チェチリア工房

ここは、工房という名の音楽室です。音楽は目に見えませんが、必ず何かを創造しています。天井が高く素晴らしい音響が自慢のスペースです。レッスンやコンサート その他、創作活動の発表にご利用ください。
 
2023/05/07 2:21:05|その他
音楽療法と言わない音楽療法 7 ストラヴィンスキー
ディアギレフの協力によって作曲した3大バレエ音楽によって西洋音楽の楽壇に登場したロシアの作曲家。
(1882年・6・17〜1971・4・6)
法律を学び、その後リムスキー・コルサコフに作曲を師事。第1次世界大戦中はスイス、その後、フランス、そしてアメリカと居を定め、世界的にピアニストや指揮者として活躍した。
1959年には初来日、演奏会ではチェレスタ奏者として、黛敏郎、タンバリンを岩城宏之に担当させた。また、武満徹を見出し、世界に紹介した。
日本の様々な伝統芸術に触れ、チンドン屋にはとても興味をしめしたそうだ。
1962年キューバ危機の最中にソ連を訪問。これは最初で最後の機会となった。
84才を最後に新曲は発表されず、指揮活動は翌年が最後となった。編曲には手をつけていたものの、1967年後半は胃潰瘍、血栓症で長期の入院となった。

最晩年はロバート・クラフトの勧めでレコードを聴いて過ごした。作曲家から鑑賞者になったことへの不満がありながらも、特にベートーヴェンを好んで聴いていたそうだ。

墓はディアギレフの隣に作られた。

 







2023/05/06 2:01:13|音楽療法
音楽療法と言わない音楽療法 6 滝廉太郎「憾」
音楽療法と言わない音楽療法 6 滝廉太郎「憾」

滝廉太郎は「荒城の月」「花」などで知られている。
1879年8月24日〜1903年6月29日
日本の西洋音楽黎明期の代表的な音楽家で才能あふれるピアニストであった。父は大蔵省から内務省に展示大久保利通や伊藤博文らの下で内務官僚として勤めた人物であった。その後地方官となり、長男の廉太郎は父の勤めの関係で、神奈川県、富山県、大分県と移り住んだ。1900年に洗礼を受け、1901年にはにほんじんとして、音楽家として3人目のヨーロッパ留学生ドイツに渡り、ライプツィヒ音楽院に入学した。
しかし、わずか五か月後に肺結核を発病し、帰国を余儀なくされた。ロンドンを経由し、1902年横浜に到着、その後は父の故郷の大分で父母のもとで静養していたが1903年自宅で亡くなった、

滝廉太郎の名越された作品で、ピアノ曲はメヌエットと「憾」のみ。他は声楽曲である。「憾」は死語4か月前、1903年に作曲された最後の作品である。

「憾」(うらみ ドイツ語Bedauemswerth)
日本人作品のピアノ独奏曲としては、もっとも古いものの一つ。器楽曲を日本に導入しようという強い意志の現れでもある。
憾み、とは憎しいではなく、「遺憾」の意、心残りや未練、無念の気持ちである。自筆譜の余白に「Doctor Doktor」と走り書きがあったとされている。

Allegro marcato ニ短調 8分の6拍子
演奏時間は約2分

最後の作品を残すという意志・・・・
余白のDoctor・・・と走り書いた思い?
23才の青年の胸の内は・・・

「憾」を何と読むか?という特集が朝日新聞デジタルでとりあげられた。

 







2023/05/05 9:33:29|うたのわ
うたのわ 5月29日になります
次回 うたのわは5月29日です

5月15日は長岡の私用で変更させて頂いています

通常の実施は第1,第3月曜日で変更ありません

今回のみ、変更で申し訳ありませんが 宜しくお願いします。

みなさま、楽しく連休をお過ごしと思います
次回、うたのわまで、ちょっと時間があきますが
毎日の生活で楽しく歌を口ずさみながらおすごしくださいね







2023/05/03 3:18:22|音楽療法
音楽療法と言わない音楽療法 5 ペルトの作曲活動
音楽療法と言わない音楽療法・・・・

とても参考になる作曲家を紹介します

エストニア生まれの作曲家、アルヴォ・ペルト(写真)です
1935・9・11生まれ
現代音楽の手法、12音技法やミュージック・セリエの作風から転じて、「西洋音楽の根源への回帰」に作曲の活路を見出し、独自の様式、ティンティナブリ(鈴声の意味)と呼ぶ手法で作品を産み出した。

ティンティナブリはどんな音楽かというと
・簡素な和声
・単純なリズム
・一定のテンポ
(古楽の影響を感じさせる)

ベルトはティンティナブリ以降の作品で良く知られ、数々の賞を受賞している。日本には高松宮殿下記念世界文化賞受賞の為に2014年、来日した。

ティンティナブリ以降の作品、代表的な作品として、「鏡の中の鏡」等を聴いていただければ、私がここで紹介したい意向を理解して頂けるとおもいますが・・・作曲家自身がこの技法に至ることで、「音楽に対する失望や無気力感から脱出」したことが一つの音楽療法といえるのではないでしょうか

ペルトの伝記をポール・ヒリアーと言う人が書いているらしいので、読んでみたいと思っています


 







2023/05/02 0:55:46|うたのわ
j次回うたのわ・・・5月29日!
次回のうたのわ 5月29日(月)です

第3週の5月15日は都合により
5月29日(月)2時半から に変更です

本日5月1日の「うたのわ」の報告です
練習曲
・せいくらべ
・鯉のぼり
・富士の山
・にじ
・青葉城恋歌
・明日ハ晴レカナ曇リカナ
・幸せになるために
・向日葵の約束