた人物であった。その後地方官となり、長男の廉太郎は父の勤めの関係で、神奈川県、富山県、大分県と移り住んだ。1900年に洗礼を受け、1901年にはにほんじんとして、音楽家として3人目のヨーロッパ留学生ドイツに渡り、ライプツィヒ音楽院に入学した。 しかし、わずか五か月後に肺結核を発病し、帰国を余儀なくされた。ロンドンを経由し、1902年横浜に到着、その後は父の故郷の大分で父母のもとで静養していたが1903年自宅で亡くなった、
滝廉太郎の名越された作品で、ピアノ曲はメヌエットと「憾」のみ。他は声楽曲である。「憾」は死語4か月前、1903年に作曲された最後の作品である。
「憾」(うらみ ドイツ語Bedauemswerth) 日本人作品のピアノ独奏曲としては、もっとも古いものの一つ。器楽曲を日本に導入しようという強い意志の現れでもある。 憾み、とは憎しいではなく、「遺憾」の意、心残りや未練、無念の気持ちである。自筆譜の余白に「Doctor Doktor」と走り書きがあったとされている。
Allegro marcato ニ短調 8分の6拍子 演奏時間は約2分
最後の作品を残すという意志・・・・ 余白のDoctor・・・と走り書いた思い? 23才の青年の胸の内は・・・
「憾」を何と読むか?という特集が朝日新聞デジタルでとりあげられた。 |