チェチリア工房

ここは、工房という名の音楽室です。音楽は目に見えませんが、必ず何かを創造しています。天井が高く素晴らしい音響が自慢のスペースです。レッスンやコンサート その他、創作活動の発表にご利用ください。
 
2023/05/22 1:19:17|解説
最初の西洋音楽  オラショ
キリスト教が禁じられた禁教期、潜伏した信者たちが口ずさんだ文言。皆川達夫はオラショの研究で、かつて、イベリア半島で歌われていたローカルな聖歌の断片が、長崎の小島で密かに保たれていたことをつきとめた。


オラショを題材にした作品
・柴田南雄 「宇宙について」
・大島ミチル 合唱曲 
・「ぐるりよざ」
・「オラショ」

カクレキリシタンの文化や歴史については、
別の機会に色々、調べてみたいと思います
澤田記念館にもたくさんの資料があります。

写真は春日集落の棚田



 







2023/05/21 4:14:31|チェチリア工房情報
ブルースカイ 練習
5月22日(月)2時半から
ブルースカイ 練習をします
エスタビエン オーシャンステージに向けて
練習、頑張りましょう・・・・







2023/05/20 0:24:48|解説
最初の西洋音楽 その2 セミナリオの音楽教育
イエズス会宣教師ザビエルによる布教活動は日本の子供たちに礼拝に不可欠な音楽を教えた。
キリシタンの子供たちはヨーロッパのセミナリオと同等の教育を受け、ラテン語で歌い、西洋楽器(ヴィオラ・ダ・アルコ・・・ヴィオラ)を演奏した。
子供たちの歌った曲は・アヴェマリア、クレド、サルヴェ・レジナ。ミゼレレ・メイ・デウス、ラウダテ・ドミヌス等
キリスト教音楽(西洋音楽)を習得した子供たちはラテン語の聖歌を歌った。彼らの中から選ばれた4人の天正遣欧少年使節団の少年たちはポルトガル、イタリア、スペインの主要な教会を歴訪し、カトリック教会の多声聖歌を聴き、少年たちも演奏を披露した。8年半に及ぶ旅から帰国した少年たちは西洋の知識を学び身に付けていたが、既にキリスト教追放令が出されていて、大きな困難に逢っていた。

大分には「西洋音楽発祥の地」として宣教師たちがヴィオラを弾き、子供たちが歌っている記念碑が建てられている。

天正遣欧使節団の最後

伊東マンショは、中浦ジュリアンとともにマカオへ留学し司祭に叙されるが、弾圧が厳しさを増す中、布教活動を行いながら1612年に病死。原マルチノはマカオに追放され、1629年に亡くなった。中浦ジュリアンは国内で20年もの間宣教活動を行うが、ついに捕らえられ、1633年、長崎において殉教。そして、千々石ミゲルは、帰国から10年後に棄教。棄教の理由や晩年の様子など詳細はわかっていない。
 







2023/05/17 12:37:00|あれこれ
最初の西洋音楽
ヨーロッパの大航海時代、日本に西洋文明・キリスト教文明が伝来し、同時に西洋音楽が入って来た。
それまでの千有余年、日本には古来からの神道の文化があり、
朝鮮半島・中国との交流により仏教が伝来し、日本の文化と音楽が培われてきた。

ザビエルより教えられたカトリックの教えや信者はバテレンなどとも呼ばれていた。
九州・安土にキリスト教の布教が始まり、西洋音楽・キリスト教音楽が演奏され、ヴァリニャーノの計画による神学校設立と子供の教育によりキリシタン時代が始まった。

17世紀初めには信徒は20万人日本には200の新画工が設立され、音楽の教育効果は高く評価された。
しかし、ザビエル上陸(1549年)の28年後、秀吉によるバテレン追放令が発布され、家康も大追放令ほ発し、日本は完全にキリシタン禁制下に置かれた。

天正遣欧少年使節団を始め伝来した西洋音楽がもたらした音楽観や日本の音楽に及ぼした影響は1708年、キリシタン伝道とともに終止した。

キリシタン時代までにあった日本の音楽、声明、雅楽、脳、狂言、朝鮮半島や中国から輸入以前の原始民族音楽が、大陸音楽輸入の時代を経てゆく過程について、次の機会にまとめてみようと思います。

写真はキリシタン大名
大友宗麟(左)
洗礼名 ドン・シメオン 黒田官兵衛(右)





 







2023/05/15 0:49:05|うたのわ
うたのわ 5月29日に変更してます
本日 5月15日 うたのわ は
5月29日(月)2時半から に変更になっています

ご不便をおかけしますが
お間違いなさいませんように・・・

5月29日、お待ちしています。