やっと、春を待つ準備ができました。
ゆとり教育とかなんとか 言ってるうちに
12歳から14歳の こんな子供を 夜の10時、11時まで 外(塾)で勉強させなくちゃならなくて おまけに学力低下といわれ かわいそうな子供達 なぜ昼間に、 日の出から日没までの時間に 勉強させてあげることが出来ないのか?!
そんな疑問から始まった 精神力と体力の戦いの 中学受験には浪人はありません
でも、失敗しても なかなか公立には もどりにくい状況 12歳にして、 八方塞がりの ものすごい試練
子供はそれでも、 それだから頑張るのか まずやり遂げていくのです
これもかわいそうな話なのですが いまにして思えば
とても成長できる時間だった様にも思います
その間にかなりの葛藤があり 親が子にこんな事を させてていいのだろうか? という疑問が幾日も続き
フッと夜中に目が覚めては眠れない
同じ受験組みの親子からの嫌がらせ サンドバックのごとくに 打ちまくられ
そんな状況の中で プレシャーに立ち向かう
カツオの一本づりのごとく 身が引き締まるのを感じる
そんな中、神も仏も他力も感じた
失敗した時は 神も仏もあるものか
神頼みなんか効かないと思った やはり信じるものは自力だけだ とも思った
しかし、心の中で いちいち気ずく事があるんです
例えば、 一つ合格したときに 合格発表を待たずに 次の受験場所に行ってしまい 危うく合格証をのがす所だったところを ギリギリ虫の知らせと言うのでしょうか 締め切り40分前に 気ずき何とか間に合った
一度失敗して、もうダメだと思ったとき ふっ!とこんな事が思いついたのです ・・・そうじゃない! 今試されてるのは 根性だ!と、 どれだけあきらめずに、 弱気にならずに 頑張れるかが この試験の解答ではないのか! なんて心にはっきり 描かれてきたりするのです。
これが神の出来る業ではないのか?!
親が監督マネージャーになりながら もりたてなくちゃならないのに 言わなくていいことを言って 自己嫌悪 反省の繰り返し
やっとそれなりの学校の合格発表が30分だけ インターネットで発表されるとき 二人で観音様の前にいました 携帯ネットで受験番号を見つけた時は こんな日がくるなんて 信じられなかった
この受験は一生続く様な錯覚さえ覚えていた
観音様にお願いしつつ すぐにお礼を言って 子供と一緒に疲れなく走った
が、しかし 「もうお母さんは走れないから 受験票もって走って!」
子供が合格証を受け取って 戻ってきたとき
。。。。。。道端で。。。。。。
手にしたものは
親子の絆
人の優しさ
気づくと言う神と仏の存在
深い感謝 子供の学力
我儘を自己主張と教え ゆとりで学力低下を得た 公立小中学校?!
中学受験でもしなければ 昔は普通だった事が 手に入れられないのは残念だ!
中学受験は程よく傷つき挫折も教えられる そして程よく自信もつけられる
ような・・・気がした。
通塾の塾長が、 「今の親は子供を傷つけないようにしてる」 と言っていたが その意味がよくわかる気がする。
今の高校も大学も推薦が多く、 『最後には孤独になって苦労する事』を 避けることもできる。 親も苦労の無いほうを選んでしまう。
自分を傷つけたくないから、 傷つけられないから、 傷つけられたら 生きて行けないかもしれないから、 他人を傷つけ、いじめ、自殺もする。 と、 いうことも考えられないだろうか?!
・・・・・・・・・・どうだろう?!
私学は・・・この状況をどうするつもりだろう・・・?????!
この国は何を育てるつもりなのか???
そして自分は・・・・・・・・・・?????
また、新たなる疑問の壁にぶち当たったわけです!
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